第十話 霧街の騒乱2。
霧城から見るその光景は恐ろしくも、神々しささえ孕んでいた。ジズ川のダムが決壊し、濁流が洪水となり落ちてきて、大橋を完全に押し流してしまった。ダムの決壊により、川幅は1キロメートルを超えた。巨大な岩や土砂、樹木を抱えた灰色の河が吠えていた。烏頭鬼の野営地と霧街を区切る広大な国境線が新たに引かれた。
「ファンブル達は本当に裏町に残って居ないのか?」
今更だが、胆月は言わずに居られなかった。
「勿論。」
評議長のフラウは答える。本来であれば愛らしい彼女の姿はこの場を和ませるはずだったが、その苛烈な作戦が極限の緊張を金剛議場にもたらしていた。フラウは城主代行として、一つの作戦――ジズ川上流のダムから貯水全量を放水し、ジズ川を氾濫させ、烏頭鬼野営地と霧街の縁切りを行う――を決行したのだ。胆月は裏町から撤収してくる際に確かにファンブル達が消え去っていたのを確認していた。だが、今もそうなのだろうか?この作戦で誰も命を落としては居ないのだろううか?胆月はそれを信じ切ることが出来なかった。このことが彼の寿命を縮めて死ぬまで消えることの無い焦りとなって彼の魂の中で燻り続けることとなった。
「大丈夫だ。五大極達も馬鹿では無い。一旦引き払った裏町に戻ることはない。危険が多すぎるし、戻るのであれば逃げないだろう。」
フラウを擁護するでもなく、渦翁が答えた。胆月は納得していない。勿論、渦翁も一文字も、不安はある。だが、いずれにしても、これが最善なのだ。霧街は守らなくてはならない。
「会議は以上?では、私はこれで。」
感慨の欠片も示さず、フラウはジズ川の轟音を残して金剛議場から退出した。これは、六角金剛達が霧街に帰還してから、2日目の判断だった。たった二日での判断だった。それ程、烏頭鬼の野営地は活気付いていたし、霧街は戦力を削がれていた。黒丸は不明のまま、鹿は帰らなかった。しかも、四牙のサカゲ、コクト、十爪のグワイガ、フエナ、およびハクの五名は投獄されていた。五人ともそれぞれの理由でファンブルに肩入れしたため、評議会が危険と判断して投獄されてしまったのだ。特にハクは誰の言うことも聞かずクウを探しに行くと言い張り、隈取りで暴れた為に、地下牢の最奥の独居房に押し込められてしまった。評議会は彼らに反省し、裏町が首切りの正体だと証言するのであれば解放することを約束していたが誰一人として、それを受け入れなかった。ポーが逮捕されていて、彼らがそれを宣言すれば、処罰……とても残酷な刑になる……されるのだ。彼らはそれが出来なかった。仲間を売ることが出来なかったのだ。
渦翁は何も言わなかった。霧城の最上段の金剛議場から霧街を見下ろす彼ら六角金剛の目に力は無かった。風が吹きすさび、白く細い雲が空を切り開く。夏が近づこうとしている世界はしかし、終末の寒気に覆われている。雨上がりに虹は無く、夜は明けない。今一度、霧街に大きな風が吹いた。遠く野営地では烏頭鬼の戦太鼓が鳴り響いている。誰かがため息をついた。皆、疲れ果てていた。胆月、渦翁、一文字。満身創痍の壮年の男達が空中庭園から世界を見下ろしている。彼らは歳を取り疲れ果てていた。だが、彼らの重荷を受け止めてくれる子供達は居ないのだ。流れ続ける世界においてそれは、消滅を意味した。初夏の風景の色は意味を失っていた。




