第六話 裏町の死6。
ジズ大橋の対岸に展開していた烏頭鬼の軍勢はラスの神業、禍によって、大きな損害を出していた。月下狂乱を行使していた胆月は橋の中央部で烏頭鬼の先鋒を食い止めていたが、最大舞闘力を発揮できる15分が過ぎて、技が解けていた。両者の形勢は逆転する。鋼の毛皮を纏う胆月に傷を与えるような攻撃は少なかったが皆無では無かった。胆月は少しずつ傷を負い、後退し始める。彼らの頭上をラスの鏃が飛び越えて、大橋の袂からなだれ込もうとする烏頭鬼の軍勢を牽制していたが、それも完全に進軍を止めるものでは無かった。鋼鉄の盾を構え数にものを言わせた進軍を続ける。ジズ大橋を超えられたら、裏町を捨てて、霧街に籠城するしかない。
(当初の作戦通りだが、東門で全軍と対峙出来るのか?)
胆月は迷う。二万や三万であれば東門で対峙出来るだろう。恐らく、烏頭鬼を追い返せる筈だ。だが、一度に十万の軍勢が攻め込んでくるとなると話は変わる。十万の軍勢であれば、東門から北にある大正門まで展開することが可能だ。だが、迎え撃つ霧街軍にはそれだけの兵が居ない。一般人も動員しての全面対決が必要になる。その準備を行う時間は無いように想われた。胆月は迷う。
(どうする?打つ手はあるのか?)
その迷いと疲労が胆月の体裁きを鈍らせた。烏頭鬼の大鉈が胆月の左肩に食い込んだ。血が噴き出し、胆月は叫んで膝をつく。烏頭鬼はその一瞬を逃さずに胆月を押しつぶすように一斉に飛びかかった。何十、何百の烏頭鬼の雪崩だ。だが、強い衝撃が走り、その場にいた全員がよろめいて倒れた。ジズ大橋から落下する烏頭鬼もいた。ジズ大橋の内部から閃光が迸り、亀裂が無数に走ったかと思うと、すぐに崩れ始める。大橋が、それに乗る烏頭鬼がジズ川の流れに飲み込まれていく。
「一文字の真一文か!!」
胆月は叫んだ。何もかもを大断絶させる蟲王角の技だ。彼は幅百メートルに及ぶ巨大な石造りの大橋を中央部で切断したのだ。無数の烏頭鬼達が崩落に巻き込まれ、河に飲み込まれていく。粉塵が舞い、水煙が立ち上る。対応の遅れた胆月もまた烏頭鬼と供に大橋の上を河に向かって滑る。大崩落は川の中に大きな渦を作り出しており、落ちて飲まれれば、脱出することは適わないだろう。でも、胆月は傾いた橋の上を滑るだけで、対応出来ずにいた。肩に食い込んだ鉈が血と集中力を奪っていた。だが、崩れ去る大橋のその先に、粉塵を超えてそれは現れる。立ちはだかる人影。
「遅くなった。」
それは蟲王角一文字。胆月は笑うが、失血で声にならない。一文字も笑う。霧街の絶望的な状況を聞いていた彼は笑うような心境では無かったが、古い友人の笑顔を見て笑ってしまった。彼らは少年のようにいたずらっぽく笑った。そして、一文字は落ちてくる胆月を受け止めて担ぎ、そのまま大きく飛翔した。一文字は、数度の跳躍で崩落するジズ大橋から脱した。
「なぁ。ファンブル達はどうなった。ジズ街に大勢住んでいたファンブル達は。見殺しにしたのか。判断としては止む終えないが、俺は納得出来ない。」
情に厚い胆月らしい言葉だ。一文字は嬉しくなる。とっくの昔に完全におっさんになっているが、でも。そうだな。俺たちは、ずっと、俺たちだ。
「誰も居ない。」
笑いながら一文字は返す。胆月はきょとんとする。一文字はその表情に微笑んで続ける。
「この三十分で、全てのファンブルは消えた。完全に。霧街に居るのは我々だけだ。それの吉凶は判らん。ただ、霧街は大混乱だ。さぁ、帰るぞ。」
一文字は告げて、胆月は同意する。胆月は思う。身体が、心が折れそうなこの時に、同期の仲間が居ることを熱くありがたく思った。背後では崩れ去ったジズ大橋が水煙を上げて沈んでいく。橋が沈み、烏頭鬼の行軍は止まる。
巨大なジズ川は烏頭鬼の行軍を阻み続けて、霧街は貴重な時間を手に入れた。




