第十七話 狼煙。
その黒い塊は確かに軍勢だった。黒い甲冑に黒い外衣。フードを被りそれぞれの獲物を手にしている。至る所に軍旗が掲げられ、戦太鼓や鬨笛の音が鳴り響いている。彼らは全てカラスモルフだった。フードから黒い嘴が突き出している。足下は軍靴ではなく黒い鱗と鉤爪がついていた。空を舞う者もいた。それは霧城の東側の世界から湧き出すように現れ、ジズ大橋まで3kmの地点に集結した。瞬く間に巨大な野営場が出来上がる。野営地の其処此処で煮炊きの煙が上がる。霧街は混乱していた。長らく自分たち以外のモルフを見ることが無かった為、これだけの大人数のモルフが現れたことだけでも驚きに値するのに、それが軍隊で、しかも……恐らく……この国に攻め込もうとしているのだ。街は混乱していた。逃げだそうとする者、和平を求める者、戦いの準備をする者、反応は様々だった。ただ、霧街は絶壁に護られた巨大な城壁を持つ街であり、その要所で四牙が守りを固めていたし、狩猟隊の精鋭である十爪も戦に向けて準備を進めていたため、街人は混乱しながらも、まあ大丈夫だろうと根拠の無い安心感を抱いていた……その時までは。
ゆっくりと大らかにそのモルフは野営地を飛び立ち、踊るように舞い霧街に到達する。それは街の象徴である大噴水にある大きな女神の彫像の上に立ち降りた。背中を丸め、立て膝で女神の頭を占拠した。ゆっくりと飛んで来たため、到着したときには既に四牙が到着していた。四牙のリーダーの一人、灰色狒狒のセイテンだ。半獣化で現れた。
「こちらから会いに行こうと考えていたので、丁度よかった。俺はセイテン。お前達は誰だ?目的は何だ?」
カラスモルフは真面目そうな瞳でセイテンを見つめた後、ぎゃぎゃぎゃっと、下品な笑い声を上げた。立ち上がり、外衣を翻した。闇の外衣の中から鋭い羽根矢が飛び出す。セイテンは首の捻りだけで躱す。
「先に言っておくが、俺は少し、気が短いぞ?」
カラスモルフはぎゃぎゃぎゃと笑う。再びマントを翻して今度は無数の羽根矢を打ち付けたが、既にそこにはセイテンは居なかった。セイテンは飛び上がり、カラスモルフの頭上だ。獣化して渾身の拳を振り下ろす。カラスモルフは女神像もろともセイテンの巨大な拳に押しつぶされた。カラスモルフは大噴水に沈む。
「あ。いかん。やり過ぎた。」
いつものことだがセイテンは少しだけ気が短く、頭に血が上ると何にでも殴りかかってしまう。今回もサカゲによくよく自重するように言い渡されていたのだが。だが、セイテンは気に留めない。済んだことは仕方が無い。”幼生には戻れない”のだ。と言うことで命令無視は忘れて、セイテンは事後処理に移る。カラスモルフの死体を泉から引き上げようと手を伸ばしたところで、セイテンは切り裂かれた。倒されたカラスモルフの外衣の中にもう1匹のカラスモルフが隠れていたのだ。獲物のシミターで脇腹を切り裂かれた。だが、セイテンも切られながら反撃した。巨大な拳で隠れていたカラスモルフを叩き潰した。
「セイテン!下がれ!」
遅れて到着したウルフモルフのサカゲの声がかかる。必要性を認めなかったセイテンはその場を離れずにサカゲに食ってかかろうとして背後からシミターを突き刺される。驚いて振り返るセイテンの目の前で再び闇の外衣の中に隠れていたカラスモルフがセイテンに斬りかかってくる。セイテンは自分を刺したモルフを殴り飛ばし、次に現れたモルフのシミターを躱したが、更にその後に登場したモルフの棍棒の一撃を食らってしまう。
「一体どれだけマントの中に隠れて……。」
言いかけたセイテンはカラスモルフの闇の外衣の中に野営地を見た。そこには行列をなしてここに乗り込もうとするカラスモルフの軍勢が見えた。セイテンが驚くその一瞬で大噴水広場には10匹以上のカラスモルフが現れた。
「下がれ!きりが無い!」
再び、サカゲの命令が飛ぶ。今度はセイテンも指示に従う。サカゲは大きく息を吸い込み解き放つ。
真技狼炎
サカゲが蒼い炎を吐き出した。超高温のその炎はカラスモルフもろとも外衣を焼き尽くした。大噴水が溶けて倒壊する。外衣の向こうにある野営地にも炎は届いて、被害を与えた。
「セイテンは霧城に戻って治療だ。他の者は、生き残りや外衣の焼け残りが無いか確認を行え!」
サカゲは四牙の隊員に指示を出す。周囲を見渡すと皆一方向を見つめている。いやな予感に押されて、サカゲは皆と同じ方角を見る。
「……おいおい。」
ゆっくりのんびりとカラスモルフの第二陣が空を移動してくる。その数、50匹。たった1匹でさえこの騒ぎだ。これの50倍では犠牲者が出るのは必至だ。
「火を用いろ!外衣を先に潰すんだ!情報を周知しろ!」
サカゲは叫び、隊員達は命令を実行するべく、霧街に散る。念珠でビャクヤ達にも伝える。サカゲは獣化し、最も近いカラスモルフを目指して走り出す。狭く細い路地に飛び込んで消えた。遠い野営地からは地鳴りのような戦太鼓の音が響いてくる。鬨笛の音が空気を揺らし渡ってくる。程なくして街の其処此処で悲鳴が上がり始める。霧街のシンボルである大噴水からはカラスモルフの焦げた煙が立ち上り、それはまるでこれから始まる絶望的な戦の狼煙のようだった。




