第十一話 クウの日常。
世界史の授業が終わる前に、正午の鐘が鳴った。大きくごーん、と一回だけ。
「遂に……終わった。」
がばりと机から身体を起こしたハクは、絶体絶命の危機を乗り切った歴戦の勇者の悲哀で、呟いた。
「授業が終わっただけじゃん。」
クウが突っ込み、ロイが微笑む。キリマチ最後の学校で、たった3人の生徒達が授業を受けていた。この零鍵世界では、子供の間は、毎日午前中は学校で勉強をする。大人は学校に通わない。皆何かしらの職に就くか、舞闘者になるかするのだ。勿論、研究者や医師等は更に勉学を積む必要があるが、学校は無く、弟子入りするだけだ。ともあれ、ハクは教壇と3つの勉強机しか無い間の抜けた教室から、働き者のナマケモノモルフのナン先生への挨拶もそこそこに飛び出して行く。ロイもハクの後を追う。
「ナン先生。さようなら。」
クウはいつものように礼儀正しくお辞儀をして先生の返事を聞いてから、教室を出る。日中の強い陽光だけが差し込む、伽藍堂の廊下を全力で走り、空の下駄箱の横を抜けて外に出る。瓦の乗った大きな校舎だ。一瞬だけクウは振り返る。自分達だけじゃこの大きな学校は廃墟も同然だった。それはどこか寂しそうで。
「僕が世界を元通りにして、また、生徒でいっぱいにしてあげるから!」
さみしがりの校舎に宣言すると、クウは再び走り出した。
彼等は校門を過ぎた辺りで合流した。これまたいつも通り3人仲良く体をくっつけてお喋りしながら歩いた。ハクが2人の間で腕を組むのだ。クウは歩きにくいから、止めて欲しかったが、ハクが凄く楽しそうでいつもそれを言えないのだ。彼等は街の中心部へと歩いていく。彼等が住む霧街は街と呼ばれているが、この水紋の国の首都であり、非常に大きな都市だ。家々は瓦を乗せた平屋が多い。所謂、東洋的な木造の建家だ。勿論、石やコンクリート製の建物もあるが、それらは少数だ。クウ達が通う学校の周りは、住宅街で沢山の家やマンションが建ち並んでいる。レストランや喫茶店、雑貨屋さん等も多く、行き交うモルフ達も大勢いた。服装は本当に様々だ。黒丸のように和装を好む者もいれば、スーツ着るモルフもいる。カラフルで民族衣装的な装いの者も、果ては裸……獣化状態であれば違和感がない……の者さえいた。モルフ達の多様性は美しく輝いていた。移動手段は、徒歩だったり自転車だったり、田舎では見ることの出来ない魂気で動く自動車も走っていた。その様々な人々は、クウ達を見つけると皆、気さくに話しかけてくる。街の住人達はもう十一年間も世界に子供が産まれておらず、だからこそ皆、クウ達を自分の子供のように接する。勉強のこと、健康のこと、先日のイタズラ……敵対種を狩猟隊から横取り……したこと等々、からかったり注意したり、とにかく大人はクウ達を放っておかなかった。
「ロイ!なんじゃ?学校はどうした!まさかまたサボっとるんじゃなかろうの!!」
髭を生やしたゾウガメモルフの大髭がのそりのそりと近づいてきた。ロイの古い知り合いのこのゾウガメモルフは背中に大きな傷を背負っていた。クウが大髭の会話に入り込む。
「オオヒゲさんこんにちは!授業はもう終わったんだ。あと、授業をサボるのはロイじゃなくてハクだから。それから、オオヒゲさんの背中の傷って……。」
言い終わる前にハクとロイはクウを羽交い締めにして彼の口を押さえて、担ぎ上げるようにして立ち去った。
「オオヒゲさん!ごきげんよう!」
まぁ、それは珍しいことでは無かった。彼らは好奇心旺盛で、無鉄砲でいたずら好きだった。彼らのことを見つける度に叱ることを日課にしている成体も少なくは無い。最後の子達は、いつも話半分で大人に返事をしてそそくさと逃げる。付き合ってたらきりが無い。そうやって住宅街を抜けて、キリマチの名所、大噴水に到着する。高さ三十メートル程の噴水から水が更に高く噴き出している。神話の中にしかいない様々な神々がレリーフされている噴水の中はモルフが入る事も出来て、カップルや家族連れで賑わっている。周辺は出店が立ち並び、今日もモルフ達でごった返している。鳥や獣、虫のモルフもいる。様々な姿と色で街は活気付いていて……。これが、これほどまでの多様性を許容する世界が、死に向かって進んでいるだなんて、クウには信じられなかった。そしていつも通り、クウは世界を想い、早く成体になりたいと願った。
「ね?何か食べていかない?パパもママも今日はキリグウの行事で居なくってさ。」
いつも通りの快活さでハクは言った。2人の間で腕を組んで彼等の顔を交互に覗き込む。ロイは少し顔を赤くして、ハクに同意した。ハクは喜んで笑顔を溢す。にぃぃぃっと笑う。そのまま続けて、クウに同意を求める。でも、
「僕、これから、バイトなんだよね。ちょっと時間無くって。」
「えー。」
ハクは眉毛をハの字にして、がっかりする。でも、ちゃんと聞き分けて、バイトじゃ仕方ないよねと、諦めた。ハクとロイは腕を組んだままクウと別れて、モルフ達で溢れかえる大噴水の大広場に消えて行った。クウは2人を見送りながら、お似合いだなぁと思った。自分が入って行く隙なんてない。そもそも2人とも良いとこのお坊っちゃんとお嬢ちゃんだ。拾われ者の自分とは違う。例えどれだけ仲良くしてくれても。そして、クウは想う。早く大人になりたいな、って。