第十話 退屈な授業 2
創世期。
八百万の神を統率する三人の“深なる神”はその力を十に分けて信頼する小さな神達に分けた。それは鍵の形をした神具だった。小さな神々達はそれぞれの果てしない旅の末にそれぞれに相応しい世界を見つけて営みを始めた。一番最初の世界は零鍵世界と呼ばれ、その後、順番に番号を積み重ねて最後の世界は玖鍵世界と呼ばれることとなった。クウが生きているこの世界は最も早く生まれた世界、零鍵世界だ。こうやって虚無だけが支配していた空白に、十の世界が生まれた。ニチリンが治める零鍵世界、ハヅキが治める壱鍵世界、キョウカの弐鍵、シミズの参鍵、コボクの屍鍵、クロガネの護鍵、フハイの陸鍵、ホウテンの漆鍵、コクウの捌鍵、ヤタガラスの玖鍵。それぞれの世界は独立していたが、束縛を嫌う歩む者達が、神々を無視して、世界を連結する通路を作った。それは世界通路と呼ばれた。ともあれ、彼らは世界通路を使い、全ての世界を跳躍して、混乱と多様性を導いた。世界を混ぜ返して新しい光を呼び込んだ。
以前の世界。
深なる神は姿を潜め、それぞれの世界を統治する神だけがモルフ達を見守っていた。その小さき神はやがて、鍵の守護者と呼ばれるようになった。世界は様々な驚異に満ちていた。神獣と呼ばれる強力な生物が出現し、世界を揺るがした。神獣は、時にはモルフ達の生活を脅かし、時には彼らを守った。世界を覆う鯨や雲の龍、流動する闇や空の眼、鍵の守護者でさえ一目置くような超常的な生物が世界を闊歩していた。そして漂泊者達も変わらずに世界を旅していた。連なった十の鍵世界は平和とは言いがたかったが、美しく多様性に富み、輝いていた。
以前の世界の終わり。
ある時、一人のモルフ……今の霧街の定義ではファンブルだ……が現れた。彼はいつまでも輪廻転回の儀を行わなかった。ずっと、幼生のままだった。彼は常に一人で過ごし、ずっと空中に向けて話しかけていた。爪を噛み、指をしゃぶって一日を過ごした。彼の親を見た者は居なかった。彼がどこから来たのか、それを知る者は居なかった。でも、彼は知っていた。自分が何者で何を成すのかを。彼は何時の間にかこの世界に存在し、物陰や部屋の隅に堪る塵芥の様に人知れず成長していった。そしてある時、彼は邂逅した。零鍵世界の鍵の守護者であるニチリンと。彼はその好機を逃さなかった。彼がずっと夢見ていた光景だった。ニチリンは、美しく輝く後光を背負い、やわらかに流れる髪と襞を織り込んだ衣服に包まれた女神だった。大きく開いた胸には赤く輝く鍵が揺らめいていた。それは、守護者だけが持つ、世界の鍵だ。世界の法則を司り、全てを開くも閉ざすも自由に出来る鍵だ。学者達は万能鍵と呼んでいた。彼は迷わなかった。淀みなく、狂人だけが持つ純粋さで女神の胸元に爪を立てて、鍵を奪い去った。その瞬間にニチリンは枯れて死に、零の鍵の世界は死に向かって進み始めた。
……そして世界は現在に到る。