序章 8.二つの裏切り
話題は変わるが、ルルディの両親、つまりミタール公国メイ城主とその妻は、城内に人質として捕らえられていた。
人質と言っても待遇はよく、朝から嘆願に訪れる領民たちの相手をしなくてよい分、楽をしているといったほうがいいくらいだ。
「ルルディはどうしているでしょう? ちゃんと食べているかしら?」
薄めたワインに蜂蜜をたらしたものを飲みながら、二人の会話はもっぱら一人娘の消息と……占領者の懐柔だった。
メイの富は有名だったが、それをすべてアルペドンに送るよう命じられた時、メイ城主は、占領軍の指揮官ドルジュ将軍にささやいた。
城内の厚い扉に守られた宝物庫には、おびただしい数の金貨の袋と、金銀の延べ棒、小箱に種類ごとに分けられた宝石類。壁には人の背丈をゆうに超える象牙が何本も。
「半分だけ送ればいいではないか。残りはあなたのものに。私が贈りましょう」
ドルジュ将軍は結局、メイの富の三分の一ほどをアレイオに送るにとどまった。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、それでよいのです。手を汚して働く者が富を得るのが一番よろしい」
利益を餌に、少しずつ懐柔していく……。
富の、黄金の力を知っているメイ城主ならではのやり口である。軍事力でのし上がったマッサリア王とは異なる。
城主の人当たりの良さと話の巧みさに、最近ではドルジュ自身が直接情報を教えてくれる。
今日は久々に娘の消息が分かった。
「あなた、では、ルルディはチタリスを取り仕切る弟君のところにいるのですね?」
「そうらしい。よくたどり着いてくれた。さすが我が娘」
城主は相好を崩す。
「ただ、ケパロスは優柔不断なところがある。脅されてアルペドン側についたりしなければよいが」
「そうですねぇ」
二人はワインの入った器を口に運んだ。
垂らした蜂蜜の甘みのうちに酸味と渋味が混じる。
「ルルディには私の右腕であるパラスをつけてある。まず心配はないと思うが……」
ところが、そのパラスははるか彼方、アルペドン王アレイオの居城にいた。
「話が違います、アレイオ様。この数年、何のためにメイ大公の信任が最も厚い私がメイの情報を流したと思っていらっしゃるのですか?」
パラスは浅黒い顔を真っ赤に上気させて怒っていた。
「ルルディ姫を私にいただけると、そう約束して頂いたから、私は寝返ったのです。城門を開けたのも、ルルディ姫の身柄を一度はあなた方に預けたのも、約束を守っていただけると信じたからこそ!」
「逃げたものは仕方があるまい。それとも五人を手玉に取った男相手に一戦交えるか?」
アレイオは玉座に座り、宝石のはまった指輪をもてあそびながら答えた。
「ルークなどに任せたのが間違いだったのだ。説得に失敗しおって」
「マッサリアの動きは?」
「もう本国からミタールに入っている。ただ、南征の十万は動きが遅い。内部で反抗した我らの軍が良き働きをしている」
そこへ家宰が首をすくめながら入っていた。
「マッサリア軍、五千がミタールを侵攻しています。メイの敗残兵を集めており、総勢七千に達するものと、メイのドルジュ将軍から連絡です」
ふふん、とアレイオは笑った。
「マッサリアの兵は、精鋭を南征に送り出した残りカス。わが軍一万とでは数の上でも問題にならぬわ」
立ち上がって、叫んだ。
「ドルジュに迎え撃たせろ。南征の軍が帰ってくる前に決着をつけさせるのだ」
「わが軍五百もドルジュ将軍に加わります」
「行け、パラス。偉大な裏切り者よ」
はっはっはっとアレイオは笑った。
十日後、ミタール国メイの城にはパラスも到着して、数の上ではドルジュ将軍がさらに優位になった。しかし、その心は乱れていた。
「私たちを連れて、マッサリアに降伏してはどうですか」
メイ城主にそう言われたのだ。
「マッサリア王は公平な方。あなたの裏切りには、しかるべき報酬があるでしょう」
「馬鹿なことを言うな。わが主君はアルペドン王のみ」
そうは言ったものの、耳にも残って仕方がない。
一方でパラスが、到着するなり勝手に城内を見回って主人顔をしているのにもイライラする。
「これはどうしたことだ。この宝物は。すべてアルペドンに送るよう命じたはずだが」
「それは傭兵たちを雇うのに必要なものだ」
ドルジュの言い訳は苦しい。
「それには量が多い。きっと究明してやるからな」
ドルジュは、パラスを連れてメイ大公夫妻のところへ向かった。
せめてもの意趣返しに、パラスの悪事を露見させようというのだ。
「裏切り者をお連れしました」
「パラス! どうしておまえがここにいるのです!」
「おまえが私たちを裏切ったのか?」
夫妻の驚きは大変なものだった。
「お前には良くしてやったのに……。お前が、私たちを売り、娘を売ったのですか?」
「良くしてやった? いいえ、これまでの冷遇の見返りです。私は悪いことをしたとは思っていない」
パラスは平然と言った。
「ルルディ姫の婿は私がふさわしい。そしてミタール公国を継ぐのも!」




