序章 5.マグヌスの正体?
マグヌスとルルディが目指したチタリス市は辺境にあるが、メイ城に次ぐミタール国第二の都市である。
城というより城館と呼ぶにふさわしい平城が、二人を出迎えた。
「ここですね」
マグヌスが笑顔を見せる。
門番に知らせるとすぐ中庭に通され、チタリス公ケパロスが、自分で迎えに来た。
「ルルディ姫、ご無事で何より。マッサリア王も喜ばれることでしょう」
「叔父様!」
ルルディはロバの背から飛び降りてケパロスの首に抱きついた。
両者の背丈はほとんど同じで、ケパロスは男としては背が低いほうと言えるだろう。
ほとんど毛のない頭を柔らかい布で包んでいる。
「従者の方、ご苦労でしたな」
「あ、その方は従者ではありません。賓客としてもてなしてあげてください」
ルルディがあわてて打消し、なぜか顔を赤らめた。
対面の様子を見ていたマグヌスは快活に笑った。
「窮地に陥った姫を救いたいという単なる物好きです。姫がご満足ならこれにて退散を」
「いや、待ってくれ、あなたに会いたいと言う人がいる」
「私に会いたい人?」
知り合いはいないはずだがと首を傾げたマグヌスは、いきなり剣を抜き、ルルディを背後にかばった。いつの間にか忍び寄った刺客に気づいたのだ。
「なるほど、これは楽しめそうだ」
舌なめずりせんばかりに言って、背から長剣を抜き放った男の髪はとび色、黒い目が異様な光を放っていた。
「俺はルーク、クマ殺しのルークと呼ぶ者もいる」
「噂は。当代随一の剣客と。それがなぜ私に?」
「……立ち会ってみたい」
「お断りします」
ルークに剣を向けたまま、マグヌスはきっぱり言った。
「無名かどうか、その腕のほど。試してやろう」
「断ります」
チタリス公が、おろおろしながら割って入った。
「まあまあ、二人とも、剣をお引きください。立ち合いなら後日改めて」
促されるままに、マグヌスは剣を鞘に納めた。
「その辺の護衛の兵と違って、俺に不意打ちは効かぬぞ」
ルークも長剣を鞘に戻し、そういい捨てると、城館の奥に消えた。
ケパロスはほっとして笑顔になった。
「今夜は姫の無事を祝って、ささやかながら宴を開こう」
「いいえ、城も、父も母も、謀反人の手に落ちたままなのに宴会などできません」
ルルディは唇を噛んだ。自分の無力さを嘆く姿は、マグヌスの目に痛々しく写った。
「叔父様、今すぐ兵を出してメイの城を取り戻してください」
「いや、今すぐというわけにはいかないのだよ。兵を動かすにはそれなりの準備が必要なのだから。とりあえずは、ここでくつろいでもらいたい」
ケパロスはルルディの背をさすった。
「私は用があるからここで失礼するが、何かあったら遠慮なく言っておくれ」
と、ちょこちょこと、ルークの後を追って城館に入っていった。
改めて、チタリス城の奴隷にロバの手綱を渡し、家宰に城内の案内を乞う。
隣り合わせた二室が用意されていた。
案内してくれた家宰に礼を言って引き取ってもらったところで、マグヌスはルルディに上衣を引っぱられた。
彼女が声をひそめてささやくに、
「叔父様はどこか変です。ルークという人も、なぜあなたが麦畑で襲った兵士のことを知っているのでしょう。まさかアレイオの仲間なのでは?」
一息ついて、
「叔父様もアレイオに味方しているのでしょうか。だったら、私、とんでもない所に来てしまった……」
「わかりません。ここは一つ、私にしかできないことをやってみましょう」
何をやるつもりなのか? よくしゃべるくせに肝心なことははぐらかすマグヌス。
ただ、城門の一件でわかるように、彼はルルディを裏切る男ではない。
「信じるわ」
ルルディの言葉にマグヌスは微笑んだ。
他方……。
ルークは与えられた部屋にケパロスを呼びつけていた。
「運がいいな。逃がしたと思ったルルディ姫はお前を頼ってきた。このまま人質に取ってしまえ」
「ですが、私は表向きマッサリアの側に立っています。だからルルディも私を頼ってきたのですし……今の時点で公然とアレイオ様につくのはちょっと……」
「あの若者が心配か? あれはマッサリアの一味だか、南国の流れ者だか知らないが、俺が始末してやる。それとも、お前が始末されたいか?」
ケパロスは両手をもみ合わせ、しどろもどろになった。
「そんなつもりは……あの男、どこかで見たような気がして……」
「ふん、よくある顔なんだろう」
その夜の宴会で、事は起きた。
それは、賓客として扱ってほしいとルルディが頼んでいたにもかかわらず、宴席にマグヌスの席がなかったことから始まった。
「すぐ用意させる。すまん、すまん」
そうは言うものの、ケパロス自身、賓客というには粗末な格好をした、素性の知れないこの青年をどう扱ったものか困っている様子だ。
マグヌスは、怒りを抑えた様子で慌てて走り回る奴隷たちを見ている。
やがて彼は意外な言葉を発した。
それは普段通り静かな声だったが、ルルディ含め皆を仰天させるに足る言葉だった。
「チタリス公、お前は、私が王座にいなければそれとわからないのか?」
「え!」
ケパロスの顔色が変わった。
「マッサリア王エウゲネス様!」
ルルディも硬直した。
「気付かなかったか? 幼い婚約の日に交わした肖像画を……」
「そう言われれば、あなたは……」
青年はさらに、懐から黄金の短剣を取り出した。
「これで証になるか?」
大粒のルビーの紋章が輝いていた。
青年はためらいなく、正面の上席に座を占め、くつろいだ。
「気にするな。今の私は旅の剣士だ」
ケパロスが震え声で尋ねた
「なぜ、なぜ最初から名乗ってくださらなかったのでしょう?」
「名乗るつもりはなかった。だが、あまりに人を馬鹿にしたやり方は好まぬ」
ぴしりと言って、
「マッサリアからの援軍が間もなくミタールに入る。よもや叛徒の側につくつもりではあるまいな? 南征の軍も引き返すことを決めた。少なく見積もってもさらに十万の兵がこの国とアルペドンに殺到するのだぞ」
諄々と説く青年の言葉に、ケパロスはますます青ざめた。
ルークからはアルペドン王国につくよう迫られ、マッサリア王を名乗る青年からは直々にマッサリア王国につけと責められ、ケパロスは進退窮まっていた。
「南征の軍はそんなに早く帰ってはこない」
ルークが否定した。
「立ち合いで決めぬか。俺とマッサリア王と打ち合って、勝ったほうにつけ。どうだ、ケパロス」
ケパロスは、カクカクとうなずいた。
「よし。明朝、城の中庭に囲いを設けろ。マッサリア王、もはや無名の剣士などとは言わせぬぞ」
「いいだろう」
青年は腰の剣を叩いた。