終章 251.悲劇の王妃
捕らえられたテオドロスは、皇帝アンドラスの前に引き出された。
上半身は裸で、すでに二つの十字、すなわち死刑囚の烙印がその胸に押されていた。
「謀を用いて我が妻の養父を殺害し、無謀な戦で何千人もの兵を死なせた大罪人」
アンドラスが断罪する。
うなだれていたテオドロスは顔を上げた。
生まれながらの王であるという矜持がそうさせた。
「異国人、マッサリアの魂を奪えると思い上がるな!」
「ほう、おまえが謀殺したマグヌスこそ、私はマッサリア人らしいと思っていたのだが」
東帝国軍の遠征を見事に撃退する一方、アンドラス始め生き残りを辱めることもなかった将軍。
「……じきに私を助けに援軍が来る」
「ならば、処刑は速やかに行なう」
テオドラはその哀れな姿を見てやりたいと思ったが、アンドラスに止められた。
「あまりに興奮すると、腹の子に障る」
戦乱の中で、テオドラは身ごもっていたため、マッサリアの王宮の北の館、女たちの領域でルルディと共にテオドロスの処刑を待った。
「テオドラよ、愛娘よ、どうかテオドロスの生命を助けておくれ」
ルルディは我が子テオドラの前に身を投げ出して祈った。
「すでに死刑と定められて烙印を押された者。母上に頼まれても無理です」
「そなたの養父、マグヌスは死刑囚の烙印を押されたまま生き続けたではありませんか?」
その言葉にテオドラはわなわなと震えた。
怒りのあまり血流が逆行する思いだった。
罪なくして烙印に苦しめられた養父と、彼を謀殺した者を比べるのは、あまりにひどい。
「その私の養父マグヌスを陰謀を用いて殺した犯人。罰を受けさせないでいられましょうか?」
ルルディは、なおも取りすがった。
マグヌスの死は悲しい。
だが、血を分けた我が子の死にはもう耐えられない。
「クサントスは死んだ。これ以上エウゲネスの子の血を流さないでおくれ」
テオドラは、怒りに青ざめた表情のまま、しばらくルルディを見つめた。
そして足元の母に、
「分かりました。兄上の血は流さないようにと皇帝に進言いたします」
「ありがとう、テオドラ、ありがとう」
ルルディは娘の手に口づけして感謝した。
人心地がついたルルディを訪ねて、テトスの妻メリッサがやってきた。
「ルルディ様、夫は東帝国の軍人に取り立てられることになりましたが、ルルディ様はいかように?」
「メリッサ、逆境の友が真の友と言うけれど、あなたがまさしく真の友だわ」
ルルディはメリッサを抱擁した。
今は敗戦国の母后、メリッサと身分の差は無い。
「もうテオドロスは首を落とされると思っていたのだけれど、テオドラが皇帝陛下に命乞いしてくれるのよ」
「それはよろしゅうございました」
「私の身の振り方は、そうね、ミタール公国の老いた父母のもとへ帰っても良いし、テオドラと一緒に東帝国に行ってもいいわ。テオドロスが心配だから、やっぱりあの子も一緒に行こうかしら」
「皇帝陛下は心が広い方なんですね。私は夫と一緒に東帝国へ参ります」
と言って、メリッサはしまったという顔をした。
ルルディの夫、もとマッサリア王エウゲネスはすでに病死している。
「そう……夫婦添いとげられるのは良いわね」
「エウゲネス様がお元気でしたら、皇帝などに好きにはさせていないでしょうけれど」
その瞬間、ルルディはあの一夜を思い出した。
ただ手を握りあっただけの夜を。
エウゲネスを失ったと信じ込んだ自分を支えてくれた人。
(マグヌス、あなたに会いたい。エウゲネスではなくあなたを選んでおけば良かった)
涙があふれて止まらなくなった。
「……ルルディ様、申し訳ありません」
「違うの」
二人とも居ない今、それを悔やんで何になる。
途方もない喪失感が、ルルディに涙を流させた。
「遅いわ。遅すぎたわ」
メリッサは黙ってルルディの背をさすった。
彼女はルルディの涙の秘密に触れようとはしなかった。
人の生は儚いもの。
いずれ散りゆくバラの花。
栄華を極めた王妃も、ただ人生の過ちを悔いて涙を流す。
国を失ったからではない。
権力を失ったからではない。
本当に愛していた人が誰かを思い知ったとき、その人はもう居ない。
「テオドロス、なんと恐ろしいことをしてくれたの」
テオドロスの世話係の奴隷としてアルペドン王国の元王妃を使役したとき、自分は思い上がってはいなかったか?
傲慢ではなかったか?
彼女に言われるままに、テオドロスは王権を絶対だと間違って学んでしまったのではないか?
「あの女にしてやられた……」
運命の神はなんと耳聡く冷酷なことか。
「この先、どうやって生きていけば……」
「テオドロス様がいらっしゃるではありませんか。テオドラ様が命乞いしてくださったなら、きっと許されるでしょう」
「ええ、ええ」
ルルディは子どものように手で涙を拭った。
「ルルディ様、少し休まれたほうが良いようにお見受けいたします」
メリッサに言われてみれば、このところほとんど寝ていない。
「そうね。ありがとう」
親友に伴われて彼女は寝室に入った。
そう、あの夜、この寝台の中央には自分の潔白の証となる黄金の短剣が刺されていたのだと思い出すと、ルルディはまた泣きたくなる。
「王妃様、おやすみなさいまし」
メリッサが手を握ってくれた。
浅い眠りのあと、ルルディはよく響く澄んだ音で目を覚ました。
「中庭で何かやっているのかしら?」
ルルディは中庭の見える部屋まで移動した。
窓に張られた雲母を通して歪んだ中庭が目に映る。
植え込みが刈り払われた中庭では、何か台のようなものが組まれていた。
木材を打ち付けるたびに澄んだ音が響く。
「ああ、そんな」
未完成のその台が、絞首台であると悟った瞬間、ルルディは気を失った。
明日も更新します。
次回、第252話 血は栄える
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに。