終章 241.祖霊神のみもと
テトスは、村にある祖霊神の神殿へ全力で走った。
「マグヌス、マグヌスはいないか!?」
「……もう、いません」
心細い返事が返ってきた。
「おまえはマグヌスの……」
「身辺警護に当たっていたロフォスと申します、テトス将軍」
彼の腰には、特徴的なマグヌスの湾刀が下げられていた。
テトスは、布に包まれた極細の短剣を受け取った。
血の匂いと別に、ツンと鼻を突く異臭がする。
「毒です」
「キュロスが言っていた」
「キュロスは、彼はどうなりましたか」
「死んだよ。敵味方からの矢を浴びて。マグヌスめ、最後に城をボイオス人に渡したとみえる」
「門を開け放って行け、とは言われました」
さて、ここからどうするか……テトスは知恵を絞った。
ボイオス人たちのように山道を知らない者には、アンカティ道一本しか下る道は無い。
しかも、王が滞在していることもあって見張りは厳重だ。
「マグヌス様は、冬を待てとおっしゃっていました」
「冬……間もなくだな」
「ボイオスの冬は格別に冷えるから、鎧の他に毛皮の防寒着を持てと……」
テトスは腕を組んだ。
「自分は持っていない」
「マグヌス様の靴と上着をお使いください」
ああ、友は本当にこの世にいないのか。
彼は声を上げて泣きたくなった。
「助かる。礼になんとしても無事に下界へ送り届けよう」
「例えば、夜、見張りを一人ずつ倒して……」
テトスは首を振った。
あの細い道を夜間通れば、谷底に転げ落ちる。
「参ったな」
さすがのテトスも考え込んでしまったところへ、
「まさかと思ったが、ここにいたか」
「ルーク!」
ロフォスとテトスが同時に叫んだ。
「マグヌスはどうした」
ロフォスの代わりにテトスが答える。
「テオドロス王の奸計にかかって死んだ」
主を守れなかった愚か者だという自責の念がロフォスを苛んでいる。それが何よりも彼の無言に現れていた。
「まさか、マグヌスが……」
「キュロスという男子がいたか? そいつの仕業だ」
「キュロス……呪われた子……」
「安心しろ、仇はとってある。お前たちが橋のたもとで射殺した派手な男がそれだ」
ルークは現実を飲み込もうとするようにしばし瞑目した。
「マグヌスの、遺体はどうした? 火葬にするような様子は無かったが……」
「やむを得ず、井戸の底に隠しました。上から土をかぶせて……」
ルークはロフォスの胸倉をつかんだ。
「井戸の水を穢したのか、ロフォス!」
「マグヌス様の遺体を穢されるよりマシだ!」
ルークは黙り込んだ。
テトスが静かに語りかける。
「この若者なりに精一杯のことをしたんだ。わかってやってくれ。それから、虫の良い願いだとはわかっているが、マッサリア軍が兵を引くまで匿って欲しい」
ルークの岩のような沈黙は続いた。
「今逃れれば、アンカティ道の見張りにすぐに見つかる。冬まで少しの間だけで良い」
テトスは銀貨の入った革袋を差し出した。
ルークはそれを払い除けた。
「金なら、うなるほど持っている。良いだろう。あの装備ではどうせ長く保つまい。高地の秋は短い」
マッサリア兵たちはルークの言葉通りの苦境に陥った。
「寒い!」
本格的な冷え込みが始まり、霜が降りるようになると、メラニコス始めマッサリア軍は悲鳴を上げた。
ボイオス攻めがこれほど難航して、季節が移るとは想定しておらず、彼らは羊毛の防寒具さえ準備していない。
テオドロス王はマグヌスの暗殺という一つの目的を果たしてメラニコスに後を託し、帰り支度を始めた。
彼は商業施設で出荷を待つばかりに磨かれた水晶を大小問わず、根こそぎ奪った。
戦争捕虜を得ることはできなかったが、これで少しは気が晴れたのだろう。
「マグヌスの部下を逃がすな」
との厳命を下すのも忘れなかった。
「城をボイオス人に渡すとは、ただでは死なぬやつ。部下がどう動くか心配だ」
「テトス様のお姿も見えませんが」
そのへんに居るだろう……と言わんばかりにあたりを見回すテオドロス王。
居ない。
「まさか、テトスも裏切ったのか?」
「テトスはもともと仕えていた主を裏切ってマッサリア王国に味方した男。もう一度裏切っても不思議はありますまい」
と、メラニコス。
指先をすり合わせて暖を取ろうとしている。
「消えたのはテトス一人か?」
「はい、兵は残っています」
「なら良い」
メラニコスは疑問に思った。
裏切りは不利な方から有利な方へとするものだ。マッサリアを裏切ってどこへ行くつもりだ?
あの頑ななボイオス人が受け入れてくれるというのか?
「テオドロス様、我々にも退却命令をお出しください」
疑問の代わりに切実な願いをメラニコスは口に出した。
「肌着は麻で夏向きの物、毛皮などの防寒具も持ち合わせておりません。我ら敵と戦って散るのは厭いませんが、冬将軍に凍え死にさせられるのは……」
「食糧も乏しく、村から略奪した家畜も食い尽くしました」
副官が言葉を添える。
「マグヌスの部下が見つかったら降りてこい」
「テオドロス様……」
「早く降りたければ早く見つけるのだな。テトスの部下は私と一緒に来い」
北風より冷酷な命令を出して、テオドロス一行はアンカティ道を下り始めた。
「ボイオスは北風の故郷」とは誰が言い始めたか知らないが、メラニコスとその部下は凍てつく環境の中に残された。
マグヌスの部下もテトスも、陽にあたった霜のように消えてしまった。
城攻めどころではない。
かじかむ手では満足に槍も握れない。
手入れの行き届かない金属の鎧は錆が浮き、衣類を黒く染めた。
メラニコスはそれでも半月耐えた。
「家屋を壊して火を焚け」
そんなことをすれば、夜の寒さをしのぐところが無くなるだけ。布一枚の幕屋では水差しの水に氷が張った。
メラニコスは、ついに退却の命令を出した。
「この寒さだ。彼奴等も生きてはおるまい」
マグヌスの部下は凍死して見つかったということにして、寒さにただれた足で、アンカティ道を下っていった。
明日も更新します。
次回、第242話 潜伏行
夜8時ちょい前をお楽しみに!!




