第十三章 202.お転婆
機習いの密儀で女はかくあるべしという心得を学んだはずなのだが、テオドラは警備兵から借り受けた槍の柄を振り回して、その勢いはルークから教えを受けているロフォスとキュロスを上回らんばかりだった。
これは、彼女の周囲についているミソフェンガロ出身の侍女たちが原因で、彼女らは糸紡ぎと機織りのかたわら、身体を鍛え、男顔負けの剣と槍の技術を誇っていた。
マグヌスは頭を抱えた。
「とんでもないお転婆になってしまった」
彼の頭の中には若き日のルルディの姿があった。
「お前のお母様は、もっとおしとやかだったよ」
そう言っても、もう遅い。
「父上、子馬をください」
確かにキュロスとロフォスはヨハネス将軍のもと乗馬の訓練に励んでいるが……。
「輿に乗ればいいだろう?」
「嫌です。キュロス兄様が乗馬の楽しみという歌を歌っていらっしゃいましたわ。お父様は輿の楽しみなんて歌はご存知ですか?」
「む……」
誰に似たのか、テオドラは利発だった。
マグヌスをやり込めると、鼻歌を歌いながら厩の方に行ってしまった。
「小馬なら良いかもしれない」
マグヌスは相変わらず甘い。
ただ、アルペドンに帰ってから……マグヌスには大きな心境の変化があった。
ゲナイオスに肩車されて、死刑囚の烙印を公衆にさらしたあの日。非難の合唱が起きるかと思ったら、歓喜の声に包まれた。
(これまで隠してきた烙印の意味は何なんだろう)
これがあるばかりに半裸の組打は避け、友が川で泳いでいるときも川辺に一人で佇んでいた。
学友のカクトスにさえほとんど見せたことはない。
死刑囚の烙印。
老将ピュトンの策略によって押された苦痛を伴うそれが、自分を証明するものになるとは。
いつかピュトンに思い知らせてやるとは思っていたが、彼は軍人として非の打ち所のない最期をとげた。
(復讐とは虚しいもの。運命の女神に委ねるのが人の身の姿)
マグヌスは、やり場の無くなった怒りを若い人生を育てる方向に振り向けた。
彼は人をやって、馬市で小さな馬を買った。栗毛の騸馬(去勢された馬)で、もっぱら荷物を運んでいたという。
「まだ若いから、人を乗せるよう調教し直せるでしょう」
馬の年齢は博労から聞いたわけではなく、自分で口を開けて確かめてみたという。
「手間賃は別に出すから、調教を頼まれてくれないか? 子どもが乗っても危なくないように」
彼の本業は騎兵隊のための軍馬の調教である。
いかに猛々しい馬を作るかが腕の見せ所である。
「良うござんしょう」
ちょっと考えてから、彼は首を縦に振った。
テオドラに乗馬を許せば、イリスもねだるだろう。
他の女児も黙ってはいない。
馬をねだられて半年、馴致が終わったと聞いて、マグヌスは少女たちを牧場に誘った。
「テオドラ、みんな、お前たちの馬だよ」
「かわいい!!」
「きれい!!」
「静かに。大声を上げて馬を脅かしてはいけない」
半年大切に扱われた馬は、毛並みの艶を取り戻し、手綱を握られて大人しく少女たちの方を向いて立っている。
耳を前に向けてピンと立て、馬の方も少女たちに興味津々だ。
「今日は挨拶だけだ。背をなでて青草を食べさせてみなさい」
「お父様、この馬の名前は?」
「皆で相談して決めなさい」
教師役を買って出てくれた騎兵が、鞍を馬の背に乗せて腹帯を締めた。
「ロフォスやキュロスは裸馬に乗って練習しているが、お前たちは必ず鞍と鐙を使うこと」
不満が出るかと思ったが、馬に乗れる喜びのほうが大きいようだ。神妙に聞いている。
「書き取りや糸紡ぎも忘れないこと」
「もちろんです!」
一番の模範生のイリスが張り切って答える。
「すまないな。馬が疲れないよう気をつけてくれ」
「お嬢さんたちが騎兵隊に入っても良いくらいに鍛えて差し上げます」
「おいおい、恐ろしいことを言わないでくれ」
マグヌスは苦笑いした。
「ま、やるなら本格的にだな。中途半端は良くない」
あとは任せてマグヌスは王宮に戻った。
インリウムが予想通り飛び地の穀倉地帯を手放したので、後始末が待っている。
「区の新設と、厄介者を志願兵に吸収すること……」
書類のやり取りは煩雑だが、ここが領地になると穀物供給が一気に楽になる。
「辛抱、辛抱」
宰相ゴルギアスと相談しながら、地図を見る。
彼も、旧来のアルペドンの姿に戻って嬉しそうだ。
二人であれこれ話しながら夕食を摂っていると、テオドラがやってきて、馬の名前を「カペ」に決めたと重々しく告げた。
「カペは大切なお友達です」
「カペだな。仲良くしなさい」
テオドラが夕食を仲間と食べに行ってしまうと、早速ゴルギアスから苦言が出た。
「育児方針はマグヌス様がお決めになることですが、さすがに馬は危険すぎませんでしょうか」
「キュロスも乗っているじゃないか」
「男子と女子は違います」
「うん。だから十分に気をつけている」
ゴルギアスもそれ以上は言わない。
「キュロス様……若様はご立派になられました」
「そうだな。マルガリタに見せてやりたい」
マグヌスが後添いの話を出さないのをゴルギアスは好ましく思った。
愛情からにせよ、義務感からにせよ、マルガリタを立ててくれている。
お陰で一時に比べてキュロスも落ち着いている。
一部に「夜の女神に呪われた子ども」とささやく心無い言葉を耳にしながらも、これ以上は望むまい……老宰相は神々の采配に感謝した。
だが、彼の抱いていた安寧は、ある日を境に崩れることになる。
明日も夜8時ちょい前に更新します。
どうぞお楽しみに。
次回、第203話 暗雲