序章 11.露営
すっかり日は落ちて、マグヌスの陣の中からは遠くまで聞こえるような陽気な笛の音が響いてきた。
兵士たちのざわめきも、楽しそうな笑い声も絶えることはない。
「戦が近いというのに、なぜ、あなたの部下たちはあんなに陽気なの?」
ルルディは不思議そうな顔で尋ねた。
「だからですよ」
マグヌスは真面目な顔をして答えた。
「テトス将軍の軍のようにはいきません。彼らは領民から選ばれた自由民たち。一方、私はふがいないことに領地をほとんど持っておりませんので……兵を集めるとしたら、自由民ではあっても一段落ちる者、つまり、浮浪者、食いつめ者の中から腕に覚えがあり、一旗揚げてやろうと言う連中を探すしかないのです」
それが規律の差になるのかと、ルルディは飲み込んだようだ。
「露営地での馬鹿騒ぎは楽しみでもあり、戦死の恐怖を紛らわすことにもつながっているのです。戦って生き残れば褒美がもらえ、死ねばその場に葬られて終わり。それが、私の軍なのです」
「かわいそうに……」
「酷いことをしているというのは私もわかっています。戦いがなく、貧しい者もいない国、そんな国があったら……」
マグヌスはうつむいて首を振った。
「マッサリアの王妃となる方に聞かせる話ではなかったかもしれませんね」
交易で栄えるミタールと違って、マッサリアは軍事国家。瓦解した旧帝国を、軍事力によって再建しようとしている。
「恥かきついでに申し上げますと、騎兵隊を維持する金も、低利の神殿の貸し出しではなく市中の高利貸しから借りております。この戦いが済んで彼らの活躍がエウゲネス王に認められれば、評議会が正規の予算を組んでくれるでしょう」
異色の将軍マグヌスの切羽詰まった立場。だが、彼は騎兵隊の活躍に賭けていた。
「鞍と鐙があれば、騎兵の養成はもっと簡単になります」
「そうね。私がヒンハンを走らせたくらいですもの」
「危険な目に会わせてしまって申し訳ありませんでした」
「あなたこそ、命懸けだったじゃない?」
マグヌスは曖昧に笑った。
「いつも命懸けですよ」
「あ……そうね。あなたも、あなたの部下も……」
「失礼ながら、姫もお立場は同じです。とにかく生き残らねば」
ルルディはうなずいた。
「良く休んでください。明日は、輿に乗ってチタリスに帰ります」
ルルディを先遣隊の残した幕屋で休ませておいて、マグヌスは兵士たちの輪の中に入っていった。
「楽しくやっているか!」
「おうよ、将軍、あの女を見なせい!」
かがり火に明々と照らされた舞台で、半裸の女がきわどい踊りを踊っていた。
兵士の掛け声。
指笛の響き。
女たちの甲高い声。
「いい頃合いには切り上げろよ」
「わかってまさあ。あの尻、たまらんね」
そして、闇にのまれていく女と男。
「待ってよ……たっぷり楽しませてあげるから……」
マグヌスのそばの兵士が、ごくりと唾を飲んだ。
「繰り返すが、いい加減には切り上げろよ。明日はチタリスまで進軍だ」
兵士の肩をたたいてから、マグヌスは馬溜まりのへ向かう。
喧騒に背を向けて、馬具の手入れをしている兵士がいた。
「カイ隊長、精が出るな」
「マグヌス将軍! 騎兵隊を預けられた以上、やれるだけのことはやっておきます」
「頼むぞ」
「えぇ、貧しい農家の三男坊なんて奴隷も同様の扱い。それがどうだ。今はこうやって、騎兵様のはしくれだ。親が見たら目を回すに違いない。貴族様が幼い時から鍛錬しなけりゃ乗れない馬に、この鐙のおかげで簡単に乗れる。ありがたいことだと騎兵隊の連中はみんな言っていますぜ」
「頼もしいな。ただ、無茶はするなよ」
「わかってますって。生きて帰らなきゃ元も子もない」
カイは白い歯を見せて笑った。
自分が「留守」をしたせいで士気が下がってはいないことを確かめると、マグヌスは幕屋に戻った。
ロバのヒンハンに背負わせていた振り分け荷物を探って、古い巻物をいくつも出す。どれも地図だ。チタリス周辺の地図を選び出すと、丁寧にしわを伸ばしてじっと見つめた。
チタリスとメイ城の間に、戦場に適する平野を探す。
やはり、アケノの原だ。
「敵の数は約一万。こちらはメイの敗残兵を合わせても七千……」
つぶやきながら、頭の中でいくつもの戦いの図を作る。
「カイ……お前の働きにかけよう」
考えはまとまったようだ。
後は、テトスにどこまで認めさせるかだ。
「こちらの騎兵隊の底力を智将テトス殿に見せようじゃないか」
そのテトスは、薄笑いを浮かべながら、チタリスの城の豪奢な寝台に身を横たえた。
城館の若い奴隷が手際よく武具を脱がせ、身体をよく拭いてくれた。
仕上げにさらりとした麻の夜着に袖を通す。
鬱陶しい歓迎の宴をケパロスが催し、家伝の混酒器とやらで美味い酒を出して、選り抜きの美しい女奴隷が酌をしてくれたが、一番ありがたいのは、やはり、しっかりした屋根と壁のある部屋に据えられた寝台だ。
「マグヌスめ、どんな奇策を持ってくるやら」
テトスもマグヌスの実力の底を計りかねている。
義兄にあたるエウゲネス王が、「帝国再統一のために是非必要な人材」として古参の武将の反対を押し切って追放先から呼び戻し、形だけでも将軍職に据えた男だ。
指揮官としての隠された実力を示してもらわなければ困る。
「あの寄せ集めの部隊をどう指揮するかな」
戦いは数日のうちに迫っていた。