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夏の3頁め

 紳は、午前中の休み時間を使い、同じ班の男友達に萌映という女についてそれとなく訊いた。小山には冷やかされるから訊かなかった。

 萌映の存在が気になっていたのは事実だ。悪い意味で気になった。知らないうちに胃の中に異物が入っているような気分だった。

 情報収集の結果、女のフルネームは戸沢萌映とざわもえといい、クラスの鼻つまみ者であることが分かった。いや、鼻つまみ者を通り越し、もはや話し掛ける者すらおらず、クラスに固着したしつこいカビのように見られているようだ。

 メンヘル的傾向もあるらしい。机や壁に向かってブツブツ呟いたり、具合を悪くして早退するといったことがしょっちゅうある。班の男友達が言うには、「嫌われ始めた理由は明らかではない」そうだが、紳からすれば何よりも明らかだった。

 顔を見れば分かる。

 縛っているにもかかわらずボサボサの長髪。顔面上に二つの山のように突き出た頬骨。圧ぼったい一重まぶた、ゴマ粒のように小さい黒目。板のような扁平な胸。気色悪い点を挙げればきりがない。おまけに背がでかく、嫌でも視界に入ってくる始末だ。

 ただ、情報は集まったが、今朝池に沈んでいた女がどうしてクラスの一員になっているのか、その謎は解けない。

 結局、紳の違和感は解消されなかった。

 そこで紳は今度こそ戸沢萌映のことを考えるのをやめた。これ以上考えても意味はないと結論した。

 それよりも、夏までに彼女を作る具体的なプランを練るほうが、ずっと生産的だと思った。

  

 昼休み、紳は小山と大川と学食を訪れた。

 たまに学食で一緒に食う。

「ゲームしないか」

 と、小山が言った。

 三人はゲーム好きだ。特に賭け要素のあるゲームが好きだ。賭け将棋、賭けポーカー、徹夜で賭けマージャン、体育の授業でこっそり賭けバドミントン。

 しばしば現金を賭けてゲームをやる。賭ける単位は千円からと、高校生にしてはガチだ。ゲームは合コンとともに三人を結び付ける中心的イベントとなっている。

 金を賭けるのは、ゲームにスリルを与える手早い方法だからだ。いつも金を賭けるわけではない。面白い罰ゲームがあれば、そっちが採用されることもある。

 たとえば小山が両耳にピアスの穴を空けているのは先日の賭け将棋の罰ゲームだし、大川が昔の書生のような黒縁の丸メガネをしているのも罰ゲームの結果だ。小山は三年間穴を塞がないこと、大川は一年間メガネを着用すること、が決められている。

 紳が金髪に染めたのも、賭け柔道の罰ゲームであった。金色よりも奇抜な色に染める場合以外、卒業まで色を変えられないことになっている。

「なんのゲームをするんや?」

 大川が訊いた。

「ああ、簡単なゲームだよ。ジャンケンさ」

 小山は割り箸をパチリと割り、きつねそばの揚げに汁を染み込ませる。

「ただし、ジャンケンで負けた奴は萌映ちゃんに告るというゲームだ」

「なんだと」

 紳は大川の「なんやて」というツッコミよりも先に反応した。

「おいおい、冗談きついで。なんでそんなアホくさいゲームやらなきゃいかんのや」

 大川は似非えせ関西弁で言った。いつも似非関西弁を使う。なぜなのかは誰も訊こうともしない。

 小山は何食わぬ顔でゲームの説明を続ける。

「告っただけでは不十分だな。うん、そうだ、告ってデートに誘うところまでしよう。デートの場所は何処がいいかな。セントラルタワーで食事して、景色を見て、そのあとはご自由にっていう感じかな。それでいいな」

「いいなって、おま……」

 紳は絶句した。

 唐突に思いがけないことを言うのは小山の得意技だ。友達ながら、何を考えているのか、たまに分からない。確かに、朝に萌映の話をしたし、そのとき小山は何か思いついたような笑みを浮かべていたが。

「そ、そいつは、おめえもジャンケンで負けたら告るんか?」

「もちろんさ」

 小山は余裕で大川に答える。

「いや、せやけど、さすがにそのゲームはねえやろ。ジャンケンで勝っても、告らなくてええってだけなんやろ? 金が儲かるんでもないんやろ?」

「そうだな。だけど、萌映ちゃんが誘いに乗ってきた場合、勝った二人はデート現場を目撃できるぞ。面白くはないか?」

「あの卑屈なブスが乗ってくるわけないやろ。きっと『あたしをからかって楽しいのかコイツ』って目で見よるで。で、ふられたワシらはみんなの笑い者になるって寸法や。無理ゲーすぎるわ」

「罰ゲームとしては強力だね。たまらないね」

 紳は会話を聞きながら、小山に若干の畏怖を覚えた。

 毎日が退屈という小山は、反動で、生活への強力な刺激剤を求めるのかもしれない。本能的にゲームやギャンブルが好きな種族なのだと思える瞬間があった。「不真面目な高校生っぽくてイイじゃん」みたいなノリで賭けマージャンに付き合っている紳とは、根本の生存律アティテュードが違っている。

 まずい、と紳は思った。食い付き方からすると、大川はゲームに乗るかもしれない。

「せやけど、万一本気にされたら困るやろ。付きまとわれたりしたらウザいで」

「まあ、いいところでネタばらしをして、『はいゲームでした。面白かったね、最高だベイビー、今夜やろうぜ、ロックンロール!』でいいじゃん」

「おめえ、悪趣味やな。あんな女やが、他人ひとがあることやで。ワシは気が進まんけどなあ」

 ここだと思い、すかさず紳も言った。

「おれも反対だ。大川の言う通り、あちらさんに迷惑が掛かる。やんないほうがいい」

 もちろん、戸沢萌映の迷惑など知ったことではない。

 とにかくやりたくない。

 嫌な予感がした。第六感的に、ゲームに乗ったらやばい気がする。根拠は無いが、今朝からの流れ的に、嫌な感じがする。というか、池で戸沢萌映を釣り上げたこと自体、非常に悪い予兆のような気がしている。

「迷惑というなら、こっちも二人から迷惑を被っているんだけどな」

 小山は麺をモシャモシャと噛み切った。

「大川が六万円。紳が三万五千円。二人に貸している金額だ。今までの賭けポーカーと賭けマージャンの負けが溜まっているわけだが、今すぐ返す?」

「勘弁してください」

 大川は手を合わせた。

 紳も回答に窮した。三万五千円は高級リールと同じくらいの金だ。すぐには準備できない。

 現状、三人のゲームの勝敗は、小山の一人勝ち状態だった。

 紳や大川がギャンブルに弱いわけではない。回数で言えば二人の方が勝っているくらいだ。ただ、大きなゲームで勝つのは小山のほうだった。ポーカーやマージャンが長時間に及んだ時も、小山に分があった。つまり、「小山の方が二人よりギャンブルが強い」と言うのが正しかった。

 負けが込んでくると現金なんか賭けなければよかったと思うが、真剣に現金を賭けることがゲームを面白くしているのは間違いない。やっぱり賭けるのは良くない、とか言うのは敗者の言い訳に過ぎないと実感する。

「はは、金はゆっくりでいいよ。脅迫するつもりはない。単純に、いま、楽しいゲームがやりたいだけなんだ。『萌映ちゃんに告るゲーム』をやろう。ちょうど夏休みも近い。話題作りにはちょうどいい。合コンの席でも話せるぞ。夏を楽しもう」

「そういえば、紳は夏までに彼女を作りたいとか言っとったわなあ」

「いや、そうだけど戸沢萌映以外で頼みたい」

「大丈夫だよ。『パン屋』との合コンの件、櫟に頼んでいたけど、近いうちに実現できそうだ。そこで彼女を作るもよしだ」

 反発する気力がなくなってきた。大川が割合乗り気なのもまずい。このエセ大阪人め。自分が吠え面かいても知らねえぞ。そして、合コンと抱き合わせでゲームがついてくるような話の流れもまずい。こうして、反論の余地がだんだん消えていき、なし崩しにゲームが行われる運びになってしまった。

 ジャンケンは、二度のあいこが続いた。三回目に紳は負けた。

 小山の微笑と大川のガッツポーズを、心底うらやましいと思った。


「何か用」

 目の前に戸沢萌映の顔がある。

「ああ、まあ」

 当たり前だ。用がなければ放課後に人気ひとけの無い中庭にお前を呼び出したりするか。というかこれはネタなんだ。罰ゲームなんだよ。分かれよ。分かるわけないよな。

 近くで見る戸沢萌映の顔は、まるでサッカーボールに描かれた下手な絵のようだ。紳は誤解を恐れず言いたい。こんなグロテスクなものが存在していいのかと。

 距離の二乗に反比例する吐き気が襲ってくる。得体の知れないものの前で呼吸を止めるのは、人間の本能だろう。

 今頃、小山と大川は何処かから見ているのは間違いない。中庭を指定したのは二人だ。たぶん駐輪場の塀の裏に隠れている。

 軽く世間話から始めよう。……と考え、紳は告白を無意味に引き伸ばしている自分に気づいた。早く罰ゲームを終え、立ち去りたい。そのためには、この怪物のような女に告白しなければならないという屈辱。

 もういい。くそ。どうにでもなれ。

「えっと、お前さあ、今朝なんで池に沈んでたんだよ?」

 後戻りはできない。告白までの地獄の秒読みがスタート。

「沈んでたっていうか、感触的には、水面の下ぐらいに浮いてる感じだったけど。つうか、全部沈んでたら、さすがに引っ張れなかったと思うし。だから、半分浮いてたっていうか、沈んだばっかりって感じだったけどな。つうか、あんな所で沈んでたら危ねえだろ。顔に針が刺さったらどうすんだよ?」

 どうでもいいことばかり口走った。紳は、テンパっていた。そういえば、この顔に針が刺さっても、殆ど変化はない。

「あなた、……誰?」

 戸沢萌映はお岩さんのような腫れぼったい目でジトリと紳を見た。初対面の相手に対してはしごくもっともな質問だ。目の高さからすると、戸沢萌映のほうが1~2センチ背が高いのが分かった。すこし悔しい。ノッポ女め。

「おれは笠井紳かさいしんっていうんだよ」

 渋々自己紹介した。なぜか最低限の情報しか与えたくない。

「あなたのプロフィールには興味は無いんだけど。あたしは、なんで池に沈んでたのをあなたが知ってんのかって言ってんの」

 一蹴された。なぜだろう、こいつに「興味は無い」と言われると、ものすごくむかつく。

「なんで知ってるもなにも、お前を釣り上げたのはおれだぞ」

「そうじゃないわ! はっきり言ってあげるわ。『なんで、この世界で、あなたなのか』ってことなのよ」

 と、戸沢萌映は言った。

 はっきり言った、らしいが、何を言っているのかサッパリわからなかった。

 が、次のセリフで、少女は確信を突いた。

「たぶん、クラスであたしに違和感を感じているのは、あなただけでしょ。あたしを当たり前の存在と思っているほかの生徒たちとは違うってことよね。それに、時間が経っても、あたしが池に沈んでいたのを忘れたわけでもない」

 言われた通りだった。戸沢萌映は一聴すると精神病的な妄想じみたことを言った。普段の紳なら切り捨てるが、今の紳は当事者であり、しかも事実でもあった。

「それが、どうかしたのか?」

 思わず訊いた。話に乗っている自分が馬鹿くさい。

「べっつに。なんでもないわ」

 戸沢萌映はブスッとした顔で言った。一層腹が立った。紳は、平常心平常心、と自分に唱える。これから告白しなければならない。怒りにとらわれては罰ゲームが遂行できない。

「それより、あなたこそ、あたしを呼び出して何か用? まさか告白とか?」

 戸沢萌映は嘲笑を浮かべ、言った。

 ブスはどんな表情をしてもブスだな。

「その、まさかだ」

 紳は息を吸い、酸素を取り入れる。一気にやってしまおう。もう相手の目を見てはいない。直視したら心が折れる。

「今度の日曜、デートしようぜ。ここらへんだと遊ぶ場所も無いから、A駅の改札を降りた所で待ち合わせはどうだ?」

 やった、言ったぞ、くそったれ。もう怖いものはない。小山と大川が提示した条件、「好きだと言明する」「A駅待ち合わせでデートに誘う」のうち、一つはクリアした。

「何を言っているんですか?」

 冷たい語調で戸沢萌映は言った。丁寧な言い回しはわざとだろう。

「からかってるわけ?」

 軽蔑に満ちたブスの眼差し。セリフから判断するに、自分の顔面を分かってはいるようだ。その通りだ。からかっているんだ。だがゲームだから今それを明かすことはできない。

 さすがに、嘘の告白は多少良心がとがめた。今のおれって鬼畜じゃね? と感じた。将来、自分たち三人組の一人ぐらいは、ヤクザやサギ師になるかもしれない。

「からかってねえよお前が好きなんだ」

 はいオッケ。条件二つ目クリア。これでいいんだろちくしょうめ。

 怒るなら怒れ。振るなら振れ。とにかく早く終わってくれ。

 だが、紳は解放されなかった。

 戸沢萌映が、質問してきた。

「あたしのことを好きだって言ったわね」

「アアイッタ」

「ふざけてるの?」

「フザケテネエヨ」

「本気なの?」

「アア」

 紳は答える。棒読みもいいところだ。なにより、恥ずかしい。さらに、嘘がバレる気がして、ますます直視できない。気恥ずかしさと冷や汗を感じた。耐えがたい沈黙の時間が流れた。

 やがて、一歩、二歩、戸沢萌映が近付いて来た。平常時よりも、般若のような顔面の険しさが増していた。

 キレているに違いない。まもなくビンタが飛んでくるだろう。

 萌映は、紳のそばで言った。 

「キスしてよ」


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