夏の背後
この世界は巨大な秘密結社に支配されている。
結社の名称は、Guardians Of Mankind。
略称・GOM。
「エネルギー、食糧、医療、情報、軍事」を裏から掌握するのがGOMの支配方法だ。
なにより、「金」の流通を掌握することで世界の支配をやりやすくしている。
金こそはGOMの誇る武器である。
世界人類を支配する上でのGOMの合言葉はこうだ。
「市民どもに金と暇を与えてはならない。貧乏にさせれば嫌でも目先のパンのために働く」
戦争事業でもGOMは儲ける。
国境を超えるネットワークをもつGOMは、世界の紛争の裏で暗躍する。極端な話をすれば、多国間の戦争において、どの国にも武器を売って利益を得る。どの国が戦争に勝っても儲かる仕組みである。
エネルギーや食糧についても、GOMが流通量を統制し、儲けていることは言うまでもない。どんな国の有力企業であろうと、裏をたどっていくと最終的にはGOMの人脈にぶつかる。GOMは、世界中から吸い上げた金を、傘下の金融機関に入れる。こうして、国家とは関係なくGOMは富と力を増す。
GOMは世界中に無数の下部組織と配下を置く。知らないうちにGOMの一部に組み込まれている有力者も多い。教育、福祉、医療、法律、多くの理念の裏で糸を引くのはGOMである。理念を支える世論や常識を誘導するのもGOMである。社会のための事業が結果的にGOMを利することは多い。貧困を無くす活動すらも回り回ってGOMに金が入るようになっている。
GOMの内部事情は、一部の幹部だけが独占する秘密だ。幹部は圧倒的なパワーを持つため、自らは表に出ず、無数の各国首脳や高官を意のままに動かすことができる。
首脳や高官たちは政財界に大きな支配力を持っている。さらに、政財界の有力者も一人で多くの取り巻きを従える。その取り巻き達の下にはいわゆる一般市民がいるわけだ。首脳でさえもGOMの内部事情を知ることは難しく、まして一般市民が知ることなど、まず無いと言っていいだろう。
GOMの存在が陰謀論的なトンデモ話として語られることはしばしばある。だが、そのトンデモ話さえ、おおもとはGOMが意図的に流している。言うまでもなく、GOMは各国の諜報機関の裏に存在し、マスコミを通じた情報操作や世論形成にかけてはお手のものであるからだ。
じつはGOMがトンデモでも何でもないどころか、予想以上に世界を牛耳っていることを分かる者は稀だ。市民の予想の範囲さえ、GOMの工作により作られた。
金の集約。情報の統制。法律による規制。やり方は単純なのだ。
それが現実に行われているとは誰も考えないだけだ。
この社会が巨大なままごとのセットであることを、人々は気付かない。
以上が、この世界の根幹の設定である。
では、グッドラック。
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という文面が、少女の携帯端末に流れた。
「世界としては中の下というところだな。そうは思わないか?」
彼女は大人びた声で呟いた。
「そうだな」
という声がし、隣に彼女の相棒が立った。いま現れたところだ。
「ところで、世界の批評よりも、自分の『顔』は分かっているかな?」
「だいたいはね。そういえば、何と言ったかな? わたしの敵の名前は」
「分かっていないじゃないか。『カミカミ』だよ。あっちに十キロの所に居を構えている」
相棒は少女の頭越しに向こうを指差す。
「ああそう。『カミカミ』ね。覚えやすすぎて忘れてしまった」
「一応言っておくけど、『カミカミ』はGOMの一部分だからね、強敵だと思うよ?」
「うむ、そうだね、しっかり殺すことにするよ。だけど、きみにはもっと詳しく調べてほしいな。この薄汚い世界の情報を端末に送ってくれたようにね」
「ならばそうしよう。引き続き調べるつもりだ。また送る」
相棒は音もなくガラスを突き抜け、去った。
ここはビルの45階。最上階にあるガラス張りの展望フロアだ。
残った少女は、厚いガラスに小さい手で触れた。彼女が「薄汚い」と形容した夜景が下界には散りばめられている。非常口の看板の明かりを受け、ガラスには少女の顔がうっすらと映る。
「自分の『顔』か……。とても美しい」
実際、ガラスに映った顔は、とても美しかった。夜の闇が適度な陰影を与え、怪しげな魅力を演出した。少女は屈託なく笑ってみせた。
忙しい足音が近付いてきた。
警備員だろう。カメラに撮られたか、相棒との会話を録音されていたか。両方かもしれない。
ピィー、ガチャガチャ、外からのカードキーと手動のカギが開けられ、青い制服を着た警備員たちが駆け込む。
「こら、何やってるんだ!」
少女は振り向いた。
「おま、ぃや、君……。ど、どこから入った?」
警備員は戸惑っていた。とてもわざと侵入しそうにない、少女のあどけない風貌。
だが、今日は定期点検日である。ビルの展望フロアは休業しているのだ。
「閉じ込められてしまったの」
少女は幼い声色で言った。
「え? 本当かい? それじゃあ昨日から?」
「なんてことだ。昨日の当番は誰だ」
口々に驚きが上がった。警備員達は目の前のあどけない少女の言葉をすっかり信じ込んでしまった。
「……なんてね。冗談だ。わたしはここに堂々と侵入したのだよ。不法侵入者というわけだ」
少女の声が深みと艶を帯びたものに変わった。
警備員達は呆気に取られ、少女を見詰めた。
「というか、迎え入れられたと言ってもいい。わたしは君達以上の存在……いわば『絶対的存在』だからね。おっと、君達をくさすつもりは無いのだよ。ビルの警備はとても立派な仕事だ」
「な、何を言ってる? 怪しいやつめ」
警備員達は近付く。しかし、少女の眼光や声といったものに何処か気圧されたのか、おっかなびっくり近付いた。
「GOMという言葉を知っているか? 知らないだろう。知ったとしても、きみたちは夜食のコンビニ弁当を食べ、仮眠などするうちに、忘れてしまうだろう。そして展望台で見た不思議な美少女のことを仲間に語り継ぐ――。幽霊話といった類のものは、そうして語られていくのさ」
少女は後方の手をガラスにくっつけた。
「きみたちの仕事がビルの警備なら、わたしの仕事は世界の警備だよ」
瞬間、弾き出されたように、少女はガラスの向こうに消えた。
消えた時、一瞬の閃光が辺りを包み、あとには何も無かった。
「!?」
警備員達は、少女が去った途端、堰を切ってガラスに突進した。
もちろん、分厚いガラスのほか、手応えは残らなかった。