悪役令嬢なんてやってられないのでモブに徹することにした
ビクトール王国で公爵家であるシャール家の令嬢である私サマンサは現在、夜会の最中にいた。
「うそでしょ」
令嬢らしからぬ呟きは幸いにして第一王子が現れたときの歓声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
今日は13歳を迎えた王侯貴族の子息子女たちの社交界デビューの日。
次期国王と言われる第一王子カインも社交界デビューということで、会場内は例年よりもギラギラしていたというのは後に聞いた話だ。
サマンサも例にもれず、第一王子に気に入られるべく己を磨きあげ一際豪華なドレスに身を包み威風堂々会場にやってきた。
顔見知りの令嬢たちとにこやかに談笑しながらも水面下でけん制し合っていたところに、先ほどの第一王子の登場である。
そしてその美しい顔をみた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。
それは決して恋に落ちたなどという甘いものではなく『一人の女性の短い一生』という生々しい記憶と感情が自分の中に蘇った衝撃だった。
『私』は日本の地方都市に住む普通の、極々普通の人生を歩む立派な成人女性で、そしてまた立派なオタクと呼ばれる人間だった。
昼間はそこそこ中堅の会社で総務として堅実に働き、友好な対人関係とほどほどの給料、そして趣味のゲームを楽しみながら生きていた。
特に乙女ゲームを嗜み、新作を隅々までプレイしスチルを集め、夜な夜なSNSで考察を呟き、時には友人たちと熱く語りあうという我ながら充実した生活だった。
30に届くかという頃に信号無視したトラックがこちらに向かってきた場面でその記憶は終わり。
つまり、そういうことだ。
異世界転生。
正直ジャンルとしては大好物
ゲームはもちろん、小説もめちゃめちゃ読みました。
まさか自分の身に起こっていたとは。
そこで思わず冒頭の台詞が出てしまった。
一応周りの令嬢たちを伺うが、皆一様にして第一王子に見とれているのでサマンサの様子に気付いたものはいない。
そして誰かが動き出したのをきっかけに、第一王子に挨拶しようと我先にと動きだす。
サマンサは困惑したまま動けないでいた。
13年ぶんの公爵令嬢としての自分と、前世の自分の性格が混じり合って消化しきれなかったからだ。
そして13年分の記憶と30年近い記憶であれば後者の方が比重が重くなるもので、サマンサは先ほどでは考えられないほど落ち着いた思考を手に入れていた。
(とにかく挨拶はしなきゃいけないわ。でもとりあえず様子をみましょう)
以前ではどんな手を使って押しのけてでも挨拶をし、己のアピールをするところだがそこまでの情熱がもうなかった。
飲み物でも飲んでいようかと第一王子に群がる塊りから離れようと思ったが、前世で読みまくった小説でよくみたシーンを思い出す。
『主役の悪役令嬢たちは面倒事を避けようとして逆に攻略対象の興味を引いてしまう』
これはまずい。
自分が悪役令嬢かはともかく、悪目立ちはしたくない。
というか、物語の中心なんてまっぴらだ。
サマンサはごく普通の幸せが欲しい。
目立たないためにはどうすればいいかなんて簡単だ。
その他大勢の一人になる。
つまり、モブに徹すればいい!
サマンサは深呼吸してから賑やかしの一人になるべく第一王子を中心とした群れに飛びこんだ。
サマンサが群れに近づくと、13歳とはいえ貴族。公爵家の令嬢にはさっと道を譲り、あっという間に最短距離で第一王子の前までやってきた
「お初にお目にかかります、シャール公爵家のサマンサと申します。」
流れるように完璧なカーテシー。にこやかに笑って自己紹介。
「シャール嬢か、第一王子カインだ。シャール公爵殿から素晴らしい令嬢だと話はよく聞いているよ。」
カインもにこやかに答える。明らかに愛想笑いで事務的な返事だが、そこは額面通り受け取って照れて見せる。
娘に甘い父上なら職場で娘の自慢話くらいするだろうし、そもそも今の発言はカインの感想ですらない。
「ありがとうございます。光栄ですわ。」
そのあとはよくある社交辞令の会話をしてさっさと引く。
カインも気に止める様子もなく次の挨拶に対応する。
すぐさま輪から離れると目立つので、最前列をキープしながらにこやかに談笑を眺めていた。
高位貴族の令嬢がけん制してるように見えるはず。
にこやかに笑いながらこの世界について考える。
これは乙女ゲームの世界なのだろうか、いや乙女ゲームヲタが転生して公爵令嬢になったのに乙女ゲームの世界じゃないはずがない。
絶対にここは乙女ゲームの世界だ。
メタ読みをするくらいにはやり込んで生きてたし、年も重ねてしまっている。
ふと、会場の隅で壁の花になっている令嬢が目に入った。
所在無さげにうつむいている様は、華やかな会場内では逆に浮いている。
うつむいてはいるが、可愛らしい顔立ちなのが見える。
ヒロイン感が凄いな。
ちらとカインを振り返ると、あの令嬢に目を奪われていることに気付いた。
「すまない、少し一人にしてほしい。」
カインはそう言うと、さっさとその令嬢の元に向かった。
残された子息たちもその令嬢に気を取られ、令嬢たちは敵意をむき出しに睨みつけている。
やれやれと思いながら輪から抜け出す。
その後は懇意にしてる家の面々と挨拶を交わし、一息ついた所で休憩がてらテラスへと向かう。
テラスから見える庭園の一角で、王子と件の令嬢が談笑しているのが見えた。
その令嬢の顔をみてやっと確信がもてた。
ここは「花束を君に送る~イケメン男子と恋をしよう!」という王道サクセスストーリーを売りにした乙女ゲームの世界だ。
難易度もルートもそれほどではないし、綺麗なスチルが好評で乙女ゲーム初心者にまず勧めるゲームとして有名だった。
ゲーム開始は2年後の王立学園の入学式だが、それぞれの攻略対象とは事前に顔見知りになっている設定だ。つまり今日はメインヒーローである第一王子ルートの出会いイベント真っ最中ということ。
そして言わずもがな、第一王子ルートの悪役令嬢はサマンサである私。
設定ではこの日、第一王子にひとめぼれして父親に婚約したいと言って暴れまわり、家の権力をフルに使って第一王子の意向などお構いなしに婚約者の座に収まることになっている。
絶対にしないけど。
何度も言うが私は普通に生きて穏やかに死にたい。
第一王子の様子をみるにサマンサに婚約を申し込むようなことは起きないだろうが、ゲームの強制力が働いた時のことを考えておいた方がいいだろう。
「サマンサ?」
不意に後ろから声をかけられて、ビクッと反応してしまう。
「って、アルじゃない。どうしたの?」
現れたのは幼馴染で伯爵家の嫡男、アーノルド・マクレーガーだった。
「いや、そろそろダンスが始まるからシャール公爵に頼まれて迎えにきたんだけど。何を見てたの?」
こてん。と首をかしげて、サマンサの後ろを覗きこむ。
「カイン殿下と、えーと、子爵家のジャスミン嬢だったかな。」
「あら、知ってるの?」
「1、2回お茶会で会ったかなぁ。へぇ、カイン殿下ともう仲良くなるなんて凄いね。」
結構気難しい人なんだよ。というアーノルドは殿下の側近候補なだけあって既に交友があるらしい。
「そうね。それよりもダンスが始まるんでしたわね。お父様の所へ行きましょう。」
「では公爵様の元までエスコートさせていただきます。」
サマンサが令嬢らしい口調に戻すと、アーノルドも恭しく紳士然とした態度で接してくれる。
ファーストダンスは婚約者がいないのなら父親と踊るのが慣例だ。その後は同じく婚約者の決まっていないアーノルドと踊ることになっている。
まだ庭園で話に花をさかせている二人に気付かれないよう、そっと会場に戻った。
その後、恙無く夜会を終え帰宅し、先に戻っていた両親にも何も問題なく過ごせたと報告した。
もちろんカインと婚約したいなどとは口が裂けても言わない。
家を出るまでは「絶対婚約者になる!」と、息巻いていたのだがなんとかごまかすしかない。
父がさりげなく王子はどうだったと聞いてきたが、あまり気が合いそうにないですね。とそっけなく答えておいた。
結構わがままなお嬢様だったので、これくらいの心変わりも受け入れられてしまう。
少し残念そうにしていたが、娘を溺愛している父なので無理やり王子と婚約を結ぼうとはしないだろう。
公爵家としての地位は確固たるもので、王家とも他家との関係も良好。これ以上家を大きくする必要もないし、上に優秀な兄が二人もいるので後継ぎも充分。
王家に次ぐ身分の高さでありながら、サマンサほど自由に結婚相手を選べる令嬢はいないだろう。
それから何回か王家主催のお茶会や、夜会などで顔を合わせる機会はあったが、どれもそつなく挨拶をする程度でこちらを気にかけるような様子もみられなかった。
しかし、王子は時折誰かを探しているようなそぶりをみせる。
探しているのはおそらく子爵令嬢だろう。
上位貴族しかいないパーティーでも探していた所をみると、もしかしたら彼女は自分の身分を名乗らなかったのかもしれない。
普通ならありえないが、ゲームならありえる。
そしてそのほうがロマンチックである。
名前も知らない令嬢を探し続ける王子。
再会のシーンの一枚絵を思い出してもうっとりする。
そのためにも王子に彼女の素性を教えるわけにもいかない。というか、覗き見がバレた方が怖いので言えないのだが。
「ねぇアル。まだ婚約者決まってないわよね?」
「あぁ、あのときのこね。まだだったと思うよ。っていうか、サマンサ嬢はほんとに好きだね。あの二人のこと。」
呆れを隠さないアーノルドに、サマンサは向き直ると、
「だって素敵じゃない!」
と言いきった。
このやりとりも王子を見かける度に何度も繰り返している。
「てっきりサマンサ嬢は殿下のこと気にいると思ってたのになぁ。」
「うーん。正直顔はちょっと好みだけれど、あんなロマンチックな出会いを見ちゃったら自分が相手になりたい!って言うより、見守りたい!って気持ちになっちゃったのよね。」
悪役令嬢になってまでカイン王子と結ばれたいというほどの情熱も愛情ももっていない。
「でも、公爵家の令嬢としては相手は王子くらいじゃないと物足りないんじゃない?」
珍しいほど今日のアーノルドは食い下がる。
そしてその優しい声色が段々と真剣なものになっていってることにサマンサも気付いていた。
「そんなことないわ。」
ふっと息を吐いて、これは独り言だけど。と、前置きをして視線を外に向ける。
「私は王子よりも。気心がしれていて、いつだって私に付き合ってくれるような優しい幼馴染の男性の方が好ましいと思うわ。」
ぱっと振り返るとアーノルドは口元に手を当てて上を向いていた。
「何か聞こえたかしら?」
ふふふと笑えば、悔しそうなアーノルドが
「いいえ、何も。」
と答える。
主催者からの挨拶があるという声に、会場の中央へ向かおうとするとアーノルドはサマンサの耳元へ顔を近づけ。
「すぐにきちんと俺から申し出るから待っていて」
と囁かれた。
こそばゆさと恥ずかしさと嬉しさで動けなくなったサマンサをみて、満足そうにアーノルドは笑った。
その後、多少の問題はあったがサマンサとアーノルドは無事に結婚し、サマンサは希望通りの幸せな生活を手に入れた。
乙女ゲームの方は、サマンサの代わりに悪役をやる令嬢が出てきて、それを乗り越えたヒロインと王子はなんやかんやあった後に結ばれたらしい。
らしい。というのも、サマンサは徹底的にモブに徹し、決して関係者に近づかなかったので詳しい事情はわからないからだ。
時折、アーノルドを連れて覗き見していたが、覗き見よりもアーノルドとデートをする方が楽しかったのだから仕方ない。
「ざまぁ。が無くて申し訳ないとは思うけど、幸せな毎日をつかむのを優先したのよ。だってそれが私の生き方なんだもの。」
サマンサの呟きは、カイン王子とヒロインの婚約パーティーの歓声で誰にも聞こえることなく消えていった。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
悪役令嬢転生物を読んでいてこんな主人公がみたいなと思って書きました。
誤字報告ありがとうございます。