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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

獣達の夜

 再就職が決まったのは三週間前だった。駅前広場から延びる大通り沿いに古臭い宮殿のような建物がある。そこが新しい職場だ。市立図書館が移されたのは最近だが建物自体の歴史は古く、図書館の一画はその歴史と所有者だったカリヴォダ家の紹介に割かれている。長らくこの町は一族がここで営む図書館のみだったが経営難により、市が買い取ったのだ。

一族の初代当主は稀代の蒐集家だった。建物の地下には手つかずの遺物が数多く残っている。私の仕事はそれらをリストにまとめ、管理することだ。


 館長は図書館らしい物腰柔らかな老人だ。従業員達も皆人畜無害で少々調子が狂う。だがそもそも彼らと話す機会など滅多にない。私の仕事はカビ臭い地下に籠り毎日定時上がり、進捗など誰も気にせず、ノルマも報告もない。金にならない過去の遺物など皆本心ではどうでもいいと思っているのだ。賃金は酷いが、安月給の障害者雇用である。楽さを考えれば文句は言えまい。辛いのはバリアフリーなど考えていない急な階段をこの不自由な足で上り下りすることくらいだ。

 足を引きずりながら地下室を見て回る。薄明りの中に光る獣の目があった。私は腰を抜かしかけたがすぐに正体がわかった。精巧な狐の剥製だ。今にも自分に襲い掛かりそうな恐怖を感じる。興味を惹かれて近づく。心なしか狐が不気味に笑った気がした。剥製を調べると腹に切れ込みがあり、中空なことに気づく。恐る恐る手を入れ掴んだものを出す。内臓を引き抜くような嫌な感触だった。

手には輪ゴムで留められた書類が握られていた。劣化した輪ゴムが役割を終えたかのように力なく切れる。書類にはメモが張り付けてあった。


“小人へ 

踊り子はクビだ。

トーチに火を灯せ。

ジャグラーより”


 メモにはそう書かれていた。暗号だろうか。そう思いCONFIDENTIALと印の押された書類を読み進めると何となく合点がいった。これは恐らく米軍かCIAの資料といったところだ。よそ者ならここになぜそんなものがあるのか不思議だろうが、この建物の歴史を知っていればすぐにわかる。20年前、スロバキアと大きな紛争があった。戦闘は凄惨を極め、今でも町の各所に爪痕が残っている。泥沼の戦争は米露合意で実現した米軍の加勢によって終結した。米軍は町を奪還した際にこの建物を占領、そのまま接収して引き上げるまで施設として使っていたのだ。きっとその時忘れていった。いや、見つかった場所とメモから言って誰かが意図的に隠したものだろう。


 これは面白い物が見つかった。机と椅子を用意してじっくりと読み進めていく。書類は全てあるCIA職員に関するものだった。ウィリアム・J・ポー。東側から“猛獣使い”と呼ばれた凄腕のスパイだ。彼はその地域で“最も危険な男”を手懐ける事に長けていた。紛争中も“ボヘミアの虎”と呼ばれた猛将、クーベリック中佐に取り入り、彼と米国の間に太いコネクションを作った。また、彼はロック好きで自らが関わった作戦にそれに関する名前を付けることが多かったという。例えば中米の麻薬戦争でのガンズ・アンド・ローゼズ作戦、これは銃が武力面、薔薇が文化・教育面の支援を表し、その両面から麻薬撲滅を目指したものだった。ポーは紛争後ロシアのスパイとして嫌疑をかけられ、逃走先で恋人と心中し、その生涯を終えた。

 なぜ私がこんなにも彼に詳しいのかと言えば特集番組を見て、その気障なロマンチスト気質が印象的だったからだ。だが実は私は彼に直接会ったことがある。戦時中、一度だけ中佐に伝令に行ったことがあり、中佐と話す童顔で小柄でどこか人懐っこそうなポーの姿を見たのだ。当時は気かけていなかったが、番組中の写真を見て思い出したのだ。


 もう一度メモを見る。猛獣使いに小人に踊り子、トーチの火にジャグラーまるでサーカスだ。どうやら諜報員にはロマンチストが多いらしい。きっと夢を見せられなければ他人を動かすことなどできないということだろう。

 資料を読み進めていくと、ボヘミアン・ラプソディ作戦と題された頁を見つけた。そこに貼られた新聞の切り抜きに目を奪われた。それは忘れもしない、あの虐殺の日のことが書かれた記事だった。


 20年前の夏、駅前広場、朝市で賑わう人々に突如迫撃砲弾が降り注いだ。まだ戦線は遠く、人々は戦争をどこか他人事のように考えていたころだった。60人以上の死者と200人近い負傷者が出た。私の家族もそこにいた。今でもよく覚えている。知らせを聞き駆け付けたのは昼近くだった。現場は重傷者の搬送こそ一段落していたが、軽症者の処置に手いっぱいで、死体がまだあちこちに散乱していた。規制線で群衆が警察ともめていた。家族は無事なのか。死んでいても炎天下に野ざらしにしておけない。誰かが瓦礫の山を指さし「あれは夫の手よ!」と叫んだ瞬間、規制線は決壊して人々がなだれ込んだ。

 屋台の残骸と散らばった手や足らしき肉片、血だまりと内臓、粉々の果物、大きな破片が刺さった腕を支える負傷者、半分焼け爛れた死体の表情のない顔がこちらを見ていた。戦争中は地獄のような光景を何度か見たことがあるがこの日に勝るものはなかった。眩暈と吐き気を催しながらも軽症者の中に知人を見つけ、家族のことを尋ねた。「どうなったかは分からないけど、最後に見たときはあっちに歩いて行ってたよ」彼は爆心地の一つと思わしき方向を力なく指さした。

地獄の中から家族を探した。しばらくして母の靴を見つけ、その近くで肉が削げ骨の露出した片足を見つけた。だがそれが母のものであるとは思えなかった。しかし、その後に見つけた胴体と朝着ていたワンピースが現実を突きつけてくれた。母の頭は弾けて4分の1ほどが無くなり、脳と目玉が露出していた。妻は左足の膝から下と左腕が肩から無くなっていた。当時5歳だった息子だけは息があり病院に運ばれていたが夜には息を引き取った。息子はプレゼントの腕時計ごと手首が無くなっていた。その顔は損傷と腫れがひどくもはや誰だか分らなかった。母が被っていた亡き父の帽子も行方不明のままだ。


この事件を機に私は兵士になった。



 記事の下には興奮したような文字でSPLASH!!!と殴り書きがあった。私は怒りを覚えた。だが、あの紛争が文字通り他人事だった米国人にとっては些細な事件。むしろ戦争に消極的だった我々の民族から志願兵が増加し、国民が一丸となる契機となったのだ。むしろ渡りに船だったと言えるだろう。次の紙も同じ事件に関する資料だ。ほとんどの行が黒塗りだがマジックで塗りつぶしただけのようだった。私は灯りに透かして内容を読み取ろうとした。何とか読み取れたのは人名だった。

“カレル・カウツキー”紛れもなくこの図書館の館長と同じ名前だった。


なぜ館長の名前がこの資料に?


 その瞬間、嫌な考えが頭の中に広がる。ただの想像に過ぎなかったが思いついた瞬間、私は冷静さと衝動の間、野生を取り戻したかのような集中状態に陥っていた。


あの事件で得をしたのは誰か? 手引きをしたのは誰か?


 事件はスロバキアの過激派の仕業として、実行犯たちに有罪判決が出ている。だが、証拠不十分で一時無罪になりかけたはずだ。事件はまだ終わっていないかもしれない。私は必死に内容を読み取ろうとした。そして他の資料も読み漁った。そこには迫撃砲の種類や発射場所など当時まだ犯人しか知らない情報が書かれていたが、それはCIAが独自に事件を調査したためとも考えられた。また、館長が事件にどう関わったのかもわからなかった。だが、実行犯はクイーンと名付けられた4人組であることだけはわかった。



 その日から私は変わった。もう戦争で足と心を病み、腫物のように扱われ、全てに無気力になった哀れな世捨て人ではない。私は古い新聞や電話帳などで館長と同名の人物がいないか、戦時中の記録や館長の経歴を調べた。同名の人物は2人いたがどちらも無関係だった。また、日中は真面目に働き、同時に新しい資料がないか地下室をくまなく探していく。同僚とも積極的に交流を持ち情報を集めた。特に館長のカレルとは個人的に親しくなり酒を酌み交わす仲になった。酔わせて少しずつ話を引き出していくのだ。


 ある日バーでカレルはBGMにキラー・クイーンを掛けるように頼んだ。「ロックですか」と私が聞くと彼は「意外かもしれないが結構好きなんだよ」と答えた。その日はそれ以上踏み込まなかった。

ロックを勉強し、好きなバンドの話で盛り上がった。ロック好きになったきっかけの話になり私は旧友の影響だと嘘をついた。カレルも同じだと言う。私が軍時代の友人だというとその瞬間彼の態度が少し硬くなったのがわかった。彼は従軍経験を隠していた。だが名前を変えたわけでもなく、ただはぐらかしているだけだ。


 1年経ちカレルの娘夫婦とも打ち解けてくると、彼は自分から国民義勇軍という極右の民兵組織にいたことを話してくれた。彼をおだてて、自分の軍時代の武勇伝を語ると、彼は胸のつかえが取れたかのようにほっとした表情を浮かべ、それ以降しばしば昔話をしてくれるようになった。

「終戦の時はどの部隊にいたんだっけ?」カレルが聞いてくる。

「第32大隊です。ほら、山猫の旗の」

「じゃあ、ブラチスラバでは隣にいたわけか」

「足をやられたのもその時です。投降するふりをして自爆しやがった奴がいまして」



 彼はポーや戦友のこと、参加した戦闘など様々な事を語ったが事件に関するものはなかった。話の裏はある程度取れており、嘘はついていないようだった。彼が事件に関わった事をどう思っているのかはわからないが、何とかして関係者の名を吐かせなければならない。



 ある夜、私はカレルに告白した。戦時中の私は獣だった。「同胞の仇を討て!」その言葉のもと敵を狩り続けた。捕虜は取らず、病院を砲撃し、人々の家を奪った。裁かれた者は極一部だ。私の懺悔を受け、彼は神父ではなく親友として自らの罪を語りだした。「私も戦争中は酷いことを沢山してきた」彼は一枚の写真を取り出した。四人の男が腕に入れたお揃いのタトゥーを見せている写真だ。背景には事件で使われたのと同型の迫撃砲が写っている。写真の彼は今の姿からは想像もつかない、狼のような飢えた獣の目をしていた。彼は皺の増えた腕のタトゥーを見せて全てを語ってくれた。


「自分がしたことを後悔していますか?」

カレルは沈黙した。永遠のように長く感じた。


そしてゆっくりと口を開き「いいや」と答えた。

「当時は戦争中だった。もしやり直せてもきっと同じことをするだろう」


「辛気臭い話はやめにしよう」彼は写真をしまい、ウイスキーを注いだ。



 クイーンは4人。カレル・カウツキー、アントニオ・レンナー、ヤン・レンドル、パヴェル・マーラー。アントニオは妻殺しで服役中、ヤンは10年前に事故死、パヴェルはドイツで暮らしている。

 私は真実を暴露する気はない。金にならない過去の遺物など皆どうでもいいと思っているし、名誉だ正義だを気にする自分はとっくの昔にどこかへ行った。



 アントニオが出所したがいつまでもこの辺りにいるとは限らない。更にパヴェルが親戚を訪ね10年ぶりにチェコに戻る。こんな好機は二度とない。想定外に早いが今しかない。急いで準備を進める。アントニオは仕事場と酒場と安アパートを行き来しているだけ。カレルも自宅と仕事場にいることがほとんどだ。動きが読めないのはパヴェルだ。地図や資料と睨みあい親戚の家から近くのホテル、寄りそうな場所まで全て調べる。走り込みと射撃で鈍った体を鍛え直す。少しずつ自分が変化するのを感じる。



 時刻は21時。パヴェルは親戚の家に泊まっている。アントニオは0時近くに帰宅するだろう。カレルの家の呼び鈴を押す。ドアが開いた瞬間「動くな!」と低い声がして、私は硬直する。すぐに笑顔のカレルが出てきた。筒状のものを持っており、「驚いたか?バン!バン!」とご機嫌だ。だいぶ出来上がっているようだ。

「前に話した竹輪だ。銃に似てるだろ。侍は戦の前に験担ぎで食べたらしい」

「同じ日本の酒を買ってきました」私は鞄から瓶を取り出す。いつもの椅子に座り酒を注ぐが、飲むふりでごまかす。ここで酔うわけにはいかない。竹輪をつまみ「これは何でできているんです?」と聞く。「魚のミンチだよ。ソーセージみたいなもんだ」。

「そうだ、合うかわからんがワインもあるんだ」彼は台所の奥に向かう。私はゆっくりと立ち上がり、鞄から銃を取り出す。静かに彼の背後に立ち照準を合わせる。籠った銃声が二発、自作の消音器は期待通りに働いた。

だが、準備期間が短くまだカンが戻っていないらしい。引き金を引く瞬間にビビってしまった。いや、興奮しすぎたのかもしれない。急所を外れ、まだ息のある彼に近づく。仰向けになったカレルは動揺していたが苦しそうに「待ってくれ」と何度も繰り返した。命乞いをする獲物に情けを掛けたことは一度もなかった。

だが、同じサーカスで踊った獣同士、何も知らぬまま狩られるのは少し不憫に思えた。

「22年前の駅前広場、あそこに私の家族もいたんです」カレルは一瞬ハッとして、後悔とも痛みともつかぬ苦悶の表情を浮かべた。

「すまなかった、悪かった…… 」

「許してくれ……」かすれ声がかすかに聞こえた。

「私も兵士です。恨んではいません。あれは仕方ない、この国に必要なことでした。

でも“同胞の仇を討つ”それが私の使命です」

頭に銃口を突きつけ引き金を引いた。



カレルの車に乗り込む。ドアガラスに映る自分は少しいつもと違っていた。


 22時。カーステレオをつけるとボヘミアン・ラプソディが流れ出した。あと二人、夜明けまでに終わらせなければ。駅前広場の慰霊碑の前を通る。曲が盛り上がってきた。曲の中で少年が母親に懺悔している。だが、ガリレオもフィガロも私の中にはいない。

 久しぶりの狩りだ。計画を見直す。冷静さと衝動。頭が冴え渡り、体が軽い。少しずつ野生のカンが戻ってくるのを感じる。20年ぶりに生きている実感を得る。


横目に映る男の顔は獣のようだった。





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