#8 帰らない明日
▼帰らない明日
コックピットを離れ、一度医務室に入ったオレは、夕貴の状態を訊こうとラファエルに事の次第を訊いた。
『ホルモンの分泌活動の上昇の上、精神的な疲労が重なったようですね。本来、両性具有の時は感じたこともない刺激を、一度に受け入れてるのではないでしょうか?』
オレは頷いた。病気一つしたことの無かったタ貴のことだ、この状況はこの上ないものであろう。一気に抗体が活動しているに違いない。
「今日のところは、この部屋で看病してやってくれないか?きっとその方が夕貴にとって一番良い事だと思うから……」
側にあった椅子に腰をかけていたオレはそう言いながら立ち上がった。立ち上がりながらオレは、夕貴のいたたまれない姿を見下ろして、そっと夕貴の額に手を差し伸べた。少し汗ばんだ額は、徽熱のせいもあるのかもしれない。オレの掌にジワッと感触を残した。
寝室に戻ったオレは今日一日に起こった全てのことを振り返っていた。
一日が何週間もの量があったような一日。時計はもう午前1時をさしている。
正直に疲れ果てた身体であるオレは、シャワー室でズルリ座り込んで、ただ水を浴びている状態だったりもした。
今、『ソリル』では一体何が起きてるんだろう?
見る事も出来ないテレビ。隔離された部屋。オレは一気に押し寄せてくる嫌気に耳を手で塞いだ。何も聴きたくない。見たくない。感じたくない。シーツの感触に苛立ち、掴りしめる。 今のオレの中の反抗心はこの程度でしか補えなかった。
オレ達は『ソリル』の民ではなく、『地球人』であることの証明なんて何処にもなかったのに『ネオ・ロマンサ』は、そんな事を一言もオレ達に伝えたことなんてなかったのに……
-嘘ヲツイテイタンダ-
オレは一気に『ネオ・ロマンサ』への信望が冷めて行くのを感じた。
考えてみれば、あの松永の、西暦2230年地球滅亡説を嘘だと言った時に気付くべきだったのかもしれない。
テーブルの片隅で、カチカチ鳴り響く時計の音が耳障りで、もう一度しっかりと手で耳を塞ぐ。時間が元に戻るなら、あの時に機関室に行かなければ良かったんだ。分かってる。でも……考えがいろんな方向に時間軸を作り、既に疲れ果てたオレは睡魔に勝てず眠りに入った。
それは、夢さえも見ない深層心理のより深い所に辿り着く所まで……そして、目が冷めた時、驚く事になる事態が発生している事なんて考えもつかない程グッスリと眠ることに集中していたのである。
過去に何回『ソリル』と『地球』を結ぶ船は行き来をしたのであろうか?そんな事は今のオレには分からない。
朝起きて、目に入ったのは、ライフルの銃口を向けた男。深縁色の迷彩服を着た自衛隊のような男が、オレの顔にそれを押し付けられていたことであった。
「起きろ!そして、手を後ろにまわせ!」
厳重な体制下、オレは何も言い返すことが出来なかった。そして、言われるがままその通りの行動をする。
ガチャンと後ろ手に手錠をかまされて、立ち上がると部屋を出るようにともう一人の男が後ろからライフルを突き付けて来た。抵抗することも出来ないオレは、そのまま寝室を出た。
「一つ訊いて良いか?」
寝室を出てエレベーターに乗って、一階のこの宇宙船の出ロへと向かう最中に、オレの前を歩いている男に声をかけた。
「黙って歩け!」
「……」
何も言い返すことが出来ない緊張感の中、ただ一つの気掛かりがあった。夕貴のことをどうしても問いたかった。
「医務室にいた夕貴……少年はどうしたんだ?あいつは、体調が悪いんだ……」
オレは、なるべく静かに話し掛けた。
「少女は、我らが丁重に迎えている」
「少女?」
オレは、今まで、前を歩いているその男の足下をただ見詰めていたが、ふと顔を上げた。
後ろから、グリッと、銃口が突き付けられる。
「痛っ!」
したたかな行為が全身に響く。
「黙って歩けと言っただろうが!お前の処分は、会長が全てお決めになられる!」
「会長?」
ムッとしたがその後、オレは静かに黙々とただひたすら歩いた。そして、ハッチを出る。
字宙船を下りると、広い敷地に出た。
まるで、飛行場をもっと大規模にしたような広い敷地。
ふと、振り返る。
そこには、何百メートル有るであろうか?高層ビルよりも大きな丸い、球の形をしたジオラマが宙に浮いていた。
それがなんなのか、その時はまったく分からなかったが、後に嫌と言うほど驚かされることになろうとは、夢にも思わなかったのである。
逆三角錐のような建物の中にオレは導かれ、最上階へとエレベーターを起動する男。60階のその場所に案内されて、オレは導かれるまま通路を歩いて行った。
「会長!不法侵入者を捕獲しました」
「中に入れ」
落ち着いた声が電子音で聴こえて来る。二重のドアが開かれてオレは中に入った。
「お前が『ソリル』からの不放侵入者だな」
中央にある椅子に座っているその者は、後ろ向きに座している。よくよく観察すると、この部屋は、ガラス張りの向こうに熱帯魚を飼っているらしく、青白い水のイメージが、辺りを包んでいる。
「手錠を外せ」
未だ顔を拝む事さえ適わないその者は、静かに男達に命令する。
「しかし、暴れる可能性が!」
戸惑った男は一瞬身じろぎをした。
「私が言った事が耳に入ってないのか?良いから、手錠を外せ!」
今度は威圧感がある声。
「了解致しました!」
ガチャガチャと、手錠をはずす音が、背後でする。自由になった手は軽かった。
「では訊こう……私の名前は水上聖と言うが。お前の名前は?」
クルリと椅子をオレの方に向けてデスクに肘をつきながら語しかけて来るのは紛れもなく女と言う種族に相違なかった。グラマーなインテリ風の眼鏡をかけたその水上は、一見して物静かそうな感じをも与える。
「あんた……女か?」
自由の身になったオレの身体は、一歩前へと足を進めながら尋ねる。初めて目の当りにした女という種族。
「そうだ。お前の惑星には存在してないから珍しいだろう?で、話を戻す。お前の名は?」
その女の目尻が少しだけきつくなったのをオレは見逃さなかった。ただ質問に答えろ!そう言いたいに違いない。
「オレは、的場晃……またの名を、つまり、この地球での名は西園晃と言うらしいがな……」
言葉の端々は弱くとも眼光だけは威厳を持たせたつもりだった。
「『西園舞』の兄か……」
「兄?」
「そうだ、あの女、何時になく静かだと思いきや、こんな事を企んでいたのか……」
視線を逸らせ何かを考えている水上。
「事の次第が、オレにはさっぱりなんだが……兄とは何なんだ?」
チンプンカンブンな言葉にオレは問いかける。
「双子なんだよ。お前達は……」
答になってない。つまりはオレの思考回路に『兄』という言葉が理解できない事が原因なんだと気がつくに時間が掛かった。
「だから兄とか双子とか、オレには理解不可能なんだって!」
にじり寄るオレの身体を、背後に控えている男が腕を掴む。
「同じ女の身体から生まれた子供。つまり同じ血縁関係だと言う事で、理解は出来るだろうか?双子の場合、同じ日に生まれ落ちる二人の子供を意味する。お前達は、二卵生双児なんだよ」
同じ女の身体から?やはり、チンプンカンプンだ。オレの知っている範囲で言うと、試験管に保存された精子をなんらかの形で、もうけられると言う事しか記憶に無い。
「晃くん?君は、舞の導きによりこの地に訪れたロだな……違うかい?」
静かに問いかけられた。
「そんな所だ……で、その舞は何処にいるんだ?一度会って、色々問いただしたい事が山のようにあるんだ。こっちだって!」
そう、オレは腹を立てていた。オレがその舞の兄であろうとなんだろうと、こんな仕打ちを受けなければならない謂れはない。
「舞は、ESP保持者でね。隔離病棟に監禁している……逢いたいたいか?」
「是非ね!」
オレは、間髪入れずそう言い放った。
「この少年を、舞がいる病棟へ案内しろ」
水上は、男達にそう命令した。
「このままで平気でしょうか?」
「この男も、ESPを使う可能性だってあり得ますが?」
二人の男は、少し躊躇したようで、ちょっと弱気であった。
「そうだな……まだ使い方も分からない者が突然ESPを使うことになったら厄介だ。補助システム用の手錠をかけておけ」
水上はそういうと、立ち上がり、部屋の両端に位置している水槽に寄り沿った。
「生愈の紳秘。それは何処から来ているんだろうな?」
何やら意味ありげな言葉を発していたが、オレには理解不可能で、男達に改めて手錠を後ろ手にかまされ、この部屋を出るように促された。
「晃の部屋を当てがってやれ。こいつは地球人であって、訪問者でもある。手厚く持てなしてやれ……手荒な事はこの私が許さない」
部屋を出る寸前だったが、確かに水上はそういい残した。男達は、その言葉を心に止めたのか、左肩に装備しているライフルを使う事はその後なかった。
60階のこのフロアーから、まず、50階までエレベーターで下りると、渡り廊下にそってオレ達は歩いていた。その周りは、空滴の丸い穴が吠き抜けておりその向こうには、真っ自な壁が、行けども行けども続いている。終わりが有るんだろうかと皿える程に。
「舞って、どんなやつなんだ?ESPって?」
前を先導して歩いている男に、オレは問いかけた。
「お前の、双子の妹だ。ESP。つまり超能力を発揮して、物を動かしたり、瞬間移動したり、残留思念を残したりできる。一風変わった少女だ。ESPを使われたら手の施し用がない。だから、ESP封じの為に別室に隔離している」
「妹?」
「女の子なんだよ。彼女は……」
オレの頭の中で、あの少年が実は女であったなんて思いも寄らない事実を知り困感した。そんな時目の前に扉が立ちふさがった。
「終にご対面だな。ここで待っていてやる。思う存分話し合いをして来てくれ」
部屋の前に有るカード挿入機にカードを差し込む男は、扉が開いた瞬間手錠をはずしたオレを前に押し出した。瞬間扉が自動的に閉じた。
中は、いたってシンプルで、あのオレの家に届いたカセットテーブの曲が流されているのが耳に入った。
前のめりに倒れこんだオレの視界に一瞬入り込んだ世界。
目の前には、あの少年。いや、オレの『妹』と言う少女が、まるで、あの学園のビーナス像のごとく、オレの前に手を差し伸べて来たのである。
その手を取るべきか否か一瞬躊踏ったが、少女の方からオレの手を受け止めてきた。
「初めまして。と言うべきかしら?お兄ちゃん」
『お兄ちゃん』といわれても、まだ実感なんて湧かないオレは戸惑った。
「舞。色々迷惑をかけてしまったようで、ごめんなさい。謝らないといけないね」
長い髪が、首をちょこんとかしげる度にサラサラ揺れる。良い香りがした。
今までの怒りを忘れその手に導かれてオレは立ち上がった。そして、中央にあるテーブルに導かれ、オレはその席に座る。
「何だってこんなまねしたんだよ!ていうか、こんな部屋に監禁されているのに、どうやって、オレの故郷『ソリル』に、荷物がよこせたんだ?」
何だか他人を見ている気がしないのは何故だろう?まるで生まれる前から知っている者と話をしている気がする。
「それは簡単よ。荷物をテレポートさせたの。あの荷物の意味は、舞達のお母さんが死んだからなの。舞やお兄ちゃんが生まれた日に……」
「お母さん?」
舞もテーブルの椅子に腰をかけながらそう言った。
「お母さんって?」
「舞達を生んでくれた人。この曲達を生んだ人……聴き覚え有るでしょう?舞達がお母さんのお腹の中にいた頃、この曲をかけては舞達の事が安らげるようにって、祈りを込めて作った曲なんだよ……」
舞は、オレの目をしっかり見据えて静かに言った。
「お母さん?オレ達を生んだ?」
「そうよ。子供はね、お母さんの体内で成長して生まれて来るの」
「詳しくは理解できないげど……女の身体から生まれてくるという事は理解…したよ」
「ちなみにお父さんは、作詞家でね。もう何年も前に死んでしまったの……音楽家族だったんだよ。今でもお父さんの面影は忘れられない……ごめんなさい。こんな事言ってもお兄ちゃんは、お父さんの事分からないものね。ただ忘れないでいて欲しいの。お父さんは、お兄ちゃんが生まれて、異端審問会……つまり、『ネオ・ロマンサ』から匿おうと必死に活動をしてくれた人物だったって事を……テロ組織に組してまでね……」
「……」
そうはいわれても、実感が湧かない。オレの父は、望、ただ一人りだから……
「この地球はね、西暦2230年に、第四次ベビーブームを迎え、人口百億をこえる種にまでになったの……そこで、考え出されたプロジェクトが移民。滑走路近くにまあるいジオラマが有るんだけど見たかな?」
そう言うと、舞は席を立った。近くにある。電気コンロの前に行くと隣に有るポットの下に二人分のマグカップを置くと、紅茶のパックを詰め込みお湯を注いだ。そして、そのマグカップを手に取るとオレの前に差し出した。
「そうそう、クッキーも有るんだった。ちょっと待っててね」
近くの棚に有るお菓子入れを取り出して、テーブルの中央に置く。そして蓋を開けた。
「ああ……巨大な真っ黒なジオラマを見たぜ」
オレは話の続きを舞のその勘作が終わる頃、話し始めた。
「あれは、擬似宇宙。地球の人口密度の余りの目覚ましさに画期的に作られた安住の地」
一ロカップにロをつけながら舞はそう言った。
「疑似宇宙?」
「発展した地球の科学者が発案した宇宙なの。そうね……異空間のような物だと思ってくれれば良いわ」
「ふーん。にしては、凄く小さなジオラマだな。あんな所に『ソリル』やいろいるな惑星が存在するなんて……まるで、ミクロの世界に住んでいる住民のような気がして来た」
「そうよ。あの世界にいる者達は、いわばミクロ人。わたし達はマクロ人と言うものになるのかしら……」
舞は、ちょっと考えるかのようにそう答えた。
「……ミクロ人ね……所で、オレ達は何で男しかいないんだ?地球には女がいるじゃないか……それに減んだなんて、嘘なんてつく必要性なんてないじゃないか?」
「それはこれ以上、人口を増やす訳にはいかないからと言えば分かるかしら?今の地球は、一家族一人の子供しか許されてないの。もちろん、子供を作らない家庭は、一級の保護を受けているわ」
マグカップを両手で包み込むようにして、舞は話す。
「じゃあ何か?オレ達、つまり、オレとお前は、一度に二人生まれた事で、何かしらの理由でオレが、『ソリル』に送り込まれたと言うのか?」
「そう。その時は男の子を優先的に選んだというのが理由なんだけどね……間違ってたら舞がそう言う運命にあったとしてもおかしくはなかった……」
一瞬舞の目が曇った気がした。しかしオレはそのまま話を続ける。
「何故男なんだ?女は?」
「双子の女の子が生まれていた場合。または、隠れて二人三人と、子供を作った場合は強制的に『メトロ』に送り込まれているはずよ。あそこは女の子しかいない惑星だから」
オレは、出された紅茶に手も触れないで、舞の話に聴き入っていた。
「先住民は、それで納得したのか?」
「先住民は、もともと同性愛者が志願したのだから、何の問題も起こらなかったわ。同性愛者にとって周りに気を配る事なんてないんですもの」
ふーっと、湯気を吐く舞。その湯気がオレの前を通り過ぎて行く。
「同性愛者?」
「つまり、男が、男を愛し、女が女を愛する人達の事」
オレは考え込んでしまった。つまりなんだ?志願した者達は全てを承知の上でこの境遇を受け入れたと言う事なのか?
考えてもその感覚が解らないので、話をそらした。
「あ、そうだ。ESPを使えるとか聴いたけど、オレにもその力は有るんだろうか?」
有るのなら、今すぐにでも、身に着けたいものである。
「どうだろう?遺伝的なものだったら、使えると思うよ……でも、この部屋では余り強力なのは使えないから……」
少し考えるかのように小首をかしげる。
「どうしても、会いたい人物がいるんだ。夕貴。あいつの事が心配なんだ!」
そう、あの宇宙船から降り立ってから一度も夕貴を見ていなかった。異邦人としての彼を、これ以上、地球人の実験体として扱われる訳には行かない。
「大事な人なんだね……やはり、血縁関係よりも、時間が人の気持ちを動かすのかな?」
舞は悲し気に徽笑む。
「10年も一緒にいた友達だ。いつもオレの事を気づかってくれる良いやつだよ?舞。お前も会ってるんだけど?」
「ごめん。あの宇宙船の舞は本当にお兄ちゃんを呼び寄せるためのプログラムしか組んでなかったの……だから、その夕貴って子のことは分からない……」
考えてみれば、あの宇宙船にいた舞と、ここで話をしている舞はまるで別人だ。本当だったらこんな風に話ができるはずも無かった。し、するつもりも無かった。
「なあ、夕貴の事分からないかな?」
オレはテーブルに両手をつき、身を乗り出した。
「ちょっと待って。今、探りを入れてみるから……妨害が入るかも知れないから、詳しくは分からないけど良いかな?」
そう言うと、舞は目蓋を閉じ神経集中を始めた。
静かな部屋の中、ただ奥でポットが沸騰している音だけが耳に入る。
「何処だろう?ここは……横たわっている一人の少女が、CTスキャンにかけられてる」
「少女?」
又しても、この言葉に耳を傾ける。
「あっ、今度は脳波を調べてる……」
生態実験か?
「なあ、夕貴の所に行きたいんだけど、どうすれば良い?」
「瞬間移動で連れて行ってあげたいんだけど、それはちょっと出来そうにないの」
舞は残念そうに答える。
そんな折、扉が開いた。
「そろそろ、時間だ。懐かしいからと言っても生まれたばかりの子供に記憶なんてないかも知れないけどな。こっちに来い!お前の部屋の用意が出来た。早速案内してやる」
そう言うと、オレの腕を二人掛かりで掴み上げると、オレは強制的にこの部屋から出る事になった。もちろん再び手錠をかけられて。
テーブルの上には冷めた紅茶が取り残されている。
舞は、心配気にこちらを見ていたが、扉が閉まる瞬間、微かだが微笑んでいた。その時はその微笑みの意味も分からずに、オレはこの部屋から連れ出されたのである。
『心配はいらないわ。お兄ちゃんは自分の意思でこの境地を抜け出す事ができるから……」
部屋を出て真っ直ぐ来た道とは逆の方角へ……つまり、吹き抜けの周りをぐるりと一周する感じに歩き出した。オレを連れに来た二人の男達は、オレの前と後ろを付かず離れず歩いている。
何処まで行っても白い空間はオレの心を苛立たせる。そして鳴り響く足音は不安にさせる。
さっき頭の中に響いて来た声は、確かに舞のものであった。
それだけが今のオレの安らぎになっているに他ならない。
実際、今この場を上手く切り抜けたとしてオレに何ができるだろう?『ソリル』に戻るには、一体どうすれば?
しかし、まずは夕貴の事が優先だ。あいつがこの訳も分からない所で実験動物のように扱われている事に苛立ちはじめる。
「なあ、お兄さん達……夕貴は?」
黙々と歩く二人の男に向かってこびを売りながらオレはまず問いかけてみた。
「夕貴?」
「オレと一緒に宇宙船でやって来たやつだよ」
オレはタ貴の名前も知らない男相手に話をするのも面倒だと、話の要点を言う。
「ああ、今、医務室で精密検査を行っている所だ。何やら騒いでいるようだが、我々には関係ないな」
騒いでる?ああ、なるほど。異邦人としての夕貴にあらゆる学者の興味が注がれているに違いないというところか。
「オレ、夕貴に会いたいんだ。連れてってくれないかな?」
無理は承知だ。だけどオレは訊いてみた。
前を歩く男の足が止まり、オレはその背中に顔をぶつけた。
「我々は、会長の意志で動く者だ。勝手なことは出来ない。その内、会長から内定が下されるのを待ってみろ。希望は伝えておく」
そう言い終わると、再び歩き始めた。そして、立ち止まった部屋に案内された。カードキーを差し込み中に入るように命令が下った。
シュンッと軽やかな音を立てて開かれたドアは、オレの前に全貌を明らかにした。
舞の部屋のごとく、生活には困らない程度の内装。手鍵をはずされ、オレ達は中に入った。
「大体のものはここに備わっている。自由に使うが良い。食料は一日に三度、持って来てやる。まあ、一応の簡単な食料は、冷蔵庫に保存されてはいるがな」
ひと通り、部屋の説明を受けた後、二人の男達は出て行った。一人取り残されたオレは、取りあえずシャワーを浴びたかった。そこで隣の部屋のユニットバスへと足を向ける。操作はいたって簡単で、適度なお湯がオレの身体の汗を洗い落としてくれた。出て来たオレは、何日も洗っていない服を着たくなくて、近くの衣装箪笥を開けててみた。そこには、下着から洋服から何でも備わっている。
「助かった」
と、思ったが、頭の片隅で、この境遇を受け入れて良いのであろうか?という疑問が掠める。そう、敵と言っても過言ではない者達の手による物達。
バスローブを身に纏いつつも、オレは衣服を手に掴んで立ち尽くした。しかし利用出来る物は、利用すべきなんだと言う意識がまさり、終にはその備わっている衣類を見に纏ったのである。
一息つきたくてオレは、テーブルの前の椅子に腰をかける。
その視界に入るテレビのリモコンらしい物を見付け、手を伸ばし電源を入れた。
ピシッという電源の入る音で、映像が現れた。一体何日映像を見なかった事であろう?指折り数えてオレは数える。画面には、地球の放送局が流している番組が流れていた。何かのドラマ。しかし、こんな物は、今のオレには分からない。
チャンネルを変えてみる。今度は、映画。またチャンネルを変える。
何度チャンネルを変えたであろうか?100局近くも有るチャンネル。何処を見ても、映画やらドラマやらスポーツやら。
肝心なニュースは何処にも流されていなかった。
地球の動向を知りたいのに……と毒づきたかったが、それがオレに架せられたものだと気付くには遅かったのである。全チャンネル変えてみた所、何処にもなかった。
テーブルの横に有る新聞を取り上げる。しかし、配されているのはテレビ番組の項目だけであった。
頭が変になりそうだ。
自由とは名ばかりに監視下に置かれている。そう気が付いた時、オレはドアの前に立った。 しかし、ビクリとも動く気配はない。つまり、閉じ込められた。有意義に過ごす事ができるただの牢獄なのである。
ふざけんな!と叫びたい所だが、適わないのはもう承知の上だ。
あの男は、夕貴の事を会長水上に伝えておくと言っていたが。その許可が何時おりるのであろうか?
この部屋に、ただ独り隔離されているオレにはもう我慢がならない。ふと、子供の頃に飼っていた小鳥のことを思い出す。籠に閉じ込められ、自由に空を飛ぶ事無く死んでいったあの小鳥。
オレは、大切に育てたつもりだった。『ソリル』で許されている、ペット。逃げないように羽まで切り落とした。だって、自分の元にいつまでもいて欲しかったから……
その小鳥は、数週間も持たずに死んで逝った。オレは悲しくて泣いた。あんなに可愛がっていたのに、何故?
今オレはその小鳥の気持ちを理解した気がする。
自由に生きたかったんだな……
籠の蓋を取り外し。オレは手厚く埋葬した。
ちゃんとお墓も造った。あの鳥が、今でも生きていたならば、オレはこんな気持ちになる事はなかったであろうか?そんなことを考える。
『自由』……
それが、今のオレの最大の望みであった。
そんなことを考えている時、少し離れた所に備わっている電話が鳴り響く。
オレはその電話に飛びついた。
「水上です。ご機嫌いかがです?その部屋はお気に召しましたか?」
凛とした声がオレの耳に響き渡る。
「ああ、最悪だね。こんな所で一生匿われているなんて考えると、反吐が出るよ!」
嫌みたっぷりに返事をする。
「そう。先ほど、貴方の連れ、夕貴さんの処置が無事完了しましたが、到って、順調に回復の兆しを見せておりますよ……ただし、彼女は異邦人。その分析からすると、子供を授かっている様子なのですが?貴方は彼女に手をかけたのですか?」
「子供?」
「そう。子供は性行為をしない限り、生まれて来る事は適いません。手をつけたのであれば貴方は、彼女の子供の父になるのです。そこの所をお聞かせ頂きたいのですが?」
莫迦な……
「手をかけたなんてそんなことしてない!何かの間違いなのでは?」
受話器に掛ける手がブルブルと震える。
「彼女は異邦人。しかも、両性具有体であった可能性は十分です。しかし、今は少女としての身体に異変をきたしています。つまり、貴方の行為で彼女に子供を作る事はできる身体になったと言っても過言ではありません。その所はどうなのですか?」
突如、テレビ画面が水上を映し出す。
「あいつは、少なくとも、オレの事が好きだよ。でも……」
そういいかけた時、オレは、あの時の事が走馬灯のように思い出されたのである。
-キスして-
沈黙を守っているオレに、水上は、
「何か思い出したようですね。それは一体なんなのです?彼女……失礼、夕貴さんの身体は、早くても後、三ヶ月もすれば子供を出産する事でしょう。これは異例です。こんなに急速に大きくなって行く胎児なんてこの世には存在しない!」
オレは、受話器を耳から少し遠ざけた。
水上の言う通り、話すべきなのか?でも、そんな事をすれば夕貴の身柄はにもっと拘束されてしまう。
「一つ聞いて良いか?子供はどうすれば生まれるものなんだ?」
「今さらながら、そんな事を聞かれるなんて心外ですね……男と女が交わる。女の体内にある卵子に男の精子が上手く宿れば子供は出来ます。失礼。『ソリル』では必要のない知識でしたね」
ならばオレは、夕貴に手を出してはいない事になる。
「ただ、言うなればキスをしたことは……一度だけ交わした事はある……それは、子供を作る原因にはならないはずだよな?……そんな事より、タ貴に会わせてくれ!あいつの事が心配なんだ!」
受話器を握りしめながら、映像の水上の顔を一睨みした。
「ほう……キスね……」
水上は、少し興味あり気に画面から目を逸らした。そして、再びオレの方を見て、
「良いでしょう。明日、夕貴さんにお逢い出来る手はずを整えておきます。ただし彼女は神経的に参っていますので、そんなに時間はとれませんが……慎重にお預かりしていますので安心していて下さい。では明日、朝早く彼女に引き合わせて差し上げますのでまたその時に御連絡を差し上げますわ。では」
ツーツーと、一方的に切られた電話と映像にオレは虫酸が走る気分で受話器を叩きつけた。
手ごまにされている……そう感じたからだ。
神経を集中させる。わずかだが、オレの中にカが湧いて来たような感覚を覚えた。
「明日、夕貴に会えるんだ……」
そう思うと、ベッドにボスンと身を投げた。
次から次に起こる出来事の中で、ただ一つの希望が見えて来た気がする。
「夕貴……」
しかし、子供とは一体どう言う事なんだ?しかも、少女の姿になっているなんて……ホルモンの分泌とか言っていたが、そんな事があり得るのか?
謎ばかりである。
もし、オレの事を思い遣って、女の姿になったとしたら、もう夕貴は『ソリル』に帰る事を拒むかも知れない?あそこは男が住む世界。女は住む事が出来ないんだ。
それとも、オレもこのまま地球に定住する羽目に会うのか?
舞……あいつは、あの場所から抜け出せないと言ったが、一体どれほどあの場所で我慢して来たのであろう?
自由のないこの地球で、彼女が感じていたこと。真実を目の辺りにして、オレに何をさせたいのか?考えると自分の無力さに絶望感が押し寄せて来る。
舞……オレにESPの使い方を教えてくれ……
オレは心の中で念じた。何度も何度も。自分でも頭が麻痺するくらいに念じた。その内身体の力が抜け、思考回路のみが発揮した感じになる。
ブラリとベッドから垂れ下がった腕の感覚なんて既にない。右脳の感覚を司る思考回路だけを使おうとしているだけに、無理が出て来ているのかも知れない。
そんな時である。
『お兄ちゃん……聴こえる?』
瞬間脳の中に響く舞の声。声と言うにはちょっと違う感覚だが、
「舞か!」
凄く乱れたノイズが入る。頭が痛い。
『これが妨害電波……ちょっとした事で、妨害をして来るの……どう?ESPの初歩が使えた気分は?』
「最悪だね……気分が悪い……」
脱力感で一杯だ。
「聞いてくれ。明日、夕貴に会わせてくれることになった。何とか助け出すことは出来ないかな?」
気力で何とか持ちこたえながらオレは舞に問いかける。
『『ネオ・ロマンサ』の、システムは絶大よ。そう簡単に突破できるものではないわ。舞が、外に出る事ができれば少しは違うんだけど……」
「ヘへ……そこをなんとかならないものかね……それとも奇襲をかけるしかないか?」
『奇襲?無茶だわ!相手は銃を持っているのよ。ひとたまりもないわよ!手錠をかけられてるんでしょ?あの手錠は、ESPを封じるカを兼ね備えてる物よ……』
「それを逆手に取るのさ……オレは、舞。お前程のカを得てる訳じゃない……相手はオレの事を力の無いものだと信じ切っている。だから、上手く騙せるかも知れない。それにオレの最大の武器は、足だ!」
オレ達はこうやってテレパシーなる物で、暫く会話を交わしていた。
『分かったわ。お兄ちゃんのやりたいようにやってみて。加勢出来る所までは舞も加勢するから……とにかく自分を信じてて。明日、また連絡を取りましょう。動く時は声をかけてね!」
長い時間ESPを使っていたオレは、意識を体に移した。すると、今まで感じない何か奇妙なガタつきを感じた。
「フウ……」
こうやって話をするのも何だか自分の身体に戻ったと言う感じで……手の平に力を入れて結んだり開いたりしてみる。そうすることで何だかやっと、自分を取り戻して来たようだ。
ESPというものを使うのが、こんなに大変な事だなんて思ってもいなかった。し出来るとも思ってなかった。ベッドの端に何とか腰を落ち着ける頃。部屋のドアが開き、タ飯を運んで来た女がわざわざテーブルまでやって来た。
女は何事もないように下がって行く。
夕飯は、質素な物で、スープとサラダ。ミートスパゲッチィであった。オレは、昨日の夕食から何も食べてなかったことを思い出し、無我夢中でそれに飛びついた。生きるために必要な力を身につけるために……そう、ただそれだけの為だった。その後、食べ終わった食器を、近くのダストに収め、オレは何も出来ない身体をベッドに預けると、仕方なくテレビをつける。
ドラマや、映画を見るのもなんだか鉋きて来た、近くのCDプレーヤーを稼動する。そして、ラジオにしてみた。暫くすると驚く情報が手に入った。そこでは、『ネオ・ロマンサ』の動向があらゆる面で流されていたからである。
「まさか、ラジオを聴くなんて思ってもいなかったんだな……」
水上の、演説らしい言葉が耳に入って来る。
「今日も多くの子供達が、新しき未来宿る世界に羽ばたこうとしているのを目にし、私は、嬉々としてこう告げたい。これは創生であり、無に帰すこととはある意味違うのです。つまりは、子供達の前途ある未来を補完しているに相違ないのです。これからも、私達『ネオ・ロマンサ』は全力を尽くしこの世界の人ロの減少を図って行く所存です。ですから皆さん、安心して下さい……建ち並ぶビル街。お墓さえ建物の中に納めなければならないこの不快な現実はもう、なくなります。そう、太古の草原を今取り戻すのです!」
オレは、カーテン越しに、窓の外を見た。確かにこの建物から見る遠くの景色は重圧なまでも高い建物で埋め尽くされているのが、眩しい程の灯された明かりを見れば分かる。
オレ達の住む『ソリル』と比べると、より高い建物。その人ロの多さを明らかにする建物を見た時、オレの中で水上がしようとしている計画は、なんらかの根拠のある目的に馳せられているのが分かる気がして来た。
この地球で生まれてきたはずのオレ達『ソリル』の者達は、実は何も知らなくても良い平和な民なのかも知れないのだとも思えたりもした。だから、子供の事を公にしないのかも知れない……
しかし、オレは知ってしまった。もう後戻りは出来ない。そう、前に進むしかないんだ!
明日。夕貴に会う事を許されたオレがすべき事はなんなのか?それが今のオレの課題だ。オレはシュミュレーションをしてみる。
明日、オレを迎えに来た者達を上手く騙す事。そして、まだ不完全なESPを何処まで使いこなせるかが勝負の決め手だ。
そんな事を考えていると、オレの身体は眠りに就く事が出来ないようになって来た。神経が研ぎ澄まされて来て……休もうとする身体を押し退けてしまう。
こんなこと生まれて初めてだ。きっと、これ以上にない緊張感がオレの心を支配しているからであろう。そう考えれば考えるほど今必要な睡眠が遠退いて行ってしまうのだからどうしようもない。
オレは、考えることを止めるようにした。しかし、逆効果になったのである。眠ろう眠ろうと考えれば考える程、眼りに就くことは出来ない。眠り方を忘れた、みじめな異端者のようだ。 腕時計は、すでに牛前1時を回っている、もう寝なくては……明日は……
そうして、無の境地を保ちはじめようとし始めたオレの身体は、終に、三時過ぎ頃意識を失った。夢の無い眠り。オレは疲れた身体をベッドに突っ伏した状態のまま眠りに落ちたのである。