08 ロンリーな彼女は孤高な一匹オオカミ
ダンジョンから地上に出て夕方の街を歩く彼女の隣を歩く。
俯いて背を丸め、誰とも目を合わせず足早に道の端を歩くその姿はまるで群れから追放され雨に打たれ歩く狼のようだ。
顔もいいスタイルもいい、立てば告白座ればナンパのはずなのに歩く姿は孤独な一匹オオカミだった。これはモテない。モテるつもりもないようだが。
俺に牙をむき出す一匹狼を手懐けるテクニックはない。彼女は一度もこちらを見ないし気にする素振りもない。完全に無視されている。
なかなか見ないレベルの美人だが、ちょっと今回は御縁が無かったって事ですかねこれは。惜しい。
「出雲? 出雲か?」
「あ゛? なんだおまっ……アッ、えっ、あの、お、おひさ、お久しぶりです」
そっと離れてバイバイしようとすると、スーツ姿の壮年のおじさんが彼女に話しかけてきた。出雲と呼ばれた彼女は振り向きざまに舌打ちした直後に目を泳がせどもりまくりながらぼそぼそ言った。
なんだ急に。狼からチワワになりおった。
おじさんは親し気に話を続ける。
「どうだ出雲、元気でやってるか? 高校出て就職したって話は聞いてるが」
「えっ、あっ、あー、まあ、まあまあまあってとこー、ですか、ね?」
「そうか……友達はできたのか?」
「ウッ、あー、えー……」
「隣の彼は?」
「ただのさっき会った奴です。一匹狼は群れない」
もごもご気まずそうにしていた出雲が急に力強く答える。おじさんは苦笑いして俺に手招きをして、少し離れた場所でひそひそ話をしてきた。
「どうも。私は出雲の担任だったんですが、あなたは出雲とどういう関係で?」
「さっきちょっと助けた関係ですね。なんか嫌われてるみたいで。仲良くしたいと思うんですけど」
「ああ、それは良かった」
出雲の元担任の先生はホッとした様子で笑った。
標識の根本をつま先で蹴りながら気まずそうに俺達をチラチラ見ている出雲を顎で指し、耳打ちしてくる。
「出雲は変わっていますが、根はいい子なんですよ」
「あ、はい」
「御存知かも知れませんが、出雲は昔酷く騙された事がありまして。人間不信の気が強く心配していたのですが、隣を歩ける関係の方がいらっしゃるだけで私としても安心できます。できれば誠実に付き合ってやって下さい」
「ア、ハイ」
無自覚に俺の良心を抉った先生は満足そうに頷き、出雲に二言、三言声をかけて立ち去った。
先生ごめんなさい。もう思いっきり騙してしまった。誠実とはほど遠い所業だ。
すまねぇ、すまねぇ……
「なんの話してたの」
先生が離れた途端、出雲は震えるチワワから狼に戻り探りを入れてきた。二、三人殺していそうな目も借りてきたチワワの姿を見た後ではもう怖くない。やっぱり仲良くなれそうな気がしてきた。
「腰の低い一匹オオカミ可愛いなって話をね、少し」
「は? 当たり前だろぶち殺すぞお世話になった先生に泥かけたらそんなんもう狼じゃないだろバカ犬畜生だよ」
「いやまあそうなんだろうけど。言葉選びが」
「うるっさいな、狼は媚びない。いいから失せろ」
「俺の家もこっちなんで」
出雲は舌打ちしてまた歩き出した。
どうやら先生の言う通り根は悪い奴ではなさそうだが、態度がハリネズミ過ぎる。
家の方向が同じだというのは本当で、別に尾行するつもりもなかったのに同じ角を曲がり、同じ信号を渡り、同じ道を歩いていく。
そして俺のアパートの前まで来た。アパートの前に大家のおばさんが立っていたので会釈して部屋に入ろうとすると、おばさんは出雲を見るや鬼のような剣幕で詰め寄っていった。
「ちょっと出雲さん! 今日こそ家賃払ってもらいますよ!」
「う゛あ゛っ……! きょ、今日は体調が、その話は後に……」
「三ヵ月ずっと体調悪い体調悪い言い続けてるでしょうダメダメダメ払って下さい、すぐ! 今日中に払って頂けなければ追い出しますって言いましたよねぇ!?」
「あの、いやあの、今引っ越し、引っ越し先探してて、あと三日、三日でいいんで待っ」
「払えないんですか!? どうなんです! いい加減はっきりしてもらえないと困るんですよねえ!」
「ぇあぅ……」
出雲は涙目で俯いた。
二人は俺の部屋の隣の玄関前で騒いでいる。
あらー。こんな偶然ある? お隣さんだったのか。そうと知っていれば……いや知っててもあんまり変わらなかった気がする。しかしこの偶然の好奇を逃さない手はない。
今度は仕込みでもなんでもない。性格に難アリとはいえ美人さんに100%合法的に恩を売るチャンスだ。
俺は知ってるぞ。イケメンでもなければ金持ちでも高学歴でもない奴が美人とお近づきになるためにはこういうチャンスに貪欲にならないとダメなんだ。むしろチャンスを作っていくぐらいの心構えがないといけない。
そのためのダンドー婚活戦線……!
俺はやるぞ、ダンジョンちゃん!
「あの、ちょっといいですか」
「あら堀内さん、お仕事帰りですか? お疲れ様です。すみませんね騒がしくしちゃって」
話しかけると、大家のおばさんは鬼のような剣幕からコロッと態度を変え頭を下げてきた。
「話が聞こえてしまったんですが、どうでしょう。隣人のよしみで一ヵ月分ぐらいは家賃を立て替えようかと思うのですが大丈夫ですか? それでもう少しの間だけ追い出さずにいて頂けないでしょうか」
「あら! ……そうして下さるならこちらとしても助かるのですが、ここだけの話、他に入居したいと言ってくださっている方もいますしねぇ」
「即金で払えますよ。これでなんとかお願いします」
難色を示す大家さんに一ヵ月分の家賃をほとんど押し付けるように渡すと、大家のおばさんは最後に出雲に一言釘を刺してから帰っていった。
めちゃくちゃ気まずそうに視線を泳がせる出雲と、圧倒的アドバンテージを取る事に成功した俺の二人だけが取り残される。へっへっへ、どうしてくれようか。
…………。
待てよ。
家賃三ヵ月滞納は流石に支払い忘れじゃないよな。
学生でも無いっぽい。自称一匹オオカミとか言ってるが、この人は結局何やってる人なんだ?
「出雲さん」
「はい」
「お仕事は何を?」
「じ、自営業です」
「具体的には何を?」
「い、一匹オオカミ的な……?」
「具体的には何を?」
「東京で誰の力も借りず生き抜く気高い孤高の一匹オオ」
「具体的には何を?」
「……………………働いてないです」
一匹オオカミじゃなかった。捨て犬だこれ。
出雲と反対隣の部屋から無精ひげを生やした評価ボタンが惨めそうに姿を現し、涙ながらに訴えた。
「俺をニートと呼ぶな! 俺だって仕事してえよ、押して欲しいんだよ。でも読者が俺を押してくれないと何もできないんだ。読者が押してくれて初めて、評価ボタンってヤツは生きてる実感を得るのさ。押せよ、押してくれよぉ……頼むよぉ……」
オイオイ泣き始めた評価ボタンがあまりに憐れで。出雲はしゃがんで視線を合わせ、優しく言った。
「泣くなよ、押してやるから。な?」
「ありがとう、ありがとう……!」
出雲に押してもらった評価ボタンは全ての執着、悪心を浄化され、悟りを開き、天に召されていった。
~ハッピーエンド~