21 勝利条件
最近、つくづく未来は予測できないと思うようになった。
ほんの三ヵ月前の俺は会社をクビになるとは思っていなかった。当時の俺に性別どころか種族も出身世界すらも違う無二の親友を守る最後の砦として自衛隊に立ち向かう事になると言ったら働き過ぎで頭がイカれたのかと素で心配された事だろう。
時代の変化は目まぐるしい。
1900年に生きた俺と同じ二十代の男は、人間が月に行くと言われればそいつの正気を疑っただろう。それぐらい荒唐無稽で有り得ない事だった。しかし1903年にライト兄弟が世界初の飛行機を作り、第二次世界大戦終戦――――1945年には飛行機が戦争の趨勢を決めるまでになっていた。1969年には月面着陸だ。
20歳の男が89歳になるまでの間に、人類は空に飛び立ち、空を超え月にまで行った事になる。一人の男が大人になってからヨボヨボのじいさんになるまでの間にそれだけの事が起きたのだ。小学生の空想、妄想が実現した。
だから俺は思うのだ。
俺がヨボヨボのじいさんになる頃には、ダンジョンちゃんが世界初にして世界最大のダンジョンとして歴史に名を刻み、イケメンダンジョンと結婚して子供をたくさん作り、ダンジョンとそれを攻略する冒険者がいるのが当然の時代が来ていても全くおかしくはない、と。
その時代の子供達はきっとダンジョンが存在しない世界を歴史の教科書を通してしか理解できない。俺が江戸時代を他人事のように学んだように、ダンジョンの無い時代を他人事のように学ぶ時が来る。
それほどの大きな変化を巻き起こす時代の境目に今俺はいる。
決して大げさではない。
今日ここでダンジョンちゃんが攻略されるのと、攻略されず底知れないダンジョンであり続けるのとでは全く違う。人類史が塗り替わるほどに。
そして人類史の天秤を傾けるその動機が婚活なのだから、世の中は全く何が起きるか分からないものだ。
ダンジョン最深部の部屋の扉に背中を預け、すぐそこまで迫る自衛隊を待ちながらぼんやりと考える。死の恐怖はとっくに上限を振り切っていた。涙は枯れたし胃液も吐き尽くした。脳の奥が痺れたような奇妙な平静だけが残り、現実感が無い。
俺の装備は墨汁で雑に黒く染めたジャージに、黒のTシャツを顔に巻き付けた覆面だけだ。銃弾や爆弾の前に半端な防具は意味がない。武器を持っても使いこなせないから、素手が一番マシだった。
最後まで抵抗はするが絶対死ぬ。
最後まで殺す気で、生き足掻くつもりで戦うが絶対死ぬ。
死ぬ……
死にたくねぇなあ。
死にたくない。
せめて、
「結婚したかったな……」
5憶円ぐらい貯金があって可愛くて性格良くておっぱい大きくて俺の事が大好きで他の男にフラフラしない嫁さんに「絶対帰ってきて、待ってるから」とか言われながら抱きしめてキスしてもらって送り出されたかった。
実際はダンジョンちゃんに『生き残ろうね』とエールを貰っただけだ。いや嬉しいんだけどそうじゃないんだよな。そうじゃないんだ。
いくら頑張っても結局国家や社会という強大な力にすり潰されて消えるしかないあたりがもう本当につらい。心から信じられる親友と共に沈めるだけマシなのかも知れないが。
『うん。結婚したかったね……』
扉一枚挟んだ背後からダンジョンちゃんの気の抜けた声が返ってきた。少し前までダンジョンちゃんは泣き喚いていたが、今はもう虚脱状態だった。
未来は予測がつかない。しかしダンジョンちゃんも俺もここから生き残る未来が想像できなかった。
降伏すれば生かして貰える可能性が無きにしもあらずな気が微かにしなくもないが、家畜のように飼いならされ生かされるぐらいなら死んだ方がマシだ。俺達は幸せ結婚生活をしたいのであって、ただ生き延びたいのではない。
ぼんやり待っていると、僅かに足音が聞こえた。通路の向こうの曲がり角に自衛隊の偵察隊が一瞬顔を出し、すぐに引っ込む。
それから更に少しして、自衛隊の皆さんが武器を引っ提げぞろぞろとやってきた。合計百人以上はいる。密集せず個人間の間隔をとって進んできているため、ガソリン爆発で一網打尽というわけにもいかない。
俺は扉から背を離し彼らへ一歩踏み出した。
途端に先頭にいた三人の自衛官が一斉に銃口を俺に向ける。
そのうちの一人が固い声音で警告してきた。
「警告する。人間なら顔を見せ、住所氏名を言い、ゆっくりこちらに来るんだ」
「…………」
俺は答えなかった。
答える意味はない。
問答で解決できないからこういう事態になっているのだ。今更過ぎる。
『帰れ、人間。私に人類を滅ぼす意思はない。これ以上深入りしなければ殺さず地上に返してあげる』
ダンジョンちゃんが可愛らしい声で精一杯の威厳を出しダメ元の警告を返すが、やはりダメだった。
むしろ脳内に直接響くような独特の声に、一目で分かるほど緊張と警戒が強まった。耳を貸すな、という囁きさえ聞こえる。
余計な事だけしてお亡くなりになったダンジョン二号は相当自衛隊の皆さんに悪印象を与えていたらしい。
『……そう。後悔するな、なんて言わない。精々たっぷり後悔するといい!』
最後の捨て台詞と共に俺の右手が輝いた。
さあ、輝け命。
刻印を通してダンジョンちゃんから生命力が濁流のように流れ込んでくる。
刻印の外側に時計回り・放射状に刻まれた線が一気に増える。一本から二本、三本四本五本――――八本まで。
冒険者レベル1から8まで跳ね上がった。
レベル3で三匹の狼を一度に相手取れるレベルなのだからレベル8の力はもはや人間の限界を一歩踏み超える。
真円と正三角形が組み合わさった形をした俺の刻印が示す冒険者適性は『迷宮の同盟者』。
本来なら敵同士のはずのダンジョンと心を通わせた者だけに刻まれる、ダンジョンちゃんでさえおとぎ話でしか聞いた事の無い特殊な刻印だ。ダンジョンから直接バックアップを受ける事ができ、レベルアップで高倍率の身体能力補正がかかる。
身体能力補正は動体視力、回復力、筋力、俊敏性、強靭さ、肺活量、耐毒能力、思考速度、そういった人間の基礎能力の全てを指す。ざっくり言えば俺は超人になった。
ありったけ、最後の一滴まで生命力を振り絞り俺に注ぎ込んだダンジョンちゃんは沈黙した。極度の消耗で意識を失ったのだ。
もうヤケクソだ。やれるところまでやってやる!
俺が自衛隊に向けて姿勢を低くし駆け出すと、予想の三倍速く体が動いた。走るというよりは足元が爆発して吹っ飛んだようだ。
それでも強化されたバランス感覚が転倒を防いでくれた。一人でも多く道連れにするために突っ込む。
が、人間の限界を超えた速度で突っ込んだからといって、人間の反応速度を超えるわけではない。消えるわけでもない。ちゃんと目に見えるし、相手は既に警戒MAXで銃口をこちらに向けている訓練された集団だ。人外の速度を出し、喋らない事で完全にモンスター認定されたのだろう、接敵前に弾幕が俺の体を打ち据えた。
「……!!」
強化された肉体は鉛玉をしこたま喰らっても肉塊にならなかった。弾丸は皮膚を突き破り筋肉に浅く食い込んだだけで止まる。体中から血が噴き出すが致命傷ではない。どうせ死ぬ。気にする事はない。むしろ重症を負って覚悟が決まった。
弾幕に耐えて一番手前にいた自衛官をぶん殴る。おもちゃのように吹っ飛んでいったが、殴った感触がクソ重い。防弾チョッキだかケブラーベストだか分からんが、相当な防具を着込んでいるらしい。それでも骨の何本かは間違いなく持っていけた。
自衛隊員達は大人数かつ四交代制で攻略しているため、経験値が分散されている。例外なくレベル1で、身体能力に目に見えるレベルでの補正はかかっていない。
最前列の残り三人を殴り飛ばして目線を動かすと、他の自衛官が後退して距離を取り、また斉射してきた。洞窟内に再び乾いた銃声が轟き、反響して耳を潰しにくる。音だけで脳を殴られるようだ。
まだ動ける。
動けるが全身に釘を打ち込まれたようだ。体が思うように反応してくれない。
まっすぐ突っ込んでぶん殴ろうとする俺の動きは意思に反しゾンビのように鈍重だった。
そんな俺の抵抗を自衛隊は脅威に感じたらしい。更に後ろに下がり、弾幕を張ってくる。
俺は全身に弾丸を喰らい、ふらつく。
だが倒れない。
まだ動ける。
俺はまだ生きている。
俺が立っている限りダンジョンちゃんは無事だ。
命をかけてもいいと思える友人を得て、本当に命をかけて助けられる。
クソみたいな人生だったが、それだけは救いだった。
刻印を介し肉体を強化しても、限界はある。
次に弾幕を張られたら死ぬのが分かる。今でさえなぜ死んでいないのか分からないぐらいだ。
しかしふらつき霞む視界の中で、急に自衛隊がどよめいた。どよめきはすぐに怒号に代わり、大騒ぎに発展する。
俺は何もしていない。
モンスターは全滅した。
ダンジョンちゃんも気を失っている。
では一体何が……?
訳の分からないまま死力を尽くし立ち尽くしていると、どういう訳か自衛隊は撤退していった。
俺の気迫にビビったか? いやまさかな。
膝から力が抜け、地面に座り込む。妙に温かくてぬめると思ったら血だまりができていた。誰の血かも分からないが、ほとんどは俺の血だろう。これだけの大出血で死んでいない、どころか傷口から流れ出る血が止まりはじめているという事実が改めて人間を超えた事を突きつけてくる。
信じがたい事にどうやらこのまま休んでいればなんとか動ける程度にはなりそうだった。
その一押しすれば死ぬギリギリで生き延びた俺の前に、出雲がひょっこり現れた。相変わらずのもっさりジャージで、もっさりジャージで隠しきれないメリハリの効いたスタイルで、スタイルの良さより強烈に目を引き寄せられる血まみれのサバイバルナイフを指先で弄んでいる。
ジャージはあちこち破れていて返り血だらけ。頬にもべったり血のりがつき、出雲の目は血走り明らかに興奮状態にあった。
さ、殺人鬼……! 殺される……!
「やるじゃん。包帯とか無いけど痛み止めならある。やるよ」
しかし何故か出雲は感心した様子で丸薬を差し出してきた。ありがたく受け取ろうとするが腕が上がらない。出雲は痙攣する俺の腕を見て眉を顰めると、丸薬とペットボトルの水を口に含み顔を近づけてきた。
「……!」
「これでよし。地上に戻りたいなら道中の護衛ぐらいはしてやる。肩は貸さんけど」
「……なに……が……?」
状況が分からない。
俺が辛うじて言葉を発すると、出雲は珍しく微笑んで言った。
「大丈夫。ギドーが最後の一押しになったのか知らんけど自衛隊帰った。私達の勝ちだ」
「……?」
「え、何その反応? もしかして何も知らないのに戦ってたん?」
「…………」
「おお。私も相当だけどギドーも大概頭おかしいな。あんな、順番に話すと――――」
出雲は俺の手を引っ張って立たせながら事の成り行きを話し出した。
「簡単な話、評価ボタンを押したらなんかすごい良い感じになった」
「そうかなるほど! 評価ボタンだったのか! 評価ボタンは合計10点満点でこの小説を評価するボタン。スマホで読んでると最新話のあとがきの下にある広告の更に下にあって、しかも折り畳まれて隠れてる恥ずかしがり屋さんだったよな」
「分かってんじゃん。それを押したらアレがアレしてこーなったわけ」
「なるほど完全に理解した」
深く納得した。評価ボタンは何百回押しても副作用や反動がない究極の兵器だ。しかも作者は自分の小説の評価ボタンを押せないという安全装置付き。
いずれ評価ボタンが世界の、そしてダンジョンの標準装備になり、他の兵器が全て陳腐化され消える事は間違いないだろう……
~ハッピーエンド~




