19 これ死ゾ
ダンジョン二号即死事件の翌日、朝からあらゆるメディアが争うように緊急ニュースを報じた。
【自衛隊、東京ダンジョンの破壊を決定!】
この残忍極まる死刑宣告の具体的内容は次のようなものだ。
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自衛隊駐屯地内に出現した陥没孔二号は知的存在が維持管理していたが、対話を試みたところ人類に対し極めて攻撃的である事が判明。
陥没孔二号は自衛隊員に対し攻撃行動を繰り返し行い、人類に無差別攻撃を行うと宣言。
交渉や妥協、現状維持を行う事は攻撃的脅威の増長に直結し、国家安全保障を大きく揺るがすと判断し、自衛隊は防衛大臣の指示により陥没孔二号を沈黙させた。
東京に存在する陥没孔一号は陥没孔二号と同種であると合理的に判断できる類似点が見られる。国家安全保障を脅かす重大な脅威を取り除くため、陥没孔一号、いわゆる東京ダンジョンの迅速な破壊を続けて行う事を決定。
なお、陥没孔二号の前例から陥没孔一号の破壊に際し陥没孔全体の急速な崩壊が想定される。政府は安全を確保するため陥没孔に立ち入らないよう繰り返し市民に求める。
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この残虐非道でダンジョン愛護精神の欠片もない無慈悲な声明に対し、ダンジョンちゃんは以下のように遺憾の意を示した。
『いるんだよねぇ! どこの会社にも一洞か二洞は人間を死ぬほど舐め腐った無能イキりダンジョンがいるんだよ! 追放刑で当然の! どうせ大人しく俺のために死ねよ餌ども跪いて自殺しろとか言ったんだろうねぇ! ありがちなんだよそういうの! 困りますねー! そういう×××××(人類の言語に存在しない罵倒語のため翻訳不可)と私を一緒にされたら困りますぅ!!! たすけてしんじゃう』
いつか何かが原因で自衛隊や連合軍がダンジョンを殺しにかかるとは思っていた。
しかしまさかこれほど急にとは思いもしなかった。「ダンジョン」の印象を下げるだけ下げて死にやがったクソ無能ダンジョンの巻き添えで俺達まで死の危機だ。
今のダンジョンちゃんに銃火器で武装し訓練された大集団を追い返せるほどの力は無い。
だから可能性があるとしたら、自衛隊にボコられつつボコり、手に入れた生命力で階層を増やしモンスターを増設してダンジョンを拡張していく方法だ。要するに最奥のダンジョンコアまでたどり着かれなければいいのだから、攻め込まれても攻め込まれた分だけゴールを遠ざけてやればいいわけだ。それが可能なら。
自衛隊の攻略スピードより拡張スピードの方が早ければ凌ぎきれる。
自衛隊の攻略スピードの方が速ければ死ぬ。
自衛隊が早いか、ダンジョンちゃんが凌ぎきるか。チキンレースの始まりだ。
急転直下。昨日までは平和だったのに、一転して生き残りをかけた戦争が幕を開ける――――
戸田国男(31)は警察官である。
通称東京ダンジョン突入作戦に参加し、生還した経歴を持つ。その一件以来同僚から格段に尊重され、敬意を向けられるようになった。
なにしろ18人いた警察の突入隊の大多数は死亡あるいは重症により退職を余儀なくされ、さもなければ入院・リハビリをしているのだ。無事生還しただけで特別視されるだけの理由になる。悪い気はしない。
そして戸田は陰惨な爆発事故に巻き込まれるも唯一運よく軽い火傷だけで済んだため、事あるごとに重要参考人としてあちこちに呼ばれていた。
突入作戦とその失敗から一ヵ月が経過しているが、その間、戸田は通常の職務に就いた記憶がない。あちらの会議に呼び出されてはこちらの集会に呼び戻され、かと思えば向こうの議会で証言を求められ、という具合だ。お陰で戸田は全く同じ説明を何度も何度も繰り返し喋る事になり、何も考えなくてもすらすらと言えるようになってしまった。
戸田はこれを全く馬鹿げた事だと考えていたため、苛立ちを隠すのに苦労した。
なにしろ百回以上事故についての説明を行ったが、その九割以上が口頭で証言する理由が無かったのだ。
裁判で証言を述べるならば出頭して説明するのもやぶさかではなかったが、どう考えても報告書に目を通すだけで済むような場面でもわざわざ会議室に移動し数分喋りまた戻る、という不毛で非効率的な作業を強いられた。なぜ書面に事故についての情報を書き起こしてあるのにわざわざ呼び出して喋らせる意味が全く理解できなかった。電話、メール、テレビ通話は一体何のためにあるのか。非効率にもほどがある。
だがその不毛な日々にもようやく終わりが来そうで、戸田は最後の忍耐の予感に気を引き締めた。東京都心陥没孔二十二番、通称「篠崎公園入口」の真上にある現地対応本部では現在慌ただしく自衛隊員が装備の点検や点呼、物資の搬入を行っており、戸田はテントの隅に設置された椅子でコーヒーを片手に邪魔にならないよう大人しくしている。
腕時計を見れば自衛隊の制圧作戦開始まで残り十分を切っていた。警官である戸田がこの場にいるのは突入前の最後のブリーフィングで警官隊壊滅時の体験談を語り、改めて注意喚起を行うためだ。壊れた機械のように同じ説明を繰り返す日々もようやく終わりかと思うと清々した。
戸田はミリタリーに詳しくないが、撃たずとも振り回すだけで人を二、三人まとめて殺せそうな重々しい銃器や弾薬が詰まった箱、爆薬、ひとまとめにされた鉄条網などが次々と運び込まれてくる様子を見ているだけで既にダンジョンの完全攻略を幻視した。
ダンジョンは文字通り底知れない。少なくとも二階層まではあるという話だが、五十階層まであるかも知れないし、百階層まであるかも知れない。そしてダンジョンは奥へ、下へ進むほど強力なモンスターが生息している。
しかしこれだけの武力を叩きつけて攻略できない洞窟があるとは思えなかった。ファンタジー定番のドラゴンですら粉微塵になるに違いない。
やがてブリーフィングが始まり、指揮官の言葉を三十人の隊員が清聴する。それに混ざって戸田も作戦概要を聞いた。
東京ダンジョンには複数の入り口があるため、確認されていてかつ利用可能な十二個の入り口から同時に制圧が行われる。ガス爆発で全滅するのを防ぐため、また通路の狭さを考慮し一つの入り口につきそれ以上の人数は投入されない。
ダンジョン内では急速に疲労していき、また内部で休憩は不可能であるため、人員は逐次交代を行う。四交代制、予備を含め五部隊のサイクルで24時間不休の攻略となる。
これまでの研究と観察により、ダンジョン内ではモンスターは繁殖ではなく自然発生によって増える事が明らかになっている。しかし人の目の届く場所では発生しない。従って、攻略の基礎手順はダンジョン内の迷路に土嚢や鉄条網によるバリケードを設置し橋頭保としつつ、モンスター発生抑制のため歩哨を置き最奥部へ向けて前線を押し上げていく形となる。
陥没孔二号との対話によれば、陥没孔一号の最深部にも陥没孔の脳であり心臓であるダンジョンコアと仮称される球体がある。
ダンジョンを踏破し最深部に到達、ダンジョンコアを入手する事によりダンジョンは崩壊する。これによりダンジョン制圧を達成するものとする。
作戦概要のおさらいのあと、戸田がいつもの定型文でダンジョン内のガス爆発について改めて警告した。
話し終えた戸田が着席すると、制圧部隊の現場指揮をとる小隊長が躊躇いがちに結んだ。
「これで最後だが、三十分前に指令が追加された。『最優先事項は市民の安全とダンジョンコアの確実な確保とする』以上だ。」
身動き一つせず厳粛に傾聴していた隊員の間にそこではじめて困惑の空気が漂った。
目配せと短い囁きが交わされた後、隊員の一人が挙手し質問する。
「『最優先』事項が二つあるように聞こえたのですが。人命とダンジョンコア確保どちらを優先しますか」
「指令を繰り返す。『最優先事項は市民の安全とダンジョンコアの確実な確保とする』。どちらも最優先事項だ。優先順位の判断を迫られた時は……私が判断し、私が責任を取る」
「……了解」
急に戸田の安心感がグラついた。
警察だけでなく自衛隊もまた上層部の無茶苦茶な指示と現実の板挟みになっているのだ。
市民の安全と同列に語るほど重要視されるダンジョンコアとは一体どんなものなのか気になるところだが、戸田が首を突っ込むところではない。
分かるのは宮仕えの悲しさだ。税金から給料を貰って生きている以上、無茶な指令にも逆らえない。
ブリーフィングが終わると、自衛隊は時間を合わせ整然とダンジョンに入っていった。
不安は増したが武器を構え歩く姿を見るだけで高い練度が伺える。これでどうにもならないならダンジョンは国の手に負えない。
一抹の不安を覚えつつ、それでもやはり流石に自衛隊が本腰を入れればどうにかなるだろうと楽観させてくれるだけの信頼感は根強い。
やる事をやった戸田は官用車の送迎で職場に戻り、その二時間後、一階層の制圧が完了したという速報を聞き今度こそ安心した。
頭痛の種は近い内に取り除かれそうだった。
「どうした戸田、久しぶりに明るい顔してるじゃないか」
「評価ボタンさん」
コーヒーを持って話しかけてきてくれた評価ボタンに戸田は先程の体験を語った。評価ボタンは親身に話を聞き、首を傾げた。
「お前の話はよくわからん。要するに評価ボタンを押せばいいって事か?」
「ああ、そういう事ですね。すみません分かりにくくて」
「言いたい事は伝わった。気にするな」
評価ボタンは朗らかに笑い、戸田もつられて笑った。
それは紛れもなくこの世の全ての誤解を解き世界を平和に導くパーフェクトコミュニケーションだった。
~ハッピーエンド~