01 解雇は実質追放
小学生になった時、先生に言われた。
「もう幼稚園ではありません。しっかりしましょう」
俺はしっかりしようと思った。
小学二年生になった時、先生に言われた。
「今日からあなた達はお兄さん、お姉さんです。一年生のお手本になりましょう」
俺はお手本にならないと、と思った。
中学生になった時、先生に言われた。
「もう小学生ではありません。気を引き締めましょう」
俺は気を引き締める事にした。
「高校受験は一生を左右する、真面目にやれ」
「高校に受かったからといって気を抜けばすぐに落ちるぞ」
「大学受験こそが人生を決める」
成長するにつれて、流石にこれはおかしいと気付く。
同級生達はほとんど誰もしっかりしていないし、お手本になっていないし、気を引き締めていないし、真面目でもない。
「大学生活で遊んで留年するな、ちゃんとやれ」「もう就活始めたか? 何社にエントリーした?」「今日から新社会人だ。いつまでも学生気分では――――」「後輩が入社した、もう新社会人では――――」
その言葉は呪いのように繰り返される。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も!
おっさんになって老人になって墓に入るまで言われ続けるド腐れな未来がはっきり見える。
ずーっと気を引き締め緊張し続けて、俺は一体いつ休めばいい?
……だから、これはきっと、終わりの無い努力と労働を強いる社会に見切りをつけてやる丁度良い機会だったのだ。
「お前とんでもない事やったな。流石に庇えんぞこれは」
「はい?」
ある十三連勤目の昼に、俺は岩清水課長デスクに呼び出され、開口一番丸めた書類で頬を叩かれた。
書類を岩清水課長の口にねじ込む妄想をしながら礼儀正しく聞く。
「すみません、何の話でしょう」
「これだ。お前、会社の金横領したな。なんだこれは」
書類がパッと開かれる。先月の備品の代金をまとめたものらしい。
ずらずらと備品とその値段のリストが並ぶ中で「コーヒー 900,000円」だけが異彩を放っていた。他の備品とは桁が違う。見逃しようがない。
誰だこんなクソ間抜けな横領をした馬鹿は? こんな弱小企業が一ヵ月で90万円分のコーヒー消費するわけないだろ。社員全身の血を十回コーヒーに入れ替えてもまだ余るぞ。
「90万円分のコーヒーですね。これが何故私の仕業だと?」
「馬鹿野郎! 会計はお前の仕事だろ。お前しかできない。しらばっくれるな!」
「確かに先月だけ臨時で会計を任されましたが、その時はこんな妙なコーヒーの項目はありませんでした。確認の上で課長に提出して――――」
「つべこべ言うな、言い繕うと立場が悪くなるぞ。もう佐々木部長に報告してある。今更誤魔化せん。大人しく認めた方がお前のためだ」
岩清水課長の誤解や勘違いじゃない事はすぐに分かった。高圧的な言葉の端々から吐き気がするような悪意が見えたからだ。
もっとも、岩清水課長ほどあからさまなら誰だって分かっただろうが。
あーはいはいはいはいはいそーいう事ね理解した。
岩清水課長が俺に臨時で会計を押し付けて、90万円を着服して、責任を押し付けた、と。
おかしいとは思ってたんだ。お前ならできる、今月だけだ、いいからやれ、のゴリ押しでやらされたし。
でもこんな事ある? クソほどブラック企業だし上司は軒並み性格悪いしこの会社終わってんなとは思ってたけどここまで?
岩清水課長は声を和らげ俺の肩に手を乗せ、どうやら自分では優しげだと思っているらしいネットリした気色の悪い声で言った。
「な、悪い事はいわん、ほんの少しでも罪悪感があるなら責任とって辞職しろ。お前は全然使えないダメな奴だったが、ここまで働いてくれた。訴えて犯罪者にするのは忍びないんだ。俺が佐々木部長に話をつけて、自主退職すれば裁判にはしないと言質を取ってやった」
全然使えないダメな奴なのは岩清水課長なんだよなあ。この人のパソコンにエロ動画以外が表示されてるの見た事ないぞ。
「私は-―――」
「チッ! お前は本当に空気が読めない奴だな。いいかはっきり言ってやる。邪魔なんだよ、お前は職場の嫌われ者なんだ、みんなお前に消えて欲しいと思ってる。さっさと辞表書け。ほら行け」
俺の反論に大声で罵倒を被せ、しっしっ、と手で追い払われる。
コイツ正気か? いつもの五割り増しで憎たらしい。こんなところで憎たらしさの限界にチャレンジしなくていいから。
あまりの事に現実味が無い。今まさに濡れ衣で失職の危機だというのに他人事のようにしか感じられない。
誰かそれはおかしいと言ってくれるのを期待して周りを見るが、全員なぜかものすごい集中力を発揮して無言で仕事に打ち込んでいて、目を合わせないどころか聞こえている素振りすらない。
すごいなあ! いつもはダラダラ雑談してるのになあ!
いい歳した大人がこれだけいて、誰一人として間違ってる事を間違ってると言えないわけだ。全員俺を見捨てるわけだ。関わって目を付けられるのが怖いから。
そうかそうか。つまり君達はそういう奴らなんだな。
今まで散々助けてやったのに、庇ってやったのに、早く帰れるように仕事手伝ってやったのに、サボりを黙っててやったのに、俺が困ったら知らんぷり。
俺の親切も献身も全て! 全て全て全て! 無駄だったんだな!!!?
「分かりました。今までありがとうございました。御厚意に甘えて辞表を書きたいと思います」
「ああ、そうしろ。俺も少し言い過ぎた。悪かったな」
お互いに心にもない事を言い合う。睨んだら爆発四散しないかなと思って睨みつけてみたが無理だったので、俺は諦めて踵を返し自分のデスクに向かった。
酷い虚脱感だった。
もう疲れてしまった。底なしの失望と疲労感が酷過ぎて怒る気力もない。
この程度の理不尽は今の日本では日常茶飯事なのだろう。毎日どこかの会社で起こっている。
全ての会社がこうではない。社会全体がここまで腐っているわけではない。それは分かっている。
しかし社会を見限るキッカケとしては十分過ぎた。もう人の悪意と無関心にはウンザリだ。
これはいい機会だ。
終わりの無い努力と労働を強いた挙句無造作に使い捨てる社会に見切りをつける丁度良い機会だったのだ。
どうせ退職するなら去り際に岩清水課長を一発殴っていこうとも一瞬思ったが、殴ってゴタゴタが起こるのが面倒過ぎた。
今はただ、休みたい。
腐った上司からも無関心な同僚からも離れて、ただ、ただ、心と体を休めたい。
それから、労働基準法を幼稚園児のおやくそくより軽い物としか考えていない会社のおかげで俺はありがたくも即日退職を達成した。
もちろん今月の給料は支払われないし、先月の未払い分の給料が振り込まれる事もないだろう。
失職の味を噛み締めながらぶらぶらアパートに戻る。
前向きに考えればもう早起きする必要はない。毎朝二度寝できるし、徹夜しなくていいし、昼間からビールを飲める。最高か?
後ろ向きに考えれば収入が消え貯金もない。地獄か?
つっら……
家に帰っても一人というのがまた辛い。
貧乏でいいから家に帰った時に温かく迎えてくれる嫁が欲しい。
俺を罵ったり罠にハメたり殴ったりしてこない、悪意の無い心の清らかな女性がいい。
5億円ぐらい貯金があって可愛くて性格良くておっぱい大きくて俺の事が大好きで他の男にフラフラしない女性だったら最高だ。
そんな都合の良い出会いなんて無い事は分かってる。でも信じて働いてた会社に裏切られて捨てられたんだから、その反動で俺の事を信じてくれる美女に拾われたっていいだろ。
この際人類が全員敵になってもいいから理想の嫁が欲しい。
ダメ?
そっか……
つらい……
とりあえずヤケ酒するために酒をしこたま買い込んで帰宅した俺は、アパートのドアを開け何の警戒もせず何気なく中に入る。そのせいで玄関にぽっかり開いていた大穴を避けられなかった。
「ふあっ!? ああああああああああああ!」
そりゃ避けられる訳が無い。今朝は普通の玄関だったのだ。落とし穴を警戒する方がおかしい。
岩清水課長に濡れ衣を着せられた時の軽く三倍はビビリ散らして大混乱しながら、俺は大穴の底へ落ちていった。
大穴の底で俺は謎のボタンを見つけた。
これは……評価ポイントボタン……?
俺は謎の確信を持って評価ボタンを押した。
するとふしぎな力で理想の結婚相手と5兆円が湧いて出た。
やったぜ!!!!
~ハッピーエンド~