78 慰問式2
「単純な話だ。サザランドの民は、信じたいことを信じている。それだけだ」
シリル団長の髪を拭き終わったカーティス団長は、どかりとソファに腰掛けると、説明の続きを始めた。
「この地の民は300年前、大聖女様に救われている。離島出身者が次々に死の病にかかったが、どんな聖女も治すことができずに多くの者が亡くなった。あわや一族全滅かと思われた際、独断で大聖女様がサザランドの地に駆け付けられ、お一人で一族全てをお救いになった」
「………………はい?」
シリル団長は心底意味が分からないといった風に、声を上げた。
けれど、シリル団長の声を相槌と取ったのか、カーティス団長は言葉を続ける。
「それから300年、この地では誰もが大聖女様に御恩をお返しすることだけを最上の望みに掲げてきた。つまり……」
「カ、……カーティス、少しお待ちなさい! あなたは何を言っているのですか?」
驚きの声を上げるシリル団長をちらりと見やると、カーティス団長は不快そうに眉根を寄せた。
「……ここからがセラフィーナ様のいいところなのに、中断しないでくれ」
けれど、シリル団長はカーティス団長の抗議の声には気もとめず、茫然としてつぶやいた。
「大聖女様が、この地の民を救われたですって? ……そのような記録、私は見た覚えがありません……」
カーティス団長は軽く肩をすくめると、シリル団長の問いに答える。
「公式なものではないからな。どちらかというと、大聖女様は公務を放り出して、この地に駆け付けられている。公式な記録が残ることはなかっただろう」
「………………」
考え込むかのように黙り込んだシリル団長に対して、カーティス団長は言葉を続けた。
「……私はこれでも3年間、この地で暮らしている。住民たちの特質は理解しているつもりだ」
そうカーティス団長は説明したけれど、元々カノープスは離島の民だ。
離島の民の特質については、もちろん、十分、理解しているに決まっている。
一体何を言い出すつもりかしらと、じっとカーティス団長を見つめていると、団長は当然のことといった風に説明をし始めた。
「離島の民は、決して与えられた恩を忘れないし、子々孫々に亘って返そうとする。……知っているか? 離島の民は皆、幼い頃から大聖女様の話を聞かされて成長する。繰り返し、繰り返し、大聖女様に命を与えられたから今ここにいられるのだという事実と、そのために返すべき恩についての話を教え込まれる。300年の間に数十万となった離島の民は全て、大聖女様の従順なしもべであり兵士だ。彼らは簡単に、大聖女様のために命を投げ出すだろう」
そこまで説明すると、カーティス団長はひたりと私に視線を合わせてきた。私を説得するかのように。
「―――ご理解ください。それが離島の民の特質であり、幸せなのです」
けれど、もちろん私は反論した。こんな話、説得される訳にはいかない。
「い、いや、それはどうなのかしら? 300年前の話なのよ? 直接治療を受けたわけでもないのに、命を懸けるというのはおかしな話に聞こえるけれど」
私の言葉を聞いたカーティス団長は、考え込むかのように目を細めた。
「……では、大聖女様の前に息も絶え絶えな怪我人がいたとして、治癒をしないという状態に大聖女様は耐えられるのでしょうか?」
まぁ、これは、大聖女の行動を尋ねているようで、実際は私の行動を尋ねているわね。
何かの罠かしらと疑いながらも、結局は思うがままに答える。
「た、多分、大聖女様は耐えられないでしょうね」
私の答えを聞くと、カーティス団長は同意するかのように頷いた。
「それと同じことです。住民たちは大聖女様に恩返しをしたくて、したくてたまらない。もしも、彼らができることを怠ったせいで大聖女様が傷付いたとしたら、彼らはそのことを一生後悔するでしょう。『やらなかったこと』を思い返し、その罪悪感に死ぬまで囚われるのです。そして、つきまとう感情は負の感情だ。ねぇ、フィー様、そんな人生は彼らにとって大変不幸です」
「そ、それは……」
言葉に詰まる私を優し気に見つめた後、カーティス団長はシリル団長に視線を移した。
「住民たちは大聖女様に御恩をお返ししたくて、300年間待ち続けていた。そんな時に、大聖女様と全く同じ色を持ったフィー様が現れた。もう、彼らにはフィー様が大聖女様にしか見えないのだ。……先ほど知ったことだが、この地には300年前に流行った死の病が再び流行し始めていた」
「何ですって!?」
驚いたように声をあげるシリル団長に対し、カーティス団長は落ち着かせるように片手を上げた。
「安心しろ。既に全員が完治している。だが、この地の聖女様が特効薬を作る現場に我々が居合わせたため、住民たちはフィー様が特効薬を作ったと思い込んでいる。……彼らは、信じたいことを信じているのだ」
「なぜ、住民たちはフィーアが特効薬を作ったと信じたのですか?」
「この地の聖女様が特効薬を作る際に、フィー様が手伝われている。2人揃って別室にて調合したから、住民たちは自分たちの都合のいいように、見えない部分を想像したのだろう」
「なるほど……」
考えがまとまらないといった風につぶやくシリル団長に対し、カーティス団長は自分が着用している騎士服を指し示した。
「私を見ろ! この血で染まった騎士服を!! ……住民たちに囲まれたフィー様を不審に思って後を付けたら、住民たちに見つかり、問答無用で切り付けられた。理由を聞いたら、大聖女であるフィー様を私から守ろうとしたとのことだ。……完全なる異常行動だ。穏やかなはずの住民たちが、フィー様のことになると狂い出す」
「それは………」
何かを言いかけたシリル団長だったが、カーティス団長は満足げにその言葉を遮った。
「だが、狙った通りの行動にはなったな。これで、元々の想定通り、住民たちと騎士たち、ひいては住民たちと公爵家の不仲は解消されるだろう」
「……カーティス、あなたはこれ程大袈裟になった今でも、フィーアは大聖女様の生まれ変わりだと住民たちが信じていることを、歓迎すべきことだと考えているのですか?」
悩ましそうな表情で尋ねるシリル団長に対して、カーティス団長ははっきりと首を縦に振った。
「そうだ。私は初めから、住民たちの思い込みを肯定すべきだと提案している。それが想定以上に上手くいったからと言って、途中で怖くなって投げ出すのは愚か者がすることだ。私たちは住民の感情にじっくりと付き合うべきだ」
シリル団長は迷っているようなそぶりを見せると、開いた自分の両手に視線を落とした。
「……カーティス、あなたがフィーアをこの地の強心剤とし、停滞している時間を動かすための新しい風にすべきといった提案に同意しましたが、私はずっと自分の決断に自信がありませんでした。……これほどこじれてしまった関係を、短期的に解決しようとする考え方が間違っているのではないのでしょうか? 私たちの誠実さを、100年でも200年でもかけて証明していくべきではないのでしょうかと、ずっと考えていたのです」
「シリル団長らしい誠実さではあるが、今回は不要だな。住民たちの思い込みを利用した結果、彼らを騙してしまう形になるかもしれないと心配しているのなら杞憂だ。……どの道いまさらどうにもできはしない。フィー様は大聖女様ではないと繰り返し言い続けているが、誰も信じようとしない。つまり、彼らの思いが降り積もりすぎて、もう否定は受け入れられないんだろう」
カーティス団長の言葉を理解したシリル団長は、この流れは止められない、止めるべきではないと覚悟したようだった。
それでも、数瞬の間逡巡した後、私に視線を合わせ、心配するかのように確認してきた。
「フィーア、あなたはそれでいいのですか? 辛くはありませんか?」
「はい?」
聞かれた意味が分からずに問い返すと、シリル団長は丁寧に説明してくれた。
「……あなたに対して失礼な話になってしまったら申し訳ありませんが、質問をさせてください。聖女様というのは、誰もが崇める存在です。そのため、……女性であれば、誰もが聖女様になることに憧れるものではないかと思うのです。けれど、あなたは聖女様ではなかった。そんなあなたが、大聖女様の生まれ変わりと見なされることは、辛くはありませんか?」
……な、なるほど。
発想もしなかった心の動きを心配され、私は感心してシリル団長を見つめた。
……何というか、シリル団長は本当に細やかだよね。
こんな調子で団員一人一人を心配していたら、身が持たないと思うんだけど。
そう心配しながらも、正直に答える。
「ええと、『困ったな』という気持ちはありますが、辛くはありません。それに……色々あって忘れていましたが、そもそもは住民たちと団長、そして騎士たちが仲良くなってほしいと思って引き受けた話でした。確かに今なら、想定以上に上手くいっているので、仲直りができるかもしれませんね」
にこりとしてシリル団長を見上げると、呆れたように見つめ返された。
「あなたは……本当にお人好しですね」
ほっと溜息をつきながらつぶやかれたけど……いやいや、人がいいのはシリル団長の方でしょう!
私はそう心の中で言い返したのだった。









