77 慰問式1
結局、その場はシリル団長の一言でお開きになった。
「族長、あなた方の会話から察するに、病み上がりの方がいらっしゃるのではありませんか? だとしたら、急ぎ家に帰られて、横にならせるのがよいと思われますが」
シリル団長の言葉を聞くと、族長ははっとしたように顔を上げ、恐縮したように頭を下げた。
「その通りです、サザランド公爵。では、お言葉に甘えまして、私を始めとした一部の者は、この場を失礼させていただきます。次にお会いするのは、5日後の慰問式ですな」
それから、族長は少しだけ口ごもると、言いにくそうに私に話しかけてきた。
「フィーア様、もしよろしければ、慰問式にはその水色のドレスを着用してきてはもらえませんか? ……とても、お似合いですので」
「え? ええと、私にできることであれば叶えて差し上げたいのですが、私は騎士としてこの地に赴いていますので、その……」
言いよどんでいると、シリル団長が助け舟を出してくれる。
「フィーア、族長からの願い事を聞くことは、私にとって初めてのことです。もし、あなたがお嫌でなければ、叶えて差し上げることはできませんか?」
「え? ええ、それはもちろん、シリル団長の許可さえいただけるならば、喜んで着用します」
答えると、族長を始め住民たちは嬉しそうに笑った。
まぁ、ドレス一つで笑顔になるなんて、陽気な一族ね。
私も嬉しくなって、思わずにこりと笑った。
―――さて、館に戻るとすぐ、私とカーティス団長は、当然のようにシリル団長の執務室に呼ばれた。
まずはカーティス団長の治療を優先させようとしたシリル団長だったけれど、既に治療済みだとカーティス団長が説明したため、2人そろって執務室に呼ばれる形となったのだ。
住民たちに大聖女と信じ込まれつつある私、血だらけのカーティス団長、新たな特効薬という会話。
全てがシリル団長には寝耳に水で、疑問だらけな話だろう。
色々と訊問されることは、間違いない。
私は神妙な表情を作ると、『沈黙は金、沈黙は金』と頭の中で繰り返しながら、シリル団長と向かい合うソファに座る。私の隣にはカーティス団長が座った。
……第一騎士団に入団してから、私も色々とシリル団長について学習しました。
その学習結果による最適解が、『沈黙は金』です。
断言しましょう。これから私が何を言ったとしても、シリル団長から説教されます。10割の確率で。
もう、私には沈黙を守るしか、方法がないのです。
もちろん黙っていても説教はされるでしょうが、これが最小限の痛みです。
「………………」
ほんの少しだけ視線をずらし、シリル団長の口元あたりを見つめて目を合わせないようにする。
そんな私を無言で見つめてくると、シリル団長は指先でこつんとテーブルを叩いた。
反射的に視線を上げると、寂し気な表情をしているシリル団長と視線が合った。
「ねぇ、フィーア。私はそんなに信頼に足りませんか? あなたが何一つ話せないと思うほどに?」
「そ、そんなことはありません!!」
シリル団長の声が普段になく悲しそうだったので、勢い込んで否定する。
「そ、そうではなくて、ええと、何と言いますか、私一人の話ではなくてですね……」
―――そう、私が聖女であるという秘匿情報の最も厄介な点は、バレた時に犠牲になるのが、私一人では済まないだろうということだ。
私が大聖女の生まれ変わりだと分かったら、間違いなく魔王の右腕は私を殺しにくるだろうけど、その際、シリル団長を始めとした騎士たちは私を守ろうとするかもしれない。
けれど、実力差はあまりにもはっきりしているし、結果は見えている。
だから、それだけは避けなければいけないと思う。
「ええと、団長、つまり、……私には一つだけ秘密がありまして。それを話すことで聞いた方に迷惑をかけるので、今はまだ、誰にも話さないと決めているんです」
……ええ、カーティス団長には既にバレていますけれど、それは私が話したからではありませんし。
この地の住民たちは何となく察している気もしますけれど、それだって、私からは一言も話していません。
ザビリアだって、私から話をしたわけではなく、あの聡い子が自分で悟ったんです。
「つまり、私の秘密ではあるんですけど、話すことでシリル団長にご迷惑が掛かるように思われてですね……」
シリル団長は本当に素晴らしい騎士だ。
この素敵な騎士が私のために傷付くなんてことは、あってはならないことだと思う。
そうはっきりと言い切れれば分かりやすいのだけど、隠すべきことが多すぎて、私の発言は歯切れの悪いものになってしまう。
「おやおや、あなたは私を守ろうとしているのですか……」
口ごもった私を見て、シリル団長は驚いたように目を見開いた。
それから、可笑しそうに小さく笑う。
「ふふ、あなたが私を守ろうとしてくれるなんて、悪くない気分ですね……」
―――シリル団長は、本当に優しいな。
可笑しそうに微笑むシリル団長を見て、心の底からそう思う。
私がシリル団長を守ろうとしていることなんて、どうでもいい話だ。
そんなことよりも、責任者であるシリル団長にとって大事なことは、この地で起こっていることを正確に把握することだ。
だから、私が抱える秘密なんて些末事、すぐに吐き出せと言うべきなのだ。
なのに、話したくないと言った私の気持ちをおもんぱかって、自ら話の論点をずらしてまで、聞かずに済ませようとしてくれる。
私はこんな優しいシリル団長に、何ができるのだろう?
そう思ってじっと見つめていると、シリル団長はテーブル越しに手を伸ばしてきて、私の頭をポンポンと軽くたたいた。
「あなたが私を守ろうとしてくれる気持ちが、伝わってきますよ。ありがとう、フィーア。団長として、こんなに嬉しいことはありません」
それから、団長は軽く脚を組むと、にこりと微笑んだ。
「では、あなたが話せる部分で結構ですので、何があったか教えてもらえますか?」
こんな優しい団長に迷惑はかけられない。聖女の部分以外は全て話そうと口を開く。
「はい、団長! ええと、朝から領主館を抜け出してすぐにお祭りに戻ったんですが、私が大聖女様の生まれ変わりかもしれないという話は、既に多くの住民たちに伝わっていました。子どもたちもやってきたので、一緒にお店を回りました。最初は焼果実を食べたのですが、これがとっても美味しくて。今思えば、団長にお土産として持ち帰るべきでした。気が利かない団員で、誠に申し訳ないです。でも、お店の店主がお金を受け取ってくれなかったんですよ! 私が何度もお金を払うと主張したにもかかわらずです! だから、団長のお土産を買った場合でも、やはりお金は受け取ってもらえなかったので、結果としては良かったのだと思います。次は琥珀飴の店で……」
「フィーア。あなたの話は大変詳細で、分かりやすくはあるのですが、もう少し割愛いただいても結構ですよ」
せめてもの誠意を見せようと、できるだけ詳しく話をしていると、シリル団長からあくまでもにこやかに制止が掛かる。
「え、あ、そうですか? ええと、でしたら……」
どこまで詳細に話したら誠意を伝えることになって、どこまで端的に話したら騎士団長への的確な報告になるのかしらと、丁度いい中間点を探っていると、隣に座っていたカーティス団長が口を開いた。
「フィー様、よろしれば私からご説明しましょうか? 第三者である分、私の方が端的に説明できるかと思いますので」
「……そ、そうね。お願いするわね」
確かにカーティス団長なら、私が聖女であることを隠したがっていることは共通認識としてあるので、下手なことは言うまいと説明役を代わることにする。
というか、カーティス団長の説明は凄く上手だよね。初めからお願いするべきだったわ。
そう安心しきって、テーブルの上に置いてあるグラスを手に取る。
一口含むと、甘い味が喉を通っていった。
あら、美味しい。さすがシリル団長ね。準備してある飲み物にも隙が無いわ。
そう思いながら、ソファの背もたれに背中を預けると、グラスに口を付けながらカーティス団長に注目する。
カーティス団長は私が落ち着いたのを確認すると、満足したように頷き、自慢気に口を開いた。
「端的に言うと、フィー様は今や数十万となった離島の民を支配下に置いた! 数日もしないうちにフィー様の話は一族の間に伝わり、誰もがフィー様の従順なしもべとなるだろう! もはや、サザランドはフィー様のものだ!!」
「ぶふ―――っ……!」
カーティス団長のあまりの説明に、思わず口に含んでいたジュースを噴き出してしまう。
「ちょ、な、な、何て説明をしてくれているんですか、カーティス団長! あああああ、というか、あああああ? シ、シリル団長。ご、ご、ごめんなさい! わ、私はお優しいシリル団長にどんな素敵なことができるのだろうと考えていたはずなのに、結果、ジュースを噴きかけるって……!!!」
信じたくはないけれど、シリル団長の綺麗なグレーの髪がオレンジ色に染まっている。
ああ、ということは、私の口から飛び出したオレンジジュースはシリル団長の髪にかかったのだろうか?
驚き慌てて、シリル団長の濡れた髪を拭こうとした私の手から、カーティス団長はタオルを奪い取る。
「男性の体の面倒を見るなど、フィー様がなさることではありません。私がやります」
「ちちちち、ちょ、カ、カーティス団長! あ、あなたの言葉はとってもいかがわしく聞こえるんだけど! い、今の言葉のセレクトに問題はないのかしら!? あなたの言葉で、私が誰かに誤解されることはないわよね??」
「このように汚れなきあなた様を誤解するとしたら、その者の心根が卑しいのです。ご安心ください。そのような輩、私が全力で潰して差し上げます」
「いやいやいや、その前にあなたの言葉のセレクトの問題だからね? ちゃんと気を付けましょう??」
言い募る私を面倒だと思ったのか、カーティス団長は無言のままシリル団長に向き直ると、がしがしと乱暴にタオルで頭を拭き始めた。
対するシリル団長はされるがままになりながら、驚いたようにつぶやいていた。
「……何ということでしょう。クェンティンの病が増殖するなんて。そんな……、直接の接触はなかったはずなのに、感染している……、なんて強い感染力なのでしょう」
シリル団長は信じられないものを見る目つきで、カーティス団長を見つめていた。









