75 黄紋病7
「……さ、さすがね、サリエラ! 新しい特効薬が完成したわね!」
陰鬱な雰囲気を漂わせているサリエラを前に、気分を明るくしようと、私は努めて嬉しそうな声を出した。
実際、私たちの目の前には、できあがったばかりの特効薬があった。
松明に照らされた薄暗い洞窟の中でも、薬をいれた器の底から、きらきらと浮かび上がってくる輝きが見える。
サリエラは「そうですね。特効薬が完成して、嬉しいです」と静かに答えると、机の上に小さなコップを病人の人数分並べ、慎重に特効薬を注いで回った。
全ての薬をグラスに注ぎ込むと、胸に手を当て、感慨深そうに注がれたばかりの特効薬を眺める。
「特効薬を52等分いたしました。子どもの薬は大人の半分にしております。大聖女様の貴重な特効薬を1滴も残すことなく、配分することができました。……このくらいまでならば、私にもできるのですが」
そう言うと、サリエラはしょんぼりとうつむいた。
特効薬ができたばかりだというのに、落ち込んだような表情をするサリエラにどう声を掛けたものかなと逡巡していると、すぐにサリエラが顔を上げた。
僅かの間に自分を立て直したようで、サリエラの顔に少しだけ元気が戻っていたのを見て、ほっとする。
「大変失礼いたしました、大聖女様。このように貴重なお薬を作っていただいたというのに、私としたら自分ごとで勝手に落ち込んでおりまして、申し訳ありません」
「それはもちろんいいのよ。落ち込んでいる時は、落ち込んだ表情をするべきだわ。ただ、その……この薬は、誰が作ったことになるのかしら? ……サリエラ、でいいのかしら? その、私には聖女の力はないわけだし……」
大半は私が調合したにしても、サリエラだって回復魔法を流して一緒に作ったというのは間違いない。
だから、サリエラの手柄にしてもらった方が私はありがたいのだけど、と思い提案してみる。
けれど、自分では特効薬作りに貢献できていないと思っているサリエラには辛い提案かもしれないと思い至り、慌てて言葉を続ける。
「も、もちろん、サリエラが嫌なら、サリエラが作ったことにはしないわ。何だかよく分からないうちに、不思議な力が働いて、新しい特効薬ができることはよくあることだから」
サリエラは少しだけ呆れたように私を見ると、静かに話し始めた。
「大聖女様の周りではよくあることかもしれませんが、聖女の力なしに新しい特効薬ができたことなど、私の周りでは一度もありません。……もしも、私にそのような力があったならば、神に跪いて感謝し、決してその能力を隠したりなどしませんものを」
「………………」
……あ、あれ、これは聖女の力を隠そうとしていることを、咎められているのかしら?
サリエラのように頑張っている聖女に誤解されるのは嫌なので、できる範囲で説明しようと口を開きかけたけれど、サリエラが言葉を続けたので慌てて閉じる。
「……病人を前にした大聖女様は、この新しい特効薬を作られることを全く躊躇われませんでした。つまり、大聖女様の精神は、間違いなく聖女なのです」
「………………?」
……声も優しいし、咎められる感じではないわね?
あれ、どういうことかしらと思いながら、もう少し黙ってサリエラの話を聞くことにする。
「であるにもかかわらず、大聖女様は一貫して、『聖女の力はない』と言い続けられておられます。私ごときではその理由を推察することなど到底できませんが、大聖女様には聖女であることを秘する理由があるのでしょう。……聖女のお心と、強大な聖女のお力を両方併せ持ちながら、一切を秘して、聖女の力を制限しなければならないなど……その不自由さ、お苦しみは察するに余りあります」
まるで我がことのように、苦し気に声を詰まらせるサリエラを見て、私は慌てて声を掛けた。
「え、ええとね、サリエラ……」
いや、うん、多分、サリエラが思う程には不自由してないです。
なぜなら、必要がある時には結構、隠していることを忘れて、聖女の力を使っていますからね。
サリエラが素敵な聖女像を作り上げてしまったので、夢を壊すわけにもいかず、心の中でだけ説明してみたけれど、当然のようにサリエラには伝わらなかった。
だから、ひどく真面目な顔で、サリエラは自分の胸を叩いた。
「このサリエラ、少しでも大聖女様のお役に立てるのであれば、隠れ蓑の役であろうと、有能な聖女の役であろうと、演じさせていただきます」
「ま、まぁ、ありがとう! 助かるわ!」
サリエラが自ら協力を申し出てくれたので、嬉しくなってサリエラの両手を掴むと、ぎゅっと握りしめた。
サリエラは少しだけ頬を染めると、嬉しそうに微笑んだ。
それから、サリエラと私は特効薬が入ったグラスをトレーに載せると、病人が寝かされている場所まで戻った。
カーティス団長がさっと近寄ってきて、私のトレーを手に持ってくれる。
サリエラのトレーは、エリアルが手に取っていた。
……素晴らしいわね。誰もかれもが紳士じゃないの。
私は満足して頷くと、病人たちに一人一人、特効薬を飲ませて回った。
重篤者の3名は意識が混濁しているので、横にしたまま薬を飲ませたけれど、それ以外の病人は自分で半身を起こし、自らグラスを手に取っていた。
その際、警護役の住人たちが、病人が起き上がるのを手助けしたり、倒れないように支えたりしてくれている。
病人たちはグラスを手に取ると、皆同じようにじっとグラスを覗き込んでいた。
その際、グラスの底からきらきらとした光が立ち上り、その光に赤い色が混じっているのに気付くと、皆眩しそうに目を細める。
「大聖女様の赤ですね……。300年間、何一つお返しできなかったというのに、再びご慈愛をいただけるとは。ああ、ただただ感謝申し上げます」
そう言いながら、グラスを捧げ持って私に向かって深く頭を下げると、一気に薬を呷る。
そうして、飲み終わると、病人たちは再び私に対して深く頭を下げた。
まるで、命を救われた感謝をするかのごとく。
「ええと、この薬はサリエラ聖女が作ったものでして。私は……族長から、大聖女の魂の生まれ変わりかもしれないとは言われましたが、実は、聖女の力は持っていなくてですね」
もう何度目になったかも分からない説明を、もう一度だけと思って行う。
すると、病人たちは「はい、了解しました、大聖女様」と素直に頷いてくれた。
……けれど、本当に分かっているのだろうか?
少しだけ住民たちを疑いながら、最後の一人に薬を飲ませると、サリエラも丁度、飲ませ終わったところのようだった。
私はぐるりと辺りを見回して、急変している者がいないことを確認すると、先ほど会話を交わした小さな少女の元まで歩いて行き、その枕元にぺたりと座った。
少女は目を瞑っていたけれど、私が近くに行くとぱっと目を開いて、にこりと微笑んだ。
「大聖女様、呼吸が楽になってきました!」
「ええ、そんなに早くは効かないと思うけど……」
即効性の薬を作るよりも難解な術式になってしまうけれど、遅効性の薬にした方が病人の体には優しい。
だから、今回のように、病人の数が少なく、命の危険がない場合には、遅効性の薬にする方法を選ぶので、まだ効き始めてはいないはずだ。
なのに、少女はがばりと上半身を起こすと、さらに立ち上がろうとする。
「本当よ、大聖女様! 今なら、すごく速く走れる気がします」
「え、ええと、それはただの勘違いだろうから、止めた方がいいと思うわよ。……つまり、それは、『病は気から』という諺に基づいた、思い込みによって元気になるという、何の根拠もない効果だからね」
そう説明しながら少女を思いとどまらせていると、エリアル以下警護役の住人たちが近付いてきた。
エリアルは上半身を起こした少女を見ると、衝撃を受けた様に体を強張らせる。
「ミュ、ミュー! お前、お、起き上がれるのか!?」
「あ、父さん。うん、大聖女様のお薬で、元気になったの」
「いや、だから、この薬は遅効性だから……」
言いかけた私の前で、エリアルを始めとした警護役の全員は、地面にがばりと這いつくばると、大声を張り上げた。
「「「大聖女様、ここにいる皆を救っていただいて、ありがとうございました!!」」」
「え、あ、いや、だから、効果はまだ……」
私は正しい情報を伝えようとしているのに、誰も聞いてくれない。
それどころか、エリアルは私の言葉を遮るように口を開いてきた。
「警護をしていた者は全員、家族が病に侵されていた者です! 自分が病をうつされることよりも、知らぬうちに家族を失ってしまうことの方が怖くて、自ら警護役に志願した者ばかりです! オレらは、いつか家族を見送らなければと覚悟しておりましたが、まさか、完治した家族を目にする日がくるとは……」
感激のあまり涙ぐみ出すエリアルたちを見て、私は思わず口を出した。
「いや、だから、まだ薬の効果は表れていないからね! 見てちょうだい、誰一人、黄紋が消えてもいないんだから! 少なくとも、完治するまで、あと2時間は必要なはずよ」
「ああ、なんとお優しい大聖女様! 分かっております。念のため、あと2時間は全員を寝かせておきます」
噛み合っているようで、全然会話が噛み合っていない。
私は呆れつつも、これだけは譲れないとばかりに、エリアルに念を押した。
「エリアル、あなたは次の族長で、責任ある立場だろうから、これだけは理解して。まず、この特効薬を作ったのは、サリエラです。そして、私には聖女の力はありません。いい? このことを、正しく皆に伝えてちょうだい!」
「し、承知いたしました! 大聖女様からのご命令であれば、このエリアル、従わないはずがございません!!」
「………………」
……ほ、本当に分かっているのかしら?
心配にはなったものの、これ以上何を言っていいものか分からず、エリアルを信じることにした。
それから、2時間後。
すっかり回復した病人52名と、警護役であったエリアル以下10名の者、サリエラ、カーティス団長とともに、私は洞窟を後にした。
エリアルの娘であったミューと手をつなぎ、元気になったらやりたかったことの話を聞きながら歩く。
賑やかしい通りに入ったところで、お祭りの賑わいとは異なる騒々しさに気付いた。
住民たちはなぜだか、鬼気迫る勢いで何事かを叫んだり、走り回ったりしている。
不思議に思って立ち止まり、こてりと首を傾げていると、私に気付いた住民たちが衝撃を受けた様に動きを止めた。
そして、一拍の静寂の後、全員で声を揃えた。
「「「大聖女様!!!」」」
「は、はい……」
皆のあまりの迫力に、思わず返事をしてしまう。
状況が把握できずに立ち尽くす私の前に、人ごみを割って、白い騎士服姿の騎士が現れた。
……まぁ、白い騎士服だなんて、いずこかの騎士団長様だか副騎士団長様だかが、直々に現れましたよ。
私は現れた人物が誰なのか、確実に分かってはいたけれど、先に続く説教を予想して、敢えて顔を見ないようにすると、目の前の人物が誰なのかを確定させる作業を先送りにする。
けれど、私の心の内など知らない白い騎士服を着た相手は、はっきりと私の名前を口にしてきた。
「フィーア!」
……ああ、呼ばれてしまったわね。
そう思い、観念して顔を上げると、白い騎士服につながる顔に視線を合わせた。
「ま、まぁ、シリル団長。どうかしましたか?」
目が合った私は、不自然に見えないように微笑んでみたけれど、シリル団長からは瞬きもしないで見つめ返されただけだった。
読んでいただき、ありがとうございました!
本作品の連載を始めて、今日で1年になります。
読んでくださる皆さまのおかげで、続けることができています。
どうもありがとうございます!









