73 黄紋病5
サリエラに視線を移すと、真剣な目と目が合った。
どうやら、サリエラはじっと私を見つめていたようだ。
ほらほら、視線が合うということは、好意の表れですよ。
きっと、サリエラと私は上手くやれるわね。
そう嬉しくなった私は、サリエラにさささっと近寄って行った。
「サリエラ、私にお手伝いできることはありますか?」
「まぁ、大聖女様! 父親が亡くなっておりますので、エリアルが次の族長です。そのエリアルに対して常語を使用している以上、この地の者全てにも常語をお使いください。そうでなければ、族長の権威が下がります」
サリエラは畏れ多いとばかりに目を伏せると、頭を下げてきた。
「へっ? そ、そんな仕組みなの? し、知らなかったわ。だったら、エリアル。あの、あなたへの口調の変更は間違いでした、ということでいいでしょうか?」
今更ながらな気はするけれど、エリアルを振り返り、口調の変更の取り消しを申し入れる。
けれど、エリアルは私の言葉を聞いた瞬間、恐ろしい速さで首を横に振った。
「だ、だ、だ、ダメです! 無理です! 世の中には、取り消しが利かない出来事というのがあるのです。それがこれです!! ほ、本当に、そんな言葉遣いをされたら、畏れ多すぎて、オレはもう二度と大聖女様の前に姿を現わせなくなります」
「………ええと、しつこいようで申し訳ないのだけど、『かもしれない者』ですよ。私は聖女ではないし、大聖女の記憶もないんですからね」
カーティス団長との会話を聞かれているので、怪しまれているような気はするけれど、ここは譲れないと、『かもしれない者』を押し通すことにする。
けれど、私の口調については誰一人譲る気がないようなので、そこは一番大人な私が譲ることにした。
うんうん、これで五分五分ですね。
「ええと、でしたらこの口調で話させてもらうわね。サリエラ、年長者に対して申し訳ないわ」
「とんでもない事でございますわ。大聖女様!」
……だから、『かもしれない者』なんだけどな、と思いながらも、だんだんと訂正することが面倒くさくなってくる。
私は無言で微笑むと、サリエラの近くに寄った。
「ここは、いくつも入り口があって、風通しがいいわね。だからって、風が強すぎる訳でもないし。病人には最適の場所ね」
病気が発症したらすぐにこの場所に隔離されるということだったので、長い者は数週間程度、この場所に寝かされているはずだ。
けれど、寝衣は清潔そうだし、流れている空気も心地いい。
サリエラの心遣いの賜物だろうと、改めて彼女の接遇の素晴らしさに感心する。
……今世の聖女は傲慢だって聞いていたけれど、サリエラのような聖女もいるのね。
私が嬉しくなってにこりとしていると、サリエラは恐縮したように小さく首を振った。
「大変ありがたいお言葉ですわ。……大聖女様が救ってくださった一族です。その命を次へつないでいくのは、聖女としての責務ですわ」
「……ありがとう、サリエラ」
サリエラの一言に、胸の奥がほっこりとする。
―――嬉しい。こんな素敵な聖女がいるなんて……
けれど、私のお礼の言葉を聞いたサリエラは、悲しそうな表情をした。
「……いいえ、大聖女様。私はその責務を全うしているとは言えません。黄紋病はこの300年間、定期的にこの地で流行ってきました。そして、どれほど多くの者が発症しても、大聖女様の特効薬で全員が完治してきました。けれど、今回は、半年前に一人目の黄紋病が出てから、未だに一人も完治していません」
「サリエラ……」
サリエラの辛そうな表情から、彼女の胸の内をうかがい知ることができ、私は思わず名前を呟いた。
「この半年で、数百名の同胞を、私は海に還しました。……誰も、私を責めません。『薬も効かない程、重症化していたのだろう』と、それが理由でないことは分かっているのに、そう言って誰も責めないのです。……族長は、一族の運命として受け入れると言いました。私たち一族は300年前に滅ぶところであったものを、大聖女様のご慈愛によって生かされていただけだからと」
「………………」
色々と反論したいことはあるのだけれど、何から話していいかが分からず、沈黙を守る形になってしまう。
そんな私に対して、サリエラは言葉を続けた。
「ですから、私たちは誰もが普段通りに暮らしています。普段通り仕事をし、食事をし、季節の行事をこなし、祭りを開催します。他の病気と同じように、黄紋病にかかってしまったら、死ぬこともあるのだと受け入れることにしたのです。……けれど、実際に黄紋病が発症してしまったら、即座にこの場に移されて、家へは戻れない」
サリエラは胸元でぎゅっと両手を握りしめると、震える声で続けた。
「……族長は何も語られないけれど、きっと、罰を受けているのだと考えられています。一族は300年前に大聖女様に救われたというのに、一片たりともその御恩にお返しできていない。誰とも争わない、誰とも助け合って生きていくと約束したのに、領主や騎士と争っている。その罰だと……」
「……病気は病気よ。罹患することに、罰とか罪とかの理由はないと、私は思うわよ」
重篤な病にかかった時、そのことに意味を見出そうとする人はいる。理由を考えようとする人は。
けれど、それが罰だと考えるこの地の民は、どうなのだろう。
やるべきことは十分にやっていて、何も間違っていないと思うのに、罰だと考えてしまうその思考の方向性は……
「……もう皆さん、十分に責務は果たされていると思うわよ」
そうぽつりとつぶやくと、私は一人の病人に近付いて行った。
重篤者については、先ほど進行停止の魔法をかけたので、取り急ぎ処置の必要はない。
そして、それ以外の者については、サリエラが十二分に手厚い看護をしているので、彼女の対応に敬意を表す意味でも、私が手を出すべきではない。
だから、私がやらなければいけないことは、この場に存在しないのだけど……
そう思いながらも、私の足は吸い寄せられるように、一人の子どもに近付いて行った。
横たわっている病人たちの中に、一人だけ小さい子どもが交じっており、目を引いたというのもあるのだけど、その頭上に置かれているフリフリ草が気になったからだ。
思わずしゃがみ込んで、フリフリ草を手に取ると、気付いたサリエラが説明してくれる。
「それは、子どもたちが届けてくれたのですよ。といっても、罹患していない者はこの洞窟に入れないので、受け取ったのは洞窟の入り口の見張り番ですが」
「なるほど」
フリフリ草は解熱剤の材料だけど、黄紋病の特効薬の素材としては使用しない。
それを知らない子どもたちが、お友達にと持ってきたのだろう。
あのバジリスクがいる森に、入ってまで……
私は森の中で見つけた時の、子どもたちの恐怖に満ちた表情と、先ほど一緒に出店を回った時の、笑い転げている表情を思い出した。
元気で可愛らしい子どもたち。彼らが危険を冒してまでも救いたいと思ったお友達が、この少女なのね。
これは、何としても病人たちを治さなくては。
そう思いながら、私は瞼を閉じて横たわっている小さな女の子の額に片手を乗せた。
女の子の額は燃えるように熱くて、熱の高さがうかがい知れる。
思わず顔をしかめた私の前で、女の子は瞼を震わせると目を開けた。
「……大聖女様?」
私の髪をじっとみつめると、女の子はぼんやりとした口調で尋ねてきた。
この質問は否定できないわねと思い、肯定する。
「ええ、そうよ。気分はどうかしら?」
「……大聖女様のおてて、気持ちがいい。……うれしい。大聖女様がきてくれたから、私、治るのね?」
子どもの真剣な目に見つめられた私は、力強くうなずく。
「そうね。お友達があなたのために薬草を採ってきてくれたのよ。これでお薬をつくれば、すぐに病気はよくなるわよ」
私の言葉を聞いた少女は、嬉しそうに目を閉じた。
熱が高いので、ひんやりとした私の手が気持ちいいのかもしれない。
そう思い、しばらく黙って少女の頭を撫でていると、少女は眠ってしまったようで、規則的な寝息を立て始めた。
ほっと安心した私は、再び岩の上に座ってぼんやりしていると、入り口方向から声が掛けられた。
「……フィー様、お待たせして申し訳ありません。ただ今、戻りました」
振り返ると、カーティス団長が大きな袋と小さな袋を1つずつ抱えて立っていた。
「……駄目ですね、体がなまっている。一から鍛えなおさないと」
言いながら、カーティス団長は二つの袋を差し出してきた。
「え? も、もう帰ってきたの? 予定時間の半分も過ぎていないと思ったのだけど、本当に『黄風花の花びら』を採取できたの? カーティスったら、違う花を摘んできたんじゃないかしら?」
そう首を傾げながら、最初に手渡された大きな袋を開けてみると、中にはぎっしりと本物の『黄風花の花びら』が入っていた。
「え? ほ、本物! それも、こんなにたくさん! えええ、これだけ採るためには、木に登ったんじゃあないの?」
言いながらも、ああ、だから体がなまっているって話になったのねと思う。
けれど、これほどたくさんの花を摘んできたということは、かなり高い場所まで木に登ったと思われ、体がなまっているとは言えないと思う。
「カーティス、あなた、体がなまっているって言っていたけれど、十分……」
けれど、小さな方の袋を開けた私は、言葉が途中で止まってしまう。
「カ、カ、カ、カーティス、こ、こ、これは……」
そして、小袋の中身に注意が移ってしまう。
「はい、途中で魔物と遭遇しましたので、体内から魔石だけを取り出してきました」
事も無げに発言したカーティス団長を、私は恐ろしいものを見つめる目つきで眺めた。
「………………」
なぜなら、小袋の中には大小の魔石がぎっしりと、数十個詰まっていたからだ。
大きいものは、いつぞやザビリアからもらったAランクの魔物のものと同じくらいに見える。
この短時間で、どこにあるか分からない『黄風花の花びら』の場所を特定した上、木にまで登りたくさんの素材を採取して、さらにAランク以下の魔物を数十頭倒した??
「あ、あなたは何者でしょうか?」
思わずつぶやいた私に、カーティス団長は至極真面目な顔で答えた。
「もちろん、あなた様の忠実なる騎士です」
ちがう。これ、騎士の範疇を超えている。
……私はもう、態度だとか、そういう小さいことで常識を語るのは止めようと心に決めた。
読んでいただき、ありがとうございました。
今年も残すところ、あとわずかですね。
どうぞ、よいお年をお迎えください。









