68 サザランド訪問15
「カーティス団長!!」
私は大声でカーティス団長の名前を呼んだ。
地面に倒れ込んだカーティス団長の瞳は、完全に閉じられていた。
血を流しすぎたのか、顔色は青白い。
このまま放っておくのは、危険だわ……
私はしゃがみ込んで団長の体に手を触れると、不自然に見えないように表層の傷だけを残して怪我を治癒した。
団長の意識を覚醒させることもできるけれど、今は必要ないと判断し、自然に目が覚めるのを待つ。
私はカーティス団長に触れたまま、エリアルを振り返った。
「エリアル、確かに先に剣を抜いたのはカーティス団長ですけど、やりすぎです! いくら病人たちを守りたかったにしても、過剰防衛だわ!」
きっと睨みながら責めると、エリアルは動揺したように目を泳がせた。
「あ、ち、違います! オレたちが守りたかったのは、大聖女様です! その水色の騎士が突然、悪魔の生まれ変わりのような形相をして剣を抜き、あなた様に向かってきたので、何としてもお守りしなければと思ったのです!!」
「へ? わ、私は大聖女ではありませんよ!」
思わず否定した後、役割を思い出して言い直す。
「あ、いえ、大聖女かもしれませんね。……どうしてそう思ったんですか?」
今までの反応からは、エリアルたちが私を大聖女だと思い込んでいる雰囲気はなかった。
だから、てっきり、私が大聖女の生まれ変わりという話をまだ聞いていないのだと思っていたのだけど、既に知っていたのだろうか?
「暁と同じ赤い髪をしているし、病人たちを見た瞬間、あなた様は病気を理解された表情をしました。その顔を見て、オレは、……オレたちは、あなた様がいつかお戻りくださると約束された大聖女様だと確信したのです」
そう言うと、エリアル以下全ての護衛役の住民たちは、その場に跪いた。
そうして、地面に両手を付け、頭をこれ以上はないというくらい下げると、謝罪をしてくる。
「本当に申し訳ありませんでした!! これほど見事な髪をしているというのに、大聖女様と気付くこともなく行った数々の無礼!! 平に、平にお許しください!!」
「許すわけがないだろう!」
間髪入れずに、否定の声が入った。
驚いて振り返ると、昏睡していたはずのカーティス団長が上半身を起こして、エリアルを睨みつけていた。
カーティス団長は体中から血を流し、真っ青な顔をしたままだったけれど、その瞳は先ほどと異なり、意志の力が漲っていた。
「貴様らは至尊の大聖女様に対して、許されざる暴挙に出た! 大聖女様がサザランドの民に何をしてくださったのかを、もう一度思い出せ! 思い出したら、神に祈れ! 私が苦しませずに、あの世へ送ってやる」
言いながら、カーティス団長は私を庇うような位置に立つと、落ちていた自分の剣を拾った。
剣を握ったカーティス団長を見た私は、違和感を覚える。
……誰だ、これ?
カーティス団長だけど、カーティス団長じゃない?
意識を取り戻すまでのカーティス団長は、他の騎士団長たちに比べたら断トツで弱いと思われたのだけれど、………今のカーティス団長は強さが全く分からない。
透き通った水を通して水底が見えるからと言って、必ずしもその水深が浅いわけではないように。
カーティス団長の強さは、底知れぬ深淵を秘めているように私には思われた。
そして、前世での経験を思い返してみる。
私が初見で強さを読めない相手というのは、今までの経験に照らし合わせてみると、誰もが恐ろしく強かった……
私は確かめるかのようにまじまじとカーティス団長を見つめたけれど、その体から滲み出ているものが殺気だと気付くと、慌てて立ち上がり団長の腕に手をかけた。
「お、落ち着いてください、カーティス団長! やられっぱなしで業腹なのは分かりますが、ここは堪えてください。ほら、いい子にしていると、傷もあっという間に治りますよ」
私の言葉を聞いたカーティス団長は、何とも言えない表情で私を見下ろしてきた。
「…………その、何から指摘をすればよいか分かりませんが」
「はい?」
「私が彼らをあの世へ送るのは、あなた様に対して無礼を働いたからです。たとえ私が彼らに殺されたとしても、私に対してなされた行動に対して、私が憤ることはありません」
「へっ?」
「それから、私の傷がほとんど塞がっているのは、いい子であるという曖昧な基準を基に私が行動した結果ではなく、あなた様が治してくださったからでしょう?」
「………………へっ?」
カーティス団長の言葉に驚いて、思わずまじまじと見つめると、視線が合った途端、団長はぱちぱちと2回瞬きをした。
「……え?」
―――その仕草を見た瞬間、私は突然緊張を覚え、胸元を押さえた。
どきどきと高鳴る胸とは反対に、『そんなはずはない』と、頭の中では冷静な声がする。
―――『そんなはずはないから』
―――『冷静になりなさい』
けれど、私は見知った癖を目にして、どう考えればよいか分からなくなる。
―――300年前の生で、彼は私と目が合うと、必ず眩しいものを見るかのように2回瞬きをしていた。
それが、変わらない彼の癖だった。
でも……、だけど……
……混乱したままに、必死に縋るように見つめる私を、カーティス団長は困ったように見つめ返してきた。
その伏し目がちな視線も、300年前の私がよく見知ったものだった。
『………彼だ、彼だ、彼だ』
頭の中の冷静な声を裏切るように、心の中ではそう声がする。
私が瞬きもせずにカーティス団長を見つめ続けていると、団長は気まずそうな表情で、握っていた剣を鞘に戻した。
その仕草ですら、見慣れたものに思えて仕方がない。
『………彼だ、彼だ、彼だ。………私が、彼を間違えるはずがない』
理屈も根拠もなく、心の奥底でそう確信した私は、もうどうにも我慢ができなくなって、思わず口を開いた。
「……あなたのお墓は、この地にあると思ったのだけど、……見つけることができなかったわ」
発した声は、誰が聞いても分かるくらいに震えていた。
私の言葉を聞いたカーティス団長は、困ったような表情をした。
「墓は、心が還る場所に在るべきだと思っています。私の墓は、魔王城の隣にあります。私がただお一人とお仕えした、敬愛すべき主の墓標となった魔王城の、その隣に」
その言葉を聞いた瞬間、私の目からは滂沱の涙が零れ落ちた。
私の涙を見たカーティス団長が、弾かれたように私の目の前に跪き、おろおろと私の頬の涙を拭うべきかどうすべきかと両手をさまよわせていたけれど、そのどこか滑稽な仕草ですら、私の涙を止める役には立たなかった。
「……カノープス」
私は300年ぶりに、その名を呼び掛けた。本人に向かって。
カーティス団長は、それはそれは切なそうな表情をすると、はっきりと返事をした。
「はい、セラフィーナ様」
その言葉を聞いた瞬間、私の目からは新たな涙が溢れ出す。
「カノープス、………カノープス、………カノープス」
「はい、………はい、………はい、御前に」
「ふうううぅぅ………。カノープス!」
私はそのまますとんと地面にしゃがみ込むと、両手で顔を覆って泣き崩れた。
カノープスはおろおろとしながらも、朴訥な忠義者の彼らしく、私が命じなければ決して触れてはこなかった。300年経っても変わらない彼らしい生真面目さに、泣きながらも笑いが零れる。
「ふふふふふ、カノープス……」
カノープスは彼にできる精一杯の誠実さでハンカチーフを差し出してくると、困ったようにつぶやいた。
「その、私のもので申し訳ないのですが、もしよければお使いください。もし、よければですが……」
私は差し出してきた彼の手を両手で握ると、泣き濡れた顔のままカノープスに告げた。
「カノープス、ありがとう。……私のところに還ってきてくれて」
「……はい」
カノープスはひりつくような真剣な表情で答えた。
その生真面目な表情を見て、ああ、本当にカノープスなのだわと、心の奥底で初めて納得した。
―――私の生真面目で、忠義に厚い護衛騎士。
まさか、再びあなたに会うことができるなんて―――
カノープスは変わらず、おろおろと困ったように私の周りをうろついていたけれど、私はその後しばらくの間、涙を止めることができなかった。
……ねぇ、カノープス。
あなたはそんなに心配そうにしているけれど、私を泣かせているのはあなただわ………









