【SIDE】護衛騎士カノープス(300年前) 3
本日、書籍2巻が発売されました。どうぞよろしくお願いします。
サザランドへの行程は、同行した全ての騎士が想像していた以上に酷いものだった。
セラフィーナ様はサザランドへの全行程に、5日しか用意されていなかったからだ。
私たちは伝令用の早馬が通るルートを通った。
用意周到なことに、セラフィーナ様は前もって早馬が馬を交換するポイントに、通常よりも多くの馬を用意させていた。
けれど、セラフィーナ様が命じた馬の数は、元々の行事に同行予定であった騎士の半数分でしかなく、実際のセラフィーナ様の同行者はとても半数では済まないだろうと考え、多くの馬を準備させた馬場担当者をこそ私は褒めたい。
セラフィーナ様の前には、大柄で馬術に長けた騎士を配置した。
前を走る騎士がセラフィーナ様の風除けになることで、セラフィーナ様が少しでも疲れないようにするとともに、前を走る騎士と同じ位置を通ることで安全な道を確保できるからだ。
驚くことに、セラフィーナ様はほとんど休まれなかった。
馬を替える際に、手早く水を飲んだり軽食をつまんだりされるだけで、鞍が付け替えられるとすぐに出発される。
いくら大聖女といえど、体力は通常の令嬢程度だ。
とても耐えられるような行程ではないはずだけれど、セラフィーナ様は泣き言一つ言わず、手綱を握りしめ続けられた。
―――サザランドに到着したのは、明け方に近い2日目の夜だった。
黄紋病が発症した者は、他の者にうつさないよう全員が領主館に集められているとのことだったので、私たちはまっすぐに領主館に向かった。
館の中にはとても入り切れないため、館の前の広い庭に大勢の住民がびっしりと横たわっていた。
常にない馬の足音を聞きつけた住民たちが、不安げに起き上がる。
夜中に馬を走らせるという危険な行動をする人間など、そうはいない。
それなのに、何頭もの馬の足音が夜中に聞こえれば、誰もが不安になるだろう。
住民たちが次々に起き上がり、不安そうに見つめる中、館の門扉が開けられ何頭もの馬が入っていった。
庭の数か所に設置された数少ないかがり火の光では、騎士たちの顔までは判別がつかないだろう。
皆を安心させようと声を発するよりも早く、セラフィーナ様がするりと馬から降りられた。
そして、常にない雰囲気に驚いて泣き出した赤子に、手を差し伸べられる。
赤子の母親は驚いたようにセラフィーナ様を見つめたけれど、王女の穏やかな微笑みを見て赤子を差し出した。
セラフィーナ様は大事そうに赤子を抱きかかえられると、歌うように呟かれた。
「まぁ、こんなに小さいのによく頑張って。我慢強くて頑張り屋の、立派な赤ちゃんね」
その言葉を聞いた母親は、一瞬にして涙ぐんだ。
「あ、あ、ありがとうございます。な、内地の方は病気がうつるから近寄るなと、この子を誰も抱いてはくれませんでした……」
その時、住民の幾人かが松明を手に近付いてきた。
明りに照らされ、セラフィーナ様の髪色が輝く。
「だ、大聖女様!?」
「ま、まさか……」
赤い髪の女性はセラフィーナ様以外にも幾人かいたけれど、族長が大聖女様の出動を要請していたことは皆が知るところであったし、夜中に馬で駆けつけるという異常な状況下において、誰もが大聖女様を連想したようだった。
ざわざわと驚きと戸惑いが伝播していく。
その頃には、その場にいる誰もが目を覚ましていた。
思い思いに半身を起こしたり、立ち上がったりしながら、何かを期待するかのようにセラフィーナ様を見つめる。
セラフィーナ様はそれらの視線を全て受け止めると、にこりと微笑んで口を開いた。
「はい、大聖女セラフィーナ・ナーヴ、ただ今サザランドに到着いたしました」
そうして、セラフィーナ様は抱き上げていた赤子の頬に口付けをされた。
すると、その箇所からきらきらと光が輝き、一瞬にして赤子の全身に広がっていた黄紋が消えていった。
「………え? な、治った……?」
母親は呆然としながら、紋が消えてしまった赤子を受け取った。
誰もが呆然とし声を発せないでいるうちに、セラフィーナ様は片腕を高くかざすと凛とした声を発した。
「肥沃で豊かなサザランドの地よ、誠実にして従順なるこの地の民にその力を分け与えよ。火は浄化し、風は吹き払い、水は洗い流し、土は内包せよ。―――――『病魔根絶』」
セラフィーナ様の言葉が終わると、かざした指先からきらきらとした光が発生し始めた。
かがり火と、松明と、星の光。
それだけのわずかな光しかない闇夜の中、赤みを帯びたきらきらとした光が突然発生し、茫然と立ち尽くす住民たちの頭上に広がり始める。
「……え? な、何……」
住民たちは驚きながらも夜空を振り仰ぎ、ゆっくりと降り注いでくる光の粒を驚愕したまま見つめていた。
―――それはさながら、輝く星々が落ちてくるかのような、神秘的で圧倒的な光景だった。
やがて、一片、二片と光の粒が落ちてきて住民たちの体に触れると、彼らは驚いたような声を上げた。
「あ、温かい……」
光の粒は住民たちの体に触れると、溶け込むかのようにすっと消えていった。その箇所から、住民たちの体に何とも言えない温かさが広がっていく。
いつしか住民たちは一心に天を見つめると、水をすくうかのように合わせた両手を突き出し、空から降り注いでくるきらきらとした光を受け止め始めた。
―――温かく、清らかな、大聖女様の慈愛の心。
正にその大聖女様の慈愛の心を受け止めているのだと、住民たちは感じていた。
輝く光の粒は、体に触れると、何とも言えない心地よさと安心感をもたらす。
そうして、憑かれたように一心に、光の粒を拾うことに専心していた住民たちは、最後の光がなくなって元の暗闇に戻った瞬間、はっとしたように我に返った。
ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、自分たちの体に起こった変化に気付き始める。
「……き、消えた……?」
「……お、黄紋が消えた。……ね、熱も引いている」
「そんな……。こんな、たった一瞬で救われたのか……?」
一通り自分たちの体を確認した住民たちは、皆呆然としてセラフィーナ様を見つめた。
誰一人治すことができなかった自分たちの病を、ほんのわずかな時間で治癒したセラフィーナ様の存在を、信じられないといった表情でただただ凝視する。
―――誰もが無言だった。
あまりの出来事に、誰もが現状を上手く把握できずにいるのだろう。
そんな住民たちの視線の中、セラフィーナ様は変わらぬ微笑みを浮かべて立ち尽くされていたが、一瞬だけぐらりと体が傾きかける。
……ああ、きっと魔力を使い果たされたのだな。
私はセラフィーナ様の元に駆けつけながら、セラフィーナ様のドレスの背中部分が汗で張り付いているのを見て思った。
先ほどのセラフィーナ様は病気を治療するときの常で、精霊を呼ばれていない。
精霊の力なしにこれだけの人数を治癒したということは、魔力は空になっているはずだ。
体が傾きそうになったセラフィーナ様を心配して、松明を手に持った住民たちが次々に近付いていく。
その明かりに照らされて、セラフィーナ様の姿が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がった。
―――改めて見ると、セラフィーナ様のお姿は、お世辞にもきちんとしているとは言えなかった。
ドレスの裾は跳ねた泥で汚れているし、2日もの間着用し続けたことで、しわがよってヨレヨレになっている。
セラフィーナ様の姉上であられる第一王女ならば、……いや、王族出身でなくても貴族の令嬢であるならば、こんな姿は見せられないと、着替えないことには人前に出ることはないだろう。
けれど……
ちょうどその時、日の出の時刻となったようで、太陽が顔を出し始めた。
陽の光が、暗闇だった空を照らし出す。
光が一条、二条と差し込み、空を赤く赤く染め始めた。
差し始めの光に後ろから照らされて、セラフィーナ様の背後が後光のような明るさを保つ。
朝焼けの光が大聖女の赤い髪と混じり合い、どこまでが朝焼けの赤で、どこからが大聖女の赤い髪かの境界を曖昧にする。
「暁の大聖女……」
住民の一人が、震える声でつぶやいた。
「光だ……。暗闇の中に差し込む、赤く美しい光そのものだ……」
別の住人が、感極まったようにつぶやく。
―――それは正に、暗闇の中に立ち、光を受ける慈悲深き大聖女そのものの姿だった。
あまりの神々しい姿に、その場にいる誰もが思わず息をのむ。
まるで神話の一節のような光景に、ぶわりと全身が総毛だち、一人、また一人とその場に膝を折っていく。
―――――そう、私の大聖女は美しいでしょう。
美しく、慈悲深く、全てを救う―――――
ここにいる誰もが理解していた。
離島の民は死を免れることができず、一族全てが死んでいく運命だったと。
その運命を、この大聖女はたった一人で切り裂き、赤子から老人に至るまで余すことなく救ったのだ。
そして、その救いはセラフィーナ様の慈悲の心があったからこそ実現した。
……もとより、無理な行程だった。馬車で10日弱の距離を、騎馬とは言え2日で移動するなんて、尋常ではない。
それなのに、セラフィーナ様は泣き言一つ言うことなく、歯を食いしばって馬にしがみつき、眠気と体力と戦いながら、ただただ2日もの間馬を走らせ続けた。
落馬により命を落とす危険など一切省みず、ただこの地の民を救いたいという一心で。
きっと体中は軋みきっており、痛みを訴えていることだろう。
けれど、セラフィーナ様は自分の体に一切構うことなく民の元へ駆けつけ、全ての魔力を使い切って彼らの命を救われた。
既にセラフィーナ様の意識は、朦朧としているはずだ。
体力も魔力も限界で、立っているのが不思議なくらいなのだから。
それなのに、セラフィーナ様は心から微笑んでいる。
自分が彼らを救えた喜びに、彼らが生きて笑顔でいることの喜びに。
―――これが、誰からも崇拝される大聖女だ。
気が付くと、その場にいた数百、数千もの住民たちは、全て跪いていた。
畏れ多いものを崇めるように、ある者は頭を下げ、ある者は滂沱の涙を流し、ある者は祈っている。
誰一人言葉を発することもできず、ただただ感動と感激、感謝をもって、絶対的な大聖女にひれ伏していた。
―――ああ、今日は、始まりの日となるだろう。
この地の住民は何があろうとも、この先100年、1,000年……民族が絶えない限り、セラフィーナ様を救世主として崇拝し続けるに違いない。
―――――誰よりも美しく、慈悲深い大聖女。
あなたはこうやって、伝説となっていくのだ…………









