【SIDE】護衛騎士カノープス(300年前) 2
サザランドで猛威を振るっている病は、悪い予想通り、収束の気配を見せなかった。
特使からは再三、セラフィーナ様の出動を要請する手紙が届き、先日の訪問からわずか2週間後に再度の訪問を受けた。
「事は悪化の一途を辿っております! もう一刻の猶予もなりません!! ぜひ、ぜひ大聖女様のご出動をお願いします!!」
睡眠を削って馬を飛ばしてきたのだろう。特使の目は、夜目にも血走って見えた。
「お前の気持ちは分かる。私だとて、大聖女様にご出動いただきたいという思いは同じだ。だが、大聖女様はお忙しすぎるのだ。3週間もの間占有することは難しい。そして、どんなルートで要望を出したとしても、叶えられるのは最速で1年後のご出動だ。それでは遅い。……他の方策を探るべきだ」
「国中から高名な聖女を招聘いたしました! だけど、誰一人治すことはできませんでした! 大聖女様がいらしたからといって、必ずしも治せるとは限りませんが、もう他に手がないのです!!」
特使は必死になって言い募ってきた。
「黄紋病の蔓延のスピードは異常です。このままでは、1年と待たずに我々一族は死に絶えてしまう。どうか、どうかお願いします。大聖女様のご出動をお願いします!!」
特使は床に膝をつくと、縋りつかんばかりに懇願してきた。
彼の気持ちが痛いほど分かる私は、それ以上言葉を続けることができず黙り込んだ。
特使の言う通りだ。
このままでは、我々の一族は絶えてしまうだろう。
そして、唯一の希望がセラフィーナ様だというのも、その通りだろう。
だが、セラフィーナ様はこの国で重要すぎるのだ。
セラフィーナ様しか対応できない戦闘、セラフィーナ様しか治癒できない怪我、呪い。
セラフィーナ様しかできないことが多すぎる。
3週間もの間、セラフィーナ様を占有するというのは、本当に無理な話なのだ。
打つ手が見いだせず俯いていると、遠くから馬鹿にしたような声が掛けられた。
「おいおい、廊下を塞ぐ人影があると思ったらお前か、カノープス。お前ら離島の民は、ただでさえ肌が黒く夜目には見えにくいんだ。邪魔をせずに、とっとと退け! それとも、王族の道を塞いだと、不敬罪で切り捨てられたいか」
慌てて声がした方を振り返ると、カペラ第二王子がセラフィーナ様と数名の高官を引き連れて、廊下を歩いてくるところだった。
失態に思わず口の中で小さく呻くと、特使を抱え起こし、二人で廊下の端に寄った。
……失敗した。
慌てていた特使につられて、部屋に入る時間を惜しみ、廊下で話をしてしまった。
頭を下げて通り過ぎてくれることを祈ったが、そう上手くはいかず、カペラ殿下は私たちの前で立ち止まった。
「なんだ、離島の民が一人前に作戦会議か? ……はぁ、あれか? 民族が全滅した後はどうすべきかとの、事後処理についてか? はは、お前らもカノープスを見習ってセラフィーナの靴でも舐めればいい。そうすれば王城での席が約束され、あんな田舎の地の病から逃れられるぞ」
初めて王族を目の前にした特使は震えあがり、これ以上はないというくらい低く頭を保っていた。
私は何と答えたものかと一瞬逡巡したが、その隙をつくように、セラフィーナ様が口を開いた。
「カペラお兄様。民族が全滅というのは、どういうことですの?」
私ははっとして顔を上げたが、目に入ったのは、にやにやと嫌らしい笑みをたたえたカペラ殿下の姿だった。
「そうか、お前は知らないのか。カノープスの領地であるサザランドで、病が蔓延している。カノープスからは再三お前の出動を依頼する請願が出ているが、毎回会議ではねられている。もちろんオレもその会議に出席しているが、誰一人サザランド出動なんて支持しやしない。お前に渡されるスケジュールは決定事項のみだから、途中で切り捨てられた要望は、一切目に入らないんだろう」
「どんな病が流行っているのですか?」
「ははは、それが黄紋病だとよ! 内地の人間ならば赤子でも治癒する子ども用の病気だ。それが離島の民になると、罹患したらほぼ死滅するってのだから驚きだ! しかも、稀にみるほどの蔓延速度だという。あんな赤子用の病気ですら死んでしまうなんて、どれだけひ弱な一族なのか! つまり、離島の民はこの世界を生き延びるのに適していない体ということだ。足掻かずに、おとなしく淘汰されるのが正しい道だな」
カペラ殿下の話を黙って聞いていたセラフィーナ様は、不思議そうにこてりと首を傾けた。
「離島出身者は、既に数万の民族になったと聞いています。それ程症状が重く、蔓延速度も速い病が、数万の民の脅威となっているのであれば、私が出動してもおかしくはないとは思いますけれど?」
「ははっ、相変わらずお前は頭が悪い! サザランドまでは片道10日近く必要だ。滞在期間を考えると3週間の行程になる。王都には多くの病人や怪我人がいるんだ。それらを差し置いて、お前が3週間も王都を空けられるものか!」
それでも不思議そうに首を傾け続けているセラフィーナ様を見て、カペラ殿下は言葉を続けた。
「本当にお前は、1から10まで説明しないと分からない間抜けだな。たとえば、これが内地の民ならば話は違っただろうが、相手は離島の民だ。我々よりも一段下で、滅しても困らない一族だ。奴らのためにお前を動かすことは絶対ない。王城の人間は誰一人賛成しやしない。なぜなら王城の者は全員、内地の者だからな」
「……ああ、理解できました。ありがとうございます」
セラフィーナ様はぺこりとカペラ殿下に頭を下げたけれど、私は奥歯をぎりりと噛みしめた。
いつもいつも、兄王子方のセラフィーナ様への態度は目に余る。
セラフィーナ様が王族としての学習をほとんど受けておらず、その時間の多くを聖女として精進することに費やしているのは、国王の決定によるものだ。
ましてや、全ての民に慈愛を持って接されるセラフィーナ様に、民族によって扱いを変更するという発想があるはずもない。
それらを全て分かったうえで、セラフィーナ様を馬鹿にしたように扱う王子方の態度を腹立たしく思うけれど、セラフィーナ様は気にした風もなく、第二王子に背を向けると特使に向かい合った。
「サザランドの方、聞かれた通り、私は私の行動を自分で決められないの。私もサザランドの地へ出動できるよう口添えしておくわ。それがどれだけ効果があるかは分からないけれど、希望を捨てられませんように」
「あ、ありがとうございます! 我々一同、大聖女様のお越しをお待ちしております!!」
特使は頭の上で両手を組み合わせると、跪いてセラフィーナ様を祈りだした。
セラフィーナ様の一言は、希望を与える。
それはいつだって、民に寄り添い、彼らの欲しい言葉を与えるからだ。
カペラ殿下とのやり取りを聞いていた特使は、理解しただろう。
あの言葉が、セラフィーナ様にできる精一杯だということを。
セラフィーナ様が心からの慈悲を持って、サザランドの民を思っていることを。
―――などと思っていたあの時の私は、心底間抜けだったと思う。
特使が帰ってから3日後のこと。
その日のセラフィーナ様は、朝からおかしかった。
公務の合間を見つけては、仮眠を取られる。
よほどお疲れかとも思ったが、前日は普段と比べて特に忙しいものではなかった。
今までの疲れがたまられたのかと心配していたところ、翌朝は日の出とともに出発すると聞かされ、早起きに対応するための仮眠だったのだと分かり安心した。
明日からは5日間の行程で、王都の隣にあるバルビゼ公爵領に出かけることになっていた。
バルビゼ公爵家は、第一王女殿下であったセラフィーナ様の姉上が降嫁された家柄だ。
訪問目的の半分以上は政治的なもので、貴族たちが見学する中でセラフィーナ様と騎士たちが魔物を討伐し、大聖女の力を知らしめるというものだった。
残りの目的は、休みがほとんどないセラフィーナ様の休息を兼ねて、姉上であるバルビゼ公爵夫人と親交を深めていただく―――つまり女性同士のおしゃべりを堪能していただくというものだった。
元々姉妹仲の良かったお2人だ。
日の出とともに出発されるなど、さぞやバルビゼ公領訪問を楽しみにされているのだろうと推測できた。
翌朝、セラフィーナ様は水色のドレスで現れた。
似合われてはいたけれど、あまりにもすっきりとしたデザインで、フリルやレースが全くついていない。
姉上様の元に伺われるときは、いつだって王女然としたフリルやレースで覆われた豪奢なドレスを着用されていたので、違和感を覚える。
けれど、私は女性のドレスについて何かを語れる程詳しくはないので、今はそういったものが流行りなのかもしれないと、自分を納得させる。
セラフィーナ様はお付きの女官たちとともに、しずしずと馬車に乗り込まれた。
その際に、私はもう一度違和感を覚えた。
そうだ。眠いというのならば馬車の中で仮眠を取ればよいのに、なぜセラフィーナ様は昨日あれ程、寸暇を惜しむようにして仮眠を取られていたのだろうか?
答えはすぐに出た。
王城を出発し、一番賑やかな通りを抜けたところで、突然セラフィーナ様が乗られていた馬車が止まったのだ。
馬車を取り囲むように配置されていた護衛の騎士たちも、慌てて自分が乗っていた馬を停止させる。
私は即座に下馬して馬車の扉を開けたところ、まるでつむじ風のように勢いよく、セラフィーナ様が飛び出してこられた。
そして、目の前の騎士を見上げると、にこりと微笑まれた。
「申し訳ないのだけど、ちょっと降りてもらえるかしら?」
意味が分からないながらも、王女の要請だからと馬を降りる騎士を見つめていたセラフィーナ様は、次の瞬間、勢いよく鐙に足を掛け、ひらりと馬に飛び乗られた。
その際にドレスの裾から覗いた足が、踵の細い靴ではなく、乗馬用ブーツに包まれていたことに驚く。
セラフィーナ様は楽しそうに微笑むと、高らかに声を上げられた。
「バルビゼ公領もいいけれど、海が見たい気分なの。だから、バルビゼ公領訪問は今回お休みするわ。馬車の中にお姉さまへの手紙とお土産があるから、騎士の半数はバルビゼ公領にそれを届けてちょうだい。お姉さま自体が強力な聖女だから、貴族たちへのデモンストレーションはお姉さまで十分だわ。むしろ、強力な聖女が公爵夫人に収まっていると理解していただくためにも、お姉さまが対応すべきよ。その旨を手紙にしたためているから、よろしくね。私は…………さて、どこへ向かおうかしら?」
そう言って、わざとらしく片手を頬にあてると、こてりと首を傾けられる。
この時には、居合わせていた全ての騎士が半眼になっていた。
王女付きになる程の騎士だ。
全員が嫌になるくらい有能で優秀だ。
だから、誰もがセラフィーナ様の次のセリフを先読んでいたけれど、賢明にも全員で沈黙を守る。
「……そうね! 海といったらサザランドよね! はい、私はサザランドへ向かいます!! バルビゼ公領に向かわない半数の騎士は、私に付いてきてちょうだい!」
そうして、セラフィーナ様は芝居がかった仕草でぽんと両手を打ち付けると、誰もが予想していた地名を口にした。
全員が何とも言えない表情で、セラフィーナ様を見つめる。
けれど、この時セラフィーナ様は一つだけ失態を演じた。
半数がバルビゼ公領、半数がサザランド伯領と言いながら、具体的に誰をと指示しなかったことだ。
だから、その場の騎士のほとんどはセラフィーナ様に続いた。
ごく少数の騎士しか同行しない馬車がバルビゼ公領に到着した時、公爵夫妻が「これっぽっちの騎士しか同行しなかったのか、軽く見られている!」と誤解され、憤慨されなければよいが。
―――セラフィーナ様の欠点は、ご自分の人気の高さを理解されていないところだ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
直前の情報で申し訳ありませんが、11/15発売の書籍2巻に、店舗特典SSをつけていただけることになりました。
ゲーマーズ様、メロンブックス様、とらのあな様、WonderGOO様、くまざわ書店様、BOOK WALKER様、kindle様となっています。
詳細は、活動報告の方に載せていますので、よかったら覗いてください。









