【SIDE】護衛騎士カノープス(300年前) 1
―――自分の罪は、自分が一番良く分かっている。
残された長い時間の中、繰り返し、繰り返し、あの時、あの方の隣にいなかった自分を後悔する。
けれど、悔いても、嘆いても、懇願しても、祈っても、何も変わりはしない。
大事なものを失うのは、一瞬で。
二度と、決して取り戻すことはできないのだ。
あの輝くような暁色の髪も、慈愛に満ちた微笑みも、柔らかな声も、全ては失われてしまった。
私の人生に、もはや救いはない―――………
◇◇◇
―――夢を見ていた。
こことは少しだけ異なった世界で、再びあの方にお仕えする夢だ。
………ああ、これは夢だと、自分でもはっきりと分かる。あるいは、私はやっと死ねたのかと。
あの方は変わらぬ赤い髪、金の瞳で、楽しそうに笑っていた。
それを見た私の両眼から、涙が零れ落ちる。そんな資格はないというのに。
……ああ、これは、私が守れなかった景色だ。
二度と取り戻すことができない、残酷で美しい景色。
―――繰り返し、繰り返し、誓い続けた同じ言葉を、もう一度と繰り返す。
『もう一度あなた様にお仕えできるのならば、今度こそ、誰からも、何からも、この世の全てから、あなた様をお守りいたします』
夢の中のあの方は、私の言葉を聞くと、嬉しそうに微笑まれた。
「―――カノープス!」
名前を呼ばれ、はっとして目を開く。
半身を起こすと、自分の汗で夜着がぐっしょりと濡れていることに気付く。
心臓は、狂ったように早鐘を打っていた。
「お前、泣いているのか?」
驚いたように問いかけられ、目元に手をやる。
指先が触れた目元は確かに濡れていて、そのことに驚きを覚える。
―――自分が泣いた記憶など、何年もなかったから。
「……夢でも見たのかもしれないな。覚えてはいないが……」
そう同室の騎士に返すと、私はベッドから離れた。
実際、涙したというのに、夢の内容は全く覚えていなかった。
「はは、今夜のお前を暗示しているんじゃないのか? どうせ、第二王女殿下に振られて、夜には枕を涙で濡らすんだろうから」
2歳年上の同室の騎士は、面白そうに話しかけてきた。
私は騎士服に着替えながら肩をすくめると、平静な声で返す。
「それは私に限ったことではない。100名以上の騎士が、今日は振られるだろうからな」
「違いない。振られる権利があるだけでも、お前は恵まれているさ」
軽口をたたき合いながら部屋を出て、食堂に向かう。
今日は、第二王女が護衛騎士を選定される日だ。
私はありがたくも、100名からなる候補の一人に選ばれていた。
候補のままで終わることは、誰の目にも明らかだったが……
―――私はナーヴ王国の騎士で、カノープス・ブラジェイという。
この大陸の南に位置する離島出身の一族だ。
成人するまで一族の仲間たちとサザランドの地で暮らしていたが、どうしても騎士になりたくて13の歳に王都へ出てきた。
王都はサザランドの地と違い、離島の民がほとんどいなかった。
だから、褐色の肌に水かき付きの手を持つ外見は、気味悪がられ差別された。
初めのうちは憤りを覚え、言い返したりしていたが、差別されることも繰り返されると慣れてくる。
言い返しても、何も変わりはしなかった。そのため、沈黙する癖が身に付いた。
ありがたいことに私の剣の腕と礼儀作法は評価され、王都に出てきた年に騎士へと任用された。
けれど、離島出身の平民ということで、「その他大勢」の騎士たちから抜け出ることは叶わなかった。
―――そんな私に転機が訪れたのは、17歳の時だ。
その日、私は多くの騎士とともに、城の広間に集められた。
第二王女が護衛騎士を選定されるためだ。
100名を超える騎士たちが広間に集められ、その中から王女が一人の護衛騎士を選定することになっているが、既に選ばれる騎士は決まっているとのことだった。
それも当然だと思う。
常に王女の側に控え、有事の際には命を懸けて守るべき役割の騎士だ。
身元のしっかりした者を、前もって選んでおくのは当然のことだろう。
ただ、その役割が、高位貴族の子弟にしか与えられないのが口惜しい。
身分の低い者の中にも、忠誠心が高く腕が立つ者はいる。
いつか、そのような者たちが選ばれる世の中になってほしいと私は思った。
そんな風につらつらと詮なきことを考えていると、時間となったようで、正面の大扉から大勢の人間が入室してきた。その場にいた全員が、頭を下げる。
しばらくして頭を戻した私たちの前に現れたのは、幼くも愛らしい王女殿下だった。
第一王女と同じく深紅の髪を持った第二王女は、その髪色から強力な力を持った聖女に違いないと思われた。
数段高い壇上に立った王女は、その場で希望する護衛騎士の名を口にするかと思われたが、皆の想定を裏切って壇上から飛び降りると、ちょこちょこと私たちに近寄ってきた。
それから、ぱあっと顔を輝かせ、可愛らしくお辞儀をしてきた。
「はじめまして、第二王女のセラフィーナです。今日は、私のごえーきしを選びます」
くすくすと笑いながら、私たちの前をちょこちょこと歩き回る王女は、非常に可愛らしかった。
ほほえましく思って見ていると、王女は私の前でぴたりと歩みを止め、驚いたように見上げてきた。
「……あなた、すごく強いのね。お名前はなぁに?」
「はい、カノープス・ブラジェイと申します」
突然話しかけられたことに驚きはしたものの、冷静さを装って答えると、王女は嬉しそうににこりと笑った。
「カノープス、私のごえーきしになってくれませんか?」
私は驚いて硬直した。
他の騎士たちも、離れたところに控えている高位の文官たちも、驚いたように硬直している。
けれど、すぐに文官たちが王女の元に走り寄ってきた。
「で、殿下、違いますよ。殿下の護衛騎士はこの者ではありません。さぁ、覚えているお名前をおっしゃってください」
「おとー様からは、好きな者を選んでよいと言われました」
「そ、そ、そうかもしれませんが、私どもがお示しした名前は参考ではありますが、今までの殿下方は皆様その参考を選ばれております。参考を選ばれることがよろしかろうと思われます」
「だ、第一、その者は離島の民ではありませんか。王女の騎士となるには家格が足りません」
文官たちは必死に言い募っていたけれど、王女は気にした風もなくにこりと笑った。
「助言をありがとう。でも、私はカノープスがいいの。……カノープス、私のごえーきしになってくれませんか?」
王女はもう一度同じ言葉を繰り返すと、きらきらとした目で見つめてきた。
ちらりと文官に目をやると、恐ろしい表情でぶんぶんと首を横に振ってきた。
けれど、それこそ現実的ではないだろう。
王女からの要請に、否と答えられる訳がない。
私は片膝をついて跪くと、騎士の礼を取った。
「私、カノープス・ブラジェイは、セラフィーナ・ナーヴ第二王女殿下の騎士として、私の全てをお捧げします。どうか、私の王女殿下に栄光と祝福を」
そう言って頭を下げると、王女のドレスの裾に口付けた。
王女はにこりとして、後ろを振り返った。
すると、王女の後見役である騎士団副総長が、立派な一振りの剣を手に持って近付いてきた。
「王族の護衛は命を懸ける仕事だ。決して命を惜しむな」
副総長はそう言うと、私に剣を手渡した。
「この剣をもって、お前をセラフィーナ第二王女殿下の護衛騎士に任ずる」
受け取った剣は、ずしりと手に重かった。
副総長の睨むような視線の強さからも、第二王女をどれだけ大切に思われているかがうかがい知れる。
―――私は、とても重要なお役目を拝命したのだ。
身の引き締まる思いと共に、この役目を与えてくださった王女に心から感謝した。
幼さゆえに世のしがらみを理解していないのかもしれないが、それでも、それまでの慣習を断ち切り、予め定められていた高位貴族の子弟ではなく、何の後ろ盾もない私を選んでくださったことに対して。
それは、つい先ほど、『いつか』 『そのような世の中がくればいい』と望んだ、理想の未来像だった。
現時点ではとても実現不可能だと思っていた事象を、この幼い王女は、目の前で現実のものとされたのだ。
……ああ、私がお仕えするのは、現実を切り開く力をもたれた、尊ぶべき王女だ。
そう考えると、何とも言えない高揚感が、身の内から湧き上がってきた。
『誠心誠意、王女にお仕えしよう』
私はそう、心に誓った。
―――こうして思いもよらないことに、私は王族の護衛騎士に抜擢されたのだった。
そして、それから10年もの間、私はセラフィーナ様の護衛騎士を務め、王女は16歳になられた。
セラフィーナ様はすくすくと育ち、深紅の髪に金の瞳の美しい女性に成長された。
15の歳にはその強大な能力とこれまでの貢献が認められ、我が国始まって以来の「大聖女」の称号を贈られた。
そのため、大聖女となられたセラフィーナ様は、これまで以上に過密なスケジュールをこなすことを余儀なくされた。
セラフィーナ様の生活は、朝から夕方までびっしりと管理されている。
その中には連日のように魔物討伐が組まれていたり、一日で10もの救護院を巡る行程が組まれていたりと、過密すぎるように思われるものもあったけれど、セラフィーナ様が文句を言うことはなかった。
そして、セラフィーナ様のスケジュールは、1年前には全てが決められていた。
有力者の案件だろうが、急ぎの案件だろうが、直前に新たな案件を差し込むことはほぼ不可能だった。
―――その日、私は私室でサザランドからの特使と話をしていた。
内容は、サザランドの地で「黄紋病」がいよいよ流行ってきたので、大聖女様の来訪を切に願いたいというものだった。
黄紋病は元々子どもの頃に誰もがかかる病気で、手足への黄色い斑紋と軽い発熱が特徴の病だった。
まれに大人になってかかることもあるが、その場合は子どもの頃よりも軽い症状で終わる。
……そんな病であるはずなのに、離島の民が相手だと勝手が違った。
離島の民が罹患すると、手足から始まった黄色い斑紋が全身に見られるようになり、高熱が続いた後に意識が混濁し、そのまま死亡してしまうという恐ろしい症状を伴った。
地元の医者は、離島の民は独自の進化を果たしているので、内地の民とは病に対する耐性が異なり、黄紋病への抵抗が全くないのだろうと推測した。
実際に黄紋病に罹患した患者は、ほぼ全員が1月程度で死亡していた。
しかも広がり方が尋常ではなく早く、特使がサザランドを発った時点で、1割の住民が罹患しているとのことだった。
「大聖女様の出動は高位の文官たちによる会議で決定される。私も、そして族長も病が出始めた半年前から何度も何度も要望を出しているが、未だに選定されない。私たちにできることは要望を出し続け、選ばれるのを待つことだけだ」
私は半年前から言い続けている同じ言葉を繰り返した。
「内地の人間は、我々を同等の人間とは見なしていないんです! こんな状況では、いつまでたっても選ばれる訳がありません! 現地の聖女方も、力があると有名な各地の聖女方も誰一人、我々にかかった黄紋病を治すことができませんでした! 我々の救いはもはや大聖女様のみなのです!! それとも何か!? 国は我々一族に死に絶えよと言われるのか?」
特使は激昂して叫んだ。
「……私は毎日、大聖女様に同行しているが、いずれも命の懸かった案件ばかりだ。優劣がつけられないものに、高位文官の方々は順番をつけておられるのだ。お任せするしかない」
同胞として特使の気持ちが分かる私は、何とか特使を説得しようとした。
実際には、セラフィーナ様の行事の中には式典や上位貴族向けのイベント等も含まれていたけれど、それらの政治的な行事の重さも理解できるようになっていたので、何とも答えることができなかった。
ただ、サザランドの地が致命的に遠いことは理解していた。
セラフィーナ様がサザランドまで出動される場合、往復にかかる時間も含めると3週間は必要だろう。
それほど長い期間、大聖女様を独占することがいかに非現実的かということを、大聖女様の貴重性をまざまざと目にし続けている私には理解することができた。
けれど、特使はそのようなことを理解できるはずもない。
私の胸倉を掴むと、荒げた声を上げた。口調も乱れている。
「カノープス、お前は王城で飼われた犬になり下がったのか! 何だその他人事のような発言は!! お前は何のために大聖女様の護衛騎士になったのだ! お前が願えば、大聖女様は聞き届けてくれるのじゃあないのか!?」
「そうだな。慈悲深き大聖女様であらせられれば、私から嘆願すればお聞き届けいただき、高位文官たちに働きかけて今後のスケジュールに追加いただけるかもしれない。……けれど、そのようなルートは作ってはいけないのだ。大聖女様に贔屓や特別が存在してはならない。少なくとも大聖女様のお心の内から出たもの以外には。……私は大聖女様の護衛騎士だ。あのお方のためになることにしか動かない」
「カノープス!!」
特使はぎらぎらとした目で睨みつけてきたけれど、私は無言で見返すことしかできなかった。
……どのみち、今からスケジュールに追加されたとしても、最速で1年後だ。
この病の蔓延速度を見る限り、それでは間に合わない。
1年後にセラフィーナ様がサザランドの地を訪れたとしても、残っているのは自力で病を乗り切った数十人だか数百人だかの生き残りだけだろう。
たったそれだけの数では、民族としての伝統や誇りを受け継ぐことも難しい。
民族としての死―――それが、明確な未来として突き付けられているのだ。
……そう族長に訴え、住民たちの移住を提案した。
1か所に皆でいる現状では、病が爆発的に広がることを防げない。
次々に罹患者が出る現状では、病人を完全に隔離することも難しい。
そして、セラフィーナ様に治癒してもらうために、罹患者を全員王都まで連れてくることも現実的ではない。
だから、サザランドの地を捨て、北へ東へ西へと散らばってはどうだろうかと、族長に提案したのだけれど。
けれど、どれだけ言葉を連ねても族長は頷かなかった。
黄紋病はどこにでもある病だ。
場所を移したとしても、その地にもリスクはある。
離島の民は火山の噴火により、長年住んでいた離島を離れた。
一度生地を捨てている。
故郷を捨てるのは、一度で十分だ。
それに、別れてしまっては、民族として成り立たない。
……そう静かに語る族長に、私はそれ以上言い募ることができなかった。
私は暗鬱たる気分で部屋を出ると、特使と別れた。
「あら、カノープス。何をしているの?」
……運の悪いことに、セラフィーナ様と遭遇してしまい、声を掛けられた。
内心しまったと思いながらも、挨拶をする。
「これは、セラフィーナ様。知り合いを見送っていたところです。セラフィーナ様こそ、このような夜更けにお出かけとは不用心ではありませんか?」
「まぁまぁ、勤務時間外も私のことを気にかけてくれるなんて熱心だこと。心配しなくても、騎士たちにご同行いただいていますよ」
セラフィーナ様は可笑しそうに微笑むと、後ろに控えている数人の騎士たちをちらりと振り返った。
「あなたこそ、こんな夜更けにどなたとお話していたの? 秘密の恋人かとも思ったけれど、男性のようね。サザランドの方?」
セラフィーナ様はきらきらとした目で、興味深そうに尋ねてきた。
セラフィーナ様に見られたのは特使と別れた後だったけれど、特使の後ろ姿から褐色の肌と紺碧の髪が把握できたのだろう。
セラフィーナ様に色々と感づかれる前に話を終えてしまおうと、私は普段通りの顔を作る。
「はい、ありがたいことにセラフィーナ様が大聖女となられたタイミングで、私も伯爵位とサザランドの地を拝領いたしております。それ以降、定期的にあの地の特使が報告にくるのですよ。今回もいつも通りの定期報告でした」
「なるほどね。ふふ、でもサザランドの民も、同郷のあなたが領主になって心強いでしょうね。ああ、サザランドの海はひときわ青いと言うわ。いつか私も行ってみたい」
無邪気にきらきらと目を輝かせるセラフィーナ様は、16歳相当の歳に見えた。
「私もぜひ、殿下にサザランドをご案内できればと思います」
「まぁ、約束よ。カノープス」
セラフィーナ様は嬉しそうに笑うと、騎士たちとともに自室のある方向に歩いて行った。









