62 サザランド訪問9
翌日、私はもやっとした気分で目が覚めた。
シリル団長のお母様が聖女ということは何となく予測がついていたけれど、前公爵夫人が典型的な聖女の姿だと言われると、私がやってきたことは何だったのだろうと思う。
聖女は騎士の盾であるようにと、前世の私は努めてきた。
私よりも年若い聖女たちにも、そのように指導してきた。
志半ばで亡くなってしまったけれど、私の遺志は多少なりとも引き継がれていたかと思ったのに。
前世で護衛騎士だったカノープスだとかは、聖女のあるべき姿が歪んでいくのを黙って見ていたのかしら?
それとも、300年の間に少しずつ聖女の姿が歪んできたのであって、カノープスの存命中は正しい姿を保っていたのかしら?
そこまで考えた時、そういえばサザランドに来たからには、カノープスのお墓を拝もうと考えていたことを思い出した。
「そうだった、そうだった。カノープスはこの地とこの一族が大好きだったものね! きっと、彼のお墓はこの地にあるはずよ。そして、私の手にかかれば、彼のお墓を探し出すことなんて、容易いわ!」
なぜなら、彼は私の護衛騎士だったのだ。前世では誰よりも長い時間一緒にいたと言っても、過言ではない。
つまり、私は彼のことを誰よりも良く知っているということだ。
カノープスがこの地のどの場所に愛着があり、どこにお墓を建てたかなんて、すぐに見つけられるだろう。
……なーんて思っていた私は、何て夢見がちだったんだろう。
はぁはぁと荒い息をつきながら、探索開始から4時間たった今、私は心からそう思った。
領主館の庭だとか、海を見下ろす岬だとか、考えつく限りの場所を訪れた私は、どこにもカノープスのお墓を見つけることができずに、困り果てていた。
あれれ? カノープスのことを理解していると思ったのは、私の勘違いだったのかしら?
300年前のお墓だし、誰かに聞いて教えてもらえるって話でもないし、どうしたものだろう?
私はふぅと一つため息をつくと、崖の上から海を見渡した。
眼下にはどこまでも青い海が広がっており、風が潮の香りを運んでくる。
ああ、これがカノープスが愛したサザランドの海ね。
そうして、この海の更に南側に、カノープスたちが暮らしていた離島があったのだわ。
「カノープス、遅くなったけれどあなたが愛した海を私も見に来たわよ。まるで空と繋がっているかのようで、とっても気持ちがいいわね」
風になびく髪を手で払いながら、私は独り言をつぶやいた。
「……フィーア。今のは私には見えないどなたかに対して話をされていたのでしょうか? それとも、あなたの胸の内が零れてきたのでしょうか?」
嫌なタイミングで、背後から声が掛かった。
私は、いち、に、さん、と胸の内で3つ数えると、振り返った。
「あら、シリル団長。今のは独り言のように見えて、知り合いに話しかけていたのですよ。その知り合いは随分前に亡くなってしまったのですが、この地が好きだったので、きっとここに戻ってきているはずでして。私の隣にいたらいいなぁと思って、いることにして話しかけてみたんです」
「……なるほど」
シリル団長は私の横に立つと、並んで青い海を見つめた。
「あなたの考え方でいくと、母もこの海に帰ってきているのでしょうか? ……母の遺体は見つかりませんでした。彼女は今も海の底で眠っているのかもしれません」
「シリル団長……」
ちらりとシリル団長を見ると、団長は何かを思い返しているかのような表情をしていた。
ああ、まだ団長の中では、ご両親の話は解決していないのかもしれないな、と思う。
「……フィーア。友人として忌憚なく答えてください。私は両親を救うことができませんでした。10年間考え続けていますが、未だにどうすればよかったのか分かりません。サザランドの民についても同様です」
団長は海を見つめたまま、ぽつりと話し始めた。
「発端を作った一族出身の私が責任をとるべきだと、長年思ってきました。けれど、私がこの地を治めるのは間違いかもしれません。10年間色々と努力してきましたが、住民たちの態度に変化はありません。私には、……この地の民は救えない」
落ち着いた静かな声で話されたけれど、団長は頑なに海を見つめていて、決して私の視線と交わらなかった。
礼儀正しく、必ず相手の目を見て話す団長らしくもない行為に違和感を覚えた私は、まじまじと団長を見つめ、握りしめられた団長の指先が細かく震えていることに気付く。
……ああ、シリル団長の発言は、昨日今日考えたことではないのだろう。
長い間、繰り返し繰り返し考え続けてきて、出した結論なのだろう。
10年前の事件の原因はご両親にあると考えていて、けれど、立場上それを認めることも謝罪することもできなくて、じゃあせめて現状を改善しようとしても、住民たちは決して敵対的な態度を崩さなくて。
……うん、責任感が強くて優しい団長ならば、住民たちに長年負の感情を抱かせていることに申し訳なさを覚えて、自分が領主を降りたら、少なくとも住民たちの感情は改善するのでは、と考えたのかもしれない。
「……シリル団長、ご両親のことと、この地を治めることは別物ですよ」
そっと答えると、団長ははっと息をのんだ。
私は敢えて団長を見ずに、海を見ながら答えた。
「……きっと、解けない問題はあるんです。私にも一つ、どうしても解けない問題があって、なぜ彼らはあのような行動に出たのだろうと、考えても考えても分からないのです」
なぜ、前世の兄たちは、魔力が空っぽになった私を魔王の城に置き去りにしたのか……
なぜ、あんな風に私を魔王の城に置き去りにすることができたのか……
どうしても分からない。
「けれど、彼らが歩んできた人生の全てを知っているわけでも、どのように考えたかという思考の全てを覗けた訳でもないので、どんなに繰り返し考えても、情報不足で彼らを理解することはできないんですよね」
「フィーア……?」
私が何のことを言っているのか分からないだろうに、それでも心配そうに覗き込んでくるシリル団長に、私はにこりと微笑んだ。
「だから、考えるのは止めました! 今の私はそこから始まっているので、ともすれば思考を引っ張られますが、うん、考えても答えが出ないものに囚われても無駄ですよね! 私は気付いたんです。すっごく気になるけど、その答えを知らなくても私は前に進めるし、笑えるんだって」
そう言うと、私はシリル団長を振り仰いだ。
「シリル団長はすごく優しいです。けれど、もしもご両親のことで悩まなかったら、シリル団長はこんなに優しい性格にはならなかったかもしれません。……私は優しいシリル団長が好きですよ」
シリル団長は私の言葉を聞くと、驚いたかのように目を丸くしていた。
私は気にせず、話を続ける。
「もしかしたら、どうしても救えない相手というのがいるのかもしれません。そうして、シリル団長の思う救いと、お相手の救いは異なるのかもしれません。けれど、それでも、団長の正義と優しさで救おうと努力するシリル団長を、私は素敵だと思います。私がこの地の民なら、そんな団長にこの地を治めてほしいです」
「………………」
シリル団長は驚いた表情のまま口を開いたけれど、その口からは音が発することがなく、再び閉じられた。
私はシリル団長を正面から見つめると、言葉を続ける。
「今の住民たちは色々な思いに囚われていて、団長に辛く当たるのかもしれませんが、大丈夫です。優しさは、最後には伝わります」
シリル団長は変わらず、呆けたような表情を保っていたけれど、やがて目を細めると小さく笑い出した。
「ふふふ、あなたの世界は単純で美しいですね。……とても魅せられる」
それから、ひとしきりくすくすと笑った後、吹っ切れたような綺麗な表情で微笑んだ。
「あなたの言葉には何の根拠もありませんが、あなたの美しい世界を私も見てみたい気持ちにさせられました。ええ……そうですね。泣き言を言っている場合ではありませんね。私は私のできることをして、理解されるよう努めるべきですね。ありがとう、フィーア。あなたと話すと、元気が出ます」
「どういたしまして?」
とても嬉しそうな顔でお礼を言われたので、理由が分からないままに受け入れる。
そのまましばらく2人で海を眺めた後、シリル団長は気を取り直したように私に問いかけてきた。
「ところで、なぜこの岬にきたのですか? 海が見たかったのですか?」
「ええと、『青騎士』のお墓があれば手を合わせたいなと思って、お墓を探していたんです」
「ああ、そういえば、あなたはサザランド姓を名乗っていた、最後の『青騎士』に興味を持っていましたね。……残念ながら、この地に彼の墓標があるという話は聞いたことがありません」
「えっ、そうなんですか!?」
私は驚いて、素っ頓狂な声を上げた。
えええ、カノープスはこの地で眠っていないの? だったらもう……どこにあるのか分かんないわよ!
私はがくりと肩を落とすと、シリル団長に向き直った。
「まぁ、つまり、たった今、私の用事は全てなくなりましたよ。シリル団長こそ、海を見にきたんですか?」
「結果的には、そうなりましたね。あなたがお昼にも現れないので、探しに来たんですよ」
「え、え、それは失礼しました! でも、1食くらい食べなくても、大丈夫ですよ」
慌てて団長を振り仰いだけれど、団長は小さな子どもに言い聞かせるような表情をして、私の頭をぽんとたたいた。
「何を言っているのですか。あなたは伸び盛りなのですからきちんと食事を取らないと。それに、今夜の夕食は軽めですので、昼食はきちんと取るべきですよ」
「夜が軽めって? あ、もしかして、騎士たちが思った以上に食べるので、公爵家の食料がなくなってしまったんですか?」
閃いたと思って質問したけれど、団長にじとりと見つめられる。
「……たった100人が数日程度で食べつくす程の食料備蓄だなどと、我が公爵家の食糧庫はどれほど貧弱なのでしょうか? 違いますよ。明日は大聖女様がこの地を訪れたことを記念したお祭りの日です。祭礼は日の出と共に始まるので、今日は通常よりも早い時刻に軽い夕食を取って就寝します。明日は、皆さん夜明け前に起きられますよ」
「だ、大聖女、さま、の訪問を記念した祭り!!」
私は思わず、オウム返しに繰り返した。
な、なんてものが開かれるのだ!?
大聖女の訪問記念祭りだなんて、そんなのが300年も続いていたの?
カ、カノープスったら、どうして取り締まらないのよ!
いや、仕方ないのかもしれないけれど。住民たちには娯楽が必要で、大聖女の訪問なんて、お祭りのお題目としては手っ取り早くて、扱いやすいのかもしれないけれど。
けど、私が死んだ時に取りやめても良かったんじゃないかしら?
……ああ、読めたわ。
300年も経っているんだもの。色々なものが正しく伝わるはずなんてないわよね。
大聖女はすっごい太っていたとか、すっごい阿呆な行動ばかり取っていたとか、事実とは異なった話がたくさん伝わっているのよ!
私はがくりとうなだれながら、シリル団長に続いて領主館へ戻って行った。
早朝に出て行った時とは異なり、領主館の庭は解放され、多くの住民たちが館前の庭で作業をしていた。
庭の中心に位置する切り株を囲むように、住民たちは祭りの飾りを準備している。
「ああ、アデラの木ね。本当に大きく育ったのね」
切り株の大きさから生えていた木の大きさが想像でき、思わずつぶやくと、シリル団長に訝し気に見下ろされた。
「フィーア、なぜアデラの木だと分かったのですか? 昨夜、この木が切り倒された話はしましたけれど、木の種類までは話していませんよね?」
「私は! 木が大好きで! き……っり株を見たら、木の種類が分かるんですよ!!」
「へー……」
シリル団長は何か言いたげに私を見つめてきたけれど、目を逸らして気付かない振りをする。
ああ、いけない。シリル団長は鋭すぎるんだったわ。
もう、黙っておこう。
私は強く心に思うと、食堂までは黙ってシリル団長について行った。









