61 サザランド訪問8
森の入り口付近では、住民たちが心配そうに森の中を覗き込んでいた。
子どもたちの姿を見ると、嬉しそうにわっと歓声が上がり、幾人かはこちらへ走ってきた。
子どもたちも知っている姿を見かけたのか、私の手を振り切って駆け出していった。
シリル団長は抱えていた女の子を地面に下ろそうとしたけれど、それよりも早く、住民の一人が団長のもとに近寄ってくると、団長の腕の中から女の子を奪い返した。
「か、返してください! うちの子に触らないで!」
乱暴にシリル団長の腕から奪われた女の子は、驚いたのか抱え直された母親らしき女性に抱きついて泣き始める。
「ああ、怖かったのね? 大丈夫よ! もう、母さんがいるからね」
必死で女の子を抱きしめる母親をちらりと見ると、カーティス団長は皆に聞こえるような声で報告し始めた。
「ここから5分程度の場所に、バジリスクが2頭出現した。私たちで討伐したので、もう安全だ。子どもたちは全員、怪我一つない。聖女様を呼びに行かれた方には、その旨を伝えてくれ」
バジリスクの恐怖は、住民なら誰でも理解しているはずだ。
子どもなんてひと飲みにするし、大人だって数十人単位の騎士でやっと討伐できるくらいだ。
だから、カーティス団長の発言を聞いた住民たちは安堵の声を上げるかと思ったのだけれど、どういうわけか不審気な声が発せられる。
「バ、バジリスクだって? なんで、そんな凶悪な魔物が森の入り口付近に出るんだ?」
「も、森の神様が怒っているんじゃないのか? どちらにしろ、あれだろ? そんな凶悪な魔物が森の入り口に出るなんて、森の管理ができていないと、領主様から罰をくらうんだろう?」
皆から責められるような視線を向けられたシリル団長は、驚いたようにびくりと身体を硬直させた。
何か言いたげに口を開いたけれど、団長が声を発するよりも早く、周りの住人たちが言葉を続ける。
「それで? 騎士のあんたたちは、今度は何を言い出すつもりだ? バジリスクなんかと対峙させるなんて、自分たちの身を危険にさらさせたと、オレらを罰するのか!?」
「あんたたちは10年前から変わっていない! ただ、あんたたちが『怪しい』と発言しただけで、後ろの公爵様はオレたちを殺しにかかるのだろうよ!!」
言われた瞬間、シリル団長は目を見開くと、何かを訴えるかのように口を開いた。
「……私は、理不尽に誰かを傷つけることはありません」
けれど、出てきたのはかすれた声で、興奮している住民たちに聞き取れる大きさではなかった。
シリル団長の小さな声を聞きとったカーティス団長は、焦れたかのようにシリル団長の言葉を大声で繰り返した。
「サザランド公爵が理不尽に誰かを傷つけることなどない! それに、凶悪な魔物と対峙するのは、騎士として覚悟しているリスクだ。そのことを誰かのせいにすることなど、あるはずがない。私がこの地の騎士団長となってから、サザランド公爵が住民たちに理不尽な処遇を行ったことなど一度もない! 君たちは、何をもってサザランド公爵を糾弾するのか?」
「10年前に理不尽な行動を起こしたのは、あんたたちじゃないか! オレたちは300年前に、『誰とも争わない』と約束した。だから、10年前の事案に対しても、決して立ち向かわなかった。だが、だからといって、納得しているわけではない!!」
10年前の事件についての詳細は不明だけれど、住民の多くが殺されたのは事実だ。
飲み込めない色々な思いが残っていたとしても、不思議ではない。
そんな気持ちを感じ取ったのか、シリル団長は、さらに言い募ろうとしたカーティス団長を片手で制すると、住民たちを見渡しながら静かな声で言葉を紡いだ。
「騒がせてしまって、失礼しました。子どもたちが無事でよかったですね」
領主というのは、その地の権力の頂点だ。
無礼な口をきいた住民たちは、大なり小なり罰されるのではないかとびくびくしていたが、シリル団長の想定外な優しい発言に一瞬押し黙った。
住民たちが糾弾したのは、シリル団長の父親である前公爵だ。
『鬼籍に入っている者に口さがない物言いをするな』だとか、あるいは今日のことに対して、『子どもたちを救った騎士に対して無礼な態度を取るな』だとか、幾らでも言い分はあるというのに、団長は全ての反論を飲み込んでしまった。
公爵なんて絶対権力だから、シリル団長が一言つぶやくだけで、多くの人間が捕らえられ、罰せられるだろう。
―――そして、それは負の連鎖となる。
シリル団長は大きいな。
だからこそ、一人で何もかもを飲み込んでしまう。
自分が持っている力の大きさを知っているからこそ、使い方に気を付ける。
シリル団長の優しい発言に驚き、毒気を抜かれた様に黙り込んだ住民たちに、私は大声で言ってやりたい気分だった。
ねぇ、ほら、よく見てください!
とっても優しくて、思いやりのある領主様ですよ!!
けれど、こういった事実は相手方から―――しかも、騎士団の一味から言われても、反発するだけだろう。
自分たちで気付かない限りは、受け入れないのだ。
じれじれとした私の胸の内など気付かずに、シリル団長は突然押し黙った住民たちに軽く頷くと、踵を返してその場を後にした。私たちも軽く住民たちに頭を下げると、シリル団長の後に続く。
領主館までの帰り道、シリル団長は何事かを考え込んでいるかのようで、一言も口を開かなかった。
カーティス団長も気を遣っているのか沈黙を保つものだから、とても静かな帰路となった。
夕食は大広間に集まって食べたのだけれど、遠目からもシリル団長は元気がないように見えた。
10年前の団長は10代で、領主でもなかったというのに、住民たちの不満を真正面から受け止めて考え込むところが団長らしいなと思う。
シリル団長が気にはなったものの、それ以上話すきっかけもなく就寝時間となった。
今日は色々あったのでぐっすり眠れるはずという私の目論見は外れ、どういう訳か夜中にぱちりと目が覚めた。ぐっすり眠る私からしたら、非常に珍しいことだ。
喉が渇いたなーと思い、厨房を探してぺたぺたと廊下を歩く。
すると、階段から上がってきたシリル団長と遭遇した。
よく見ると、団長は両腕に何本ものお酒の瓶を抱えていた。どうやら地下貯蔵庫から失敬してきたようだ。
「夜中に深酒ですか?」
シリル団長が抱えた瓶の多さに呆れながら尋ねると、団長は困ったように微笑んだ。
「この時期は毎年、あまりよく眠れなくて……。悪いと分かっていながら、お酒の力を借りるのですよ。ただ、私は体質的に酔わないようなので、あまり効果はありませんが」
それから、ちょっと言いにくそうに口ごもった後、もしよければという感じで話を続けた。
「こんな夜更けに申し出るのは非常識であることは理解しているのですが、あなたも眠れないようであれば1杯付き合ってもらえませんか? サザランド特有の果実を使ったお酒も豊富にありますよ」
「え、で、では1杯おつきあいします」
私は一も二もなく頷いた。
サザランドにしかない果実は多い。そして、どれもがすごく甘くておいしい。
これらをお酒にしたらどんな味になるのだろう、とは誰だって確認したいことだろう。もちろん私も。
シリル団長の後について歩いていくと、大きな扉を通って私室らしき部屋に入った。
どうやら執務室のようで、広い部屋の片側にはびっしりと難しそうな本が埋まっていて、執務机の上には一枚の書類もなかった。
うんうん、この難しそうで整理された部屋。一目でわかります、これはシリル団長の部屋ですね。
さらに奥に続く扉を開けると、居間と思しき部屋が現れた。こちらの部屋は、壁の一面に置かれたキャビネットの中に、綺麗に酒瓶が並べてあった。
しかし、よく見ると、並べられているのは可愛らしい色や形をした果実酒と思われる瓶ばかりで、それ以外のお酒は見当たらない。床に何本もの空瓶が並べてあるので、シリル団長が飲んでしまったのだろう。
相変わらず酒豪だな……と思いながら、勧められる席に着く。
さりげなく座る椅子を引いてくれたり、夜半に二人きりということを誤解されないように廊下に続く扉を薄く開けたりとするところが、シリル団長の紳士たる所以だと思う。
私は綺麗なカットが施されたグラスを受け取ると、勧められるままお酒を口に含む。
それは、この地域特産の黄色い果実を漬けて作ったお酒だという説明だったけど、すごく甘くておいしい。
「ああ、美味しいです……」
私はうっとりとつぶやきながら、味を確認する。
シリル団長は「それはよかったですね」と言いながら、自分のグラスに注がれた強そうなお酒を一気に呷った。
改めて見ると、シリル団長はシャツにトラウザーズという姿だった。私のように完全な部屋着ではなく、一度もベッドに潜り込んだようには見えない。
「まだ、全然眠ってないんですか?」
私同様に眠っていた途中で目が覚めたのかなと思っていたのだけど、そんな感じでもないようだ。
「……眠れる気がしなくて。この時期は駄目なのですよ」
ああ、そうだった。
「サザランドの嘆き」が起こった時期という事は、シリル団長のご両親の命日でもあるのだ。
今日、住民たちから投げつけられた言葉に加えて、シリル団長にはご両親の死を悼むという痛みもあったのだと、改めて思い出された。
きっと、まだご両親を失くされた悲しみが癒えていないのだろう。
故郷に帰ってきて、見慣れた景色を見ることで、甦る思いがあるのかもしれない。
10年間というのは、大事な方を失くされた悲しみを癒すには、短いに違いない。
「シリル団長のお母様は、どのような方だったのですか?」
聞いてもいいのかなと思いながらも、胸に沈殿している気持ちを吐き出すことで楽になることを知っている私は、思い切って尋ねてみる。
少なくとも、住民からの糾弾話を持ち出すよりは、話題がいいだろう。
ご両親について尋ねてみても良かったのだけれど、なんとなく母親の方が親し気で話しやすいのかなと思われたため、お母様に限定して尋ねてみる。
シリル団長は数瞬、考えるかのように私の顔を見つめた後、私の赤い髪に視線を移した。
「……そうですね。母は美しい人でしたよ。あなたと同じように、大聖女様と同じ赤い髪を持った、美しい聖女でした」
―――シリル団長は深く椅子に座り込むと、グラスを握り込み、お母様についてぽつりぽつりと話し始めた。









