60 サザランド訪問7
私は男の子とともに、魔物たちから十分な距離を取った。
バジリスクはとても素早い。
誤って男の子が攻撃対象になってしまったら大変なので、シリル団長たちを間に挟んでバジリスクの反対側にくるように位置する。
……ええと、これは戦術的な行動ですよ?
シリル団長たちを盾にしているように見えるかもしれませんが、戦術です。
私は男の子の手を私の腰から外すと、その手を利き手と反対の手でぎゅっと握った。
いつでも参戦できるように、すぐに動けて、すぐに剣を抜ける態勢を確保する。
握った男の子がぶるぶると震えていたので、落ち着かせるために握っていない方の手でぽんぽんと男の子の手を叩く。
そうしながらも、視線は至近距離で魔物と相対しているシリル団長、カーティス団長、ファビアンに向かう。
大丈夫かなと心配だったのだけれど、遠目にて見ても、3人とも非常に冷静に見えた。
……さすが、有能な騎士たちだわ。
普通に考えたら、30人の騎士が必要なBランクの魔物が2頭もいるなんて、完全に頭数が足りていないんだけど、それでも平常通りでいられるなんて大したものだと思う。
3人の騎士は、バジリスクに5メートル程の距離をとった位置で相対していた。
左側に位置するシリル団長は、白銀色に輝く剣を軽く握りしめた感じで立っており、2頭の魔物から視線を離すことなく2人に指示を出した。
「カーティス、ファビアン、右のバジリスクを足止めしてください」
比較的小さい方のバジリスクをカーティス団長とファビアンに任せると、シリル団長は左側のバジリスクを見つめた。
静かな時間が流れる。
けれど、それは背中を汗が滴り落ちるような緊張を孕んだ時間だった。
バジリスクは非常に攻撃的で、視界に獲物が入った途端、即座に攻撃し出す性質を持つ。
それなのに、動くことなく鎮座しているなんて、通常では考えられない。
もしもこれが、シリル団長の強さを感じ取って動けないでいるのだとしたら、この魔物はさすがだなと思う。
なぜなら、シリル団長は凪いだ風のように静かに見えた。
殺気も威圧感も零れ落ちることなく、一見しただけではその強さは感じられない。
……ああ、けれど、この全く強そうに見えないっていうのが、最も強い形なのよね。
バジリスクは猛毒を吐くから、むやみに近付いていかないのは正しいと思う。
そして、連続で毒を吐くことはできないので、一度毒を吐いたタイミングで距離を詰めるのが最も効果的な戦い方だろう。
じりじりとした時間が流れたけれど、先に我慢ができなくなったのはバジリスクの方だった。
たった2歩で2メートルの距離を詰めると同時に、口から毒液を吐き出す。
その液は凄い速さで一直線に飛び出すと、逸れることなくシリル団長の目を狙ってきた。
バジリスクが口を開いたと思った時には、既に毒液が吐き出されていたので、事前に予測してよけなければ、避けられないと思う。のに、どういう訳かシリル団長は軽く頭を傾けることで、確実に毒液を避けていた。
「すごい……」
思わず言葉がこぼれる。
感嘆して見ていると、シリル団長は一気に距離を詰め、開いている口の中に真っすぐ剣を突き入れた。
やわらかい口の中に、ずぶりと剣が沈み込む。
シリル団長は素早くバジリスクの口から剣を抜き去ると、あまりの痛みに思わず後ろ足で立ち上がったバジリスクの左胸に向けて、垂直に剣を刺した。
バジリスクの体は固い鱗で覆われているというのに、ずぶずぶと剣が埋まっていく。
速度と角度がいいのだろうか?
加えているであろう力では考えられないほどの深さまで、剣がバジリスクに刺さっている。
というか、この深さは……
シリル団長が無表情で剣を引き抜くと同時に鮮血が飛び散り、バジリスクが地面に倒れ込んだ。
うん、あの深さは致命傷ですね。
シリル団長は剣についた血を払うこともせず、また、倒れ込んだバジリスクのことをそれ以上気にすることもなく、残ったもう1頭の魔物の方へ向き直った。
2頭目のバジリスクは、カーティス団長とファビアンが対峙していたおかげで、初めの場所から動かずに済んでいた。
シリル団長が何事かを口の中でつぶやくと、風の刃がバジリスクを切り裂いた。
「え!?」
突然のことに驚いたのは私だけではなかったようで、バジリスクが一歩後ろに下がる。
けれど、シリル団長はバジリスクが下がると同時に同じ距離を詰め、さらに数歩詰め寄ると、魔物の片目に真っすぐ剣を突き入れた。
「ギャギャギャヤヤヤ!」
絶叫しながら威嚇のため後ろ足で立ち上がったバジリスクの左胸に、シリル団長は1頭目と同様に垂直に剣を突き入れると、引き抜いた。
バジリスクの血しぶきが飛び散り、その血が地面に落ちるよりも早くバジリスク自身が地面に倒れこむ。
シリル団長は剣を振ることで血を払い落とした後、無言で剣を鞘に戻した。
……え、お、終わった?
私はシリル団長のあまりの強さに、ぽかんとして団長を見つめていた。
ええと……
シ、シリル団長?
普通は、あんな風にバジリスクには近づけませんよね?
バジリスクは確実に目を狙ってくるから、そしてその狙撃の腕は確実だから、魔道士の助力なしに近付くことは困難ですよね?
そして、あの硬い鱗は、剣を通しませんよね?
全く発揮する隙もなかったけれど、バジリスクの腕力も咬合力も物凄いから、並の騎士では吹き飛ばされたり、体の一部を引きちぎられたりしますよね?
……だから、本来なら、バジリスクは凄く強い魔物で、決して一人で倒せるような魔物ではないのに。
それなのにシリル団長の腕がよすぎて、最短の手順で倒したものだから、一見するとバジリスクの討伐が凄く簡単なものに見えてしまう。
うわー、達人の弊害ね。
強すぎて、綺麗に倒しすぎるものだから、魔物の強さが伝わらないっていう。
けれど、今日は子どもたちが一緒だったので、その弊害が役に立っていると思う。
うんうん、こんな小さなうちに必要以上の恐怖を覚えこむ必要なんてないものね。
というか、シリル団長って風魔法が使えたのね。知らなかった……
私は男の子と手をつないだまま、残りの子どもたちが隠れている木の樹洞に向かって歩いて行った。
途中でバジリスクの死亡を確認していたファビアンに「お疲れ様」と声を掛けると、「疲れる暇もなかったよ」と返された。
ああ、うん、その通りだわね。シリル団長と組んだ弊害ね。
穴の隙間から一部始終を覗いていたであろう子どもたちは、声を掛けるとおずおずと穴の外に出てきた。そして、こわごわと倒れている魔物に視線を送る。
「大丈夫ですよ。もう起き上がることはありません」
シリル団長が安心させるように話しかけると、子どもたちは無言のまま小さくうなずいた。
未だ緊張が取れていないようで、硬直したようになっている子どもたちだったけれど、よく見ると、手に小さな黄色い花を握りしめていた。
「……フリフリ草? フリフリ草って、解熱の効果がある薬草だったわよね。誰か病気なの?」
不思議に思って尋ねると、子どもたちははっとしたように顔を上げた。
「い、いないよ! 誰も病気なんかじゃあ、ないよ!」
子どもたちは一斉に否定すると、フリフリ草を掴んでいる方の手を背中に隠して下を向く。
子どもらしい、分かりやすい嘘だ。
「まるでフィーア並みですね」とシリル団長がつぶやいていたが、私は聞こえない振りをした。
……お言葉ですが、私は根が正直なんですよ。だから、基本的に嘘はつきません。
ただ、空気を読んで真実ではないことを口にしなければいけない場合は、きちんとそれが真実に見えるような言い方をします。こんな子どもの嘘と同一視されるのは心外です。
そう心の中で独り言ちながら、丁寧に子どもたちを一人一人見て回ったけれど、怪我をしている者は誰もいなかった。
その上、腰が抜けたり、身が竦んだりしている子どももおらず、全員が自分の足で歩けるようだった。
「子どもって、元気ですねー」と言いながら、右手と左手でそれぞれ違う子どもの手を握る。
すると、3人目の小さな女の子が私のお腹辺りの服を掴んできた。3つ目の手はないので、どうしたものかなーとシリル団長を見上げる。
団長はおずおずとした様子で身をかがめると、女の子に話かけた。
「疲れましたか? よければ、私が抱いていきましょうか?」
女の子はちらりと団長を見ると、こわごわとした声を上げた。
「わたし、疲れたから、もう歩けないの。でも、騎士はとっても怖いから、近寄ったらいけないのよ」
「私は怖くはありませんよ。大きな声は出さないし、怒ったりしません」
「……水たまりで転んでも、怒らない?」
「私が抱えていたら水たまりは飛び越えますので、水たまりに落ちることはありません。だから、誰からも怒られませんし、私も怒りませんよ」
女の子は少しだけ迷っていたけれど、思い切ったように私の服から手を離すと、シリル団長に向けて手を伸ばした。
その時のふわりと浮かんだシリル団長の笑顔を見て、よかったなと思う。
シリル団長は勇敢で、住民のために親身になれる優しい騎士だ。
ほら、こんなふうに、団長のことを知ったら、住民たちが団長を拒絶することはなくなるのだ。
シリル団長が片腕に乗せるような形で抱き上げると、女の子は視線が上がって嬉しかったようで歓声を上げた。それから、生来よく話すタイプなのか、目につくものを一つ一つ団長に教え始めた。
「あの黄色い実はね、とってもおいしいの。でもね、鳥が食べてしまうから、まだ緑のうちに取らないといけないのよ。……あと、その大きな木はねぇ……」
あらあら、予想以上に好感触だわ。
シリル団長の丁寧な立ち居振る舞いは、小さな子供にも効くのねと思いながら、ほほえましく思って見ていると、すぐに森の入り口に到着した。









