57 サザランド訪問4
子どもたちの一人が駆け出すと、つられたように次々と他の子どもたちも後に続き、あっという間に見えない場所まで走り去ってしまった。
「ふふ、元気がよくていい子たちばかりですね?」
風のように去って行った子どもたちを見ながらシリル団長に笑いかけると、団長は軽く目を伏せて答えた。
「そうですね。この地で健やかに幸せに暮らしてくれればと思います」
「団長が治める土地なら間違いないですよ」
自信を持って答えると、困ったように微笑まれた。
「そうでしょうか。少なくとも子どもたちは私を見て、走り去っていったのだと思いますよ」
……そ、そうだった。
この地の住民たちは騎士や領主一族に良い感情を抱いていないんだった。
シリル団長は騎士服に着替えてきているので領主だとまでは分からなかっただろうけど、シリル団長だかカーティス団長だかの騎士姿が原因で走り去っていったというのは正しいかもしれない。
私はちらりとシリル団長とカーティス団長を見上げた。
……うん、2人とも平均よりもだいぶ背が高いわよね。
背が低い子どもたちからしたら、この大男たちは怖く見えるのかもしれない。
「ええと……、シリル団長とカーティス団長は仲が良いのですか?」
それ以上この話を続けることは得策ではないと思い、話題を変えるために簡単な質問をすると、カーティス団長が答えてくれた。
「私は元々第一騎士団所属で、シリル団長の下で働いていたんだよ。だから、仲がいいという表現はおこがましいな」
「えっ、カーティス団長は第一騎士団所属だったんですか!? だったら、エリートじゃないですか!」
驚いて思わず声に出すと、カーティス団長から可笑しそうに笑われた。
「それを第一騎士団所属の君が言うんだ? だったら、君もそうじゃないの?」
「へっ?」
「……カーティス、フィーアが優秀か否かというのは私もまだ解けていない難問ですので、解答は保留にしておいてください」
「えっ? シリル団長は誰よりも人を見る目があると思っていましたが、団長にも判断できない人物がいるんですか!?」
シリル団長の言葉を聞いたカーティス団長は、驚いたように私をまじまじと見つめた。
「うん、まぁ、赤い髪に金の瞳って大聖女様と同じ色だよね。シリル団長が冷静に判断できなくなるのも分からないではないけど……」
カーティス団長はぼそぼそと小声でつぶやくと、私に向けて話しかけてきた。
「シリル団長はね、当時一介の騎士でしかなかった私を第十三騎士団長に抜擢してくれたんだよ。当時の私は騎士団長になれるほどの功績も実力もなかったから、『なんであんなのが!』って相当反対されたんだけど、シリル団長が押し切ってくれてね」
カーティス団長の言葉を聞いたシリル団長は、懐かしむように目を細めた。
「カーティスは第一騎士団に5年間所属しており、毎年この地の慰問に同行していました。この地の民は騎士に嫌悪感を抱いており、私たち騎士は避け続けられていました。けれど、どういうわけかカーティスだけは仲間の一人のように住民たちから受け入れられたのです。それで、当時この地の騎士団長が住民たちに受け入れられずに苦慮していたこともあって、3年前にカーティスを第十三騎士団長に推薦しました」
「ふふ、他の騎士団長と比較すると私の強さは不足しているんだけど、住民との親和性という1点で団長として推してもらったんだよ」
軽い感じで話をするカーティス団長に、シリル団長は咎めるような視線を向けた。
「カーティス、あなたの強さは十分及第点です。そうでなければ、騎士団長には選ばれません」
「お気を使っていただき、ありがとうございます。けれど、大丈夫です。自分が他の団長たちと比べて弱いと実感し落ち込む時期は過ぎました。今は、自分の実力を正しく把握し、その上で出来るべきことを行っています」
「……それは失礼しました。さすが私が見込んだ騎士ですね」
シリル団長は褒めるようにカーティス団長に答えた後、小さくため息をついた。
それから、少し緊張した感じで私に向き直る。
何か用かしら? と思って見つめ返していると、シリル団長はきゅっと口を引き結び、何かを決意したかのような表情で私に向かって歩いてきた。
それから、シリル団長は私の目の前で立ち止まり腰をかがめると、片膝をつく形で目線の高さを合わせてきた。
「シ、シリル団長……!?」
まるで跪くような態勢に驚いて声を上げると、片手を取られた。
「フィーア、お願いがあります。これは友人としてのお願いなので、あなたには拒否する権利があります」
「は、はい?」
……お、お願い? 改まって何かしら?
「この地は大聖女信仰が強い土地ですので、住民たちは赤い髪に強い思い入れがあります。先ほどの子どもたちがあなたを『大聖女様』と呼んでいたように、この地で赤い髪は伝説の大聖女様を連想させるのです。ただ……」
そこで一旦言葉を切ると、シリル団長は私の赤い髪に視線を移した。
「あなたも10年前に起こった『サザランドの嘆き』については聞き及んでいるでしょう? あの事件で発端になったのは赤い髪の私の母でした。そのことと、そもそも母がこの地の住民に受け入れられていなかった事実が加わり、あの事件を知っている一定以上の年齢の住民は、赤い髪に拒絶反応を起こすのです。ただ、拒絶しながらも、大聖女様の髪色だからと受け入れたい感情もあるはずです。……この地には、未だ多くの思いが沈殿しています。あなたの髪は、良きにつけ悪しきにつけ住民たちに影響を与えるでしょう」
「………………」
な、何だか複雑な話になってきたわよ。
「……この地は10年間、時が止まっています。そして、そのことは誰のためにもならない。だから、現状を打開するために強心剤が必要なのです。赤い髪のあなたなら強心剤になれます」
「へ?」
「……あなたは覚えていないでしょうが、以前あなたは聖女様のあるべき姿について語りました。それを聞いた私は、心臓を掴まれたような心地になりました。……赤髪の女性ならば誰だってこの地で強心剤になりえますが、この地の状況を好転させるには強い思いが必要です。私はその役割をあなたに担っていただきたいのです」
「………………え……っと」
「この地に沈殿している澱は深く沈んでおり、常識的に考えてあなた一人で何とかできるものではありません。ですから、現状が何一つ動かないまま10日後にこの地を去ることになってもあなたは気にする必要はありません。……ただ、何かを変えることができる者がいるとしたら、それはフィーア、あなたではないかと私は考えるのです」
「………………え、あ、あの……」
………ど、どうしよう。
な、何だか大それた話になってきているんだけど……
「初めに述べたように、あなたには拒否する権利があります。住民たちの赤い髪に対する思いは強烈なので、場合によってはあなたが不快に思うようなことや、危険な目に合うことがあるかもしれません。拒否する場合はこちらに滞在する間中、領主館内での業務に就いていただくので、住民の前に姿を現す必要はありません。……ただ、どちらを選択するにしても、私はあなたにこの地に赴いていただき、自分の目で現状を見た後で決断していただきたかった。そのために、説明が遅れたことについてはお詫びします」
「………………」
私は咄嗟に何とも答えることができず、シリル団長をじっと見つめた。
こんな場面だというのに、何かを強制するでもなく圧力をかけるでもない静かな表情だった。
けれど、よく見ると青い瞳が暗く翳っている。
……シリル団長は苦しんでいる。
団長の話を聞いている間感じていたのは、団長の苦しみと、何とかしたいという住民たちへの思いだった。
多分、団長は領主になってからの10年間、色々なことを試してみたのだと思う。
けれど、どれも功を奏さず、藁にも縋る思いで私に頼み込んでいるのだ。
騎士団長と一介の騎士の関係だ。
一言命じれば済むはずなのに、わざわざ友人という関係を作って断れる道を用意してくれた。
驚くほど優しい騎士だ。
この優しさが住民たちに伝わらないのは、嫌だなと思う。
陽気で人の好いサザランドの住民が負の感情を抱き続けている現状も、嫌だなと思う。
私はここに到着するまでの道中、ほとんど住民たちを見かけなかった閑散とした街路を思い出していた。
ぽつぽつとたまに目にした住人たちは私たちを遠巻きにするだけで、歓迎する気持ちは微塵も感じられなかった。
前世で領主であったカノープスに対する反応とは天と地の差だ。
―――うん、こんな関係は誰のためにもならないわ。
「……シリル団長は立派な領主だと思いますし、サザランドの住人も好きです。どこにも悪い人がいないのに、仲良くなれない現状は間違っていると思います。……私がどれだけお手伝いできるか分かりませんが、お手伝いさせてください」
私はシリル団長の目を真っすぐ見つめると、はっきりとした声で返事をした。
シリル団長は初めて見るような弱り切った表情で微笑むと、「ありがとう」と呟いた。
「あなたは自分の意思で決断したと思っているのでしょうが、私が多分に影響を与えてしまっていることは自覚しています。ですから、決断していただいたあなたの身の安全は絶対に保障します。あなたには私かカーティスが常に同行します。この地で一定の信用を勝ち取っているカーティスが同行することは、あなたが安全な人物であることを住民たちに示すことにもなりますので」
シリル団長は立ち上がると、ファビアンに視線を向けた。
「聞いた通りです、ファビアン。何かあった時はフィーアの護衛をお願いします」
「承知しました」
ファビアンは生真面目な声でシリル団長に返事をしていた。









