50 第一騎士団復帰1
黒竜探索の翌日、私は第一騎士団に復帰した。
いつの間にか帰属意識が培われていたようで、ほんの数日間第一騎士団を留守にしていただけだというのに、シリル団長の顔を見たら嬉しくなる。
「シリル団長――!」
団長室の扉を開け、シリル団長の姿を認めた私が名前を呼びながら思わず駆け寄ると、団長は執務机から立ち上がり、机を回ってきてくれた。
団長の手前で立ち止まり、騎士の礼を取る。
「シリル騎士団長、フィーア・ルード、ただ今戻りました!」
「おかえりなさい、フィーア」
優し気な声に顔を上げると、シリル団長がうっすらと微笑んでいた。
「ふふ……、昨夜会った際に帰団の挨拶は既に受けたと思っていたのですが、そうでした。あなたはお酒が入ると記憶が白紙化するのでしたね。……フィーア、大変だったようですが、無事に戻ってきてくれて嬉しいです」
シリル団長の言葉に、目をぱちくりとする。
……あれ、第四魔物騎士団での仕事ぶりを報告する必要があると思ったから早めに出てきたんだけど、シリル団長って既に事柄把握済み?
もしかして、昨夜の肉祭りでシリル団長に会った時に、私が報告したのかしら?
昨夜のことを思い返してみると、シリル団長やクェンティン団長、ザカリー団長、デズモンド団長が肉祭りに参加していて、挨拶をして……、くらいのところで途切れている。つまり、ほとんど覚えていない。
けど、覚えてはいないけれど、どうやら私は宴席にもかかわらずシリル団長に報告を上げていたらしい。
私ってすごいわね! 騎士の鑑だわ。
そう思ってにまにましていると、シリル団長は小さくため息をついた。
「フィーア、あなたについての報告を上げてきたのは、ザカリーとクェンティンですよ。昨夜のあなたといえば、ただただ美味しそうにお肉を食べて、お酒を飲んでいました」
「えっ、あ、そ、そうですか……」
想像とは異なる現実を教えられてしょんぼりとする私を見て、シリル団長は可笑しそうにふふふと笑った。
「あなたがあなた通りで安心しましたよ、フィーア。ザカリーとクェンティンの話では、あなたは重要人物に成り上がってしまったので、私なんてもう相手にしてもらえないかと心配していたのです」
絶対にそんなことは思ってもいないだろうに、シリル団長は悲し気な表情でうそぶいてきた。
「じ、重要人物ですか? ……あ、いやいや、勘違いするところでした! 一瞬、褒められたのかと思ってしまいそうになったけれど、そんなわけないですよね。だって、今回私は褒められることなんてしていませんからね。……ええと、あれですね! 婉曲な嫌味という高等テクニックですね? ザカリー団長に習いましたよ。ということは、つまり、私はあまりに出来が悪すぎると、けなされているのでしょうか?」
団長の発言の真意が不明のため尋ねてみると、不思議そうにきょとんとされる。
私の発言が理解できていないようだったので、補足してみる。
「……ええとつまり、シリル団長から申し付かった従魔の生命力の数値化は全くできませんでしたし、昨日の黒竜探索の時に活躍したのは黒竜自身で、私はほとんど何も手伝えなかったし、……ええと、私の仕事ぶりを咎められているのかなー……と」
自分で言いながら、どんどんとしょんぼりとしてくる。
そして、はっと思い当たり、慌てて言葉を追加する。
「も、もしかして、クェンティン団長から苦情がきましたか?」
クェンティン団長は黒竜であるザビリアに心酔していたわよね。
ザビリアばかりに働かせ、ほとんど何もしていない私はさぞや怠け者に見えたのじゃあないかしら?
「そ、それとも、苦情を申し立てたのはザカリー団長でした?」
戦闘中の私といえば、聖女の横に立っていただけだった。
戦闘後においても、ザカリー団長が業務の必要上行った質問にはほとんど答えなかったうえ、突然倒れこんでザカリー団長に介抱してもらっている。
……お、お忙しい騎士団長に、私は何をさせているのかしら。
しかも、私の涙でザカリー団長の服はびちゃびちゃになっていたわよね。
これは、すごい迷惑行為じゃないだろうか。
……まずい。思い返せば思い返す程、役に立たなかった記憶しか出てこない。
名誉挽回するためにも今度、クェンティン団長とザカリー団長の前で、頑張る姿を見せないと……
「ま、まぁ、実際に命じられた事柄を果たしていないので、何を言われたとしても受け入れるしかないんですけど……」
だんだんと声が小さくなる私を見て、シリル団長はふふっと笑った。
「本当にあなたはあなたのままですね。……そうですよね。私たちがあなたの力に気付き出したというだけで、あなた自身は何も変わりはないのですから」
「え?」
「何でもありません。従魔の生命力の数値化については、気にしないでください。私の都合であなたを早めに呼び寄せたのですから、責められるとしたら私です。そうして、筆頭騎士団長である私を正面から糾弾する者がいるはずもありませんから、この話は解決です」
「……え? そ、そんな簡単な話ですっけ?」
数日間他団に預かられながら、肝心な仕事を全くしなかったことを、こともなげに切り捨てるシリル団長をぽかんとして見つめると、団長はにっこりと微笑んだ。
「黒竜探索については、あなたの認識とザカリーやクェンティンの認識に差異があるようで、あなたは十分以上の役割を果たしたと彼らが証言しました。他団の団長たちに部下を褒められるなんて、団長冥利につきます。フィーア、ご苦労様でした」
「は、はい……?」
シリル団長は嬉しそうに私を労ってくれたけれど、私は小首を傾げるしかない。
ザカリー団長とクェンティン団長が私を褒めた?
いやいや、先ほど思い返してみた限りでも、昨日の私に褒められる要素なんて全くないし。
ザカリー団長からは隠していた力を使ってありがとうとお礼を言われたけれど、結局、クェンティン団長の洞察によって、私の力ではなくザビリアの力だってことが分かったし。
うん、そういう意味では、ザカリー団長は私にお礼を言い損だよね。
……なんで、私は褒められたんだろう?
全く意味が分からなかったけれど、シリル団長は嬉しそうに笑っているので水を差すこともないと思い、心得た様に頷いてみた。
「お褒めいただいて光栄です。きっと例のアノ件で褒められたのですね。はい、アレは頑張りました」
「フィーア、あなたのそういうところですよ……」
私の発言を聞いたシリル団長は、じとりと私を見つめてきた。
「あなたのそういうところが、あなたの価値を落としているのです。……まぁ、言っても直らないのでしょうが」
諦めた様にシリル団長はほっと息をつくと、気分を変えるように明るい声で話しかけてきた。
「ところで、ご気分はどうですか? 昨夜のあなたはただ美味しそうにお肉を食べて、お酒を飲んでいたと先ほどは言いましたけれど、実際は、宴席の間しばらくはしょんぼりと落ち込んでいたのですよ」
「え? 私がしょんぼりしていたのですか?」
……全然覚えていない。
「ええ、あなたの大切なお友達が遠くへ行ってしまったと、それは落ち込んでいましたね」
「ああ……」
……それは、本当だろう。
今朝も、目覚めた時にお腹の上が軽くてしょんぼりした。
いつも側にあったぬくもりがないことがこんなに寂しいものだとは、体験してみて初めて気付いた。
ザビリアは竜王になると旅立って行った。
青竜と戦った時のザビリアは恐ろしく強かったから、簡単にやられることはないだろうけど、こればかりは分からない。
実際、最初に出会った時のザビリアは大ケガをしていたし。
今のザビリアは出会った当時よりも体格が立派になってはいるけれど、大ケガを負わされた魔物と再び対峙した時、勝てるかどうかは分からない。
ああ、離れることはよくないな。
見えない分、心配が募る―――……
シリル団長の言葉でザビリアのことを思い出し、悲し気な表情になった私を見ると、団長は優し気な声を出してきた。
「だからですね、昨日、あなたと私は友達になったのですよ」
「………………は?」
言われた意味が分からず、ぽかんとシリル団長を見つめる。
「あなたが『仲の良い友人が離れて行って寂しい』と言い、私が『だったら、代わりに私と友人になりましょうね』と言って、あなたが了承したのです」
「う、嘘です……!!」
私は咄嗟に言い返した。
アルコールのせいで記憶がないにしても、自分の行動くらい分かる。
私は絶対に、シリル団長と友達になろうなんて思わないはずだ。
自分の行動を確認するためにも、改めて目の前に立つシリル団長を見つめる。
白い騎士服を着たシリル団長は、細身ながら均整の取れた体つきをしていた。
肩章につけた総がきらきらと輝いており、顔立ちの端正さとも相まって、上品で優美な雰囲気を醸し出している。
けれど、この優美な姿は見せかけで、シリル団長が騎士団一の剣士であることを私は知っている。
それから、フラワーホーンディアを倒した夜に開催した第一回肉祭りで、笑顔のまま、褒め言葉のまま、騎士たちを追い詰めていった手腕を、私は実体験している。
追い詰められた側だったので、シリル団長の腹が立つほどの有能さに、心の底から恐怖したものだ。
さらに、クェンティン団長の団長室で、笑顔のままギディオン副団長を追い詰め、脅しとしてローテーブルを破壊したあのやり方。
何も知らない様子で話し始め、相手が油断したところで次々に証拠を示し追い詰めていくだけで十分恐怖なのに、誰も壊せないような硬い材質の家具まで壊してみせ、実力の違いを見せつけたのだ。
その上で、歯の根も噛み合わないほど怯えて震えている相手の胸倉を掴んで、脅しをかける。
あれはもう、魔王の所業だ。
それから、聞いたことがないから想像でしかないけれど、シリル団長の優雅な立ち居振る舞いを見るに、団長は貴族ではないだろうか。それも上級の。
上級貴族なんて、面倒以外の何物でもない。
……今思いついた、知っている限りの情報でも、親しく付き合いたいとは思えないものばかりだ。
「ないです! 私がシリル団長と友達になることに同意することなど、絶対にないです!!」
「おや? あなたは昨夜のことを覚えているのですか?」
ぐっと言葉に詰まったけれど……、うっすらと微笑んでいるシリル団長の笑顔が胡散臭くてたまらない。
証拠はないけれど、絶対にシリル団長は嘘をついていると思う。
「一度、友人の誓いを立てた後に簡単に取り消すようでは、『騎士の十戒』にある『誠実さ』を守っているとは言えませんね。フィーア、騎士たるもの、一度口にしたことを違えてはいけません」
「ぐぅ…………」
絶対に絶対に、正義は私にあると思う。
あると思うのだけれど、アルコールにやられて何一つ覚えていない頭では言い返せない。
そうして、そのことが分かっている団長は、胡散臭い笑顔で私を追い詰めてくる。
「ねぇ、フィーア。そう拒絶されると傷つきますので、そのあたりで許してください。私は誠実だし、剣の腕も悪くはないし、仲間を裏切ることはしません。友人としてはお買い得だと思いますよ」
「うぐぅ…………」
口ごもる私に、「いいでしょう?」とシリル団長は笑顔で詰め寄ってきた。
「わ、かり、ました。ザビリアの代わりではありませんが、……シリル団長はお友達です」
苦渋の選択でそう答えると、シリル団長は可笑しそうに微笑んできた。
「やはり、お酒が入っていても抜けていても、あなたの意見は変わりませんね。昨日、あなたは同じように、『去っていったお友達の代わりは誰にもできない。彼の席は彼のものだ』と頑として譲らなかったのですよ」
えっ、やっぱりシリル団長の申し出を私は断っているのじゃないかしら、と思った私に対して、シリル団長は慌てて補足してきた。
「もちろん、その後あなたは、私のために新しい席を用意してくれると言ったのです」
………ぐぬう。
ザビリアがいなくなって弱っていた私が、そのタイミングで優しい申し出を受け、シリル団長との友人関係を受け入れた可能性もありそうな気がしてきた。
普段の私ならシリル団長みたいな切れ者すぎて大物すぎる相手を友人に選ぶなんてありえないけれど、今回の状況を考えると、友人になると言ったかもしれない、と思う。
それとも、シリル団長の話が上手すぎて、私は騙されているのだろうか……
「ありがとうございます、フィーア。私はよき友人になることを約束しますよ」
どちらにしても、素面の状態で友人関係を肯定してしまった今、私には受け入れることしかできない。
「あ、ありがとうございます。私も団長に対して誠実で、よい友人になることをお約束します」
差し出された右手に自分の右手を重ねながら答えると、シリル団長はにこりと綺麗に微笑んだ。
その邪気のない綺麗な笑顔を見て、確かに団長は、友人としては素晴らしいだろうと思う。
シリル団長は優しいし、面倒見がいいし、頼りがいがあるし、本来なら最上級の友人だろう。
ただ、あまりにも大物すぎて、私には釣り合わないってのが、最大の問題なのだけど……
私の希望はどうあれ、シリル団長と友人になるという結論がでたところで力が抜けた私に対して、シリル団長が何気ない声で話しかけてきた。
「それでですね、フィーア、友人としてお願いがあるのですけれど……」
顔を上げてシリル団長を見つめた私は、大掛かりな罠にはまったことに気付いた。
「だ、団長! 友人関係云々というのは、お願いのための布石だったんですね…!!」
……けれど、気付いた時は、既に遅かった。
シリル団長は、綺麗な笑顔を保ったまま、話を続けてきたのだった……









