35 第四魔物騎士団9
翌朝、私はわくわくした気持ちでザビリアが目覚めるのを待っていた。
ザビリアは寝相が悪いようで、いつも私と一緒に布団に入って眠るのに、目覚めた時は布団から出て、私のお腹の上ですーすーと寝息を立てている。
ブルーダブグッズを着用したまま眠るので、少しは防寒になっているとは思うけれど、毎晩布団から出ているというのはどうなのだろう。風邪をひかないのかな、と心配になったので、昨晩、ザビリア専用の防寒着を作ったのだ。
それを、お披露目したくてたまらない。
早く起きないかなーという気持ちを込めて見つめていると、ザビリアは私のお腹の上で身じろぎをした。
そして、すりすりと頭を私のお腹に擦りつけている。
うふふ、何の夢を見ているのかしら……
しばらく眺めていると、ザビリアはパチリと目を開いた。
そして、見つめていた私に気付いて、声を掛けてくる。
「おはよう、フィーア。どうしたの?」
「うふふ、ザビリア。春とはいえ、朝晩が肌寒いこの季節。何か、寒さでお困りではないでしょうか?」
「……これは、従順な従魔としては、寒いというべきなんだろうけど……。僕には、既にフィーアが作ってくれた素敵なブルーダブ変身セットとやらがあるよね? 強欲は身をほろぼすから、このあたりで満足しておこうかな?」
「ザビリアったら、何て謙虚で慎ましやかなの! でもね、昔っから、そういう謙虚な態度にこそ、幸運ってのは寄ってくるのよ!」
「……そっか。なるほど。僕は、勘違いをしていたようだね。……既に、答えは決まっているんだ? そして、僕が何と答えようとも、結末は変わらないんだね?」
ザビリアは、諦めたように首をぺたんと布団の上に落とすと、尻尾をぴこぴこと振った。
「うわーい、うわーい、ちょうど肌寒いと思っていたんだ。何か、温まるすべはないものかなぁ」
若干棒読みのような気がしたが、望み通りの答えが返ってきたので、満足することにする。
「うふふ、ザビリア! 実はねぇ、……じゃ、じゃ―――ん!ザビリア専用の防寒着を作ったのでした―――!!」
私は得意気に、昨晩の成果物をザビリアに見せつける。
「……ええと、それは、ブルーダブグッズの劣化版? なのかな?」
「違うわよ。ザビリアの防寒着よ。ザビリアが寒い時に、その上から着られるように作ったのよ」
私は、よく見えるようにとザビリア専用防寒着を、ザビリアの目の前で広げて見せた。
「ほら、青い布の上にブルーダブの羽根を縫い付けてみたの。ただ、羽根は前回の残りを使ったから、ちょっと少なくて、すかすかした感じはするけど、でも、その分、布を二重にしたからね」
それから、今回の特徴であるしっぽの部分の穴について説明する。
「これはねぇ、言ったように、元々はザビリアが寒い時にその上から着ると、寒さを防げるようにと思って作ったんだけど、わざわざブルーダブの羽根を使ったのには理由があってね。防寒着の方には、しっぽの部分に穴をあけたのよ。ここから手を入れると、あら不思議。ブルーダブのパペットが出来上がりました!」
私は、防寒着の中に手を入れると、ぴこぴこと動かしてみる。フードの部分が頭に見えて、まるでブルーダブがもう一頭いるように見える。
「う――……ん、防寒着に特化させてもよかったのじゃないかな? そのパペットは、どういう時に使うの?」
「そうね、ザビリアが寂しい気持ちになった時とか、かな? あと、シャーロットとお友達になったから。彼女は子どもだから、こういうぬいぐるみみたいなのが好きかなと思って」
「うん、なるほど。彼女くらいの年齢なら、ぬいぐるみが好きかもしれないね。でも、フィーア、シャーロットに見せる時は、まず、それがブルーダブを模したパペット兼防寒着だっていう説明から始めた方がいいと思うよ。突然見せられた場合、それをブルーダブって理解するのは難しいのじゃないかな」
ふむふむ。説明は、大事よね。
私はパペットを左手にはめると、ザビリアを抱き上げて胸の前に抱えた。
「シャーロットとは、朝の回復薬投与時に会うことにしているから、その時に見せようかしら。まずは、第四魔物騎士団の団長室に行かないと……」
目覚めた時に、ギディオン副団長に対して、現状を一旦報告しておいた方がいいのじゃないかなと思い至ったのだ。
……きっと、副団長も、自分が指示した仕事の進み具合は気になるはずよね?
シャーロットと約束した時間はまだ先なので、初めに、第四魔物騎士団の団長室に向かう。
団長室のドアをノックすると、入室を許可する声が聞こえた。
「失礼します」
ドアを開けると、だらしなく椅子に腰を下ろしているギディオン副団長が目に入った。その隣には、パティ副団長補佐が書類を持って立っている。
「おはようございます、フィーア。どうされました?」
私に気付いたパティが声を掛けてくれた。
「おはようございます、パティ副団長補佐。昨日は、従魔への回復薬投与を問題なく実施できましたので、そのご報告に参りました」
「それは、素晴らしいですね。実は、慣れていない君には難しい業務ではないかと心配になりまして、昨日の夕刻、数名の騎士に様子見に行かせたのですよ。そうしたら、ケガをした魔物には全て回復薬を投与済みのようだったと報告がありまして、感心していたところです。さすが、第一騎士団長ご推薦の騎士ですね、素晴らしい仕事ぶりです」
パティがにっこりと笑って褒めてくれる。
返事をしようと口を開きかけると、ギディオン副団長がわざとらしく鼻を鳴らした。
「はん、魔物に回復薬を投与したくらいで褒められるなんて、羨ましいご身分だな。こっちは、不測の事態が起こって、ほとんど睡眠も取れてねぇってのに、第一騎士団員様は優雅なもんだ」
おお、安定の不機嫌モードですね。
「おはようございます、ギディオン副団長。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、私も昨晩は、寝不足です。なぜなら、私の可愛い従魔が風邪をひかないようにと、防寒着を手作りしていましたからね。うふふ、魔物騎士団の副団長ともあろう方なら、この溢れるほどの従魔愛を理解してもらえると思いますけれど」
「……お前の従魔がお前に懐いていることなら、とっくの昔に気付いていたわ! はん、そこだけは、悪くはないな。だがな、そういうことを自ら吹聴するあたり、オレに取り入ろうとする魂胆が見え見えで、いけ好かねぇ! お前は、一人で立つことを覚えろ!」
「えええ、それは、偏見が入っていませんか? 魔物騎士団の騎士が同じことを言ったら、『従魔を可愛がるのは、いいことだ』とか褒めるんじゃないですか?」
思わず反論すると、パティ副団長補佐が小さく噴き出した。
「ふふ、確かに私は、似たようなセリフを、副団長が団員に向かって話されているのを最近聞きましたね。あれは、団員が自分の従魔を殊の外可愛がって、それを自慢してきた時でしたっけ?」
ギディオン副団長はきっとパティ補佐を睨みつけたけれど、パティは涼しい顔で副団長を見返している。
ちょっとした沈黙が落ちたところで、団長室のドアがノックされた。
「入れ!」
副団長が許可を出すと、外側からドアが開かれた。
そして、開いたドアの向こう側には、シリル第一騎士団長が立っていた。
副団長以上にだけに許された信頼・清廉を表す白地に黒の差し色が入った騎士服が目にも眩しくて、団長位を表すサッシュの下から肩章や飾緒がきらきらと輝いている。
その団服に均整の取れた肉体を包み、姿勢よく立つシリル団長は、いかにも有能で上位の指揮官という印象を与えていた。
う――ん。外からの目で見ると、シリル団長って、ひとかどの人物ね。
ギディオン副団長は、シリル団長の姿を認めると、慌てて椅子から立ち上がった。
それを見たシリル団長は、片手で制すると、にこやかに微笑む。
「朝早くからお邪魔をして申し訳ありません。特段の用事がある訳ではなく、団員の進捗管理に立ち寄っただけですから、お気になさらないでください」
そうして、シリル団長は私に向き直ると、にこりと微笑んできた。
「第四魔物騎士団には、慣れましたか? それから、業務の進捗はいかがでしょうか? あなたの進捗次第では、早めに第一騎士団に戻ってきていただこうかと、確認にきたのですが」
「進捗ですか?」
団を離れた私のことも管理してくれているなんて、面倒見がいいなー、と思いながら、ちょっと考え込む。
「そうですね、ケガをした従魔には昨日から回復薬を与えていますので、明日には皆、よくなっているかと思いますが……」
私の答えを聞いたシリル団長は、不可解そうな顔をする。
「何の話をしているのですか? 魔物の生命力を数値化するために、第四魔物騎士団にあなたを貸し出したのですよ。それなのに、あなたは魔物への回復薬投与を行っているのですか?」
「え? ああ、そうでしたね。そもそもは、魔物の生命力の数値化という話でしたね。ええと……」
魔物の生命力の数値化は、顔合わせの時にギディオン副団長に断られたんだったわよね。
でも、それを言うと、ギディオン副団長はシリル団長に怒られるんじゃないかしら?
う――ん? こういう時は、別の話をしてしまおう?
「ええと、第四魔物騎士団に慣れたかっていうお話でしたね? 私の従魔を迎えに行くことができたし、パティ副団長補佐は親切で……」
「フィーア、あなたの話は、後程聞きます」
シリル団長は、私の話を途中で遮ると、ギディオン副団長に向き直った。
そして、穏やかな表情のままギディオン副団長に話しかける。
「残念なことに、どうやらうちの団員は、私が申し付けた仕事に手も付けていないようですね。原因が何か、ご存知ですか?」
「え………………」
ギディオン副団長は、想定外の質問に動揺して、返すべき答えを用意できないようだった。口は開くが、声が出てこない。
シリル団長は、そんなギディオン副団長をしばらく見つめていたが、返事がないことに焦れたのか、小首を傾げる。
「彼女が自主的に業務を懈怠しているのか、第四魔物騎士団のどなたかが、彼女の本来の業務を阻害しているのか」
シリル団長はそこで一旦言葉を切り、ギディオン副団長を見つめたが、沈黙が続いたため先を続ける。
「……どちらにせよ、ギディオン、現在はあなたがこの魔物騎士団を指揮する立場ですので、団内に業務の乱れがあれば、あなたが正すべきですよね。さて、教えてください、責任者。私の団員が、私の命令に従っていない原因は、どちらにあるのでしょうか?」
「あ………………」
シリル団長は言葉を切ると、軽く腕を組み、返事を待つようにギディオン副団長を見つめた。
それでも意味のある言葉を発さないギディオン副団長を困ったように見つめると、シリル団長は思い出したように言葉を継いだ。
「ああ、そういえば、先ほど、ドアの外であなたががなり立てる声が聞こえましたけれど、お相手はどなたでした?」
「え………………」
「こちらにいらっしゃるあなたの補佐官相手に、がなり立てていらっしゃった? それとも、まさか、私の団員相手に、あのような恫喝まがいのことをやられていたのですか? だとしたら、一体、どれ程の失態を私の団員は犯したというのでしょう?」
「は………………」
ギディオン副団長は、何かを話そうと何度か口を開くが、はくはくと息が漏れるだけで、意味のある言葉が出てこない。
シリル団長は、辛抱強くギディオン副団長の発言を待っていたが、ギディオンからの発言が返ってきそうもないことに気付くと、仕方がないといった風に小さく笑った。
そして、笑みを浮かべたまま、片足を少しだけ持ち上げると、シリル団長の脇に備えてあったローテーブルに、踵から一気に振り下ろした!
どごん!! とすごい音がして、ローテーブルが真っ二つに割れる。
「…………な?! あ?!!」
ギディオン副団長は、驚愕したように口を開けると、ローテーブルを凝視した。
それは、そうだろう。
シリル団長はほとんど足を振り上げなかった。あの低い位置から足を振り下ろして、どうやったらテーブルが破壊されるのだ?
シリル団長は笑顔のままギディオン副団長に近付くと、片手で胸倉を掴み上げ、顔が触れるほど近付いた。そうして、冷ややかな笑みを浮かべたまま、口を開く。
「この第一騎士団長である私が、直接指名して送り出した騎士を、あなたは蔑ろにしているのでしょうか? 職務懈怠で懲罰をお望みか? それとも、今ここで、私に潰されたい?」
顔が整っている分、笑顔が怖い。というか、脅しのように口にしたことを実行できる権力と物理的な力とを両方兼ね備えていることが、一番怖い。
ギディオン副団長は、真っ青な顔になると、声を振り絞っていた。
「オ、オレ、私は……………………」
少し離れたところから見ても、ギディオン副団長の歯の根が合っておらず、かちかちと音がなっているのが分かる。
……うん、これは恐怖だわ――。
流石に筆頭騎士団の団長まで上り詰めただけはあって、シリル団長は迫力が違う。
実力が伴っているってのが、また恐怖を誘うよね――。
大概のことは、何をやったとしても権限内として処理される権力の大きさも、恐怖の原因だよね――。
他人事として離れたところから見守っていたが、ギディオン副団長が言葉も発せず、ただただ震えているという、あまりに哀れな様を呈するので、同情心がわいてくる。
う―――ん。ギディオン副団長からは散々嫌味を言われているので、好きではない。が、嫌いでもないんだよね……
悪口のレベルではレオン兄さんの足元だし、悪意のレベルでは前世の兄さんたちの足元だし、どちらにしても悪人としては大したことないのだ。
それに、どう見たって、シリル団長とギディオン副団長では、レベルが違う。
これでは、大人が子どもを虐めているようなものだ。
私は、はぁ、とため息を一つ吐いた。
仕方がない。不本意ながら、ギディオン副団長の助けに入ろう、と思ったところで、ガチャリとドアが開いた。
思わず振り返ると、見たこともない騎士が立っていた。
誰だろうと首をかしげる私の前で、ギディオン副団長は、その騎士を見た途端に、安堵で全身を弛緩させる。
「……ク、クェンティン団長!」
喉元を締め上げられているからか、ギディオン副団長の口からは、かすれた声しか漏れない。
ギディオン副団長の声に反応したかのように、クェンティン団長と呼ばれた騎士は、チラリとギディオンを見やった。
そうして、次に、こちらを見つめてくる。
―――第四魔物騎士団長は、浅黒い肌に濡羽色の髪をした、大柄な騎士だった。
見た瞬間、しなやかな大型の黒い肉食獣を連想させる。
うん、これはまた、美しい獣だな……
感心して見つめていると、その大型獣は、カールした髪をかき上げながら、表情を歪めた。
「勘弁してくれ。……少し不在にしていただけで、なんでオレの部屋に天災級の化け物が二体も引き入れてあるんだ?」
そう言いながら、クェンティン団長は用心深そうに距離を保ったまま、私たちを見つめてきた。









