33 第四魔物騎士団7
「こんにちは、聖女様」
私は、聖女の目の高さに合わせて腰をかがめると、返事をした。
聖女は、小さく首をかしげると、何を言ったものかという風に言い淀んでいる。
オレンジ色の髪はつやつやだし、ほっぺは子ども特有の赤みがさしているし、間近で見ると、とても可愛らしい聖女だ。
彼女が自分の言葉を整理するのを待っていると、しばらくした後、思い切ったように口を開いた。
「……あの、騎士様はすごいのですね。契約主でもないのに、脅すこともなく魔物に薬を飲ませることができるなんて」
「フィーアです」
言うと、きょとんとした顔で見返される。私は、にこりと笑うと、繰り返した。
「私は、フィーアと申します。よければ、名前でお呼びください」
それを聞いた聖女は、どういう訳か真っ赤になった。
「あ、私、私は、シャーロットと言います。あの、よかったら、どうか、シャーロットと呼んでください」
「シャーロット様……?」
「いえ、シャーロットで! あと、どうか、話し方も普通で。あの、家族みたいに話してください」
う――ん? 聖女って、ものすごく敬われているんだよね? それは、どうなのだろう?
ちらりとシャーロットを見ると、両手でローブの膝のあたりを掴み、涙目でぷるぷると震えている。
な、なにこれ。可愛いんだけど。
「はい、シャーロット。これでいい?」
言うと、シャーロットはにっこりと笑ってくれたけど、目からは涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「え? ど、どうしたの?」
驚いて手を差し伸べると、シャーロットはその手にしがみついてきた。
「私には、お母さんがつけてくれたシャーロットって名前があるのに、誰も呼んでくれないの。みんな、『聖女様』って呼ぶの。それは、私の名前じゃないのに」
私の袖口に、次々とシャーロットの涙が零れ落ちる。
私はシャーロットをぎゅっと抱きしめると、ぽんぽんと背中を叩く。
「そっか。シャーロットは、3歳の時の検査で聖女様って認定されたのね?」
尋ねると、私の胸に頭をぎゅっと押し付けながらも、こくこくと頷く。
「聖女だから、もうお母さんとは一緒にいられないって、教会に連れていかれたの。立派な聖女になったら、お母さんにも会いに行けるよって言われた。でも、私は、出来損ないなの。聖女の力は弱いし、回復薬も作れない。だから、きっと、お母さんは恥ずかしい思いをしている…………」
それ以上は言葉にならないようで、シャーロットは私にしがみついて、本格的に泣き出した。
私は、ぽんぽんとシャーロットの背中を叩きながらも、首をひねらずにはいられなかった。
一概には言えないけど、オレンジ色の髪って聖女向きだと思うんだけどな?
精霊は、聖女の血に惹かれて契約を結ぶから。
だから、血の色に繋がる赤髪が最上の聖女の器と言われていた。
その考えでいくと、赤の類似色であるオレンジも、上位の器のはずなのだけれど?
その利点を打ち消すほど才能がないってことかしら?
ぽんぽんと背中を叩き続けていると、少しずつシャーロットは落ち着いてきた。
すっかり泣き止むと、恥ずかしそうに顔を上げる。そして、いつの間にか私の肩に乗っていたザビリアを見つけると、目を丸くした。
「青い鳥! お母さんが、幸福を運ぶ鳥って言っていた」
私はにこりと笑うと、シャーロットの頭を撫でた。
「そうね。私はこの子がきてくれてから、楽しいことばかりよ。きっと、シャーロットにもいいことが起こるわ」
それから、シャーロットの手をそっと握る。
「まだ怪我をしている魔物が何頭かいるから、私は回復薬を飲ませないといけないの。手伝ってくれる?」
シャーロットは、嬉しそうな顔でにっこりと笑った。
「うん、フィーア!」
その後の、回復薬投与はスムーズに進んだ。ザビリアの警告音とやらは絶大で、どの魔物も素直に回復薬を飲みだす。
ただ、飲んでしばらくすると、膝を折り曲げ、苦しそうに低い声で唸り出すのがいたたまれない。
……うん、これは痛いのよ。
自分も経験したので、つい魔物の気持ちに寄り添ってしまう。
自己治癒のための回復魔法は、体中の隅々までいきわたっている。
それに悪作用するならば、全身が軋み出し、もだえ苦しむのも当然だ。
手をぎゅっと強く握られたので見ると、シャーロットが涙目になって魔物を見ている。
うん、魔物が痛みに苦しんでいるのを、可哀そうに思えるなんて優しい子だな。
やっぱり、聖女に向いているんじゃないかしら。
ケガをした魔物に回復薬を飲ませ終わると、シャーロットとともに従魔舎を出た。
「シャーロット、時間があるなら、ちょっとお散歩しない?」
城内の東側には、湧水群があったはずだ。
肩にザビリアを乗せ、シャーロットと手をつないで歩く。
ああ、おひさまがぽかぽかして、気持ちいいなぁ。
目当ての場所につくと、複数ある泉を見て回る。
「うん、これがいいわね。小さくてちょうどいいわ」
一番小さい泉を前に私は独り言ちた。そして、シャーロットを覗き込む。
「ねぇ、シャーロット。私と回復魔法の練習をしてみようか」
「えっ? でも、私…………」
シャーロットがしょんぼりと下を向く。
「ふふ、大丈夫よ。私は回復魔法を使えないし、シャーロットが上手くできなくても分からないわ」
シャーロットが顔を上げたので、にこりと笑ってみる。
「練習ってのは、だいたい失敗するものよ。失敗する練習をしてみない?」
シャーロットは私の手を強く握り返すと、こくりと頷いた。
それから、二人でそこかしこに生えている、薬草を摘んでまわった。両手いっぱいの薬草を摘んでは、泉に投げ入れるという行為を繰り返す。
「ねぇ、ここの薬草はきれいでしょう。この青々とした薬草を体に取り込んだら、色んなところがよくなると思わない?」
シャーロットの見る目は確かで、たくさんの種類の草の中から、的確に薬草だけを選んで摘んでいく。
ザビリアは定位置である私のお腹から出て、草の上で昼寝を楽しんでいた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。小さな泉に十分と思える薬草を投入できたので、シャーロットに声を掛ける。
「それじゃあ、袖をまくって両手をこの泉につけてみて。それから、回復魔法を流してみて。回復薬を作る練習よ」
「え、でも、他の聖女様たちが回復薬を作る時は、乾燥した薬草を砕いて水に溶かしたものを使っていたけど。というか、みんな、瓶に入れて作っているし、泉って…………」
大き過ぎて、よくわからないとシャーロットは小さく呟いた。
「ふふ、練習だから気にしないで。さぁ、手を出してみて」
言いながら、袖をまくったシャーロットの両手を両手で掴む。
そして、泉に手を付けるとシャーロットの額と額を合わせる。
「回復魔法を流してみて」
シャーロットは緊張しているようだったけど、ゆっくりと小さな魔力が流れてくる。
……うん、確かに流れが悪いな。
頻繁には回復魔法を使っていないのだろう。シャーロットの体の数か所で魔力の軽い遮断が行われている。
……回復魔法を使い続けていると、抵抗が取り除かれて、きちんと流れるようになるんだけど……
まぁ、いいか。と、シャーロットの体に少し魔力を流し、抵抗を押し流す。
「………………え?」
シャーロットが驚いたような声をあげた。
「え? え? え? あれ? あ…………、ま、魔力が流れている…………」
私はにこりと笑うと、シャーロットの手を離した。
「上手よ、シャーロット。さ、その魔力を泉に流してみて。いい? 魔力は体中を巡っているから、それを少しずつ手の先に集めてみようか。泉を見て。澄み渡ってきれいねぇ。さっき、瑞々しい薬草をいっぱい入れたわよね、ほら幾らかはまだ浮かんでいるわ。ここに、あなたの魔力を流してみて」
シャーロットが少しずつ、指先から魔力を泉に流す。
ふふ、素直ないい子。やっぱり、いい聖女になるんじゃないかしら。
「その調子よ。さぁ、イメージして。ケガをした魔物がいて、痛い痛いと泣いているの。かわいそうね。……ここには、長い時間、大地の力を取り込んだ水と、自然の力をもらった薬草があるわ。この力を借りるのよ。さぁ、あなたの魔力を流して。この水と薬草と魔力で回復薬ができたら、ケガをした魔物はどんなに喜ぶかしら?」
言いながら目をつむり、私も少しずつ魔力を流す。
「そう、上手よ、シャーロット。少し、左手の方から放出される魔力が多いみたいだから、両手から同じだけ流れるようにコントロールできるかしら?」
少しずつ、少しずつ、シャーロットの魔力を整えていく。
そうして、私の魔力が空っぽになったころ、泉の底からきらきらとした光が立ち上ってきた。
薬草が水に溶けだし、透明だった水が緑色に変化していく。
「ああ、綺麗ねぇ…………。癒しの色だわ」
思わず、つぶやいた私を前に、シャーロットは泣きそうな声を出した。
「フィ、フィーア。私、体がおかしいの。何だかぽかぽかするし、体中を力が駆け巡っている感じ……」
私は、よしよしとシャーロットの頭を撫でる。
「おりこうさんよ、シャーロット。それが、回復魔法を使うということよ。よくできたわね。ほら、だから、この泉の水がぜ――んぶ、回復薬になりました!!」
私はにこりとして、じゃじゃーんとばかりに両手を広げて泉を指し示した。
「………………え?」
シャーロットは、ぽかんと口を開けて私を見つめる。
「……うん、分かるよ。思考停止は、逃避の有効な手段だよね。僕は、……気絶してみよっかな」
草の上で寝転がっていたザビリアが、小さくつぶやいていた。









