271 【SIDEサヴィス】10年前 2
王家の者は必ず聖女と婚姻を結ばなければならない。
しかし、王となる兄にはそれだけでなく、最も優れた聖女である筆頭聖女と婚姻を結ぶことが義務付けられていた。
生まれる前から定められている決まりごとだ。
兄だってそんなことは分かっているだろうに、こともあろうに力が弱い聖女である幼馴染のコレットとの婚姻を希望した。
コレットの能力を考えると、筆頭聖女に選ばれることはまずないだろう。
そのことは誰の目にも明らかだったため、母は絶対に2人の結婚を認めなかった。
母には筆頭聖女としての矜持がある。
だから、コレットを受け入れさせることは難しいだろうと思ったが、兄は決意した表情でオレに宣言した。
「サヴィス、王は孤独だ! 正しくその地位にあり続けるためには、信じられる誰かが側にいることが必要だ! 僕にとって、その相手はコレットなんだ」
正直、兄の気持ちは分からなかった。
己の心を救うのは己だけだ。
助けがほしければ、志を同じくする友や仲間、優秀な部下を持てばいい話で、必ずしも恋人にその役割を求めなくてもいいはずだ。
そう思ったが、兄はコレットが唯一の救いなのだと言い切った。
そうであれば、オレは兄の言葉を受け入れるだけだ。
兄からコレットを妃にする方法を尋ねられたため、考え得る現実的な方法を提案する。
「『王は筆頭聖女と婚姻する』とのルールを変更することです。実際のところ、兄上に必要なのは『聖女との婚姻』のみです。それにもかかわらず、結婚相手を筆頭聖女に特定しているのは王の権威付けのためですから、こだわる必要はありません」
王家の心臓には杭が打たれている。
そのため、必ず聖女と婚姻を結ばなければならない。
しかし、必要なのはそこまでだ。
だから、コレットが聖女である以上、やり方はいくらでもあるはずだ。
そう考え、いくつか具体的な提案をすると、兄は顔を輝かせた。
「ありがとう、サヴィス!」
朗らかに礼を言ってくる兄を見て、聖女との婚姻を望む兄の未来は幸多いように思われた。
そのため、オレは笑みを浮かべると、「頑張ってください」と兄を励ましたのだった。
一方のオレは、17歳の時、晴れて騎士団のトップである総長職に就いた。
同時にシリルも第一騎士団長となり、最側近としてオレを助けてくれた。
騎士という職はオレに合っていたようで、人々を守る盾であるという生き方に誇りを持っていた。
日々、騎士団総長として忙しくする中、ディタール聖国より応援要請がかかる。
大聖堂の近くに竜が棲み付いたため、討伐してほしいとの内容だった。
ディタール聖国は教会の総本山である大聖堂がある国で、優秀な聖女を多く抱えている。
元より断るという選択肢はなかったため、オレはシリルを伴って聖国に出掛けた。
しかしながら、その最中に訃報がもたらされる。
ナーヴ王国の最南端にあるサザランドで諍いが起こり、シリルの両親が帰らぬ人になったという報告だった。
シリルは動揺し、話を聞いた直後は剣も握れぬ有様だったが、彼は戦線を離脱することを望まなかった。
シリルの家族環境が複雑なことは知っていた。
その関係に長年、シリルが悩んでいたことも。
捻じれた親子関係が正されることなく両親を失ったため、シリルは感情を整理することができない様子だったが、役目途中で聖国を離れ、両親の墓標に駆け付けたとしても、シリルの心が落ち着くとは思えなかった。
そうであれば、目の前にやるべきことがあり、そのことに没頭した方が楽なのかもしれないと考え、シリルの意思を尊重した。
シリルは果敢にも戦場に戻ったが、普段通りの立ち回りができるはずもなかった。
そのため、彼の動きは精彩を欠き、オレもその全てをカバーすることはできず、一人の騎士がオレを庇って酷い怪我を負った。
戦闘後、改めて騎士の怪我を確認すると、彼の足首から先はぐちゃぐちゃに潰れており、切断すべきだということは誰の目にも明らかだった。
しかし、その時オレは、母ならば彼の足を治癒できるのではないかと考えた。
母はいつだってオレの安全に心を砕いており、オレが戦に出ている際には、いつ戻ってきても治癒できるようにと魔力を温存してくれていた。
そして、実際にどのような傷を負って戻ってきても、必ず治癒してくれた。
そのため、今回も同様に違いないと考えたのだ。
オレは負傷した騎士を伴うと、速やかにナーヴ王国に帰国した。
王城に戻るや否や、シリルとともに母のもとを訪れる。
「母上、ただ今戻りました!」
オレは扉口で大きな声を上げると、ずかずかと母の私室に入っていった。
母は椅子に座って何事かを書きつけていたが、嬉しそうな表情で立ち上がると、オレに両手を差し出してきた。
「サヴィス、お帰りなさい。ああ、あなたが無事だと確認させてちょうだい」
そう言うと母は両手でオレの顔を挟み、まじまじと見つめてきた。
それはいつものことだったため、オレは動かず母の好きにさせる。
戦闘から戻ってきた時はいつだって、母はまずオレの顔のどこにも傷が付いていないのかを丁寧に確認するのだ。
母の視線が顔から体に移ったところで、オレは口を開いた。
「母上、オレは無事です。代わりに、治してほしい騎士がいます」
母はふっと微笑むと、片手を上げた。
「私は紅茶を飲むところだったの。まずは一緒に紅茶を飲みながら、詳しい話を聞かせてちょうだい」
そう言うと、母は部屋の奥に置かれた棚に歩いていった。
「今日はディタール聖国の竜を討伐してきたあなた方のために、特別なお茶を淹れましょうね」
正直、茶を飲んでいる暇などないと思ったが、母が自分のペースを大事にしていることを知っていたため、シリルとともに無言で椅子に座る。
すると、母は目の前で自ら紅茶を淹れてくれた。
「まずは飲んでちょうだい。体が温まるわ」
オレとシリルは無言で差し出されたカップを手に取ると、気が急いていたこともあり、一気に飲み干す。
母はその様子をおかしそうに見ていたが、オレたちのカップに新たな紅茶を注ぐと話を促した。
「それで、一体誰を治してほしいのかしら?」
オレは母に向かって、オレを庇ったがために怪我をした騎士の説明を行った。
母は時折、相槌を打ちながら、熱心に話を聞いていた。
恐らく、母であればオレの頼みを聞き、怪我をした騎士を治してくれるだろうと思いながら話を締めくくろうとした時、言葉が上手く発せられなくなったことに気付いて動きを止めた。
騎士を治癒してもらおうと夢中になるあまり、気付くのが遅れたが、なぜかオレの全身は痺れ、口だけでなく手も足も動かすことが困難になっていた。
自分の体に何が起こったか分からず、震える手を必死で動かそうとすると、隣でシリルががしゃんと音を立ててカップを床に落とした。
顔を向けると、シリルが震える手でテーブルを掴んでいたが、上手く腕を動かせない様子だった。
「……シリル?」
何とか名前を呼ぶと、シリルは顔を上げたが、その顔は何かを悟ったように青ざめており、ぎりりと噛み締められた唇からは血が滲んでいた。
その時になって初めて、いつだって母の側で護衛をしている近衛騎士が、部屋に控えていないことに気付く。
派手な音を立ててカップが割れたにもかかわらず、誰も片付けに来ないことにも。
「は……はうえ?」
じわじわと胸に湧いてくる不吉な予感を抑えつけながら、尋ねるように母を呼ぶと、母はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべた。
「さすがに2人とも立派な騎士だけのことはあるわ。2杯も紅茶を飲んだというのに、まだ意識を保っていられるなんて」
その言葉を聞いて、母が紅茶に何かを入れたのだと確信する。
しかし、母も紅茶を飲んだはずだ、と記憶を辿りながら目線だけを動かして母のカップを見ると、それは空になっていた。
「ふふふ、言ったことはなかったけれど、私は聖女として特別な力を持っているの。痺れ薬の類は一切効かないのよ」
母は微笑みながら髪を後ろに払った。
筆頭聖女は片目を隠す髪形にすべきだとの言葉とともに、いつだって隠されていた右目が露わになる。
「ねえ、サヴィス、私の右目は何色に見える?」
その時、オレは生まれて初めて母の右目を見た。
一度も見たことがないにもかかわらず、母の左目が金色であることから、勝手に金色だと思い込んでいた右目を。
その目は、オレが思い込んでいた色とは違っていた。
「…………」
じわりと胸に這い上がってくる恐ろしい推測を言葉にすることができず、無言で母を見つめる。
すると、母はおかしそうに唇の端を上げた。
「完全に薬が効いてきたようね。もうしゃべることもできないでしょう?」
母は歌うように言うと、にこりと微笑んだ。
「そう、私の右目は青色なの。赤い髪に金の瞳が大聖女のスタイルよ。私は完璧な聖女だから、この右目は私に相応しくないと思わない?」
そう言うと、母はまっすぐオレを見つめてきた。
「ねえ、サヴィス、どうしたら私は完璧な聖女になれるかしら?」








