262 シリル団長と晩餐会 後
「げふっ!」
シリル団長のとんでもない言葉を聞いて、私は口に含んでいたジュースを噴き出した。
お料理にはかからなかったものの、素敵な刺繍が施されたテーブルクロスにパープルのシミができてしまう。
私は慌てて膝にかけていたナプキンを手に取ると、飛び散ったジュースをごしごしと拭った。
それから、正気を取り戻すようシリル団長にお願いする。
「い……いやいや! それは絶対に悪いことをすると宣言していますよね!!」
シリル団長は私のことを偽聖女だと考えているのだ。
だから、私のことを本物の聖女だと皆に思い込ませ続けるためには、たくさんの悪いことが必要になってくるだろう。
「先ほど、言いましたよね。私はあなたに騎士の誓いを行ったと。あれはよいことであれ、悪いことであれ、何をしてでもあなたを守るという誓いです」
シリル団長はそう言ったけれど、不正を行うことを宣言するなんて、ちっとも団長らしくない。
そう思ったため、素直に団長に告げる。
「シリル団長に悪いことは似合いません。もしも私と一緒にいることで、シリル団長が悪の道に進むのであれば、私との付き合いを止めるべきです!」
きっぱり言い切ると、シリル団長は驚いたように目を見張り、少しだけ潤んだ目で私を見てきた。
「……フィーア、あなたは本当に素敵な考え方をしますね」
そう言ったシリル団長は、普段より弱々しく見えた。
そのため、シリル団長は普段とは異なる心理状態にあるのだわと、遅まきながら気付く。
当然のことだが、明日は筆頭聖女選定会の第三次審査が行われる。
そして、次代の筆頭聖女が決定する。
だから、シリル団長はそのことについて、ナーバスになっているのかもしれない。
言うまでもなく、次代の筆頭聖女や次席聖女が選ばれるのは、王国にとって大変なことだ。
同時に、シリル団長にとっては結婚相手が決まるという、個人的に重要なイベントにもなっている。
さらに、前回の選定会でシリル団長のお母様が次席聖女に選ばれ、サヴィス総長のお母様が筆頭聖女に選ばれたことは、団長の中でまだ消化できていないようだから、色々と思い出されて複雑な思いに囚われるのかもしれない。
サヴィス総長は明らかに王太后と確執がある様子だったし、総長とシリル団長の2人は吞み込めないものを抱えているのだろう。
それは何なのかしらと考えていると、シリル団長に質問された。
「私が現在の筆頭聖女の流れを汲む聖女を厭う理由。フィーアはそれを知りたいのですよね。……あなたはなぜだと考えますか?」
私が選定会への参加を決めた際、シリル団長やサヴィス総長と交わした会話を思い出しながら、質問に答える。
「シリル団長がローズ聖女を次代の筆頭聖女にしたくないと宣言された時、サヴィス総長もその場にいました。そして、筆頭聖女はいずれサヴィス総長のお妃様になるから、シリル団長が総長を心配して、素敵なお妃様候補を選ぼうとしているのだと総長は言われました」
「その通りです」
シリル団長も同じ場面を思い出しているようで、頷きながら肯定した。
そのため、私は言葉を続ける。
「その際、総長は誰と結婚しようとも、お妃様とは他人としての距離を保つと言われました。だから、シリル団長は総長にそんな寂しい生活を送ってほしくなくて、素敵なお妃様候補を選ぼうとしているのかなと考えたのですが……」
言葉を途切れさせると、シリル団長が尋ねるように首を傾げた。
「あなたの考えが変わったのですか?」
「はい。今思えば、サヴィス総長の言葉は私の気を逸らすための冗談だったのでしょう。つい先ほども、シリル団長は総長であれば相手がどなたであっても大丈夫だ、と言われましたし」
私の答えを聞いたシリル団長は唇を歪めた。
「よい記憶力です」
その態度を見て、どうやら私の推測は当たったようだわと思いながら、じっとシリル団長を見つめる。
「サヴィス総長の態度から推測するに、総長と王太后の間には、何らかの確執があるように思われます」
「……否定はしません」
サヴィス総長の言動を見るに、王太后との間に確執があることは明らかだ。
そのため、シリル団長は否定しようがないと思ったのか、その通りだと頷いた。
多分、シリル団長は今夜、私に何らかの告白をしようとしているのじゃないかしら。
私を選定会に巻き込んだことへの贖罪なのか、他の理由があるのかは分からないけれど、何かをしゃべりたい気分になっているのだわ。
そう考えながら、思ったことを言葉にする。
「サヴィス総長は王太后に対して、どうしても許せないことがあるのでしょう。そして、シリル団長はその内容を知っていて、総長の考えはもっともだと納得しているのでしょう。ですから、総長がこれ以上傷付かないように、王太后に関係がある一切の者を排除しようとしているのじゃないですか」
歯に衣着せずにズバリと言うと、シリル団長は数秒間動きを止めた。
それから、深いため息を一つ零す。
「フィーア、あなたは……本当によく物事を見ていますね。それで、あなたの推測が当たっているとしたら、私はどうすべきでしょうか? 公平で公正であるべき筆頭聖女選定会を、私の個人的な要望で捻じ曲げるのは間違いだと、私を糾弾しますか」
何事にも公明正大なシリル団長は、糾弾してほしいとばかりに悪ぶってみせた。
シリル団長はいつだって聖女を敬っている。
だから、いくらサヴィス総長を守るためだとしても、聖女のトップを決める選定会で謀略を巡らせたことを、団長自身が許せないのだろう。
けれど、私はシリル団長の行動が悪いこととは思わなかったので、首を横に振った。
「いいえ、シリル団長は好きなようにやっていいと思います」
「え?」
意味が分からないとばかりに、シリル団長が眉根を寄せたので、私は丁寧に説明する。
「筆頭聖女選定会において、全てが平等で公平ということはあり得ません。多くの者の思惑が既に反映されているでしょうし、そもそも今ある選定会という仕組み自体が、長年かけて時の権力者にとって都合がいい形になっているはずです」
そうでなければ、筆頭聖女選定会に『国王推薦枠』とか『筆頭聖女推薦枠』とかなんてないわよね。
そう考えていると、シリル団長が皮肉気な表情を浮かべ、確認するように尋ねてきた。
「つまり……選定会は既に歪んでいるので、私がさらに歪めたとしても見逃してくれるということですか?」
それは私の言いたいことではなかったので、そうではないと首を横に振る。
「既に歪んでいるのであれば、シリル団長の行為をプラスすることで、その歪みが正されるかもしれないということです」
シリル団長は驚いたように目を丸くした。
「……フィーア、あなたはとんでもないことを言い出しますね」
それから、シリル団長はまん丸い目で私を見つめると、おかしそうに笑い出す。
「ふふふ、選定会は既に歪んでいて、私が歪みをプラスすることで正されるんですか! とんでもない発想ですね」
シリル団長はひとしきり笑った後、吹っ切れたような表情を浮かべた。
「フィーア、あなたはいつだって私の前で、新しい風を吹かせてくれます。……私が自由の身なら、あなたに惹かれるかもしれません。私は今、あなたに心臓を鷲掴まれた気分です」
シリル団長がそう言い終わった途端、暗闇の中から鋭い声が響いた。
「そうか。だが、あなたは自由の身ではないからな! サザランド公爵、王家につながる者として、あなたの心臓には杭が打たれている」
その言葉を聞いた瞬間、シリル団長はびくりと体を強張らせた。
恐らく、突然のことに驚いたのだろう。
それは私も同様で、シリル団長と2人きりだと考えていたため、新たに響いた声にびっくりし、慌てて声がした方に顔を向ける。
すると、夜闇の中からカーティス団長が現れた。
カーティス団長はまっすぐ私のもとまで歩いてくると、流れるような所作で片手を差し出した。
「フィー様、明日は選定会の第三次審査があります。夜も更けましたので、お迎えに参りました」
「あ、そ、そうなのね」
なぜだか分からないけど、カーティス団長の言葉が響いた瞬間から、この場に魔人でも登場したかのような、尋常じゃない緊張感と重苦しさを感じる。
これはどういうことかしらとドキドキしながら、カーティス団長とシリル団長に視線をやったけれど、2人とも感情を一切覗かせない顔をしていた。
そのため、一体何が始まったのかしらと、無言で成り行きを見守る。
そんな中、シリル団長は探るかのようにカーティス団長を見つめたけれど、カーティス団長は無表情に見返すだけだった。
けれど、その感情が全く表れていないカーティス団長の表情から、シリル団長は何かを読み取ったようで、「なぜ……」と小さくつぶやく。
すると、カーティス団長は淡々と肯定した。
「ああ、私は、300年前の話を知っている」
「…………!」
声もなく驚愕するシリル団長に対し、カーティス団長は警告するような視線を向けた。
「とはいえ、私が知っていることは、その杭が何であるかということだけだ。しかし、だからこそ、忠告する」
カーティス団長はぎらりとした目でシリル団長を睨みつけると、激しい調子で言い切った。
「フィー様に近付くな! フィー様が杭を外す役割を担えない以上、あなたがフィー様とともに歩む未来はない!!」









