251 聖女フィーアのお薬作り教室 3
「これは私が筆頭聖女選定会に参加すると決まった時に、現在の筆頭聖女である王太后様から借り受けた本よ」
ローズの言葉を聞いた聖女たちは、興味深そうにローズが抱える本を見つめた。
私も同じように見つめたけれど、表紙に見覚えがなかったので、私が知らない本のようだ。
ローズは大事そうに本を抱えたまま、ぱらぱらとページをめくる。
それから、お目当てのページを探し出したようで、私に向かってそのページを差し出してきた。
覗き込むと、私が持っている2種類の薬草のイラストが描かれていた。
「まあ、同じ薬草だわ!」
300年前の知識が、きちんと伝達されているじゃないの。
嬉しくなった私は笑顔でローズを見やる。
けれど、彼女は硬い表情のまま、抱える本に視線を落とした。
「大聖女様の製薬方法は高度過ぎて、真似することができた聖女はほとんどいなかったと伝わっているわ」
そうなのよね。多くの聖女は私のやり方をマスターできなかったわ……と、300年前の記憶を辿る。
すると、確かに300年前にも、私にしか作れない薬がたくさんあったことを思い出した。
しかし、それじゃいけないと、聖女たちを根気よく指導したところ、簡単な種類の薬ならば作製できる聖女がちらほらと現れるところまでこぎつけたのよね。
ただし、ローズが言うように、私の指導法は分かりにくかったようで、何度教えても「よく分かりません」と聖女たちに疑問を呈されていた。
そのため、コツを掴んで製薬できるようになった数少ない聖女たちに、製薬方法を分かりやすく記録して、技術を後世に残すようお願いしたのだった。
もしかしたら聖女たちは私のお願いを聞いてくれ、技術伝達のための本を記してくれたのかもしれない。
そう考えながら、ローズが抱える本に視線をやる。
そうだとしたら、あの本はきっと、多くの聖女にとって分かりやすい文章で書かれているはずだわ。
何ていいものが残っていたのかしら、と笑顔でローズを見つめたけれど、彼女は顔をしかめて首を横に振った。
「この本は完璧ではないわ。だって、この本は製薬方法に特化しているから」
「どういうことかしら?」
ローズの言いたいことが分からずに聞き返すと、彼女は唇を噛み締めた。
「この本のどのページにも、材料の一覧が記されていないの。調合方法を記載してある部分に、調合方法とともに使用する素材名が書いてあるだけよ」
「えっ、そうなのね」
驚いてもう一度ローズの本を覗き込むと、確かに素材一覧は記されておらず、「必要な素材を全部交ぜて……」といったように、調合方法の箇所にも素材名が記載されていないケースが多々あった。
多分、当時の聖女たちにとって、薬を作るための素材一覧は持っていて当然の知識だったため、割愛したのだろう。
そして、誰もが知りたがった製薬方法に特化した本を作ったに違いない。
ああー、当時の聖女たちであれば重宝したでしょうけど、今となっては情報が不足していて、単体では役に立たない本になっているわ。
仕方がないから、不足している部分は私が埋めるしかないわね。
そう考えた私は、お薬作り教室を再開しようと、再び口を開く。
「ええと、その本に書いてある通り、魔力回復薬を作るには『宵待草』と『紫蔓モドキ』が必要だわ」
私はイラストに描かれていた2種類の薬草を両手に持つと、ひらひらと振って見せた。
それから、赤甘の実と、プリシラが薬草園から摘んできた2種類の薬草を手に取る。
「あとは、先ほど言った『赤甘の実』、それから、皆さんご存じの『ニナの葉』と『ウサギの帽子』を入れたら完璧よ」
魔力回復薬の素材を紹介し終わったところで、聖女たちが情けない表情で私を見つめてきた。
「どうかしたの?」
不思議に思って問いかけると、アナが言いにくそうに口を開く。
「フィーア、気を悪くしないで聞いてね。私は何度も魔力回復薬を作ったことがあるわ。でも、材料が全然違うのよ。『ニナの葉』と『ウサギの帽子』は使用するけど、それ以外は全然違うものだわ」
メロディも困惑したように頷いた。
「大聖女様の直伝書には、フィーアが選んだ新しい素材が描かれているわ。だから、もしかしたらフィーアのやり方が合っているのかもしれないけど、私たちが学んできたものとあまりに違い過ぎるから、どう判断すればいいか分からないの」
周りにいる聖女たちも、その通りだとばかりに頷いていたので、気持ちは分かるわと私も頷いた。
そうよね。あまりに違い過ぎるから、私のやり方が怪しく見えるのかもしれないわ。
でも、これだけ素材が違ったからこそ、教会伝来の魔力回復薬は効き目が悪いし、全身に激痛が走るのじゃないかしら。
「教会に伝わっている魔力回復薬については詳しくないけれど、王家に伝わっているのはこの方法なのよ」
適当なことを口にしたところで、ローズが大きな声を出した。
「フィーアの言うことは、その通りかもしれないわ! この本の『魔力回復薬』のページに『ニナの葉』と『ウサギの帽子』の記載があるもの! それから、さっき見せたように『宵待草』と『紫蔓モドキ』も書いてあるわ! 『赤甘の実』だけは書いてないけど、5つの素材のうち4つは当たっているわ」
プリシラは腰に手をあてると、きっぱり言い切った。
「大聖女様はナーヴ王家の出身だから、直伝のレシピが残っていたんでしょうね。これだけの精度でフィーアの薬草と大聖女様の本が一致するなんて、普通はあり得ないわ。だから、私はフィーアを信じるわ!」
それから、プリシラは聖女たちを見回すと、普段通りのつんとした声で付け加えた。
「そもそも、フィーアのお薬教室は善意で開いてもらっているものだから、強制ではないわ。全員がフィーアのやり方を学ばなくてもいいのよ。その場合は、教会特製の薬を作って飲めばいいだけだわ」
聖女たちは相談するように顔を見合わせたものの、誰一人その場から移動する者はいなかった。
どうやらプリシラが『教会特製の薬を作って飲めばいいだけ』と言ったのが効いたみたいだ。
誰だって激痛には耐えたくないだろうし、教会の薬じゃ半分しか魔力が回復しないことを知っている。
そして、ローズを除いた聖女たちは全員、私が作った魔力回復薬を飲んだことがあるから、効能を分かっているのよね。
私はにこりと微笑むと、皆の前で実践してみせることにした。
「じゃあ、実際に作ってみせるわね」
私は『ニナの葉』を両手で掴むと、ぐしゃりと思い切り握り潰す。
「『ニナの葉』は手でぐしゃぐしゃっばりっとするの!」
次に、片手で『ウサギの帽子』を掴むと、先ほどより少しだけ弱い力で握り潰した。
「こちらの『ウサギの帽子』は、帽子だから潰し過ぎるのもかわいそうよね。だから、くしゃくしゃべりっ、くらいでいいわ」
「…………」
「…………」
「…………」
聖女たちが無言になったので、熱心に聞いているようねと思っていると、ローズが突然、手に持った本を読み上げ始めた。
「『ニナの葉』は葉の端と端を重ねるようにして、3回折ること。『ウサギの帽子』はウサギの耳のような形をしているので、両方の耳が重なるような形で折り曲げ、さらにもう一度折ること」
本を読み始めた直後は、ローズったら気が利いているわ……と思ったけれど、読み上げられた内容が非常に難しいものだったため、私は顔をしかめる。
「えっ、そんな難しいことが書いてあるの? 多くの聖女にとって分かりやすい文章で書かれていると思ったけど、ちっともそんなことなかったわ。書かれている内容は難し過ぎるから、本の通りでなく、『ぐしゃぐしゃっばりっ』と『くしゃくしゃべりっ』とやればいいわ」
私はそう言うと、今度は『宵待草』を手に取ってびりびりに破いた。
それから、『紫蔓モドキ』を笑いながら引っ張る。
「『宵待草』はいい香りがするからびりびりにするの。『紫蔓モドキ』は引っ張ると伸びるから面白いのよね。だから、楽しいわと思えるところまで引っ張ると、ちょうどいい効能が表れるわ」
なぜかローズは再び本に視線を落とすと、該当箇所を読み上げ始める。
「『宵待草』は葉脈に沿って8等分すること。『紫蔓モドキ』は元の長さのきっちり1.7倍になるよう引っ張ること」
「ローズったら、本当にそんなことが書いてあるの? 本というのは、読む人に分かりやすく書くべきなのに、誰にも分からないほど難しく書いてあるじゃないの!」
何てことかしら。
技術を後世に残すため、製薬方法を分かりやすく記録してちょうだいと聖女たちにお願いしたのに、真逆の結果になっているわ。
誰にでも分かる私の簡単なやり方ですら、10倍難しく、分からないよう書いてあるんだもの。
「その本は大聖女様が書いたんじゃないと思うわ。とても分かりにくいもの」
ああー、他の聖女たちに任せないで、私が本を書けばよかったわ。
何度教えても、聖女たちは「よく分かりません」と言っていたけど、それでも何人かは分かってくれたのよね。
ということは、分かる人には分かる指導法だったのだわ。
一方、ローズが持ってきた本は、わざと難しくなるよう書いてあるのよね。
「はあ、困ったわ。これが権威を守るということかしら。本当は私が説明したみたいに簡単なやり方でできるのに、わざと小難しく、多くの者に理解できないよう書いてあるわ。これが学術書というものなのね!」
私は眉尻を下げて聖女たちを見回した。
「この本に記載された通りにやれば、正しく魔力回復薬が作れるのかもしれないけど、あまりに難解だわ。だから、私のやり方を真似した方がいいと思うの。結局のところ、どのやり方でやっても同じものができるはずだから」
いきなり難しいことをやらせると聖女たちだって嫌になるわよね、と思って簡単な道を示したというのに、アナは首を横に振った。
「い、いえ、私は大聖女様に憧れているの。だから、たとえ難しいとしても、大聖女様のやり方を学びたいわ!」
「えっ」
びっくりして目を丸くすると、メロディも決意したような声を上げる。
「わ、私もそうよ! 教会の大主教様に『若いうちから楽をしてはいけません』と言われたから、今は苦労して大聖女様のやり方を学ばせてもらうわ! フィーアのやり方は若くなくなってから……そうね、95歳くらいになったら、試してみようかしら」
同じくケイティも「私もそうするわ!」と言い出したので、私は目を丸くしたまま隣に立つプリシラを見つめた。
「プリシラ、聞いたかしら? いつの間にか、皆の志がものすごく高くなっているわ! 何て素晴らしいのかしら」
すると、プリシラは恥ずかしいのか、目を逸らしながら宣言した。
「わ、私も志を高く持ちたいから、大聖女様のやり方を学ぶわね!」
「まあ、プリシラ、あなたもなの!!」
私はびっくりしてプリシラを見上げたけれど、すぐにこんな素敵な聖女たちがいてくれたことにじんとする。
今世の聖女たちは威張っているし、怠け者になったと聞いたことがあったけれど、とんでもなかったわ。
聖女たちは皆、率先して苦労して学ぶ道を選んでいるじゃない、と私は感激して聖女たちを見つめたのだった。