238 選定会におけるとある出会い 2
「ちょ……だ、大丈夫ですか?」
目の前でウォーレンがぱたりと倒れたため、私は慌てて声を掛けた。
出会った時は体調が悪そうだったけれど、その後はのべつまくなしにしゃべっていたから、回復してきたのかしらと安心していたところだったのに。
「でも、聖女の前で倒れるのだから、ウォーレンは運がいいわ」
私は手足を広げてうつ伏せに倒れているウォーレンをじっと見つめる。
……彼の悪いところはどこかしら?
そう考えながら頭のてっぺんから足先に向かってゆっくり観察していったところ……
「ん? 空腹?」
上半身を観察したところで、ウォーレンが空腹状態に思われたため、私は首を傾げた。
まさかお腹がぺこぺこで倒れたのかしら。王城で?
「よく考えたらウォーレンは王城に入れるのだから、それなりの人物のはずよね。それなのに、お金がなくて? ご飯を食べられないとしたら、相当の訳アリだわ」
ううーん、ウォーレンが空腹ならば、騎士専用食堂に連れて行けば解決するのだろうけど、訳ありっぽい彼を連れていったら、面倒事に巻き込まれそうな気がするわ。
「ただでさえ私は本物の聖女なのに、なんちゃって聖女に扮しているという面倒な状況に陥っているのだから、これ以上複雑になったら、訳が分からなくなってしまうわ。だから……」
私はなんちゃって聖女服の内側に手を入れると、内ポケットに入れていた物を引っ張り出す。
それから、手に持った物を天に向かって得意気に掲げた。
「じゃじゃーん! 何と私はふわふわのパンケーキを携帯していたのでした!!」
先ほど、料理人が「余ってしまいました」とパンケーキを持たせてくれたのよね。
間食に食べようと思っていたけど、ウォーレンにあげるわ。
「とはいえ、まずはウォーレンが目覚めないことにはどうしようもないわね」
私はパンケーキが入った包みをウォーレンの枕元に置くと、彼の目覚めを待つことにして、近くに座り込んだ。
それから、ウォーレンを観察している途中だったわと、もう一度彼に視線を向けたところで、服の袖口から覗く手首に黒い模様が刻まれていることに気付く。
その瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走った。
「従魔の証? ……ではないわよね」
以前、クェンティン団長に見せてもらった従魔の証に似ていたため、彼の手首をまじまじと覗き込んだけれど、それは従魔の証のように2者間の関係を示すための印ではなく、治りきっていない傷のようなものに思われた。
「模様のように見える傷? いえ、傷でもないわね。……ああ、呪いの模様に似ているのだわ」
そうだとしても、私の知らない呪いだ。
初めて見るものなのに、なぜだか見ていると気分が悪くなる。
無言でウォーレンの体全体を見回すと、ザビリアが不思議そうに首を傾げた。
「フィーアはこの模様が、ウォーレンの体中にあると思っているの?」
私の考えを読んだらしいザビリアが尋ねてきたので、その通りよと頷く。
「発汗と発熱の具合から推測するに、彼の両腕と背中全体に広がっていると思うわ」
「何かの呪いってこと?」
ザビリアは核心的なことを聞いてきたけど、分からなかったので首を横に振った。
「よく分からないわ。これまでに見たことがある呪いとは、少し感じが違うから」
私はもう一度、ウォーレンの手首の模様をじっと見つめたけれど、不穏な感じがするだけで、その正体は分からなかった。
そのため、ぶんぶんと頭を振ると、今すぐ模様の正体を解き明かすことを諦める。
代わりに、気分転換を兼ねて薬でも作ろうと、ポケットから泉の水を入れた瓶を取り出した。
続けて、袋の中から薬草を取り出し、瓶の中で混ぜて魔力を注いでいると、私のお友達が役に立たないものを見る目でウォーレンを見つめた。
ザビリアったら、どうか意地悪しないでちょうだいねと思いながら、ウォーレンが大変な身の上であることを強調する。
「ザビリア、ウォーレンはよく分からない模様が体中に刻まれているうえ、お腹がぺこぺこで倒れたのよ。空腹で倒れるなんて、とんでもなく悲しい出来事に違いないわ」
けれど、ザビリアは私の肩の上に乗ったまま、同情する様子もなく肩を竦めた。
「それくらいで倒れるなんて、軟弱もいいところだな。フィーアの親切な提案に感激して倒れたのであれば、この役立たずさを見逃してやろうかなって思ったんだけど」
ウォーレンが倒れる直前に、彼と交わした会話を思い出しながらザビリアに尋ねる。
「私は薬を作って、ウォーレンを健康にしてあげると言ったわ。彼がそのことに感激していたら、ザビリアがウォーレンに優しくするってこと?」
自分で発言しておいて何だけど、その可能性は低いと思う。
だって、ウォーレンはちっとも喜んでいなかったもの。
私がザビリアに向かって首を横に振ると、私のお友達は不思議そうに首を傾げた。
「そもそも、どうしてわざわざ薬を作ろうとするのさ。魔法で治したら一発じゃないか」
「それはそうなんだけど、私はたくさんの薬草を持っているでしょ。そうしたら、薬にして使いたくなっちゃうのが聖女ってものよ。それに、第一次審査で、重篤な患者は聖女2人で治す方法を取ったから、ウォーレンが重い症状の場合、一人で治したら優れた聖女だと見抜かれてしまうわ」
理路整然とした答えを返したというのに、ザビリアは驚いた様子で聞き返してくる。
「えっ、まだそんなことを心配しているの? その段階はとっくに過ぎたよね。それなのに、本気で言うあたり、フィーアは大物だね」
ザビリアは私の肩から地面に向かってぴょんと飛び降りると、ウォーレンに近付いていった。
何をするのかしらと見ていると、その可愛らしい尻尾でぴしりと彼の顔をはたく。
「ザ、ザビリア!」
びっくりして目を丸くするのと同時に、ウォーレンが飛び起きた。
「いいえ、寝ていません! 僕は瞼の裏を見ていただけです!!」
「えっ、瞼の裏を見ていたんですか? 何か見えました?」
彼が口にしたのは寝言だと分かっていたけれど、興味深い内容だったため、思わず質問してしまう。
すると、ウォーレンは戸惑った様子でぱちぱちと瞬きをした。
「……え? あ、い、いえ、何も見えませんでした。瞼の裏には世界の真理が隠されているんですが、僕はいつもあと少しというところで目を開いてしまうんです」
「それは残念でしたね」
私は草の上に置いていた包みを拾い上げると、彼に向かって差し出した。
「どうぞ」
すると、ウォーレンはもう一度、ぱちぱちと瞬きをする。
「はい、これは何でしょうか?」
戸惑った様子で尋ねてくるウォーレンに、私は笑顔で答えた。
「ふわふわのパンケーキです! ウォーレンは空腹で倒れたんですよね。どうぞ食べてください」
ウォーレンはバツが悪そうに頬を赤らめると、頭をかく。
「よく僕が空腹だって分かりましたね。実のところ、僕が食べることができる物は細かく定められていて、それ以外のものは口にすることができないんです。ところが、王都の食事は洒落ていて、色んな混ぜ物がしてあるから、食べられる物がなくて困っていたんです」
まあ、王様だって好きな物を食べるのに、ウォーレンの食べる物は細かく定められているなんて大変だわ。
そう思って見ていると、ウォーレンはパンケーキを小さく千切って口の中に入れ、恐る恐る咀嚼した。
それから、ぱあっと顔を輝かせる。
「あっ、これはいいですね! 僕が食べることができるものだけでできています!!」
そうでしょうね。王城の料理人が調理したものだから、おかしなものは入っていないはずだわ。
幸せそうにパンケーキをもしゃもしゃと食べるウォーレンを、私は笑顔で見つめた。
「ウォーレンが弱っていたのも、気分が悪そうにしていたのも、全ては空腹が原因だったんですね。見たところ、今すぐ倒れそうなほど悪いところは他になさそうなので、食事をしたら元気になりますよ」
「そうですね……」
ウォーレンが弱々しく返事をしたので、ああ、彼は体の模様が気になっているのだわと、口を噤む。
しばらくの間、黙って見守っていると、ウォーレンはパンケーキを食べてしまったので、もういいかしらと口を開いた。
「ウォーレン、一つ質問をしていいですか?」
「もちろんです。あなたのおかげで久しぶりに美味しい食事をすることができました。僕に答えられることでしたら、何でも答えますよ」
ウォーレンは陽気に答えたので、私は彼の袖口からちらりと見えている黒い模様を指差す。
「その両腕にある模様は何ですか?」
「えっ?」
私の質問はウォーレンにとって想定外のものだったようで、彼は心底驚いた様子で目を見開いた。
それから、驚愕のあまり動作も思考も停止してしまったようで、身動きせずに無言で私を見つめてくる。
硬直してしまったけれど、私の声は聞こえているわよね、と私はウォーレンに向かって質問内容を補足した。
「両腕というか、その模様は体中にありますよね。じくじくと膿んだようになっていますけど、一体何ですか?」
ウォーレンは目を見開くと、片手を喉元に当て、ひゅっと喉が詰まったような音を出した。









