【SIDE】騎士団総長サヴィス「最小限の痛み」
決断することで、結果が生まれる。
「もしこうしていれば」という思考は無意味だ。
既に一つの道を選び取った以上、異なる道を選べるはずはないのだから。
―――10年前、オレは一つの決断をした。
王太后との関係、その時の状況、将来の見通し、全てを勘案した結果、最善だと思う選択をしたのだ。
しかし、オレの決断は誤りだった。
オレが条件を見誤っていたから。
幼い頃からずっと、母はいつだってオレを特別に扱ってくれた。
だから、王族としての立場よりも、聖女としての役割よりも、オレの希望を優先してもらえるに違いないと考えていた。
しかし、実際には王太后はオレを庇った騎士を治癒することなく、彼は膝から下を失った。
もしも―――無意味な仮定だと分かっているが―――もしももう一度あの場面に戻ることができたならば、オレは決して同じ決断はしない。
あの時は既に条件が揃っていたのだから。
シリルの母である前サザランド公爵夫人が亡くなった直後の出来事だったから、王太后は決してモーリスを治すことはなかったのだ。
だから、これはオレの罪だ。
王太后との関係性を、あの時の状況を、将来の見通しを、―――それら全てを見誤ったオレの誤謬だ。
―――自分が万能でないことなど、既に知っていたのに。
オレの手は全てを手にすることはできず、全てを拾い上げることはできないと気付いて以降は、失うものを最小限に留めるよう尽力してきた。
だが、―――モーリスのことは『最小限の痛み』とは言えない。
揃っていた条件を見誤り、間違った決断をしたオレの失態だ。
◇◇◇
「……は? モーリスの脚が再生しただと?」
騎士が持ってきた報告書を目にしたオレは、執務室の椅子に座ったまま呆然と呟いた。
現実は、おとぎ話のように上手くいかない。
そのことは27年の人生で身をもって体験していたというのに―――その日、何の予告もなく突然に、オレの目の前で夢物語が展開されたからだ。
「まさかそんなことが、起こるはずはない……」
オレは自分に言い聞かせるよう、ぼそりと呟いた。
しかし、報告書を二度読み返したものの、そこにははっきりと聖女プリシラと聖女フィーアの二人が力を合わせてモーリスの脚を再生させたと書いてある。
医師と事務官の報告書に加えて、シリルの確認書まで付いており、どれほど信じられないような出来事だったとしても、事案の真偽について疑いようがなかった。
「……そうか、聖石を使ったのか」
揃っている情報から、間違いないと思われる可能性を口にする。
聖石については、オレも規格外のものを所有していた。
サザランド土産として、フィーアから選りすぐりの聖石を贈られたからだ。
しかし、その石をモーリスに使おうとは考えもしなかった。
モーリスの脚を治したいというのは、オレの個人的な希望だ。彼は騎士ではなくなったが、命はある。
戦場で聖石を使えば命が救われる騎士がいるかもしれないのに、オレ個人の希望を叶えるために使用できるはずもないと、初めからその選択肢を除外していたのだ。
だが、フィーアは躊躇することなく聖石を使い、モーリスの脚を再生させた。
オレとは根本的に考え方が異なるのだ。
オレは椅子から立ち上がると、扉に向かって歩き出した。
「そ、総長、どちらへ行かれるんですか!?」
オレの予定外の行動を目にした騎士たちが、慌てた様子で後に付いてくる。
「今日はまだ、フィーア・ルードは薔薇園を訪れていなかったな」
確認のため尋ねると、騎士たちは動揺した様子で返事をする。
「は、はい、その通りです!」
「もしもフィーア・ルードに用事があるのでしたら、総長の執務室まで呼びつけますから!」
「ええと、あいつは今、何の業務をしているんだっけ……」
フィーアは特別任務に就き、筆頭聖女選定会に参加している。
などと言えるわけもなく、オレはこのまま庭園に向かうかどうかを逡巡した。
一番手軽な方法は、シリルかカーティスに頼んで、フィーアが病院を退出する際に早馬を出してもらうことだろう。
そうすれば、いつ戻ってくるか分からないフィーアを薔薇園で待つことはなく、無駄な時間を過ごすこともない。
しかし、モーリスを治すと決めたフィーアの決断は、オレには下せないものだ。
そして、その決断にオレは心から感謝していた。
だとしたら、フィーアの行動に敬意を表すため、オレの時間を惜しむべきではないだろう。
「薔薇園に行く。しばらく戻らない」
オレはそう告げると、執務室を退出した。
その際、部屋の隅に控えていた事務官が、「ああ、急ぎの書類が!」と絶望的な顔で呟いていたが……見なかったことにした。
薔薇園に着いてしばらくすると、フィーアが現れた。
フィーアはオレを見て驚いた顔をした後、何か考えを巡らせる様子を見せる。
それから、満足したようににまりとした。
どうやらオレがフィーアを待っていた理由を察したようだ。
「フィーア、お前に礼を言う」
「お礼ですか?」
フィーアがきょとりとした表情を浮かべたので、まさか分かっていないのかと訝しく思う。
けれど、フィーアはすぐ何かに思い当たった様子で頷いた。
「ああ、私はシリル団長に言われた通り、しっかりと特別任務を果たしていますからね! それどころか、サヴィス総長にぴったりのお嫁さん候補をたくさん見つけたんです! 将来的に総長が幸せな結婚生活を送れるとしたら、私にものすごく感謝するでしょうね」
「……お前は何を言っている」
「はい、サヴィス総長が私にお礼を言ってくれたので、正しく受け取りました!」
「お前はオレの礼を正しく受け取っていない」
「え?」
「オレが礼を言ったのは、モーリスについてだ」
「え、モーリス?」
まさかあれだけのことをしておいて、その重大性を理解していないのか。
「フィーア、モーリスの脚を取り戻してくれたことについて感謝する」
「えっ? あっ、モーリスですね! いえ、でも、実際にモーリスを治したのはプリシラですし、私はお手伝いをする際に、ちょこっと聖石を使用しただけですから」
プリシラが優秀な聖女だという報告は、教会から度々受けていた。
しかし、これまで欠損を治したことがあるといった話は、一度も聞いたことがない。
先ほど読んだ報告書の内容を見る限り、モーリスを治したのはフィーアの力のように思われた。
モーリスが脚を失ったのは10年も前だ。
傷が古くなるほど治癒するのが難しいというが、そもそも欠損自体が聖女にはどうしようもないものだ。
そのため、10年も前の欠損を治癒できるとは、どの聖女も考えもしないだろう。
オレだってそうだ。
罪悪感からモーリスを選定会の患者としてねじ込んだが―――彼の脚が改善することは非常に難しいと、それは夢物語だと思っていた。
それなのに……その夢物語が現実となり、モーリスの脚は再生したのだ。
目の前にいる小さな騎士の力によって。
手柄を全てプリシラに押し付けようと、必死な様子で言葉を連ねるフィーアに、オレは言葉を続けた。
「選定会の状況については、逐一報告が入る。報告書を読む限り、モーリスの脚を再生させたのは、お前の聖石の力に見えた」









