220 筆頭聖女選定会 一次審査11
「慈悲深き天の光よ、我が魔力を癒しの力に変えたまえ―――『回復』」
プリシラは教会お定まりの呪文を口にすると、モーリスに向かって魔法を発動させた。
その瞬間、彼女の手から多くの魔力が放出される。
一度に流れる魔力量が他の聖女たちと比べて格段に多かったため、さすがプリシラねと感心した。
けれど、それでも欠損を治すには勢いが不足している。
私は目を眇めると、じっとプリシラを見つめた。
プリシラの体内を巡る魔力量を確認する限り、他の聖女と比べて数倍もの魔力を保有しているはずだ。
この量の魔力を持っているのであれば、勢いさえあれば欠損を治すことも可能だろう。
問題は……勢いがないことだわ。
どうやらプリシラも、エステルと同じで魔力放出の出口が狭いようだ。
そういえば初めて出会った時のシャーロットも、体の数か所で魔力の軽い遮断が起こっていた。
現在の聖女は300年前のように頻繁に魔法を使わないから、使用頻度が不足していて、魔力が上手く体内を流れなかったり、出口が狭まっていたりするのだろうか。
問題はプリシラの魔力放出口が狭いことを、本人にどうやって伝えるかだ。
プリシラは性格的に細かいことまで追求してきそうだから、詳しく伝えた場合、面倒なことになりそうだ。
そうであれば、簡単な説明だけにしておくべきだろうか。
そんな風に私が悩んでいる間、プリシラはずっと魔力を放出し続けていたため、気付いた時には彼女の魔力は空っぽになっていた。
「あ、しまった」
プリシラはほとんどモーリスの古傷に作用できないまま、魔法をかけ終わってしまったわ。
失敗したと反省していると、目の前でプリシラがふらりと傾く。
「えっ!」
慌ててプリシラに飛びつき、抱き着くような形で支えたけれど、彼女は意識を失ったらしく全体重を私に預けてきた。
うう、眠っている人や意識を失っている人は、起きている人と比べて重く感じるのよね……と必死で支えていると、モーリスが片手を伸ばしてきてプリシラの腕を掴んだ。
それから、ひょいっと彼のベッドの上にプリシラを寝かせたので、すごい腕力だわと感心する。
「さすが元騎士ね!」
私は現役騎士だけど、とてもこんな真似はできないわ。もう少し筋肉を付けるべきかしら。
そう考えながらモーリスをちらりと見ると、彼は心配そうな表情でプリシラを見ていた。
「フィーア聖女、この聖女様は昨日もオレに回復魔法をかけたんだ。古い欠損に魔法をかけても無駄だと説明したんだが、これっぽっちも話を聞きやしない。もしかして彼女は能力が低い聖女様なのか?」
プリシラが能力の低い聖女ですって? 本人が聞いたら全力で怒るんじゃないかしら。
「ええと、教会所属の聖女の中ではナンバー1だと聞いているわ」
私の言葉を聞いたモーリスは、驚いた様子で目を見開く。
「は? 確かに本人が大聖堂ナンバー1だと言っていたが、事実だったのか? いや、だったら何で、オレの古傷を治そうとしているんだよ! プリシラ聖女は選定会でいい順位を取る気がないのか!?」
そんなはずはないと思うけど。
「プリシラ聖女は筆頭聖女になりたがっているように見えたわね」
それなのに、なぜモーリスを治そうとしているのかは、大いに疑問が残るところよね、と彼と一緒に首を傾げる。
プリシラはモーリスを治す自信があるから、彼を選んだのだと思い込んでいたけど、今日の様子を見る限り欠損の治癒方法を分かっていないようだ。
おかしいわね。プリシラは自他ともに認める大聖堂ナンバー1の聖女だから、治せる患者を選び間違えることはないはずだ。
そうであれば、プリシラがモーリスを選んだのは、治癒する自信があったからではなく、治癒できないと分かっていながらも、少しでも彼の欠損を何とかしたいと思ったからだろうか。
「モーリスはプリシラ聖女とお知り合いなの? だから、プリシラ聖女は何が何でもモーリスを治したいと思ったのかしら?」
可能性がありそうなことを尋ねてみたけれど、モーリスはあっさりと首を横に振った。
「いや、オレに高位の聖女様の知り合いはいねえよ。……プリシラ聖女に見覚えもない」
そうなのね。
「だとしたら、プリシラ聖女にとってモーリスは挑戦すべき患者なのかしら? それとも、苦しんでいるモーリスを見て、プリシラの慈愛の心が動いたのかしら??」
私の言葉を聞いたモーリスは顔をしかめた。
「こんなくたびれた40過ぎのおっさんを見たって、高位聖女の慈愛の心は動かねえだろう」
「そうは思わないわ。くたびれていようが、40過ぎていようが、そのことと慈愛の心が動くことは関係ないもの」
至極もっともなことを言ったというのに、モーリスは不満気に口を尖らせた。
「いや、オレがくたびれていることを否定してくれ!」
要望が多いわね。
私は一旦廊下に出ると、きょろきょろと周りを見回した。
すると、私に気付いたカーティス団長が駆け寄ってきたので、プリシラを控室に運んでくれるようお願いする。
「プリシラ聖女は魔力を使い切ったみたいだから、目覚めるまで控室で寝かせておいてくれない? カーティス、運んでもらえるかしら?」
カーティス団長は無言で頷くと、大股でプリシラに歩み寄り、さっと彼女を抱き上げた。
それから、そのままプリシラを控室に運んでいったのだけれど、その間に事務官に呼ばれた医師がやってきて、モーリスの状態を確認していた。
予想した通り、モーリスの傷はほとんど改善していないようで、医師が渋い顔をしている。
仕方がないわ、あの勢いで欠損を治すのは難しいもの。
そう納得しながら、今後のプリシラについて思いを巡らす。
明日以降、プリシラは一次審査の間中、モーリスに魔法をかけ続けるつもりかしら―――効果の出ないことを知りながら。
選定会のルールでは、一度患者を決めたら完治するまで変えられないとのことだったから、そうするしかないのでしょうね。
うーん、と考え込んでいると、アナに手を引かれる。
「フィーア、プリシラ聖女を心配するのはいいけど、そろそろ自分のことも考えたらどうかしら。せっかく病院に来たんだから、患者を治しましょう」
その通りだわと思った私は、引っ張られるままアナたちに付いていった。
3人の治療相手は定まっていない様子だったので、そうであればと提案してみる。
「今日は中等症の患者を治すのはどうかしら?」
アナは物言いたげに私を見た後、諦めたようにため息をついた。
「フィーアって徹頭徹尾、意見が変わらないのね。あなたをみていると、幼い頃、私に指導してくれた大主教を思い出すわ。彼は上手にレベルの異なる聖女を私に宛がって、少しずつ行使する魔法の難易度を上げていったの。そうして、私の能力を引き上げてくれたのよ」
「それは立派な大主教ね」
アナの聖女としての資質が高いのは間違いないけど、正しい指導を受けたからこそ、彼女はここまで魔法が上達したのだわ。
「私も大主教は立派だと思うわ。ただ、私にはフィーアが、その大主教と同じことをしているように見えるのよね」
そう言われてみれば、結果的には同じになるのかしら。
「確かに、3人の魔法が向上してほしいと思っているわ」
私の言葉を聞いたアナは、理解できないとばかりに首を横に振った。
「私にはありがたいばかりの話だけど、フィーアには全く益がないわよね。それなのに、どうしてここまでやってくれるのかがさっぱり分からないわ」
「アナの言う通り、善意の範囲を大きく逸脱しているわ! ただ、今日は中等症者の患者を治すしかないみたいよ」
メロディがアナに同意すると、ケイティが私に都合のいい話を始めた。
「ほら、聖女は魔法を行使した後、中3日空けるっていうルールがあるでしょう? あれは聖女の絶対ルールだし、教会特製の魔力回復薬を使用しても中2日空けなきゃいけないわ。だから、連日聖女が大挙して病院に押しかけるなんてこと、選定会は想定していなかったみたいなの。患者は補充しない方針みたいだから、軽症者がもう残っていないわ」
「まあ、だったら中等症者の病室に行きましょう。結局、魔法のかけ方は軽症者と同じようなものだから」
ここぞとばかりにそう言うと、私は3人と一緒に中等症者の病室に向かったのだった。
その後、昨日と同じように、アナたちと確認し合いながら中等症者の患者を治癒した。
中等症者を治すには、軽症者を治すよりも多くの魔力がいる。
そのため、「皆で協力して治すのはどうかしら?」と提案してみたけれど、「まずはフィーアに教えてもらったやり方で、どの程度のことが一人でできるのかを確認したいわ」と断られる。
仕方がないので、黙って皆の魔法を見ていると、3人は昨日よりも格段に上達していた。
明らかに患部に集中して魔力を流すことができるようになっていたため、素晴らしい上達具合だわ、と嬉しくなる。
けれど、3人とも途中で魔力切れを起こしてしまったため、続きは明日ということになった。
昨日と同じく、3人は先にお城に戻ると言って馬車に乗り込んだので、私は控室にプリシラを見に行く。
部屋の中にいたのはプリシラ一人きりで、彼女はベッドの中で眠っていた。
魔力が空っぽになったのだから眠るのは仕方がない、と思いながらプリシラに魔法をかける。
失敗作の魔力回復薬を飲んだ痛みが残っているようだから、せめてその痛みだけでも取り除くことにしたのだ。
プリシラの痛みを取り除いた瞬間、彼女がぱちりと目を開いた。
まあ、プリシラは感知能力に長けているのかしら。
そう思いながら声を掛ける。
「今は夕方よ。よく眠っていたみたいね。体調はどうかしら?」
「……体から激痛が消えているわ。あなた、何かしたの?」
相手が聖女であれば下手な嘘は通用しないでしょうね、と思いながら正直に答える。
「回復魔法をかけただけよ」
私の言葉を聞いたプリシラは、すごい勢いで上半身を起こした。
「余計なことをしないでちょうだい! 私はそんなこと頼んでいないんだから!!」
噛みつくような声で叱責されたため、どうやらお気に召さなかったようねと思いながら頷く。
「ええ、その通りね。私が勝手にしたことだから気にしないでちょうだい」
この回答であれば受け入れてくれるかしらと思ったけれど、プリシラはまたもや気に入らなかったようで、腹立たし気に言い返してきた。
「そ、そんなわけにいくものですか! 私は人に借りを作るのが一番嫌いなのよ!!」
「そうなのね。でも、痛みを取っただけよ。貸しというほどのものではないわ」
実際に私がかけた魔法は大したものでなかったため、そう返したというのに、プリシラはまだ納得していない様子だ。
「私はそうは思わないわ!!」
悔しそうに言い返すプリシラに、私はにこりと微笑みかける。
「プリシラは義理堅いのね。だったら、一緒に王城まで戻りましょう。私たちが最後みたいだから、一人で戻るのは寂しいと思っていたところだから」
プリシラは不承不承と言った様子で頷いた。
「……分かったわ」
そうして、私はプリシラと一緒に馬車に乗り込んだのだった。









