【SIDE】ローレンス 6
母が口にしていることは無理難題で、絶対に実行不可能であることは、母を含む全員が分かっているに違いなかった。
そもそもコレットは意識を失っているため、自らを治癒することなどできやしない。
そして、たとえ意識があったとしても、聖女としての能力が低い彼女に、これほど酷い症状を治すことは不可能だろう。
「母上、無理です! コレットにはできません!!」
そう発言した瞬間、母が満足したように微笑んだので、ああ、母は僕にこの言葉を言わせたかったのだなと気付く。
このような状況でもまだ、母は聖女としての能力の多寡をはっきりさせることにこだわっているのだ。
そんな母に失望を覚えたものの、僕から望む言葉を引き出して満足したのならば、コレットを救ってくれるかもしれないという希望が湧いてくる。
そのため、期待するような表情で母を見つめたが、次の瞬間、母は簡単に僕の希望を打ち砕いた。
なぜなら母は気だるげに髪を後ろに払うと、次の一言を口にしたからだ。
「今日は日が悪いわ。サヴィスが魔物討伐から戻ってくる日だから、魔力を温存しているの。私は魔法を使わないわ」
「そ……」
サヴィスが隣国から戻ってくることについては、先ほどロイドから報告を受けていた。
大聖堂があるディタール聖国からの要請で、あの国に棲みついた竜を討伐するために騎士を率いて遠征していたが、役目を果たして戻ってくることは。
魔物を討伐に行った際、サヴィスは大なり小なりの傷を負ってくる。
そのため、確かに母はいつだって、サヴィスの帰城日に合わせて、数日前から魔力を温存させていた。
しかし……
「今日ばかりは、サヴィスに他の聖女を手配してもらえませんか? サヴィスはこれまで命に係わる怪我をしたことはありません。一方、コレットの状態は酷く、治癒できる者がいるとすれば、筆頭聖女である母上だけです! そして、一刻の猶予もありません! どうかコレットを治癒してください!!」
サヴィスたちの帰城を知らせた早馬が、それ以上のことを伝えなかったということは、恐らく弟は大きな怪我を負っていないはずだ。
そうであれば、ここはコレットを救う場面だろう。
そう考える僕を、王太后は静かに見下ろした後、表情を変えないまま返事をした。
「『サザランドの悲劇』のことは聞いているでしょう。サヴィスの副官として参加したシリルは、つい先日、両親を亡くしたばかりだわ。そんな彼に普段通りの立ち回りができるかしら。シリルの不調はダイレクトにサヴィスに影響を与えるから、あの子がこれまでのように軽傷で戻ってくるかは分からないわ」
母の言葉は、確かに1つの起こり得る可能性を示していた。
しかし、実際にサヴィスが大怪我を負ったのであれば、早馬が来て連絡を入れるはずだ。
そのため、ほとんど起こり得ないことだと思われ、僕には母がコレットを治療したくないがために、無理やり口にしている言い訳に聞こえた。
というよりも、これほど出血し、今にもはかなくなりそうなコレットを目の前にして、指一本動かそうとしない母の態度が不思議でならなかった。
母にはコレットを心配し、助けたいという気持ちはないのだろうか。
このままコレットを放置すれば、彼女の命の火が消えることは確実だ。
吐血したうえ、原因不明の切り傷が体中に発生して、出血し続けているのだから。
そして、このように外から一切手を加えることなく、皮膚が切れる現象はこれまで見たことがないものの、母は驚く様子を見せなかったことから、もしかしたら母はこの症状を知っているのかもしれないと思わされた。
筆頭聖女である母のもとには、病状に関する多くの情報が集まるはずだから。
そうであれば、ますます母以上の適任者はいないだろう。
「母上、どうかお願いします。コレットを救ってください!!」
僕は絨毯の上に跪くと、深く頭を下げたけれど、母は平坦な声で同じ言葉を繰り返しただけだった。
「サヴィスが戻ってくる日だから、魔力を温存するために魔法は使わないわ」
その瞬間、僕は喉が裂けんばかりの大声を上げる。
「母上! コレットは僕にとって何よりも大事な女性です!! 彼女を失えば、僕には何も残りません。この1度だけでいいんです。どうかコレットを救ってください! 母上にしかできないことなのです!!」
母の足元ににじり寄り、ドレスの裾を掴んで懇願すると、母は煩わしそうに目を細めた。
「でも、その娘は私にとって何者でもないわ。このまま死んでしまったとしたら、あなたの妃にもならないのだから、全くの他人でしょう」
その瞬間、母は動かないのだとはっきり理解する。
恐らく、この後100万の言葉を費やしても、母は僕の希望を受け入れやしないだろう。
僕の言葉は決して、母には届かないのだ。
―――もしかしたら、母の言っていることは正しいのかもしれない。
我が子を優先する母親として、王族を第一に救おうとする筆頭聖女として、母の決断は正しいのかもしれない。
母の話を聞いた者のうち、一定数はその考えを支持するかもしれない―――が、母の態度を目の当たりにした僕の心は、『間違っている!!』と強く断じた。
目の前に死にかけた者がいて、顔色一つ変えず、指先一つ動かさない母は、聖女として必要なものが欠けていると。
……そこから数分間の記憶はあまりない。
恐らく、僕はコレットをかき抱くと、何事かを叫んだのだろう。
その後すぐに、僕は半狂乱になったと判断された騎士たちの手によって、腕の中のコレットごと、ロイドとともに別の部屋に移動させられたのだから。
離宮に住む聖女を呼んでくると言いながら、慌てて出て行った騎士たちの声が聞こえたが、コレットの病状は並みの聖女に治せる状態でないことは分かっていた。
そのため、僕は床の上に這いつくばると、力いっぱい床を叩く。
「お願いだ! どうか僕の命を、体を、全てを捧げるから、コレットを救ってくれ!!」
そんな僕の心からの願いに応えてくれたのは、聖女でも医師でもなく、僕の体の奥底に眠っていた精霊王の力だった。
僕の全てを差し出すと誓った瞬間、僕の中から溢れ出た力がコレットを包み込み、―――僕と彼女はつながったのだから。
そして、その時以来ずっと、コレットは時を止めて眠り続けているのだ。









