【SIDE】ローレンス 5
「セルリアン、急いで城に戻るぞ。君の弟君御一行様が、本日中に戻ってくるとの連絡が入ったからな」
セルリアンというのは、僕のお忍び用の名前だ。
変装している僕の正体を周りの者に気付かせないために、市井に下りる時はいつだってこの名前を使っているのだ。
「そうか、当初の予定通り1か月で戻ってくるとは、上手くいったようだな。さすがサヴィスだ」
そう言うと、僕はコレットに向き直った。
「コレット、悪いが街遊びはここで切り上げて、王城に戻ってもいいだろうか。あまり君を疲れさせてもいけないことだし……つっ!」
しかし、コレットに向き直る際、勢いよく体を反転させ過ぎたようで、二の腕を壁にぶつけてしまう。
思わず顔をしかめると、コレットが首を傾げた。
「セルリアン様、怪我をしているんですか?」
「えっ、いや……」
コレットが僕をじっと見つめてきたので、慌ててぶつけた腕を背中に隠したが、その動きを怪しまれてしまう。
失敗したな。普段の僕は少しばかり壁にぶつけたからといって呻き声は上げないし、怪しまれたからといって腕を隠しもしない。
慌てたために、挙動不審になってしまったようだ。
コレットがじっと見つめたままでいるので、観念して腕を差し出すと、袖をまくり上げられた。
すると、剣術の訓練中に痛めた、腫れた二の腕が現れる。
「いや、見た目は酷いが、実際の怪我はそうでもなく……」
「セルリアン様、私は聖女なんです。治してもいいですか?」
「……お願いします」
コレットが聖女の力を使うたびに、体調が悪くなっていくように思われたため、できれば治癒してほしくはないのだが、そうすると彼女が聖女であることまで否定していると捉えられるかもしれない。
そう考えて、請われるまま腕を差し出す。
「コレット、剣術の訓練は、打たれて痛みを覚えることまでがワンセットなんだ。『これくらいの攻撃を受けたら、これくらいの怪我をする』との感覚を知ることは大事だからな。だから、あまり治され過ぎない方がいいと言うか……」
往生際悪く、コレットが使用する魔力が少なくて済むように言葉を差し挟んだが、彼女は聞いていない様子で僕の怪我部分に両手をかざすと、回復の呪文を唱えた。
すると、少しずつではあるものの、腫れていた部分の赤味が引いていき、ズキズキとした痛みが弱まってくる。
そして、数分後には、僕の腕はわずかな赤味を残しただけで、元通りとなった。
「ありがとう、コレット! 君はすごいよ」
聖女であるコレットは、本人の体内にある魔力だけを使用して、怪我を治すことができるのだ。
やはりコレットはすごいなと思って、称賛の眼差しを向けると、彼女は嬉しそうにふにゃりと微笑んだ。
「セルリアン様の怪我が治ってよかったです」
コレットの顔に浮かんだ笑みはいつも通りのものだったが、その顔色が紙のように白くなっていることに気付く。
「コレット?」
訝しく思って名前を呼ぶと、彼女の額から汗がだらりと流れてきた。
「えっ!」
気付いた時は既に遅く、彼女は立っていられないとばかりに大きくよろける。
そのため、大きく手を広げて抱き留めると、彼女は僕の腕の中で体を折って咳き込み、ぼとりと血を吐いた。
「なっ!!」
「コレット!?」
慌てる僕とロイドが見守る中、コレットは次々と血を吐いていく。
ロイドは少し離れた場所にいた護衛騎士たちに合図をすると、馬車を回してくるよう指示を出した。
必死な様子が伝わったのか、その命令は速やかに実行され、僕とロイドはコレットとともに馬車に乗り込むと、一路王城を目指したのだった。
馬車を降りるやいなや、僕は意識のないコレットを抱きかかえて王城の廊下を走った。
「母上はどこだ!?」
走りながら叫ぶと、廊下を守る騎士の一人から「私室です!」と答えが返される。
そのため、苦しさを覚えながらも全力で母の私室に走り込むと、確かに母はそこにいた。
最近爵位を継いだ母の義兄であるペイズ伯爵とともに、話をしている最中だったようだ。
「母上!」
僕はそれだけを発すると、コレットを抱いたまま母が座るソファの前の床にへたり込む。
コレットを抱いて王城の入り口からこの部屋まで走ってきたため、腕も足も肺も全てが限界を迎えていたのだ。
母から見えるようにと丁寧にコレットを絨毯の上に寝かせると、僕は母を見上げた。
はあはあと荒い息を繰り返すだけで、すぐに声を出すことはできなかったが、説明せずとも自らの血でドレスが汚れているコレットの惨状は見れば分かるだろうと思ったからだ。
今すぐ彼女に助けが必要なことは。
しかし、母はコレットを見ても表情を変えることなく、一言も口を開くことなく、静かに僕を見下ろしてきた。
まるで僕からの発言がなければ、何も動くつもりはないとばかりに。
そのため、急いで状況を説明しようと、荒い息を整える僕の代わりに、隣に駆け込んできたロイドが悲鳴のような声を上げる。
「コレットが血を吐きました! ドレスの半分近くが血に染まるほどの量をです!! このままでは、この子は死んでしまいます!!」
ロイドの声が聞こえたのか、コレットはうっすらと目を開けると、上半身を起こそうとした。
しかし、その瞬間、もう一度咳き込むと、ごぽりと新たな血を吐く。
同時に、顔や腕に剣で斬られたかのような傷が突然入り、それらの傷から血が噴き出し始めた。
「コレット!?」
ロイドは叫ぶと同時に、腕を伸ばしてコレットを抱きしめた。
「ああ、だめだ、だめだ! これ以上流血しないでくれ!!」
ロイドは必死になって要望したが、彼の望みは叶えられそうもなかった。
コレットは再びくたりと意識を失うと、ロイドの腕の中で頬や腕から新たな血を流し続けたのだから。
その姿を見たロイドは真っ青になると、縋るように僕の母を見つめる。
「王妃陛下、どうか妹を助けてください! それ以外は何も望みません!! 領地に下がれと言われるのならば、妹とともに一生涯引き籠ります!! 必要とあらば、我が公爵家の全ての財産を献上いたします!! ですから、どうか妹を救ってください!!」
呼吸が少しだけ元に戻り、やっと声が出るようになった僕も、ロイドの隣で必死に懇願する。
「母上、僕からもお願いします!! 他には何も望みませんから、どうかコレットを救ってください!!」
すると、母は考えるかのように髪を後ろに払った。
「コレットは未来の王たるあなたの妃になるのでしょう? 王妃となる者は、国一番の聖女であるべきだわ。それがどのような傷であろうとも、自分で治して皆に聖女としての力を示すべきではないかしら」









