195 王太后のお茶会4
緊迫した雰囲気を壊すかのように響いた優しい声音に、私はほっと体の力を抜いた。
この場の誰もがとげとげしい態度を取っていたため、いたたまれない気持ちになっていたからだ。
王太后も雰囲気を変えるべきだと考えたようで、表情を一変させると、穏やかな笑みを浮かべて扉口を見つめたけれど……そこに立つペイズ伯爵とエステルを見ると目を見開く。
王太后はエステルの頭のてっぺんから足のつま先まで素早く視線を走らせた後、気を取り直すかのように咳払いをした。
「もうそんな時間なのね」
王太后は取って付けたようにつぶやくと、2人に入ってくるよう手招きする。
「王城で出た怪我人を治療していたら、それ以降の約束が後ろにズレてしまったの。時間通りだから、入ってちょうだい」
王太后の言葉を聞いたエステルは、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「申し訳ございません。お客様がいるかどうかを確認してから入室するべきでした」
「いいえ、それよりも驚いたわ。エステル、あなたを招待してはいたものの、とても体調が悪いと聞いていたから、ペイズ伯爵が一人で私を訪ねてくると思っていたの」
どうやら王太后は、エステルの体調が悪かったことを聞き及んでいたようだ。
ということは、先ほど目を見張っていたのは、元気になった姿を見て驚いたのだろうか。
王太后は興味深げに、エステルの全身を見回した。
「エステル、すっかりよくなったようだけど、自分で治療したの?」
「それは……」
一方のエステルは、困った様子で言葉に詰まっていた。
王太后とエステルが話を始めたことを見て取ったセルリアンとサヴィス総長は、おもむろにソファから立ち上がる。
「客人のようなので、オレたちはこれで失礼します」
サヴィス総長の言葉を聞いたエステルは恐縮した様子を見せたけれど、『違うからね』と心の中で否定する。
この2人が王太后の私室を退出するのは、エステルに遠慮をしたからでなく、エステルの登場を逆手に取って、これ幸いと退出する言い訳にしているだけなのだから。
いつか機会があったら、その旨を伝えることにしよう、と考えながらサヴィス総長に続いて退出しようとしたところ、エステルが嬉しそうな声を上げた。
「フィーア様!」
「はいっ」
突然、名前を呼ばれたため、反射的に返事をする。
先日、エステルと会った時はなんちゃって聖女に扮装していたので、今のきりりとした騎士姿とは似ても似つかないはずだ。
そのため、気付かれないと思ったのだけれど、どうやらエステルは洞察力があるタイプのようだ。
友好的な表情で見つめられたので、笑顔を返したくなったけれど、今の私は護衛業務中なのだ。
何よりエステルの治療をしたことがシリル団長にバレると面倒なので、誤魔化してしまおうと曖昧な表情を浮かべる。
けれど、知らない振りをしてほしい私の気持ちはエステルに届かなかったようで、彼女はぱっと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「まあ、筆頭聖女とお会いになっているなんて、やっぱりフィーア様は王家が秘していた強力な聖女だったんですね! 私の病気を治してくださったお手並みの鮮やかさから、とびっきりの聖女だと分かっていましたわ!!」
「あっ」
そうだった。エステルはどういうわけか、私が王家に囲い込まれた聖女だと誤解をしていたのだった。
あの場にいたセルリアンとドリーは、私がエステルを治療できたのは聖石のおかげだと信じたのに、エステル自身は聖石についての知識がなかったため、私を聖女だと思い込んでしまったのだ。
うーん、でも私がそんな存在じゃないことは、セルリアンとサヴィス総長、シリル団長は知っているし、どうせ聖石を使ったと思っているだろうから、あえて否定しない方が穏便に済みそうよね。
違う、違わない、のやり取りをする方が注目を集めそうだもの。
そう考え、はいともいいえとも取れる曖昧な表情を浮かべていたところ、目の端に半眼になったシリル団長が見えた。
団長の表情には、『私の知らないところで、また何かをやらかしたのですか』という疑問が浮かんでおり、さらには『きっと何かをやらかしていて、それは大変なことに違いない』と勝手に結論まで出されている様子だったので……見なかったことにする。
「エステル、この者は聖女なの?」
沈黙が続く中、王太后がエステルに質問した。
「えっ、ええ……と、あれ、どうなんでしょう」
王太后の質問を受けたエステルは、先ほどまでのはっきりした態度はどこへやら、突然しどろもどろになる。
私がこの場にいたことで、私は王家が認める強力な聖女だと一旦は考えたものの、王太后から私が聖女かどうかを質問されたため、エステルは現状がよく分からなくなったのだろう。
そして、エステルは義理堅そうなので、私が聖女であることを皆が知らないのであれば、私と約束した通り隠し通そうと考えたのだろう。
「新たに聖女となったものは全員、私のところに顔を見せに来るのだけれど、この娘の顔は知らないわ」
そうきっぱりと言い切る王太后に、すかさずシリル団長が感心したような声を出す。
「いくら聖女様の数が限られているとは言え、出会った聖女様たちの中にフィーアがいないと断言できるとは素晴らしい記憶力ですね。もちろん他の聖女様の中にフィーアほど鮮やかな赤い髪をした者は1人もいませんので、この赤い髪を目印にして面識がないと判断したのでしょうが」
にこやかなシリル団長の言葉に棘を感じるのは、私だけではないだろう。
先ほどから、やたらと私の髪色を強調しているけれど、それも何らかの考えがあってのことなのだろうか。
そう思って黙っていると、王太后はエステルの後ろに立つペイズ伯爵に視線を向けた。
「ペイズ伯爵、この者は聖女なのかしら?」
煮え切らない態度のエステルを前に、王太后は質問相手を変更したようだ。
けれど、エステル同様に私が聖女であることを他言しないと約束した伯爵は、あわあわと慌てる様子を見せただけで、はっきりと返事をしなかった。
そのため、王太后は不満げに目を細める。
そんな王太后に対し、セルリアンがこれまでの態度を一変させ、馬鹿丁寧な言葉遣いで茶々を入れる―――恐らく、セルリアンが何者かを知らないペイズ伯爵とエステルの手前、貴族の子弟の振りをしたのだろうけれど、いくばくかは王太后を馬鹿にする意図が混じっているに違いない。
「王太后陛下、あなた様が手元に置かれている聖女様を選定会で優勝させたいとお考えのように、国王陛下もご自身が推薦される聖女様の優勝を希望しておられます。そのため、権力を使用したこれ以上の情報収集はお控えください。図らずも、『王家が秘していた強力な聖女』との情報を掴まれたのですから、十分ではないでしょうか?」
まあ、セルリアンったら、私がなんちゃって聖女だって知っているくせに、何というはったりをかますのかしら。
でも、この行為にも何か深い考えがあるのよねと希望的観測を抱いたけれど、ぎりりと奥歯を噛みしめた王太后を見て、してやったりとの顔をしていたので、ああ、何も考えていない子どもだわと頭を抱える。
それなのに、セルリアンはちっとも懲りていない様子で、さらに何事かを言ってやろうとばかりに口を開いたため、思わず彼にしか通じないであろうルーア語で注意をした。
<セルリアン、いたずらが過ぎるわよ!>
すると、彼は一瞬、虚を衝かれた表情を浮かべたけれど、すぐににまりと笑みを浮かべる。
その表情に危機感を覚えていると、セルリアンは困ったような表情を浮かべて私を見た。完全に演技だろうけど。
「フィーア、古代の言葉を使うものじゃない。それは君の聖女としての切り札なんだから」
わざとらしく私の耳元に口を近づけて、聞こえるか聞こえないかギリギリのところの聞こえる音量で話をしてくるセルリアンは、一体何がしたいのだろう。
私はあくまで騎士なのだから、騎士がルーア語を使えることと、聖女の能力は何の関係もないだろうに。
じろりとセルリアンを睨みつけていると、なぜだか総長に肩を抱かれる。
「フィーア、もう十分だ。それでは、失礼します」
サヴィス総長は後半の言葉を王太后に掛けると、私の肩を抱いたまま退出した。
そんな私たちを見て王太后やローズ聖女、ペイズ伯爵とエステルがどう考えたかは正確には分からないけれど―――少なくとも、私は何も問題がない一般の騎士には見えなかっただろう。
そう考えて、私は内心でがくりと項垂れたのだった。









