190 王弟サヴィス1
「サヴィス総長を王太后陛下から守る?」
どう考えても、サヴィス総長の方がイアサント筆頭聖女よりも強いわよね。
一体どういうことかしらと首を傾げていると、総長が口を開いた。
「フィーア、お前は酔った時に交わした会話は全て忘れるようだが、オレは覚えている」
「えっ!?」
サヴィス総長にしては珍しく、唐突に脈絡のない話を始められたため、戸惑ってぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「そ、それは素晴らしい記憶力ですね。ところで、お言葉を返すようですが、サヴィス総長と交わした貴重な会話を私が全て忘れる、という表現には語弊がありまして。そうではなく、むしろ総長からいただいた金言の数々を、他の人と共有したくない強い気持ちの表れから……」
騎士団トップの時間を占有しておきながら、その際に交わした会話の全てを忘れているなんて、絶対に認めるわけにはいかないし、総長に心酔している全騎士を敵に回してしまう、と総長の言葉を否定しようとすると、シリル団長がさらりと言葉を差し挟んできた。
「その通りです。フィーアはお酒が入ると、呆れるほどにきれいさっぱりと、交わした会話を忘れてしまいますね」
「ほほほ、シリル団長。いくら私の直属の上司といえど、団長が私の全てを知っているわけでは決してなくてですね」
どうしてシリル団長はわざわざ余計なことを言うのかしら、と思いながら誤魔化すための言葉を口にしていると、サヴィス総長がおかしそうに質問してきた。
「では、フィーア。オレの初恋相手は誰だ?」
「えっ!??」
なんと、私はサヴィス総長とお酒を飲みながら、そんな面白い会話をしたのかしら。
ぐううう、それなのに何一つ覚えていないなんて、何たる不覚かしら!!
少し迷ったものの、誤魔化してこの場を逃げ切ろうという思いよりも、総長の初恋相手を知りたい気持ちが勝ってしまう。
「…………お2方のおっしゃる通り、時には、私の記憶が欠落してしまうことがあるようです。ですが、そのような大事な会話を交わしておきながら忘れてしまうとは、私は一生自分を恥じます! 恥じますが、せっかく教えてもらったことを覚えていないのはあまりに失礼な所業だと思われ、そして、2度と決して忘れませんので、もう1度教えてください!!」
必死になってお願いすると、サヴィス総長は笑い声を上げた。
「ははっ、存在しない者は教えられないな」
「えっ!?」
サヴィス総長の楽しそうな表情を見て、先日の晩餐の席で、私は今と同じような会話を交わしたのかしらと疑問に思う。
あるいは、今のような会話は一切交わしていなくて、総長に引っ掛けられたかだ。
……総長の面白がってる表情を見る限り、多分、後者ね。
まんまと引っ掛かったことが悔しくて、ぐうっと蛙が潰れたような声を出していると、総長がにやりと笑った。
「どうやら酔った時に交わした会話を、お前自身が忘れていることを理解できたようだな」
ダメだわ、これは。相手が悪い。
反論すると、さらなる罠にはめられるような気がしたため、素直に頷く。
「はい」
「だが、オレは覚えているから、お前も覚えているものとして会話を交わす」
さすが、王弟にして騎士団のトップだ。
自分の都合だけに合わせて物事を進めようというやり方は、完全なる権力者の手法だ。
……と思ったけれど、総長は丁寧に私が忘れていた言葉を再現してくれた。
「オレは晩餐の席でお前に言った。聖女は利己的で、独善的で、自己顕示欲が強いと」
「ええっ!? そ、それはまた、総長らしからぬ決めつけた発言ですね! い、いや、聖女というだけで、全員が同じ特質を持っているわけではないし、少なくともシャーロットはいい子ですよ」
一体何ということを言うのかしら、と思って反論すると、サヴィス総長はおかしそうに唇の端を引き上げた。
「酔っていようがいまいが、お前の考え方はいつだって同じだな」
「えっ?」
サヴィス総長の表情を見て、先日の晩餐の席で、私は今と同じような会話を交わしたのかしらと疑問に思う。
あるいは、またもや何らかの罠にかけられて、不要な発言をしてしまったのだろうか。
……総長の発言内容と楽しそうな表情から推測するに、多分、前者ね。
「ええと、つまり、総長は聖女についてあまりいい感情を持っていないということですね」
総長の機嫌のよさそうな表情から、どこまで本気で発言しているのかが分からなくなり、確認するようにじっと見つめる。
総長は聖女にいい感情を持っていないとのことだけれど、総長のお母様も、総長の将来の結婚相手も、どちらも聖女のはずよね。
自分の身内をそんなに嫌うものかしら?
そんな風に疑問が湧いたけれど、……私だって前世の兄たちには嫌われていたから、あり得ない話ではないのだろう。
「その通りだ、そしてお前が考えている通り、オレの周りにいる女性は聖女に限られる」
私の予想通り、総長から母親はもちろん、将来の結婚相手も聖女であることを肯定される。
「そのため、筆頭聖女とともに茶を飲む時間は、オレにとって苦行でしかない。だから、聖女たちが焦がれて止まない外見をしながらも、聖女らしさが全くないお前を連れていくことで、オレのお守りにしようと考えたのだ」
まあ、これから行われるのは「親子のお茶会」だと考えていたけれど、サヴィス総長にとっては「聖女とのお茶会」なのかしら。
どうやらサヴィス総長は王太后のことを、「母親」よりも「聖女」だと認識しているようだ。
うーん、王族ってのはそもそも家族との関わりが希薄だから、そういうことがあるのかもしれないわね。
筆頭聖女は昔から忙しかったと、シリル団長も言っていたことだし、親子の時間をなかなか取れずに、王太后が母親という意識が薄いのかもしれないわ。
そう考えながら頷いていると、それまで黙って話を聞いていたセルリアンが、ここぞとばかりに言い募ってきた。
「僕にとっても苦行だよ! 僕はサヴィス以上に聖女が大嫌いだし、さらに紅茶も嫌いだからね!!」
まあ、王族わがまま大会になってきたわよ、と思いながら王族に連なっているシリル団長を横目でちらりと見る。
もしかしたらシリル団長もわがままを言い出すのかしらと用心しての行動だったけれど、団長は口を開くことなく、少しだけ眉根を寄せて2人を見つめていた。
そのため、そうだった、シリル団長は何があっても聖女の肩を持つのだったわ、と心の中で独り言ちる。
きっと、聖女を堂々と批判したサヴィス総長とセルリアンに不満を覚えているのね。
と、そう考えたけれど、シリル団長はまるで心の中を読んだかのように、私に向かって首を横に振った。
「お2方が聖女様に嫌悪感を抱くことは理解できますし、受け入れています」
「えっ!」
いついかなる時も、聖女を擁護していたシリル団長なのに、サヴィス総長とセルリアンが相手の場合は、この2人を優先させるのね。
3人は幼馴染という話だったから、シリル団長が聖女へ抱く思いを超えるほどの絆があるのかもしれない。
そう考えていると、それまで黙って部屋の隅に控えていたカーティス団長が、一歩前に進み出てきた。
その日はたまたまカーティス団長がサヴィス総長の警護に就いていたようで、シリル団長と私が総長室に入室した時には既に部屋の中にいたのだ。
カーティス団長はいつだって生真面目に任務を遂行していて、業務中に私語を話すことはないのだけれど、なぜだか訴えるような表情で口を開く。
「サヴィス総長、よろしければ今日1日、このまま総長の警護を続けてもよろしいでしょうか?」
総長が確認するかのようにカーティス団長を見やると、団長は無言のまま、強い視線で見つめ返していた。
「……いいだろう。では、茶会に同行させる護衛はシリル、カーティス、フィーアの3人だ」
そう総長が返したところで、1人の騎士が入室してきて、王太后からのメッセージカードを総長に手渡す。
どうやら王太后は午前中に聖女の力を使って疲労したため、茶会の時間を遅らせたいとの要望を出してきたらしい。
サヴィス総長は摘まんだカードを目にしながら、片方の眉を上げた。
「時間が空いたな。……森で魔物を狩るとしようか」
「えっ、今からですか?」
少しばかり時間は空いたかもしれないけれど、来るべき王太后との茶会に備えて、立派な服に着替えたり……とかは、総長はしないのだろうな。
むしろ、躊躇なく魔物の返り血を浴びるかもしれない状況に身を置こうとするのだから、女性とのお茶会に出向くための心構えがなってないようだ。
そう考えている間に、これ幸いと部屋から飛び出していこうとしたセルリアンの首根っこを掴むと、きっちり3時間後に戻ってくるようサヴィス総長が言い含めていた。
それから、総長は立ち上がると、剣を付け替えたので、どうやら本当に森に出掛けるようだ。
騎士団トップの行動としては、あまりに衝動的なものに思われたけれど、誰も何も言わないので、もしかしたら総長にとってはよくあることなのかもしれない。
そして、必要なことなのかもしれない。
たとえば私は気分がもやっとした時は、普段はやらない詠唱を丁寧に唱えて、回復魔法をかける練習をする。
そうすることで、気持ちを落ち着けていたのだけれど、……サヴィス総長にとって森で魔物を狩る行為は、そのことと同じようなものなのかもしれない。
だとしたら、何か悩みごとがあって、それを晴らそうとしているのだろうか。
「どうした?」
サヴィス総長と目が合い、何事かと問われたけれど、ストレートに質問する気持ちにはなれなかったため、冗談に紛らしてしまおうと考えながら、先ほど思ったことを口にする。
「いえ、サヴィス総長は先ほど、『お前は酔った時に交わした会話は全て忘れるようだが、オレは覚えているから、お前も覚えているものとして会話を交わす』と言われましたよね。ご自分の都合だけを考えて物事を進めようとするやり方はセルリアンそっくりなので、やっぱり王家の血筋だったのだなと考えていたところです」
私の言葉を聞いたセルリアンはむっとしたように眉根を寄せたけれど、一方の総長はおかしそうに唇の端を引き上げた。
「お前は本当に何も覚えていないのだな。オレはあの時、『お前がここでの会話を一切覚えていないのであれば、オレも本音で話す』と断りを入れたのだがな。あの言葉はあの場限りのもので、お前も含め、誰にだってオレの本音を恒久的に知らせるつもりはなかったからな」
「えっ、だったらどうして、先ほど聖女についての考えを表明されたんですか?」
黙っていれば済む話なのに、とびっくりして聞き返すと、総長は壁際に飾られている国旗を見つめたまま口を開いた―――私の髪色と同じ赤い国旗を。
「原因はお前だ。お前が夢のような話をオレにするから……オレは夢の続きを見たくなり、あの夜をなかったことにしたくなくなったのだ」
「えっ、わ、私は何を言ったんですかね?」
『夢のような話』というのは、つまり、私は総長にとうとうと妄想話を語り続けたということだろうか。
……うっ、あり得そうな話だわ。
途端に、背中に嫌な汗が流れ始め、頭を抱えたい思いに襲われる。
ああ、酔っていた時のことは何も覚えていないから、後悔することも恥じることもないはずなのに、わざわざ思い出させようとさせられているわ。
忘れ去りたい過去を目の前に突き付けられ、だらだらと嫌な汗をかいていると、総長は意味あり気に見つめてきた。
「それは、お前が思い出すべきことだ」








