178 危機との遭遇11
「これは、いつぞやの聖女様ではありませんか。またお会いできましたね」
ものすごく優しい声を耳にしたというのに、その声を聞いた途端、私の背筋にぞぞぞと悪寒が走った。
あっ、しまった、とうとう見つかった! と心の中で叫んだ私は、振り返ることなく走り去ろうとしたけれど、その前にがしりと腕を掴まれる。
「おやおや、つれないですね。あなたのようにご立派な聖女様には、騎士ごときを相手にする時間はありませんか?」
「……ま、まあ、騎士団長ともあろう方が何をおっしゃいますやら」
一瞬躊躇したものの、逃げられないと悟った私は、作り笑いを浮かべて振り返る。
すると、予想通りシリル第一騎士団長が立っていた。
そして、その表情は予想の倍くらいにこやかだった。
……まずい、まずいわ。これは本気で怒っているわ。
これまでの付き合いからそのことを悟った私は、今だけは絶対に団長に逆らってはいけないと、危機管理能力が作動し始める。
そのため、ものすごく優しい笑顔を浮かべながら、シリル団長の間違いを指摘した。
「ところで、シリル団長。先ほどから私を『聖女様』と呼ばれていますが、私が着用しているのは騎士服ですし、私自身も団長の忠実なる部下ですよ」
シリル団長は器用に片方の眉を上げると、不同意の気持ちを示す。
けれど、ここで負けてなるものかと思った私は、背筋がぴりぴりとしながらも目を逸らさずにいたのだった。
―――先日、聖女の扮装をしてセルリアンと街に出掛けていた際、シリル団長にばったり遭遇した。
なんちゃって聖女の私は、首に聖石のネックレスを掛けていたのだけれど、それを見られたため、シリル団長から説教の予告を受けたのだ。
『こんにちは、可愛らしい聖女様。そのネックレスはとても素敵ですね。幸運にも、もう1度お会いできる機会がありましたら、ゆっくり話をさせてくださいね』
あんなににこやかな表情で脅迫することができる者は、世界広しと言えど、シリル団長の他にいないだろう。
ぞぞぞと背筋が凍り付いた私は、その日からシリル団長を避けることにした。
そもそもシリル団長がものすごく忙しいのだから、避けるのは簡単だ―――と考えてから2日後、気を抜いていたところに本人との遭遇だ。
昼食を取ろうと食堂に向かっていたところだったので、頭の中が昼食のメニューで占められていて、周りに気を配るのを怠っていたことが敗因だろう。
はっとした時には既に遅く、ご立派な騎士団長にがっちりと腕を掴まれていたため、簡単に逃げ出せそうにないわと絶望感を覚える。
そんな私の心情を察しているだろうに、シリル団長はあくまでにこやかに口を開いた。
「おや、フィーアは私が服装といった外見に騙されるような愚か者だと思うのですか。ふふふ、先日、街で出会ったあなたは間違いなく聖女様でしたよ。回復魔法を使用できる者を聖女様とお呼びするのならば、聖石をたくさん身に付けていたあなたにその資格がないはずはありませんからね」
「……それも一つの考え方ですね」
シリル団長を刺激しないように、はいともいいえとも取れるあいまいな答えを返すと、団長は理解しているとばかりに頷いた。
「そうであれば、着用している服が変わったくらいで、あなたが聖女様でなくなると考える方がおかしいでしょう」
「……お言葉ですが、今の私は聖石を身に付けていません。そのため、やっぱり今は聖女様ではなく騎士だと思うのですが」
ここは肯定してはいけない場面だわと理解し、恐る恐る否定する。
すると、シリル団長は考え込む様子を見せた―――完全に、演技だろうけど。
「なるほど。あなたは聖石さえ身に付ければ、いつだって憧れの聖女様になれるというのに、騎士を選び取ったということですね。あなたの意志で」
シリル団長は平坦な声で尋ねてきたけれど、賢い私はピンとくる。
あ、これは先日のドリーの嫌味に対する返しだわ!
『ほーら、見てごらんなさい、フィーアの格好を。可愛らしい聖女様でしょう? フィーアには将来の可能性がたくさんあるんだから』
そう挑発したドリーに対して、シリル団長は背筋が凍るような微笑を浮かべて言い返したのだ。
『既にフィーアがこの場にいること自体が、騎士を選んでいることの証明なのですが』
思い出したわ。ドリーの冷やかしに対し、私は騎士であるとシリル団長が言い切った場面を、私の優れた危機管理能力のおかげで、はっきりと思い出したわよ!
「もちろんですよ、団長! 私には聖女様よりも騎士の方が合っています!!」
ここが攻めどころだと理解した私は、ことさら力強く返事をしたけれど、シリル団長は疑うような表情で見つめてきた。
けれど、私だって日々、学習しているのだ。
つまり、事実がどうであれ、言い切ることが大事だということを。
そのため、私は両手を握り締めると、真剣な表情で言い募った。
「私はシリル団長のような立派な騎士になりたいと思います!!」
私の熱意にあてられたのか、シリル団長は衝撃を受けた様子で一歩後ろに下がる。
「あなたが私のようになるのですか? それは……嬉しく思いますが……えっ、どんなところを似せるつもりなのですか?」
恐る恐る尋ねてくるシリル団長を前に、やったわ、シリル団長の気を逸らすことに成功したわよと心の中で万歳する。
それから、ここで答えを間違えてはいけないと、一生懸命考えながら口を開いた。
「そうですね、身長はちょっとばかり団長の方が高いので、背の高さを真似するのは時間が掛かるかもしれませんが」
「えっ、時間を掛ければ、私と同じ身長になれると思っているのですか? ……300年ほど?」
「剣の腕前は、団長と比べるとまだまだですが、何と言っても私は、入団式でサヴィス総長との真剣勝負を無効試合に持ち込んだ実績がありますからね。シリル団長の年齢になった頃には」
「いえ、あれはあなたの得物が、『超黄金時代』の宝剣だったからこその結果です。しかも、あの伝説級の魔剣を使用してさえ、サヴィス総長との実力差は歴然としていましたよね」
新人騎士が未来への希望を描いているというのに、次々と発言を否定してくるシリル団長にむっとする。
「シリル団長! 団長は前途洋々な若者の未来を潰すつもりですか!? 私は団長から質問されたことに答えているだけですよ! それなのに、どうして私の答えをことごとく潰していくんですか!!」
シリル団長は自分の行動を自覚していなかったようで、はっとしたように目を見張った後に項垂れた。
「……確かに私が間違っていました。すみません、私はあなたを伸ばす立場にいるのでした。……そうですね、もう少し、5……50年ほどしたら、私の腰も曲がり始めて、同じような身長になるかもしれませんね。それから、あなたが私の年齢になった時には、……予想外の事件を起こし続けるあなたであれば、新たな伝説級の魔剣を発見していて、私と同じくらいの強さになっているかもしれませんね」
そう言い切った後、ほっとしたように微笑むシリル団長を前に、これで本当に私を褒めているつもりなのだろうか、と団長の正気を疑いたくなる。
じとりと睨むと、団長は戸惑った様子で瞬きをした。
「フィーア、虚偽の発言をするわけにはいきませんから、私は精一杯事実を拾い上げて、評価したつもりです」
何を言っているんですか。私には褒めるところがもっとたくさんあるでしょう。
「ぜんっぜんなっていませんよ! 完璧騎士団長のまさかの欠点発見ですね! シリル団長は指導的立場にいるというのに、壊滅的に人を褒めるのが下手じゃないですか。それでは、私がお手本を見せますと……『シリル団長は背が高いから、脚も長いですよね! わー、スタイルがよくていいですね!! それから、剣の腕前がすごいですよね! わー、強くていいですね!!』……ざっとこんなものです」
どうですか、と得意気にシリル団長を見つめたけれど、団長は何とも言えない表情を浮かべていた。
「……褒められておいて何ですが、あまり嬉しくないですね。それに、私とあなたの褒める内容が異なったのは、対象者が褒めやすい長所を備えた者と、褒めるのが難しい長所を備えた者の差異では……いえ、言い訳でしたね!」
じとりと睨み付けると、学習能力の高いシリル団長は慌てて言い訳の言葉を切り上げた。
それから、さらりと話題を変えてくる。
「ところで、フィーア。セルリアンからしばらくあなたを彼専属の護衛にするようにと、正式に要望がありました。彼は傲岸不遜のように見えて、これまではあまり強い要求を出してこなかったのですが、今回は何が何でもと強要してきましてね。あなたを1か月ほど借り受けたいとのことでした」
尋ねるように見つめてくるシリル団長を前に、セルリアンの事情をどこまで知っているのかしらと考える。
全く根拠はないけど、シリル団長は何もかも知っているような気がするのよね。
そう思いながらも、何も知らなかった場合を考えて、どうとでも取れる答えを返す。
「セルリアンはコレットに『大聖女の薔薇』を捧げたいと思っていて、彼女にぴったりの薔薇を選んでほしいと頼まれました」
「コレットの……」
シリル団長はそこで言葉に詰まると、何かを悟ったような表情を浮かべた。
そのため、ああ、やっぱりシリル団長はコレットが亡くなっておらず、時を止めて眠り続けていることを知っているのだわ、と理解する。
黙って見つめていると、シリル団長は何かを考えるかのように目を細めた。
「『大聖女の薔薇』がある一角は立ち入り禁止にしていましたが、セルリアンからロイド及び数名の立ち入りを許可するよう要請があったため、何事かと思っていたところです」
そう言われれば、確かに大聖女の薔薇がある一角には、等間隔で騎士が立っていたなと思い出す。
ただ、私は何度もあの場所に立ち入っており、その際に咎められたことはなかったのだけど、と首を傾げる。
けれど、その時にふと、初日にロイドと一緒に薔薇を見に行った際、彼が騎士に向かって片手を上げていたことを思い出した。
もしかしたらあれが合図で、彼に同行していた私にも、継続的な立ち入り許可が下りたのかもしれない。
まあ、ロイドは言葉に出しもしなかったから、気付きもしなかったわ。
驚きながら回想していると、シリル団長はすっと視線を落とした。
「コレットへ捧げる薔薇をあなたに選ばせるということは……セルリアンとロイドは、未来をあなたに賭けることにしたのですね。なるほど、先日の国王面談に加えて、たった1度一緒に外出しただけで、あなたは彼らに気に入られたのですか」
それから、団長は小さく微笑んだ。
「ふふふ、あなたの聖女様姿がよっぽど可愛らしかったのでしょうね」
「…………」
これは返事をしてはいけない場面だわ、と黙っていると、シリル団長は顔を上げて意外なことを言い出した。
「そうであれば、フィーア、あなたにはご苦労をお掛けしますが、セルリアンが満足するまで彼に付き合っていただけませんか」
「えっ、いいんですか?」
道化師と一緒になって遊んでいる場合ではない、とのこれまでの発言を裏切るようなシリル団長の寛容さにびっくりし、思わず聞き返す。
すると、団長は弱々しく微笑んだ。
「ええ、むしろ私からもお願いします。……物事というのは、単体で発生しているように見えても、実際にはつながっているものなのです。『サザランドの嘆き』さえなければ、コレットの件は起こらなかったかもしれませんから」
暗い表情でそう口にしたシリル団長を見て、私はびっくりする。
えっ、『サザランドの嘆き』は解決した話だと思っていたのに、まだ続きがあったのかしら。
けれど、とても尋ねられるような雰囲気ではなかったため、私は無言のまま頷いたのだった。
 









