177 大聖女の薔薇1
「ええと、デズモンド団長、それではこれで失礼しますね」
この短い時間だけでも、ロイドとデズモンド団長の組み合わせが悪いことを理解した私は、いそいそとトレーを持って立ち上がった。
ロイドは公爵という高い地位に就いているためか、歯に衣着せぬところがあるうえ、道化師でいる時の癖なのか、相手をからかおうとするところがある。
一方、デズモンド団長もやっぱり相手をからかおうとするところがあるので、同じ性質を持ち合わせている2人は合わないことに気が付いたのだ。
2人はチェス仲間とのことだけれど、手よりも口の方が動いているのじゃないだろうか。
「あ、ああ。……またな、フィーア」
ロイドと私が一緒に連れ立って行くことに首を捻っているデズモンド団長を見て、これは早めに納得させておいた方が得策だわと考える。
そのため、私はデズモンド団長の耳元に顔を近付けると、小声で説明した。
「実は昨日、セルリアンとドリーと一緒に、道化師一座に扮して街に出掛けたんです。そのことについて話があるみたいなので、ちょっと行ってきますね」
「は? ということは、お前も道化師の扮装をしたのか!? 意外と似合いそうだが。……い、いや、そうじゃなくて、崇高なる騎士が何をやっているんだよ!」
予想通り、筆頭聖女選定会問題に没頭していたらしいデズモンド団長は、私たちの昨日のお出掛けを知らなかったようだ。
そのため、顔をしかめて苦情を言いながらも、どこか納得した表情を浮かべる。
よしよし、これで私が道化師の気まぐれに巻き込まれたと思ってもらえるかしら。
私はデズモンド団長の小言に感じ入った振りをすると、「ええ、崇高なる騎士としてあるまじき行為をしてしまったので、反省の意味を込めてがつんと言い返してきます!」と言いながら握りこぶしを作ってみせると、ロイドの後に続いた。
まあ、私は平和主義者なので、ロイドに言い返す気はないけれど。
ロイドに連れていかれたのは、『大聖女の薔薇』が咲いている庭園だった。
12株ある薔薇のうち、2株が既に『大聖女の薔薇』に変化している。
薔薇の間をゆっくり歩いていると、ロイドが立ち止まり、くるりと振り返った。
「フィーア、昨夜お願いした『大聖女の薔薇』を選び取る話だけど、君たちが退出した後、セルリアンと話し合って今後の方針を決定したんだ」
「ええ」
一体どんな話になったのかしらと、ロイドの次の言葉を待つ。
「コレットが目覚めた後、筆頭聖女の力を借りて妹を治癒してもらうという話はしたよね。その筆頭聖女を選ぶための選定会は2週間後に開始されるが、実際に選定されるにはさらに2週間ほどかかるだろう。そのため、筆頭聖女の力を借りられるのは、順当に考えても1か月後になるはずだ。だから、その1か月の間に、この薔薇の中からピンとくる花を一輪選んでくれないか」
「つまり、これから1か月は猶予期間があるということね?」
今すぐ選べと言われなくてよかったわ。
そうほっとしていると、ロイドは肯定の印に頷いた。
「薔薇は魔術師団の騎士たちに頼んで、摘んだ時のままの状態で保存してもらう予定だから、今日、明日に摘んだとしても問題ないし、1か月後に摘んでも構わない。気になる薔薇があったら、次々に摘んで保存しておいて、最後にその中から一輪選ぶ方法でもいいと思う。あるいは、ピンとくるものがなければ、少しくらいなら期日を過ぎても構わないし」
「えっ、そうなの?」
急いでいるんじゃないのかしら、と思って尋ねると、ロイドは唇を歪めた。
「妹は10年も眠り続けているのだから、今さら1日2日、1週間や2週間延びたとしても大差ないだろう。もちろん、1か月以内に見つかるならば、それに越したことはないが」
ロイドはそう言ってくれたけど、コレットの体力は限界だと、昨夜話していたから、早い方がいいわよね。
「分かったわ。何となくだけど、1か月で見つかるような気がするわ」
そう答えながら、私はもう1度手順をおさらいする。
ここに植わっているのは普通の薔薇に見えるけれど、実際には『大聖女の薔薇』に変化することができる特別な薔薇種だ。
そして、毎日、私がこの薔薇に魔力を注ぎ込むことで、『大聖女の薔薇』に変化する。
これから魔力を流し始めるのであれば、変化するまでにちょうど1か月くらいかかるだろうから、ロイドの言った期限に間に合うだろう。
以前、サヴィス総長に頼まれた時もそのくらいだったし。
ちなみに、300年前の王城において、『大聖女の薔薇』が他の薔薇種と自然交配することを防ぐため、敷地内に植えられていた薔薇種は『大聖女の薔薇』のみだったのだけれど、どうやら現在もそのルールが守られているようだ。
視界に入る薔薇は全て、『大聖女の薔薇』に成り得る特別な薔薇種だったのだから。
うーん、このうちのいくつを『大聖女の薔薇』に変えるべきかしら、と考え込んでいたところ、視線を感じたため顔を上げる。
すると、ロイドが興味深げに私を見つめていた。
「ロイド、私は薔薇を選ぶだけだから、その花にたまたまお望みの効能が付いていたとしても、偶然だからね」
何かを怪しまれているのかしら、と思った私はロイドに念を押す。
すると、ロイドはにこやかに返事をした。
「もちろん、そうだ。でも、フィーアとの会話から推測するに、君は正しい効能が付いた薔薇を引き当てる自信があるようだね。これまで失望することばっかりだったから、そんな君と話をしていると元気がでてくるんだよ」
「…………」
にこにこと邪気のない顔で微笑まれると、力が抜けて何も言えなくなる。
でも、絶望に染まった表情や、縋るような表情を見るよりもずっといいわよね、と思いながら、私は昨夜の出来事を思い返した。
◇◇◇
「『大聖女の薔薇』は花びら毎に効能が異なるから、どうか……コレットが目覚めるための花びらを選び取ってくれ!」
そう訴えながら、セルリアンは縋るような瞳で見つめてきた。
そのため、私は胸が詰まったような気持ちになったのだ。
10年間というのは、とても長い時間だ。
その長い時間を、セルリアンとロイドが不安な気持ちで過ごしてきたのだとしたら―――「今日、目覚めるかもしれない」という希望と、「今日、亡くなるかもしれない」という恐れを抱いてきたとしたら、それはとっても苦しいことだろう。
そんな2人を少しでも楽にできるのならば、何だって協力すべきだと思う。
「もちろんだわ! コレットが目覚めるよう、最善の薔薇を選ぶわね」
私の返事を聞いた瞬間、隣でカーティスがぐっと唇を噛みしめたのが分かったけれど、見逃してちょうだい、と心の中でお願いする。
そもそも……
「コレットの眠りが『精霊王の祝福』である以上、通常の手順で目覚めるかどうかは未知数だわ。たとえ正しく目覚めのための花びらを選び取ったとしても、効くかどうかは分からないわよね」
なぜならセルリアンにかけられた『精霊王の呪い』を、私は解くことができないのだから。
精霊王の力は人のそれとは異なる種類のもので、強力だから、「解けるように」との仕掛けを施されていない限り、人に解くことはできないのだ。
けれど、コレットの眠りがセルリアンの望みに基づき、『彼女を死なせないために、時を止めたい』という願いを聞き届けてくれたものだとしたら、―――『コレットが死なない条件が整った』と判断された時に、解除されるのではないだろうか。
「つまり……セルリアンが目覚めさせようと働きかけることで、『コレットが死なない条件が整った』と判断されるかもしれないわね」
思い付いたことをぽつりと口にすると、セルリアンが手の甲で涙を払いながら頷いた。
「フィーアは本当にいいポイントを突いてくるよね。確かに、この件の最大の問題は『精霊王がかけた』状態異常ってことだ。君の言う通り、僕の望みに呼応する形で発動した祝福である以上、僕の望みに応じて解除される可能性は高いと思う」
セルリアンは一旦言葉を切ると、「ただ……」と悩ましい様子で続ける。
「精霊王由来のものは、簡単ではないんだ。僕が強く望んだことでコレットは眠りについたのに、同じように強く望んでも、決して彼女が目覚めることはなかったのだから。だが、『大聖女の薔薇』が見つかったことで理解した。大聖女は僕に祝福を与えてくれた精霊王の血筋だから、それが解除のアイテムなんだよ。正しく大聖女の花びらを選び取って使用すれば、コレットは目覚めてくれるはずだ」
セルリアンの発言には、多分に希望的観測が混じっていたけれど、確かに初代精霊王と人の子の間に生まれた者がナーヴ王家を興したので、前世の私は精霊王の血を引いていた。
セルリアンの言う通り、そのことが上手く作用して、コレットが目覚めてくれるといいのだけど、と考えていると、セルリアンが言い難そうな表情で私を見つめてきた。
「だから、僕の望みであることを示すために、『大聖女の薔薇』を使用した紅茶は、僕が直接コレットに飲ませようと思うのだが、……フィーア、我儘を言って申し訳ないが、彼女に紅茶を飲ませる時は、僕とロイドとコレットの3人だけにしてもらえないか?」
「えっ?」
てっきり同席できるものと思っていたので、驚いて声が出る。
う、うーん、最近気付いたんだけど、『大聖女の薔薇』に魔力を流している時に、私が何を考えているかで、花びらに付く効果の内容が変わってくるみたいなのよね。
麻痺の仕組みってどうなっているのかしら、と考えていた時は、体がビリビリと痺れる花びらができたし、いつだって小難しい顔をしている騎士がいるけど、何を見ても面白く感じるような魔法はないものかしら、と考えていた時は、全てのことを面白く感じる花びらができたから。
だけど、今ある『大聖女の薔薇』に魔力を注いだ際、『眠りの状態異常の解除』を望んだ覚えはないから、現時点では眠りの状態異常を解除する花びらは存在しないのよね。
だから、コレットには適当に無害な花びらを選んでおいて、彼女に紅茶を飲ませる際、こっそりと状態異常解除の魔法をかけようと思っていたのだけど……
「コレットの体はもう限界なんだ。どんどん細くなってきているから、間違った刺激を与えることにも、耐えられないんじゃないかと思ってしまう。だから、もしも何かあった時には……その場面を、3人だけで迎えたいんだ」
神妙な表情でそう口にしたセルリアンを見て、私は開きかけた口を閉じた。
彼は最悪の場面を覚悟しているのだ。
そして、もしもコレットが亡くなるとしたら、その神聖な場面に、一切の他者を同席させたくないのだ。
それほど、彼にとってコレットは特別なのだろう。
「……コレットは大変な状態で時を止めているのでしょう? 目覚めたらすぐに回復させるために、筆頭聖女を同行させるんじゃないの?」
コレットをそのままにしておけば、死を待つしかない状態だったと、先ほどセルリアンが言っていたことを思い出しながら質問する。
すると、セルリアンは悲し気に眉を下げた。
「ああ、筆頭聖女には隣室で控えていてもらおうと思っている。コレットが目覚めることができたら、すぐに呼べるように」
「だったら、私も隣室で控えていていい? 呼ばれるまでは、絶対に動かないし、隣室を覗いたりもしないから!」
私も聖女だから、力になれる場面があるかもしれないと思って、そう提案する。
「ほら、私はたくさんの聖石を持っているでしょう? 筆頭聖女に何かあった時のためのスペアとして、一緒に連れて行ってもらえないかしら」
セルリアンは唇を震わせると、情けない表情を浮かべた。
「そこまで君に頼ってもいいものかな?」
「もちろんよ! コレットを救うために、できることは何だってすべきだわ。それに、セルリアンは『精霊王の呪い』を受けると同時に、『精霊王の祝福』の代償を払い続けているという、とんでもない状態だから、もっと多くの人に助けを求めるべきだわ」
なぜなら実際に、セルリアンは大変な状態なのだから。
300年前の精霊王からは呪いを受けて、左腕が動かなくなっているし。
初代精霊王からは祝福を受けたけれど、そのせいで命を削られているし。
「そう言われると、確かに僕は難儀な状況かもしれないね」
セルリアンは今さらながらそのことに思い至ったとばかりに、顔をしかめた。
まあ、我が国の王様は呑気なものねと思ったけれど、……セルリアンの祝福と呪いがナーヴ王家の血筋であるがゆえに受けたものだとするならば、それはサヴィス総長にも及ぶのかしら、とふと思う。
精霊王の祝福は、総長が何事かを強く願ってみないことには、発動するかどうかは不明だけれど、「300年前の精霊王の呪い」は、過去の王族が受けたものをセルリアンが引き継いでいるとのことだった。
それは、「王」にのみ該当するものかしら?
それとも、サヴィス総長も「王家の一族」として、身に受けているのかしら?
けれど、すぐに、総長は一切の呪いにおかされていない状態だったわと、自らの考えを打ち消した。
サヴィス総長とは何度も顔を合わせているので、もしも総長が呪いにかかっているのならば、気付かないはずはないのだから。
導き出した結論に安心していると、セルリアンから晴れ晴れとした表情でお礼を言われる。
「フィーア、引き受けてくれてありがとう! それから、尽力してくれた全てに感謝する」
すると、隣にいたロイドも神妙な顔でお礼を言ってきた。
「フィーア、僕も心から君に感謝している。結果がどうなろうとも、君が行動してくれたあらゆることに感謝し続けるよ」
常にない2人の真面目な対応から、どれだけコレットのことを大事に思っているかが伝わり、改めてできることはやらなければと考えていると、セルリアンが申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「夢中になってしゃべっていたら、ずいぶん遅くなってしまったな」
そう言われて初めて、結構な時間を話し込んでいたことに気付く。
窓の外に視線をやると真っ暗だった。月の位置から判断するに、確かに遅い時間のようだ。
「今日は色々なことがあったから、フィーアは疲れているだろうに悪かったね。今夜はここまでにして、詳細については明日話をしよう。思い付きのような形で君に依頼したから、今夜一晩、ロイドと今後のことを相談して、内容を詰めることにするよ」
セルリアンからそう提案されたため、素直に頷く。
「分かったわ」
そう言われてみれば、私は疲れているかもしれないわねと思いながら返事をすると、カーティス団長とともに部屋を後にしたのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます!
更新をお待たせしていて、すみません。
できるだけ頑張ります(としか言えなくて申し訳ないです)。
また、別作品で恐縮ですが、「悪役令嬢は溺愛ルートに入りました!?」という作品が「次にくるライトノベル大賞2022」にノミネートされています。
どなたでも1人1回、投票できる仕組みになっていますので、応援いただけましたら嬉しいです。
〇次にくるライトノベル大賞2022(12/15まで受付中)
https://tsugirano.jp/nominate2022/
どうぞよろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾









