176 肉ツアー
「フィーア、教会が今朝一番に、筆頭聖女の選定会を実施する旨の布告を出したんだが、その話は聞いたか?」
食堂で朝食を取っていると、久しぶりにデズモンド団長が現れた。
ちょうど好物の白パンを手に持っていた私は、笑顔で答える。
「いいえ、聞いていません!」
昨日の夜、ロイドから予定として聞かされてはいたけれど、実際に出されたことは初めて聞いた。
そのため、素直に知らないと答えると、デズモンド団長は渋い表情を浮かべて私の前に座ってきた。
「ええと、デズモンド団長、お気付きではないかもしれませんが、ここは一般騎士用の食堂です。騎士団長専用の食堂は向こうですよ」
当然の顔をして私の前に座っているデズモンド団長に対し、とっても有効な情報を提供したというのに、団長は私の言葉が聞こえなかったかのように椅子から動かなかった。
それどころか、無言のまま手を伸ばしてくると、私のトレーに残っていた白パンを手に取る。
「あっ、ドロボー! 騎士団長でありながら一般騎士用の食堂に来るだけではなく、新人騎士からパンを盗むなんて!」
抗議の声を上げたけれど、デズモンド団長はさらに私のトレーからオレンジジュースを取ると、疲れ切った声を出した。
「フィーア、教会が勝手なことをしやがるから、オレは昨日からほとんど寝ていない。かわいそうだと思ってパンとジュースを恵んでくれ」
「えっ、それは大変でしたね!」
そう答えながらも、パンとジュースは取り放題なのだから、自分で取ってくればいいんじゃないかしらと考える。
けれど、すぐにデズモンド団長はビュッフェテーブルまで歩いて行けないほど疲れているのかもしれないと思い直し、ちょっと考えた後、1人1個と決められているお肉の皿を差し出した。
「デズモンド団長、お肉を食べると元気が出ますよ!」
すると、デズモンド団長は出てもいない涙を拭う振りをした。
「フィーア、お前は優しいな。お前が女性でなければ、この瞬間にぐらりとよろめいたかもしれないぞ。いや、だからと言って、オレは男性が好きなわけでもないのだが」
そう言いながら団長はお肉を片手で掴むと、豪快にガブリと噛みつく。
うん、大丈夫そうね。こんな風に勢いよく食べられるなら元気だわ。
そう考えている間に、デズモンド団長はお肉を骨だけにしてしまうと、パンとジュースも空にしてしまった。
それから、食べ物をお腹に入れたことで少し落ち着いたのか、椅子の背もたれにゆったりと背中をあずけると、私を見つめてきた。
「フィーア、近々、ディタール聖国に肉料理を食べに行く約束をしていたよな。あれが少し延期になりそうなので、伝えに来たんだ」
「まあ、そうなんですね」
デズモンド団長に返事をしながら、そういえばそんな約束をしていたわねと、私は約束をした時のことを思い浮かべた。
◇◇◇
1週間ほど前、城内の庭で薬草を摘んでいたところ、デズモンド団長がふらりとやって来た。
「フィーア、また草摘みか? お前はもしかして給金が足りていないのか? だから、月末になると草を食い始めるんじゃないのか?」
どうやら、しょっちゅう薬草摘みをしている私を見て、草を食用にしていると考えたようだ。
これは緑の回復薬の泉に投げ込むために集めているのであって、食べるために集めているわけじゃないんだけどな。
それに、城内には騎士専用の食堂があるから、そこに行けば私はどれだけでも食べられるし、草を食べるほど飢えるはずないんだけどな、と思いながらじろりと睨むと、デズモンド団長は薄っぺらい笑みを浮かべていた。
その表情を見て、これは何かよからぬことを企んでいるわね、とピンときた私は用心深い表情を浮かべたけれど、デズモンド団長が口にしたのは異国の料理についてだった。
「フィーア、知っているか? ディタール聖国にはすっげーうまい肉料理があるらしいぞ!」
ちょうど小腹が空いていたこともあって、私は警戒心を忘れて質問する。
「えっ、そうなんですか?」
―――ディタール聖国。
それはナーヴ王国とアルテアガ帝国の間に位置する小国で、300年前には存在しなかった国だ。
つまり、前世の私が死んだ後にできた国で、私の知らない独特の食文化を持っているのだろう。
デズモンド団長がわざわざ言及するくらい美味しい肉料理があるのならば、いつか休暇を取って行ってみたいわね、と思っていると、心の中を読んだかのように団長が誘いかけてきた。
「肉を食いに行きたくないか?」
「えっ?」
「今なら、オレの権限でお前をディタール聖国に連れて行ってやれるぞ! シリルの許可も既に取ってある!!」
清々しくそう言い切ったデズモンド団長が、初めて男前に見える。
そのため、私は元気な声で返事をしたのだった。
「完璧じゃないですか! 行きます!!」
◇◇◇
デズモンド団長に誘われた際の会話を思い出しながら、ああー、あの約束が延期になってしまったのね、とがっかりする。
けれど、デズモンド団長が持ってきたディタール聖国行きの話は、騎士団が旅費まで持つという、できすぎたものだった。
そのため、隣国にお肉を食べに行くのに、騎士団が全て面倒を見るなんておかしな話よね、と当初から怪しさを感じていたため、延期になったという話に納得する。
仕方がないわと頷いていると、デズモンド団長は私の表情から何かを感じ取ったようで、慌てた様子で付け足してきた。
「フィーア、これは延期だからな! 決して中止ではないからな!!」
「えっ、延期と言っても無期延期でしょう? 私の予想では、このまま延期の状態が続いて、実行されずに中止になると思いますけど」
うますぎる話だと思ったんですよ、と続けると、デズモンド団長は大きな声を出した。
「全然違う! つまり、ここだけの話、オレらの予想よりも早く筆頭聖女の選定会が開かれることが原因だ! そのため、その原因さえ解消されれば、速やかに肉ツアーを決行できる」
話の途中から、まるで内緒ごとを話すかのように声を潜めてきたデズモンド団長を、私はきょとりと見返す。
「はい?」
デズモンド団長の言っていることが分からない。
筆頭聖女の選定会と肉ツアーは、全く関係がないように思われるけど? と、首を傾げていると、団長は渋い表情をして補足してきた。
「つまり……王都の西には王家の離宮がある。そして、そこにはサヴィス総長のご母堂で、現筆頭聖女様のイアサント王太后陛下がいらっしゃる。王太后陛下は筆頭聖女の選定会に参加される予定だから、開催前に王都までお連れしないといけないし、その役目はクラリッサとクェンティン、ザカリーに任されている」
「まあ、それはすごいことですね!」
イアサント王太后陛下の話は、先日、ファビアンから教えてもらった。
世界中から『癒しの花』と呼ばれている、王国が誇る聖女様とのことだった。
そんな聖女様をご案内する役だなんて、団長たちはすごいわねと目を輝かせていると、デズモンド団長はあっさりした様子で肩を竦めた。
「まあ、そういう考え方もあるな。だが、さすがに5人の騎士団長が1度に王都を抜けるわけにはいかないから、離宮訪問とディタール聖国の訪問日程はズラすつもりだった。そもそも選定会の日程は、もう少し先の予定だったから、オレたちが先にディタール聖国に行って戻ってくる余裕があると思っていたのだが……選定会の日程が前にズレてしまったからな。あの3人の方が先に、離宮に向かわなければならなくなったというわけだ」
「なるほど、肉ツアーはお腹が空いた時に行けばいいから、いくらでも旅行時期をズラせますよね! というか、立派な業務である王太后陛下のお迎えと、肉ツアーを同列に考えることは失礼じゃないですかね」
そう口にしたところで、1つの矛盾に気付き、デズモンド団長に質問する。
「あれ、5人の騎士団長が王都を抜ける、って言いました? 肉ツアー行きのデズモンド団長と、離宮行きの騎士団長3人を足しても、合計で4人ですよね?」
「あー、それはあれだ。実はここだけの話、イーノックは貧弱な肉体をしていてな。肉体改造のために、ディタール聖国に肉を食べに行きたいと言っていたから、一緒に行く約束をしたんだ。だから、肉ツアーにはイーノックも連れていく。それから、他の肉好きの騎士たちも何人か連れていく予定だ」
「まあ」
どうやら結構な団体様でディタール聖国を訪れる予定のようだ。
いくらプライベートと言えど、騎士団長が2人も揃った上に、多くの騎士をぞろぞろと引き連れて行ったりしたら、公的な何かと勘違いされないだろうか。
そう心配する私を知らぬ気に、デズモンド団長はバシンとテーブルを叩いた。
「ということで、聖国行きの件はあくまで延期だからな!」
「了解しました!」
元気よく言い切ったデズモンド団長に対し、私も元気よく返事をする。
よく考えたら、この延期は私にとってもすごく都合がいいわよね、と考えながら。
なぜなら私は、これからしばらくの間、王城に留まらなければならない用事ができたからだ。
そのため、デズモンド団長が今すぐディタール聖国に出発すると言い出したら、参加できないところだった。
「まあ、すばらしいタイミングじゃないの! やっぱり私は聖国のお肉を食べるようにできているんだわ」
思わずそう口にしたところで、私が王城に滞在しなければならない直接の原因となった人物が、食堂の入り口に佇んでいることに気が付いた。
突然現れた相手に気を取られていると、動きを止めた私を不審に思ったようで、デズモンド団長が後ろを振り返る。
すると、ちょうど間近まで歩いてきていたロイドとデズモンド団長は、見つめ合う形になった。
なぜここにいるんだ? と、互いに思い合っている表情を浮かべた2人だったけど、先に気を取り直した様子のロイドが、うっすらとした笑みを浮かべる。
「やあ、デズモンド。騎士団長専用の食堂で出される豪華な朝食を蹴ってまで、フィーアと食事をしたいのかい? だが、その素敵な時間も終了したようだから、フィーアは借りていくよ」
「は? いや、それは構わないが……」
デズモンド団長は問いかけるように私を見た。
『ロイドとフィーアはまだ1、2回しか会っていないはずだが、なぜ公爵がわざわざ食堂にまでフィーアを迎えに来るんだ?』と、その顔に疑問が浮かんでいる。
「ええと、実は昨日、公爵と……」
「僕とフィーアは友達になったんだよ。それから、フィーア、今さら『公爵』と呼ぼうとするだなんて、どうしてデズモンドの前でかしこまろうとするんだい? 彼は君にとって怖い上司なの?」
その場をきれいに取り繕うため、言い訳を口にしようとした私の言葉を、ロイドがあっさりとぶった切る。
「…………」
「…………」
「…………」
それぞれに思うところがあり、沈黙が下りる中、私はぼそりと一言だけ口にした。
「デズモンド団長は怖くないです」
いつも読んでいただきありがとうございます!
お待ちいただいたところのお知らせで大変申し訳ありませんが、書籍化作業に時間が掛かっておりまして、今年いっぱいは更新が不定期になるかもしれません。
できるだけ頑張って更新しようとは思っていますが、が、が……(先が見えない)。
大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。
 









