172 危機との遭遇7
エステルにかけた魔法で褒められるところがあるとすれば、発光エフェクトを抑えたことだろう。
魔法発動時には自然に光が発生するものだけれど、その光を意図的に消したので、回復魔法を見慣れた人は……エステルのような聖女は、私は魔法を発動させていないと判断するんじゃないだろうか。
「回復」と『核なる言葉』は口にしたけれど、呪文部分は省略したので……そして、通常、他の聖女たちは省略しないものなので、私が口にしたのはおまじないのようなものでしかなく、エステルが自分自身の力で病気を治したと思ってもらえるといいなと期待する。
私は作り物の笑顔を浮かべると、目を丸くしているエステルに向かい合った。
「どうかした、エステル? もしかしてすこ――しだけ体調がよくなったのかしら?」
私は本物の聖女じゃないので、治癒されたかどうかも分かりませんよーとのスタンスで、とぼけた調子で尋ねてみる。
すると、エステルは狐につままれたような表情を浮かべた。
「えっ、ええと……はい、すっかりよくなりました。私は聖女なので、何となく病気や怪我の程度が分かるのですが、本当に丸っと、跡形もなく病気が消えてなくなりました」
不思議そうな表情を浮かべ、何が起こったかを理解していない様子でエステルがそう口にする。
そのため私は無邪気な様子で両手を叩いた。
「わー、すごいわ! ユニコーンちゃんとツァーツィーちゃんと一緒だから、すごい力が発動したのね!! 私もちょっとだけ『応援する』というお手伝いをしたけれど、病気自体はエステルが治したんだわ」
嬉しそうに拍手をし続けていると、エステルはぼんやりと私の方に顔を向け……それから、大粒の涙をぽろぽろと零し始めた。
「えっ!?」
そのため、私は驚いて彼女の全身を見回す。
「あれっ、どこか痛いところでもあるのかしら? 見たところ、胸も背中も治っているし、他に悪いところは見当たらないけれど」
おろおろと彼女を見つめると、エステルは首を横に振った。
「フィーア様、どこも痛いところはありませんわ」
そう答える間にも、新たな涙が零れ落ちていく。
「で、でも、涙が……」
「ええ、すみません。胸が詰まったような心地がして、涙が止まらないんです」
エステルの言葉にぎょっとして、彼女の胸元を見やる。
「えっ、胸が? ……でも、胸は治ったはずだけど……」
「はい、病魔は全て祓っていただきましたわ。代わりに、温かい光が胸の中に流れ込んできて、その光があまりに心地よくて、涙が止まらないんです」
「ええと」
つまり、病気は治ったということでいいのかしら、と考えながらぱちぱちと瞬きをする。
すると、エステルはそんな私を見つめ、涙をぽろぽろと零しながら笑みを浮かべた。
「すごいですね。聖女の力はこれほどのものなのですね。そして、このようなものであるべきだったのですね。圧倒的な力と優しさに触れて、感動で胸が痛いです」
彼女の言葉を聞いて、もしかしたらエステルは感応力がすごく高い聖女かもしれないと思う。
だから、体中から病魔が駆逐された時の快感を、何倍にも感じているのかもしれないわ、と。
エステルの病気が治ったことは喜ばしいことだけど、彼女の感応力が高いことは想定していなかったため、先ほどの説明で納得してもらえたのかしらと考えていると、後ろから驚愕した声が上がった。
「フィ、フィーア、一体君は何をしたんだ?」
「そっ、そうよ! 何がどうなっているのよ? あんたってば、こんな重い病気も治せるの!?」
掛けられた声に驚いて振り返ると、先ほどまで昏倒寸前だったセルリアンとドリーが、いつの間にか真後ろに立っていた。
彼らの顔色は、先ほどまでの白さが嘘のように、元の色に戻っている。
「まあ、2人とも顔色が戻っているわよ! 体調がよくなったの?」
不思議に思って尋ねると、ドリーが普段よりも早口でしゃべり始めた。
「あたしたちのは傷病者恐怖症だから、健康な人しかいない部屋で症状は出ないわ! というか、そんなことはどうでもいいのよ!! 一体どうなっているの? まさか、またその……」
ドリーは私が首に掛けている聖石のネックレスを指差して、何事かを言いかけたけれど、途中で何かに気付いたように口を噤んだ。
それから、ドリーは確認するかのように伯爵とエステルを見たけれど、伯爵は茫然としていたし、エステルは涙を零し続けていたので、2人ともに聖石の重要性に気付いている様子はなかった。
そのため、ドリーはほっとした様子でもう1度私に向き直ったけれど、そのまま口を噤むことは我慢ならなかったようで、「信じられない、何て威力なの!」と小声で呟いた。
それから、納得した様子で一歩後ろに下がる。
セルリアンも「常識外れもいいところだ」と頭を振りながら、一歩後ろに下がった。
それらの様子を見て、どうしたものかしらと考え込む。
なぜなら2人は、いかにも私が治癒したとばかりの態度を示し、せっかく作り上げた『私は応援をしただけで、病気自体はエステルが治したのよ』というストーリーをぶち壊したからだ。
自分でもちょっと苦しい説明かな、と思っていたので、そのこと自体はいいのだけれど、2人の一連の言動を見て、やっぱりエステルを完治させたのは聖石の力によるものだと説明すべきかしらと考えを改める。
私が何も言わなくても納得したドリーやセルリアンのように、聖石の価値を知っている人には、聖石を見せるだけで説明が済むのだから、この石で説明したほうが納得してもらえると思ったからだ。
だけど、エステルはそもそもこの石のことを知らないのよね。
そして、ドリーとセルリアンの態度から判断するに、この石についてはあまりぺらぺらと話さない方がいいのよね。
うーん、と悩みながらも、私はぎりぎりのところまで攻めてみることにした。
そのため、未だ涙を流し続けているエステルの両手を握ると、その顔を覗き込む。
「エステル、あなたはがっかりするかもしれないけれど、私は本物の聖女じゃないの!」
「……えっ?」
言われていることが理解できない、とばかりに戸惑っている様子のエステルを目にし、私は心の中で『どうやらエステルは、自分の力で治したという説明に納得していなかったようね。作戦を切り替えて正解だったわ』と独り言ちる。
それから、私はことさら真面目な表情を作ると話を続けた。
「実はね、私は道化師一座のメンバーなの。だから、本物の聖女ではなくて、タネと仕掛けがある聖女なのよ」
「……はい? ……はい」
全く納得していない様子ながらも、素直に返事をするエステルに、私は内緒ごとを話すかのように少し声を潜めてみる。
「そして、私のお仲間は何と宮廷道化師なの!」
ふふふ、この言い回しならば、セルリアンとドリーだけではなく、私も宮廷道化師だと考えるんじゃないかしら。
そう期待しながら、私はぱちぱちと瞬きをしてみせる。
「そしてね、私は王様のお気に入りなのよ! だから、王様から特別の品物を与えられていてね。何というのか、そのおかげで聖女の力と同じようなことができたりするのよ」
私は聖石のネックレスをわざとらしいほど撫で回しながら、エステルを見つめた。
まあ、ギリギリ嘘ではないだろう。
これらの宝石はサザランドの民から譲り受けたのだけれど、その際に同席していたサヴィス総長が理解を示してくれたからこそ成り立った話だ。
それはつまり、総長の上司である国王の許可を取ったからこそ、と言えなくもないはずだ。
そして、今日は1日、セルリアンとずっと一緒に行動しているのだから、彼のお気に入りと言えなくもないだろう。
つまり、要約すると、私は王様のお気に入りで、この聖石は王様から与えられたようなものだわ!
そう自分に都合がいい結論を出すと、エステルに視線を戻す。
これほどしつこくネックレスを触っていたのだから、エステルもこの宝石に特別の力があり、そのおかげで彼女の病気が治ったのだと理解したのじゃないかしら、と期待しながら。
けれど、期待に反して、彼女は難しい顔をして大きく首を傾けていた。
……あれ、私が暗示したことを、理解していないように見えるわね。
せっかく真実と虚偽の境で頑張って話を作ったのに、何の成果もなかったのかしら?
そうがっかりして俯こうとすると、セルリアンが腹立たし気な表情を浮かべているのが見えたため、成果もないのに怒りだけ買うなんて、マイナス収支じゃないのと損をした気分になる。
そんな私に対して、予想通り、追い打ちとばかりにセルリアンが苦情を言ってきた。
「フィーア、そんな風に誤解を招く表現はいかがなものかと思うよ! 王様はどんな女性にも興味がないんだからね! つまり、そんな意味で、君に興味は持っていないから!!」
あ、そう言われれば、王様は女性嫌いだと噂されているんだったわね。
今の王様は影武者だから、女性問題を起こして跡継ぎがどうのこうの、ってことが発生しないように予防線を張っているのかしら?
そうだとしたら悪いことをしたわと考え、セルリアンに話を合わせることにする。
「確かにセルリアンの言うとおりね! 王様は私みたいな者よりも、馬の真似が好きな幼い少年や、女性的な雰囲気を持つ長身の男性が好きなんだったわ!!」
「フィーア! それはそれで問題があるだろう!!」
せっかくセルリアン好みの話を口にしたというのに、間髪をいれずに悲鳴のような声で言い返されたため、セルリアンったら色々と注文が多いわねと顔をしかめる。
だんだんと面倒になってきた私は、取り敢えずエステルに納得してもらおうと、これまでの話をまとめることにした。
「ええとね、エステル、つまり私は王様から色々と有効なタネと仕掛けを与えられていて、それを使用してあなたの病気を治したの。ただし、このタネと仕掛けはものすごい秘密だから、今日あったことは黙っていてほしいの。いいかしら?」
すると、エステルは涙の溜まった目をぱちぱちと瞬かせて、にこりと微笑んだ。
「もちろんです!!」
大きく頷くエステルを見て、いい返事だわと嬉しくなる。
けれど、続けられたエステルの言葉に、私はごちんと頭を叩かれたような気持ちになった。
「これは私の独り言ですけど、フィーア様はこの国にとって特別な存在ですのね! ですから、王家が囲い込んでいて、教会にもそのご存在が知られていなかったのですね」
「えっ?」
エステルから発せられたのは突拍子もない話だったため、ぎょっとして彼女を見やる。
けれど、エステルは両手を組み合わせ、夢見るように空を見つめた。
「聖女の数はそれほど多くありませんし、定期的に顔を合わせる機会が設けられているので、互いの顔は分かるんです。ですが、私はフィーア様を1度も拝見したことがありません。遠地にお住まいの聖女様であれば、あるいはお見かけしていないこともあり得るのでしょうが、王城暮らしであれば、王家によって秘されていると考えるのが筋ですよね」
「えっ、いや」
エステルの口から、驚くべき話が飛び出てきたため、私は目を白黒させた。
ど、どうしよう。先ほど、宮廷道化師だと仄めかしたことが悪く誤解されて、王城暮らしだと思い込まれてしまったわ。
いや、実際に私は、王城内にある騎士寮暮らしなのだけど……多分、エステルが言っているのはそういうことではないわよね。
困ったことに、エステルがもっともらしく語った創作物語に、事実は一欠片も交じっていないのだ。
これは訂正をしなければいけない、と思っている間に、エステルは両手をぐっと握りしめると、何かを決意した表情を浮かべた。
「王家がひた隠しにしている聖女様であるフィーア様のことは、決して他言いたしません! お約束しますわ!」
彼女のきらきらと輝く瞳を見て、私は説得に失敗したことを悟る。
どうやら私の完璧なはずの説明が、全くの誤解としてエステルに伝わったようだ。
そのことを理解した途端、私の顔から表情がごそりと削げ落ちた。
 









