169 危機との遭遇4
睨み合うドリーと伯爵一派を見て、一体どうしたのかしらと首を傾げる。
ドリーはいつだって飄々としていて、全てを俯瞰しているような態度だったのに、今回ばかりは地上に降りてきて伯爵と対決している。
ドリーが大事にしている部分に伯爵が踏み入ったのかしら、と考えながらセルリアンを見ると、こちらも不愉快そうな表情で伯爵を睨み付けていた。
なるほど。よく分からないけれど、ドリーとセルリアンの2人ともに不愉快さを覚えているということは、それなりの理由があるのだろう。
だから、2人の気持ちを尊重したくはあるけれど……
「ええと、お言葉を返すようだけど、私は聖女じゃないの。だから、筆頭聖女の選定会にも出ることはないわ。先ほども言った通り、タネも仕掛けもある、人々を笑顔にするための聖女なのよ。それでもよければ、ご一緒するわ」
そう伯爵に向かって返事をすると、誰よりも早くドリーが反対の声を上げた。
「フィーア、あんたが付いていく必要はないわよ!」
そのため、私はドリーに向かって小首を傾げる。
「ドリー、私たちは人々を笑顔にするためにいるのよね。だとしたら、まずは話を聞いてみないと。そうしたら、何かできることがあるかもしれないわ」
ドリーは咄嗟に反論しかけたものの、すぐに思い直したようで、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「……道化師の心意気を問うなんて、あんたって本当に、攻めどころを分かっているわよね!」
「これでも有能な弟子だもの」
得意気に言い返すと、すかさず反論された。
「いや、今のは褒めてないからね!」
ドリーの言葉はいつも通りだったけれど、口調は普段より強めに思われたため、やっぱり何か気に入らないことがあるんだわと思う。
伯爵に案内されてしばらく歩くと、伯爵家の紋章が付いた馬車が待機場に止めてあった。
伯爵家の3人と、セルリアン、ドリー、カーティス、私の7人全員が目の前の馬車に乗るのは、サイズ的に難しそうだったので、伯爵の従者2人は辻馬車を拾うことで話がまとまる。
けれど、いざ伯爵家の馬車に乗り込んでみると、思ったよりも狭かったので、セルリアンとドリーはカーティスに対して、『辻馬車に乗れ!』とばかりに強めの視線を送り始めた。
まあ、国王と公爵から明らかな圧力を掛けられてしまったわ。一体どうするつもりかしら、とカーティスを見ていたところ、予想通り彼は丸っと無視したため思わず呟く。
「セルリアンが誰だか分かっていながら、こんな態度を取るなんて、カーティスは大したものだわ!」
それは小さな声だったけれど、当のセルリアンに聞き取られたようで、呆れた様子で返された。
「他の者ならまだしも、フィーアにそれを言われてもね!」
それから、ぷいっと顔を逸らされたので、まあ、ドリーに続いてセルリアンも機嫌が悪いようね、と目を丸くする。
どうやら2人ともに、私が伯爵の要望をきっぱりと断らなかったことが気に入らないようだ。
けれど、そうは言いながらも、私を心配して付いてくるところが、この2人の人の好さなのだろう。
そう考えて笑みを浮かべていると、2人から「顔が緩み過ぎじゃないの」「フィーアは平和よねぇ」と憎まれ口を叩かれた。
……人は好いんだけれど、口が悪いことがこの2人の問題のようだ。
さて、しばらくの後、到着した伯爵家のタウンハウスは立派なものだった。
王都に建てられているにもかかわらず、門から館まで一定の距離があるし、庭もきちんと手入れがされている。
そのため、「まあ、立派なお宅ね!」と感心した声を上げると、ドリーが馬鹿にした様子で口を開いた。
「王城の半分の半分の半分の半分の半分以下だわ!」
その通りではあるのだけれど、王城と比べたらどのお家でも粗末に見えるわよね、と呆れた気持ちになる。
けれど、一方では、『オルコット公爵家と比べたら』と言い出さない辺り、まだドリーには理性が残っているようねと胸を撫で下ろした。
その後、館に入るとすぐに、私たち4人は応接室に通された。
先ほど別れた従者2人は、既に伯爵邸に着いていたようで、伯爵がソファに座ると同時に、その後ろに立つ。
一方、私とセルリアン、ドリーはテーブルを挟んで伯爵と向い合せのソファに座り、その後ろにカーティスが立った。
始めに口を開いたのはセルリアンだった。
子どもの道化師姿で脚を組み、腕を組んだ生意気な姿で、伯爵に向かって無礼な口をきく。
「先ほども言ったが、僕らはこれから食事にいく予定なんだ。話があるのなら、手短にしてくれ」
相変わらず不遜な態度を崩さないセルリアンを見て、どうやら王様モードのようだわと思う。
けれど、『無礼な道化師』と考えると、彼の言動に全く違和感がないので、王様と道化師は似通った職業かもしれないわねと心の中で思う。
もちろん口に出したら100倍くらい言い返されそうなので、思うだけに留めておくけれど。
セルリアンの言葉を聞いた伯爵と従者2人は、不快そうな表情を浮かべたけれど、年齢相応の冷静さを身に付けているようで、少年道化師の行儀の悪さに触れることなく、私に向き直った。
「聖女様、私には娘が1人おりまして、その子は聖女です。生まれつき体が弱かったのですが、先週から突然体調が悪くなり、ここ数日は碌に寝台から起き上がれない有様なのです」
それは大変だわと返事をしようとしたけれど、それよりも早くドリーが口を開く。
「まあ、それはお気の毒ね! だけど、見ず知らずのあたしたちじゃあ力になれるはずもないわ。さっきも言ったけど、病人本人が聖女様なら自分で治せばいいし、色々と伝手がある伯爵家ならば、道化師一座ではなくてもっと立派な聖女様を探せばいいわよね! それとも、こーんな家に住んでおきながら、この家は貧乏なのかしら?」
ドリーったら何てことを言うのかしら、と諫めようとしたけれど、それより早くセルリアンが同調する。
「ドリー、貴族ってのは見栄だけで生きているんだから、貧乏だったとしても、『はい、そうです』と答えるもんか。だが、道化師風情に頼むのだから、貧しい上に、何の伝手も持っていないことは間違いないだろう。少なくとも、このような頼みごとをしてくるのだから、厚顔無恥ではあるはずだ」
えっ、どうしてこの2人はいちいち喧嘩腰なのかしら、と驚いて目を見張る。
けれど、腹立たしさを抑えきれない様子の2人を見て、何かがおかしいと首を傾げた。
確かに2人とも自由気ままではあるけれど、嫌味を言うにしてももっと婉曲に行うはずだし、直接的に人を傷つけるような発言はこれまでしたことがなかったからだ。
一体何がこの2人を苛立たせているのかしら、と考えている間に、ペイズ伯爵が我慢の限界にきたようで、イライラとした声を上げた。
「いくら頭の弱い道化師と言えど、少々言葉が過ぎるのではないか? 発言の意味も、その影響度も理解していないからこその言葉だろうが、それにしても目に余る!」
えっ、伯爵が正面から文句を言ってきたわよ。
もちろんこの2人の態度が悪いのは間違いないけれど、伯爵はお願い事をしている立場だから、どれほど腹立たしい態度を取られたとしても、大人しく我慢してくれるだろうと希望的観測を抱いていたのに外れてしまった。
まずいわ、セルリアンとドリーは文句を言われて我慢するようなタイプじゃないはずよ。何とかしないと……
「あっあー、そうなのよねー! 道化師ちゃん2人は、口が悪いのよねー。でも、人は好くってね!」
その場を取りなそうと、大きめの声を出したけれど、ドリーがさらに大きな声を出してきた。
「はん、本性を現したわね! あんたみたいなタイプは、自分だけが大事なのよ! あるいは、家族も辛うじて大事にしているのかしら? いずれにしても、交渉は決裂ね! あたしたちは帰るわよ!!」
ドリーはそう言って立ち上がると、馬鹿にした様子で顎を突き出した。
その様子を見て、これはダメだと彼の両腕をがしりと掴む。
「ド、ドリー! 子どもの喧嘩じゃないんだから、止めてちょうだい!」
というか、誰か止めてちょうだい。
通常であれば、1人が熱くなると、もう1人は冷静になるものだけれど……、とセルリアンを振り返ると、彼は挑むような表情を浮かべていた。
「はっ、僕は頭が弱い道化師かもしれないが、自分の発言の意味くらい理解している! あんたがやっていることは、どうしようもなく恥知らずなことだって言っているんだよ! それとも、10年前の出来事を忘れたのか!?」
ダメだわ、こちらも冷静さとは程遠いわと思ったけれど、彼の発した単語に引っ掛かりを覚える。
「10年前?」
そんな昔から、セルリアンとドリーはペイズ伯爵と知り合いだったのかしら?
もちろん、国王と公爵としての関わりだろうけれど。
と、そう考えている間にも、黙り込む伯爵に対してセルリアンがさらに畳み掛ける。
「まさか忘れたとは言わせないぞ! 先ほど、ドリーが発したセリフと同じものが、10年前のオルコット公爵に対して投げつけられた場面を! 『聖女ならば、自分で治せばいい』とな! それができなかったからこそ、オルコット公爵が必死に頼んでいたことは明らかだったのに……僕はあの場にいたし、同じくあの場面に居合わせていたあんたの顔も覚えている! しかし、あの時、あんたは一言だって口を差し挟まなかったじゃないか!!」
「えっ、10年前に居合わせた!?」
子ども姿のセルリアンを見て、10年前は赤ちゃんだったのじゃないかしら、と咄嗟に思ったけれど、すぐにその頃のセルリアンは19歳の姿をしていたことを思い出す。
それから、セルリアンが話しているのは、10年前に亡くなったというオルコット公爵の妹さんの話じゃないかしら、と思い当たった。
そのため、はっとしてドリーを振り仰ぐと、彼は厳しい表情を浮かべていた。
その表情から、ドリーもセルリアンと同じように、10年前の出来事を思い出しているのじゃないかしらと思う。
私の予想を肯定するかのように、ドリーは激しい調子で言葉を発した。
「その通りよ! つまり、聖女ならば自分で治せばいい、って意見に全面的に同意していたんでしょう! あるいは、他人事だからどうでもいいと思っていたのかしら。いずれにしても、同じことが自分の身に降りかかったくらいで、意見をひっくり返さないでちょうだい!!」
 









